いま文学を語ることはファッショか?ファッションか?
1 :
吾輩は名無しである :
03/04/16 09:16 徹夜で考えたが分からなかった。
2 :
吾輩は名無しである :03/04/16 09:18
まじれすする。フィシュだよ。2げと
そもそも命題の立てかたに問題がある。3ゲト
ファックだろ。4。
マジレスで飯島愛
6 :
吾輩は名無しである :03/04/16 09:59
>ファッショか?ファッションか? 昔コムデギャルソンが発表したパジャマみたいな服が 強制収容所のユダヤ人用の服に似ていて欧州で ひんしゅくをかったことがあった。 ファッショかつファッション という答えもありえるぞ。
7 :
吾輩は名無しである :03/04/16 10:07
春樹さんを語ることは、崇高にして偉大な儀式なのです
どうして日本人はモードのことをファッションって呼ぶのか。
モードなんて日本にないからに決まってんだろ馬鹿が。 てめえがモードって思いこんでるだけじゃねーか馬鹿が。 つーかてめえの定義するモードとファッション説明してみろや馬鹿が。
説明できないんですか。
そもそも
>>9 は日本人ですか?
なんだこのスレ・・・
つーかぽまいら、日本人かどうかは、まず
>>8 に訊けよw
(・∀・)ジサクジエンデシタ
15 :
吾輩は名無しである :03/04/16 11:52
>>6 ファッションを例に出すのはちょっとどうかと思うぞ。
ファッションかつファッショというのはあると思うが。
ファッションでもファッショでもないものも多数ある。
16 :
吾輩は名無しである :03/04/16 11:53
ファッションでもファッショでもないもの。 それはフィシュ。
ファックだろ。
マジレスで飯島愛
どっちでも大差ねーし。
>>15 すんまそん。たまたま、思い浮かんだのをそのまま書いただけです。
コムデギャルソンっていってみたかっただけです。
村上春樹っていうのは、 なんていうのかしら おしゃれにはおしゃれなんだけど どうも、ダサいのよね 村上龍みたく 田舎者ってとこまではいかないんだけど まあ、なんていうのかしら 一見すると西欧風のお菓子みたいなんだけど よくみると、中にクリームが入ったただの大服餅みたいな そんな感じ・・ まあ、私だったら カヴァーもつけずに村上春樹なんか もう、恥ずかしくてとても読めない どうせだったらあと一歩背伸びして ポール・オースターなんかだったら まだましだわね
22 :
吾輩は名無しである :03/04/16 12:12
ファッショな内容の本を読むことが、既にファッションなのです。
芥川なんか見るともう私いや、 いや、いや、いや、いやよ もう、知的だか、なんだか 見せ付けようとしてるのがみえみえ! 時代錯誤もいいとこ! 足に下駄でも履いてるのかと思っちゃうわ 芥川なんてどうどうと読んでる人みると もう私じんましんでちゃう だからといって太宰よりも悪くはないのは 確かなのよね もう太宰なんて見ると その人の周りになんか不潔で不健康なオーラを 感じるのよね とにかく太宰にカヴァーもつけずに持ち歩いてる人は 私の視界に入らないでほしい!!
で、次の人誰よ? はやくしてよね、私いそがしいんだから
逆に、ファッションに流されることが、既にファッショだと断言するのもあり。 ファッショに流れる=自分の判断力の放棄 >カヴァーもつけずに村上春樹なんか >もう、恥ずかしくてとても読めない これも他人の目こそが判断の基準と言うわけでファッション=ファッショ的?
マジレスしていいかどうか躊躇する雰囲気だな・・・
マジレス? フィッシュ。
じゃあ、やめるわよ (ぷんすか、ぷんすか、ぷんすか)
29 :
◆GiTmRUKFvw :03/04/16 12:22
春樹の顔写真入りプリントTシャツ着てる ぼくはどれくらいお洒落でファッショですか
服なんてサイズが合えばいい。 だってわたし、何着てもかっこいいから。 なぜって? わたしの生き方がかっこいいから。
31 :
吾輩は名無しである :03/04/16 12:31
誰もが富永愛になれると幻想することがふぁっしょ(ン)の
誰もが平●啓一郎になれると幻
クロレッツのCMは、ホントは出たくなかったけど、 仕事を選ぶような人間って思われると私の生き方じゃないから、 かっこよくこなした。
34 :
◆GiTmRUKFvw :03/04/16 12:42
つうか文学を語るのはファッションでも ファッショでもない別の何かだよ 世迷言めいてる
35 :
吾輩は名無しである :03/04/16 12:42
ファックションなんじゃないかな
36 :
吾輩は名無しである :03/04/16 12:44
谷崎潤一郎も愛でたであろう富永愛の陶器の肌……
fashion health♪ 韓国式(朝鮮?)は柳_とかね♪
「頑張っているのは、遊ぶこと。 ガハハハ・・・」 って、じゃあお前はポテトチップス食いながら カウチでTV観てんのかよ、と言いたい。 >富永愛 あと、いくらファッション・ショーだからとは言え、 へんなメイクはしない方がいいですよ モンスターみたいに見えます、富永さん。
www.zdnet.co.jp/broadband/0302/07/lp08.html この先ずっと「クロレッツでおなじみの」って 枕詞つけられちゃたまんないよね。
今さらクロレッツの ムービーファイルを引っぱって きて何がしたいんだよ キミは知らなかったのか よくそんな疎さで偉そうな口が利けるな
42 :
吾輩は名無しである :03/04/16 13:48
うわあ、ファッショだ・・・
Each Day I walk along this lonely street Trying to find, find a future New pair of shoes are on my feet Cos' fashion is my only culture Nothing ever change, oh no Nothing ever change People say to me just be yourself It makes no sense to follow fashion How could I be anybody else I don't try, I've got no reason Nothing ever change, oh no Nothing ever change I'm just living in a life without meaning I walk and walk, do nothing I'm just living in a life without feeling I talk and talk, say nothing Nothing ever change, oh no Nothing ever change
見つけようとするこの孤独な通りに沿って私が歩き、将来の新しい1足 の靴が私の足会社の流行上にあることを知る毎日は、私のただ一つの 文化です。無、常に変更、おお、無、常に変更 人々は私に言います、 あなた自身単にそれである、流行に続く意味をなさない。どのように、 できた、私、私が試みない誰か他の人および私である、理性を得ていな い。無、常に変更、おお、無、常に変更 歩き歩き、話すと思わずに、 生活に私がちょうど生活に実行しているものは何もせず、話すことを意 味せずに、生活に私がちょうど生きている、と何も言いません。無、常 に変更、おお、無、常に変更
1980年代初頭ロンドンにおける不良青年の倦怠
46 :
吾輩は名無しである :03/04/17 01:30
どっちでもない。
48 :
吾輩は名無しである :03/04/17 03:46
フェットチーネという選択肢も残されているわけだが
クッション
52 :
吾輩は名無しである :03/04/17 08:52
文学はフィクションです
>>9 『モードとしての文学@』
日本にもモードとしての文学の系譜は明らかにあります。
イズムとモードはある意味、等価なものではないかと考えてみた時に、
三島が傾倒してきた『葉隠』の一節「武士道は死ぬ事と見つけたり」
という言葉には、ファッションモデルが食事制限を行うのにも似た、
あくまでもファッションとしてのモードへのこだわりが込められています。
すなわち武士道というモードを言い訳とすることで、三島もまた芥川や
太宰のように死ぬ事によって自らの人生そのものを文学的に演出してみせた
に過ぎないのではないかということです。人生を豊かにしてくれるはずの
文学が作家の人生を奪ってしまうという構造は、まるで婦人達が美しさによって
人生を豊かにしようと矯正下着やハイヒールによって窮屈な思いをしながら
生活し続けていることに似ています。そういう意味においても文学とモードは
切っても切れない関係のもとにあると言えるのではないでしょうか?
ファッション大魔王 壺の中から飛んでくる
>>54 >「武士道は死ぬ事と見つけたり」 という言葉には、
(→武士は喰わねど高楊枝→)
>ファッションモデルが食事制限を行うのにも似た、
暗黙の連想を利用した強引な展開?
『モードとしての文学@』 先ほど、三島の武士道への憧れがすなわちモードへの希求心に他ならない ということを書きましたが、芥川と太宰についても同様の事が言えるでしょう。 芥川については彼自身の提言である「芸術としての芸術」というものそれ自体が、 すなわち彼の文学がモードの一環であったことを何よりも明白に証明してくれて います。ファッションにおけるモードというものが装飾本来の実用性から遊離した 自己完結的な目的のために存在することと、文学のために文学を創出する行為は、 全く同質のものです。そして芥川に対する憧れを自らの文学的拠り所としてきた 太宰もまた、モードとしての文学を追及することで文学に殉じてみせた一人です。
58 :
吾輩は名無しである :03/04/17 13:04
59 :
吾輩は名無しである :03/04/17 13:06
ファッションモデルが食事制限を行うのにも似た、 あくまでもファッションとしてのモードへのこだわりが込められています。 ファッションモデルが食事制限を行うのにも似た、 あくまでもファッションとしてのモードへのこだわりが込められています。 ファッションモデルが食事制限を行うのにも似た、 あくまでもファッションとしてのモードへのこだわりが込められています。
『モードとしての文学B』(
>>57 はAでした)
太宰が芥川フリークであった事実については、膨大な資料の研究成果である
猪瀬直樹の『ピカレスク・太宰治伝』に詳しく書かれています。特に顕著な
例として、晩年の太宰のヘアスタイルがやはり晩年の芥川のヘアスタイルに
瓜二つだったことが挙げられます。ちなみに猪瀬直樹による文学者の評伝には、
『ペルソナ・三島由紀夫伝』というものもあって、どちらも人生全般を文学的
に演出したらしめた作家であったことは、単なる偶然ではないのかもしれません。
作品そのものよりも作家の人生に興味を覚えてきた猪瀬直樹自身もまた、モード
としての文学に傾倒してきた類の文学者だと言う事なのかもしれません。
61 :
吾輩は名無しである :03/04/17 13:11
おい駆動!まずモードの定義を白や
>>56 すっかり忘れていましたが、その言葉も頭の中にはありました。
僕の文章には途中の思考経過が抜けているケースが多々あるようです。
他にもあれば是非、ご指摘頂けるとありがたいです。
63 :
吾輩は名無しである :03/04/17 13:22
64 :
吾輩は名無しである :03/04/17 13:32
>>61 ファンションにおける流行の意味合いで使われがちですが、
本来の意味合いとしては「方法」もしくは「様式」ということになります。
ですから「ファッションのモード」は「装飾の様式」あるいは「装飾の方法」
という意味になり、「ファッション」と「モード」は決してイコールではありません。
>>65 の追記です。
僕は『モードとしての文学』において、「モード」を
「方法論」もしくは「様式美」というようなニュアンスで使っています。
『モードとしての文学C』 モードという用語は「ファンションにおける流行」の意味合いで使われがちですが、 本来の意味合いとしては「方法」もしくは「様式」ということになります。 ですから「ファッションのモード」は「装飾の様式」あるいは「装飾の方法」 という意味になり、「ファッション」と「モード」は決してイコールではありません。 僕は本稿において、「モード」を「方法論」もしくは「様式美」というような ニュアンスを込めて使っています。 どちらの意味合いで使っているかは、 その場その場でご察し頂ければありがたいです。ちなみに「モード」をあえて 「流行」の意味合いで使わない事には重要な理由があります。実際に「モードの最先端」 を自負する人間は、およそ「流行」といったものとはかけ離れた、それでいてセンスの よさを感じさせるような、あくまでも独特の装いを心がけるものです。「流行」を そのまま取り入れただけのコーディネイトは彼等にとってもはや時代遅れなのであって、 彼等にとっての「モード」は、過去の遺跡を発掘し再構築することによって、自ら 新たに作り出すものなのです。こういった作業はまるで文学におけるポストモダンにも 酷似した構造を感じさせるものです。そういえば僕が中学生の頃に読んだ高橋源一郎と 浅田彰の対談中に「他人と同じものを読んでもしょうがいないよね」というような会話が 交わされていたことは、このことを証明しているのかもしれません。概してニューモードの 担い手と見做される人物ほど、自らが流行という名のもとに埋没してしまうことを忌み嫌う 人種はいません。彼は決してファッション・リーダーと呼ばれるような人達やその追っかけ が自分に追いついて来た頃には同じ装いを続けていることはありません。ましてや流行に 疎いはずの生き方をしている人々までが流行に追いついてしまった頃には、すでにそれは 流行ではなく時代遅れなのです。そういったいたちごっこの迷宮の中で、いかにして追われる 立場の人間として最先端を駆け抜けていくことができるか。そのことを何よりも人生の目的と して執心し続ける魂の様式がすなわちモード的なのであり、文学もまた往々にしてそういった 傾向にあると言えるわけです。
68 :
吾輩は名無しである :03/04/17 14:11
工藤さん、もっと語ってください。
『モードとしての文学D』 以上、「モード」というキーワードを軸とすることによって、 ファッションと文学の類似性を指摘してきたわけですが、たとえばそれは ファッションにもユニクロや無印良品のように耐久性や低価格を売りにした 実用性のみを追求したものの対極としてエイプやエルメスのようなデザイン 性等の様式美のみを追求した高価なものがあるという点においても、文学に おけるライトノベルや大衆文学と呼ばれるような読みやすくて娯楽にうって つけな実用性を追求したものの対極として純文学と呼ばれる文学表現の様式 美のみを追求した分野があるとも言えるのです。そして時たまそこに実用性 と様式美を兼ね備えた存在としてのアメカジや村上春樹のようなものが出てくる のです。かといってただ単にそれらを普通に享受してさえいればいいという 事ではなく、中にはジーンズの歴史的価値にこだわってみたり村上春樹作品への 既存文学からの影響を探ってみたりすることで自らのモード性を見せ付ける人もいます。
71 :
吾輩は名無しである :03/04/17 14:54
駆動の下記子から分かる事は駆動が暇人だということだ
工藤だけはガチ。
『モードとしての文学D』 ちょっと切り口を変えてみます。 芥川といえば国語の教科書の写真でもおなじみの、 直線的な大きな額を持った面長なハンサムのイメージがあります。 しかしよく見ると、生え際に天然と思われるような「剃り」があるのです。 もしかすると芥川が遺書に書き残した「漠然とした将来への不安」とは、 「禿げてな老醜を晒すことへの不安」だったのではないでしょうか? そういえば彼の顔は、テレビタレントの所さんに似ています。 禿げやすい傾向にある骨格なのかもしれません。所さんは薄毛が気に ならない灰色にカラーリングしたりしていてカッコいいですが、芥川の 時代にはそんなテクニックはまだ確立されていませんでしたから、ヴィジュアル 路線のモードの旗手の彼にとって、薄毛は死活問題だったわけです。 現在においてもたとえば河村隆一などのヴィジュアル系ミュージシャンや、SMAP などのジャニーズ系アイドルが禿げてしまうと、ファンは幻滅してしまいますよね。 そういえば薄毛の傾向にあった田原俊彦は、最近テレビで見かけなくなりました。 俊ちゃん、自殺なんてしないでほしいものです。僕の勝手な妄想ですが。 ちなみに僕も顔のつくり的にも遺伝的にも将来禿げる可能性が高いので、人事ではありません。 還暦を迎えた父はまだ生え際が危ない程度ですが、亡くなった祖父は見事に全禿だったのです。 太宰は髪がふさふさのイメージですが、それでも晩年の頃の写真を見ると、 若い頃に比べて芥川さながらに額が広がっていたように思います。
74 :
吾輩は名無しである :03/04/17 15:12
俊ちゃん、自殺なんてしないでほしいものです。 俊ちゃん、自殺なんてしないでほしいものです。 俊ちゃん、自殺なんてしないでほしいものです。 俊ちゃん、自殺なんてしないでほしいものです。 俊ちゃん、自殺なんてしないでほしいものです。
75 :
吾輩は名無しである :03/04/17 15:29
俊ちゃんが死んでもスポーツ新聞のエロ記事の隅に載るだけ。
こ・・・これが・・・これが、名スレ、というものなのか・・・?
78 :
吾輩は名無しである :03/04/17 15:53
工藤先生のレスが読めるのはこのスレだけ!
79 :
吾輩は名無しである :03/04/17 16:01
ガラクタ市
『モードとしての文学E』 海外文学のような自由で自然な内面表現を可能とする目的で、二葉亭四迷ら 明治の文豪と呼ばれる先人の努力の甲斐あって産み出された言文一致体に よる小説表現は、同時に文語を扱える一部の特権階級のものでしかなかった 文学を一般大衆のものへと変質させる効果をも産み出すことになったのです。 それからちょうど1世紀になろうとする平成の今、高橋源一郎などの作家や 坪内祐三などの評論家の手によって再び100年近く前の明治文学が脚光を浴びて いるのは、新しい世紀の到来という変節期における当然の流れかもしれません。 そこでふと思い起こされるのは、漱石が『こころ』の中で提示してみせた 「文学なんて高等遊民の暇潰しにしかならない虚業に過ぎないのでないか」という 自省的糾弾への反論を実証してみせるべく行われてきたその後のプロレタリア文学 に代表される「民衆のための文学」運動の健闘も空しく、文学、殊に漱石らの 明治の文豪たちの正統な系譜であるはずの純文学は、大衆文学寄りの評論家・大塚英志 が「不良債権としての文学」と指摘しているように、今や明治時代さながらの「高等遊民 の暇潰し」に逆戻りしてしまっている感があるのです。しかも平成の現代日本における 高等遊民は、明治時代のようにごく一部の特権階級を指す訳ではなく、日本中のあらゆる 場所に住んでいる喰うに困るほどでもないが社会の役に立たない中流階級のフリーターや 窓際独身貴族のことであって、ますます世間の文学に対する見識は険しいものとなってきて いるのです。僕はこうなってしまったことの要因として、「文学は高級なものである」という 根拠なき特権意識の弊害を思わずにはいられません。
81 :
吾輩は名無しである :03/04/17 16:31
社会の役に立たない中流階級のフリーター 社会の役に立たない中流階級のフリーター 社会の役に立たない中流階級のフリーター 社会の役に立たない中流階級のフリーター 社会の役に立たない中流階級のフリーター 社会の役に立たない中流階級のフリーター
『モードとしての文学F』 作家や編集者がどんなに自らの仕事を 高級なものと思い込んでみたところで、実際に特権階級に属するような実業家が紳士の嗜みと して読んでいるのは、決して日本の現代文学等ではなく、文学史に名を連ねているような古典 的名著の類であったり、現代文学といっても海外で注目を集めている作家の作品に限ってだったり してしまうのです。大衆文学と呼ばれるようなライトノベルやミステリの類にしても、日本の人口 全体からしてみればごく少数の読書好きのマニアが読んでいるに過ぎません。ましてや純文学に いたっては、多くの作家が生活に困窮し、文芸誌は赤字続きのまま、どうにか存続しているという 状況です。このままでは近い将来、本当に純文学は日本からなくなってしまいかねません。 ではどうすればいのか。大塚英志の言うように、純文学へのこだわりを捨てて全ての新刊を大衆文学 的なものにしてしまうという方法しか考えられないとは思いません。純文学の中身それ自体はそのまま でもいいと思うのです。そのかわり、「文学は高級なものであって、ファッションやポップスなんかとは 違う」という考え方を排除して、「文学はお洒落なものだ」と思わせるようにしていけばいいと思うのです。 事実、漱石や芥川、太宰、三島といった時代を超えて愛されてきた日本の文豪達は、ファッション・リーダー としても有能でした。かといって外見だけ良くて中身が伴わなかったわけではないのは言わずもがなです。 かといって別に、顔のいい作家ばかりをデビューさせろというわけではありません。作家が専属のスタイリスト をつけて最先端のファッションで人前に出たり、優雅な生活ぶりをテレビで誇示してみたり、文芸誌や単行本の 装丁に新進気鋭のデザイナーや人気グラビアモデルのポートレイトを起用してみたりというような、 音楽業界やファッション業界さながらの「売るための方法論=ビジネス・モード」を文学の世界にも過激なまでに 適用していくべきだと言う事です。それは決して文学への冒涜行為なんかではなく、素晴らしい日本の現代純文学 作品の数々をまさに一般大衆に愛される存在にしていくためのしたたかな方便に他なりません。
>>79 今日のは外れっぽいね。まぁ先生はアヴェレージよりも一発が魅力だから。
もう、あんた、がたがたうるさい! きぃーーーーーーーっ 長けりゃいいってわけじゃないのよ 高けりゃいいってわけじゃないのと一緒よ(ぷんすか) いつの時代もおしゃれとか洗練ってのは 相対化と、個別化の矛盾の中で生まれるもんなの おわかり? それに比べて、あんたの言ってることは もう、ううう いや、いや、いや、いや、いや 見苦しい
『モードとしての文学G』 「作家にとってルックスのよさは二次的な魅力に過ぎない」という言説が まことしやかに文壇を席巻しているが、果たして本当にそうなのだろうか? 作家という存在が職人的に黙々と作品を作り続ける裏方的な職業であれば それでいいのかもしれない。しかし作家の実情は文化人だ何だと持て囃されて 雑誌の対談やらテレビのコメンテーターとして表舞台に貌を晒す事が多い。 そう考えてみると、タレントなどというよくわからない肩書きでテレビや雑誌を 彩っている人々の多くもまた、元をただせば芸人や役者、ミュージシャン、 スポーツ選手といった具合に、本来は容貌のよさとは無縁のはずの才能を認められて 名声を得た人物ばかりなのである。にもかかわらず彼等は、時にファッション雑誌の モデルをつとめてみたり、果ては写真集まで出してしまっていたりするのだ。 それは需要を見込んでのことだから当然の流れとも言えるかもしれないが、本来なら お笑い芸人は人を笑わせるのが仕事であり、役者は演じるのが仕事であり、 ミュージシャンは歌や踊りや演奏を披露するのが仕事であって、外見の良さは二次的な 魅力に過ぎないのだ。
『モードとしての文学H』 とはいえルックスのよさが彼等の人気の一翼を担っている以上、 ファンの期待に応えるとともに本人や所属事務所が商業的に潤っていくためにも、 ルックスのよさという商品的価値を前向きに商業利用していくことは、業界全体の 景気を良くすることにもつながり、それは同時に下積みに甘んじている新人養成のための 資金作りの役にも立って、結局は業界全体を活性化させることになるのだ。 仮にそういったヴィジュアル路線がルックスだけで中身のない新人を増やす傾向を後押し するようなことがあっても、ルックスに惑わされない本物志向のファンがいなくなる わけではないのだから、ルックスに自信のない実力派の人物の立場が悪くなるわけではない。 そもそもルックスの良い新人になびくようなファンは、最初から中身の比較なんて出来て いないわけだし、本物志向を自負するのであれば、違いのわかる一部のファンだけに支持されて 本望と受け止めるべきなのだ。なおかつビジュアル志向の作家による業界全般の景気回復の 恩恵に預かれることを有り難いと思うべきではないだろうか。スポットの当たりやすい場所で 客寄せのパンダが愛嬌を振舞ってくれているおかげで、いかに日陰にいようともライオンは優雅に 威厳をを誇示し続けることができるのだ。そういった共存こそが、文壇という名の知的遊園地の 今後の経営状況を安泰にしてゆくのだと思えてならない。
87 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:36
クドイズム…。
88 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:38
89 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:42
工藤は仕事しないでいいのである。 誇り高きホームレスとなるのである。
『モードとしての文学I』 また「作家志望者が多すぎて困る」なんて事を根拠もなく平気で言える 出版業界人の勘違い振りにもあきれ返るばかりである。およそ出版業界 という存在がテレビ業界や音楽業界と同様にマスコミと呼ばれる産業の 仲間である以上、志望者が多いという事態は業界全体の社会認知度を示す ステータス・シンボルのはずなのだ。それを喜ばしく思わない感受性は、 どうかしている。たとえば『モーニング娘。新メンバー』のオーディション がひとたび開催されると、数万人もの応募者が殺到する芸能界の認知度と 比べてみても、天下の『文學界新人賞』の作品応募総数がたった1500足らず であることを、むしろ悔しく感じてもいいくらいなのではなかろうか? もっと「文学」というものを「お洒落でモテて儲かる商売」であるかの ようにイメージ付ける戦略でやっていってもいいと思うのである。
91 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:49
煽りがショボいのは工藤の書きこみがつまらない証拠。確変の入った工藤に 対しては、皆も憑かれた様に熱っぽいマジレスをつける。
92 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:51
確変? そんな言葉あったっけ?
単なる愚痴だよな、これ。藁 垂れ流された人の愚痴を聞くことほど 退屈で詰まらんことは、ないのだが・・・ 寂しい工藤君。 同情やら、同意してもらいたいのはわるけど もう少しまともなもの書かかないと 誰もまともに読まんよ。
94 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:53
工藤は比較的真面目なレスしてると本当につまらないな。
95 :
吾輩は名無しである :03/04/17 17:53
>>93 は読んでるのか…
俺は工藤の長文に対するレスだけ読んでる。
番号の初めの行と終わりの行しか読んでないよ。藁 5ぐらいから、完全に読んでないけどな〜
『モードとしての文学J』 というわけで、この際、超ヴィジュアル志向の文芸誌を作ってはどうでしょう? 表紙に芸能人を起用している『ダ・ヴィンチ』や、おまけ程度のグラビアを載せた 『文藝』なんて生温い戦略では、まだまだです。これまた文学同様に本来はルックス とは無縁のはずの声優雑誌が展開しているアイドル雑誌と見まごう程の過激な編集方針 を元に、とにかく顔のいい作家ばかりを集めてグラビアまみれにするのです。 創刊号は男女両方の読者をターゲットとするエロティックなグラビアの2本立てです。 半裸の町田康と平野啓一郎扮するゲイカップル風グラビア10ページと、彼等の掌編が それぞれ5ページ。セミヌード姿の綿矢りさとD[di:]扮するレズカップル風グラビア 10ページと、彼女等の掌編がそれぞれ5ページ。これで大売れ間違いナシです。 そして雑誌の目玉企画として、作者のポートレイト付きの掌編小説コンテストを行います。 これも作者のルックスを重視した選考を経て、最終選考結果は雑誌付属のハガキを利用した 読者による投票で決定します。デビューが決まると、投票者全員にその作家の生写真が 送付されます。デビュー後は半分は作者のグラビアという形式での連載を始めます。
『モードとしての文学K』 誌名は『リテラグラフ』。略して「リテグラ」。 "literature"と"photograph"の合成語です。 キャッチコピーは「文學と寫眞の華麗なる邂逅」でどうでしょう?
99 :
吾輩は名無しである :03/04/17 18:41
あくまで作家の希望があればにしといてね。
下らん妄想してる暇あったら、 本読んだり、小説の推敲でもしたほうが いいと思うのだが・・・
>>100 確かに妄想なんですが、せっかくだから小説にします。
題して『超ヴィジュアル系文芸誌「リテラグラフ」騒動記』。
登場する現役作家の名前は実在の人物名を改変しておきます。
例)町田康→町田啓、平野啓一郎→平野康一郎
102 :
吾輩は名無しである :03/04/17 18:59
103 :
吾輩は名無しである :03/04/17 19:01
カュミを超える名前を編み出せエ藤
ボジョレー
吉行義之
駆動新位置 に戒名することをお勧めします 天格 吉 25 感性豊かで頭脳明晰。個性的で面白い人生を送る傾向あり。名声や富を得る。配偶者運吉。 人格 大吉 24 財運強く、無一文からでも大富豪になる暗示。健康・才知・天分・子宝に恵まれ、人に好かれます。 地格 大吉 33 帝王の数。強い気質と優れた能力で多くの人を統率できる。家庭・健康・地位・財産に恵まれる。 外格 凶 34 運勢の波あり、疾病・災難・破産の暗示。一度のつまずきで地位も財産も崩れ中年以後は不遇。 総格 中吉 58 まじめで、頑固。青少年時代に苦労するが肥やしにして自分自身で人生をものにする。晩年は幸福。
107 :
吾輩は名無しである :03/04/17 21:04
日本版アウトノミア実践家、工藤がいるじゃん!?
今日はこのスレにしか書き込んでません。 雑談スレに偽者がいるのでご注意下さい。
訳解んなくなってきた。
>>107 完全に怠業しているわけではなく、
今週は家でWeb製作の仕事をしています。
ちなみによくある怪しげな在宅ワークではなく、
素性のはっきりした知り合いに頼まれている仕事です。
でもずっとお金になるわけではないので、その場凌ぎです。
改名についてはどう? 駆動新位置 いいんでない。藁 特にこれなんか工藤の目指すところでしょ 神だのみで一回これで送ったらどう? 総格 中吉 58 まじめで、頑固。青少年時代に苦労するが肥やしにして自分自身で人生をものにする。晩年は幸福。
>>112 それはどう考えてみてもダサい名前なので、申し訳ありませんが使えません。
>>112 でも英訳してみると悪くないですね。
「駆動新位置」="オペレーション・トゥ・ニュー・ロケーション"
Drive to the new position
>>115 それもかっこいいですが、カーレースっぽくなりすぎなので避けました。
でもテレビゲームのタイトルにするにはよさそうですね。
テレビゲームのタイトルといえば、"Shock and Owe" が旬だね。
118 :
吾輩は名無しである :03/04/19 21:00
工藤もマダムBと同じく、他人の意見を聞く耳持ってないね。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
120 :
吾輩は名無しである :03/04/20 15:43
保阪の行為はファッショだ!
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!) ●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない)) ●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、それから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない) ●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い) ●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(特に人が見ていない場合)) ●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す) ●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格が鬱陶しい(根暗) ●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ) ●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない) ●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾) ●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、ポーズだけで中身を伴っていない、世間体命) ●たとえ友達が多くても、いずれも浅い付き合いでしかなく、心の友達はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから) ●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿) ●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通し、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかない!) ●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
122 :
吾輩は名無しである :03/05/29 18:27
ファッションに決まってるだろヴォケが。
123 :
吾輩は名無しである :03/05/29 18:29
どっちでもEじゃん。教養を併せ持ってまっせってツラができるならそれでおっけーさ
124 :
吾輩は名無しである :03/05/29 18:38
だからフィシュだって言ってるだろうがヴォケどもが!
125 :
吾輩は名無しである :03/05/29 19:12
「超ヴィジュアル志向の文芸誌」には賛成。 江國嬢と辻氏は不参加の方向でお願いしたい。 問題は、文学の何を語るか、だ。
126 :
吾輩は名無しである :03/05/29 19:14
いずれにしろ「文学」を語ることは、 「欲求」ではなく「欲望」と化しているだろう。
127 :
吾輩は名無しである :03/06/12 20:36
いや、違うな。「労働」だ。
128 :
文学業界の化けの皮を剥ぎましょう :03/06/12 21:26
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その9●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html 59 名前: かおる ◆31hpx6to 投稿日: 02/03/22 04:50 ID:SNZoz4gQ
>>56 僕が、一般人から大規模につけ回されるようになったのは、6年ほど前から
で、携帯やPHSが首都圏に普及し始めた頃と重なります。電話回線を通じて
の情報交換は、彼らの主要な連絡手段で、メールなんかは無言で送信できる
から、目の前で報告してても防ぎようがないんですよ。
61 名前: かおる ◆31hpx6to 投稿日: 02/03/22 05:06 ID:SNZoz4gQ
>>58 時代背景も、あると思う。
バブル崩壊で行き詰まっていた世間は、打開策を欲していたが、創造性に
乏しい日本社会は、IT化と称して通信設備に投資するくらいしかできな
かった。やがて情報がステータスに影響することに気が付いた一部の人間
は、不正手段を使ってでも情報で優位に走ろうとする。
盗聴情報が文化を創り、文化が経済を刺激し、バブル崩壊の傷を癒す。
盗聴機は、情報黄金時代を裏で支える安価なスコップなのだろう。
130 :
文学業界の化けの皮を剥ぎましょう :03/06/12 21:47
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その4●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/994/994602694.html 206 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/07/20(金) 20:56
>>198 >私の場合は、本でした。
>その本が紹介される数日前に、喫茶店で読んだ本です。
本もありますね。
自室で昔々買ったマンガを読んでたら、数カ月ぐらい後、なぜか今更という感じでそのマンガの特集ムック
本みたいなのが発売されてたりしました。
(ま、さすがにこれは偶然かもしれませんが、ちょっと引っ掛かるといえば引っ掛かる)
自分があるジャンルの本を読み出すと、すかさずその作家なり著者をTVやラジオに引っ張り出してきたり、
その類いの別の本の広告が新聞に載りだしたり...。
>特に単行本になっていると、盗聴ネタが探しやすくなり、著者には致命的だと
>思うのに、あえて盗聴する不思議・・・
それほどに、ネタが無く、被盗聴者に依存しているってことでしょう。
前に誰かがこのスレで書いていましたが、一二度、それで上手くいって大儲けしたとかいうような経験があっ
たのかもしれませんね。
それで一種、病み付きのようになってしまっているんでしょうか。
そんな、人のプライバシーをネタに使ってよくそれで平気で「仕事」だと言えて、しかもお金もらっていら
れるよな、と思いますよね。良心がとがめるということが、ないんでしょうかね。
>>70 ワラタ
ところで話は変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
いきなり変なこと言い出してスマソ・・・
GBAとくらべてみてどうですかね?(シェアの事は抜きで)
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
137 :
吾輩は名無しである :03/09/03 20:32
ファッションに決まってるだろう。
138 :
吾輩は名無しである :03/09/03 20:50
☆★☆さよなら
139 :
吾輩は名無しである :03/09/04 11:56
で、ハッジオってなに?
ファッションにもならないのでは・・・
( ´;゚;ё;゚;)
142 :
吾輩は名無しである :03/11/10 11:14
オールドファッション(ドーナツ)
うゎ、超懐かしいスレだな。
145 :
吾輩は名無しである :03/11/10 23:38
チョコファッション
ファファファファファッション
147 :
吾輩は名無しである :04/01/09 02:55
綿矢が芥川で江國が直木ならファッション。