牧野信一について語ろう

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105吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 02:01:50


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106吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 20:23:38
牧野信一電子文庫(準備中)

ttp://homepage2.nifty.com/smakino/
107吾輩は名無しである:2005/06/01(水) 15:49:02
>>106
かげながら応援
108吾輩は名無しである:2005/07/22(金) 04:46:48
期待age
109吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 01:22:13
サーバー移転してるね。
ttp://smakino.sakura.ne.jp/
110吾輩は名無しである:2005/08/20(土) 23:03:03
全集買う予定にて保守age
111吾輩は名無しである:2005/08/22(月) 22:36:20
青空文庫は
112吾輩は名無しである:2005/09/03(土) 20:31:09
全集買うって人もいるのか。
113:2005/09/04(日) 23:57:47
牧野信一電子文庫ありがたいなあ。
発表年代順というのもすごくいい。
最近は裏青空文庫の更新に力が入ってるみたいだけど。
114吾輩は名無しである:2005/09/05(月) 00:24:54
全集のテキスト丸写しにして、全集を売れなくする青空文庫はひどいよ。
初出誌にあたって一から翻刻するなら話は別だがね。
115:2005/10/12(水) 22:55:55
>>114
出版社サイドに立つとそういう意見が多いだろうね。
今後、死後50年を経た作家の本は売れにくくなるのかな。
読者サイドにとってはネットで読めるというのはありがたいにしても。
116吾輩は名無しである:2005/11/07(月) 14:56:22
岩波文庫で「ゼーロン」を読んでなんだか恥ずかしくなっちゃった俺は最後まで
ちゃんと読むべき?
117名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/18(水) 22:29:51
『ゼーロン』超面白いじゃん。滑稽小説。
118名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 20:20:34
バアバアル!
誰もおらんのか?
119名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 10:35:11
『天狗堂食客記』すばらしいでござる。
120名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 10:41:29
「食客」とは・・いかにも旧い言葉でござるな
121名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 14:04:30
併し内容はいま読んでも全く古くさくない。
いやそれどころか、凡百の現代作家よりもずっと前衛的でござる。
スリップスロップ!
122名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 16:05:44
筑摩の全集を文庫化して欲しいですね
123名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 21:50:53
クララ、クララ、クララックス!
それには激しく同意でござる。
このスレもそろそろ3年目に突入か…
125名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/10(金) 00:52:02
あと20年かけて1000まで埋めませう
126吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 21:53:21
しかたないからじえんしよう
127吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 22:23:41
すまん、このスレッドのこと忘れてた
128:2006/03/12(日) 17:13:13
牧野さんは天才だなー
129吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 17:23:00
ストア派の吟遊詩人って、つまり、どういう意味ですか?
130:2006/03/12(日) 17:39:40
牧野の愛したストア派の吟遊詩人はたとえば誰なんですか、実在するんですか、っていう意味なのか、
それとも牧野の中期作品に頻出する「ストア派」という修飾に牧野はどういう意味のひろがりを持たせているんですか、っていう意味なのか
あなたの質問は、つまりどっちですか。タバコ買ってくるので答えてね。

 たくさんな落葉が浮んでいる泉水のそばで樽野は、籐椅子に凭って日向ぼっこをしていた。

「村のストア派 (一)」 冒頭
131吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 17:56:54
とりあえず

>牧野の中期作品に頻出する「ストア派」という修飾に牧野はどういう意味のひろがりを持たせているんですか

の方で宜しくお願いします。
132:2006/03/12(日) 18:43:40
まあ、どっちにしろ、わたしも知りたいところなんですが。
牧野の場合、影響があったとしても、その影響がはたして長くつづくものであったかどうか、だれが知っています?
テクストが四方八方に逃げるってのはこういうことかと、よく唸らされます。気長に行きましょう。

検索したらja.ウィキペディアに短くてもストア派の項目がありましたから、さしあたり、そちらを参考にしつつ。
(意外と参考になりますよ。)

《生きてはいるが、活きてはいない》ってやつがあります。
よくうつ病のセルフメンテナンスのチェックシートにあるやつです。(ずばりゼーロンはbipolar depressiveですね)

もしそれを心ここにあらず、此処の生ではなく、彼処の生をもとめてしまう状態の謂いだとすれば、
牧野の場合において彼処とはどこであったのかということが問題となるでしょう。
また、そのことは牧野自身もつねに意識していたものと思われます。作品を書こうが書くまいがです。
ストア派という形容が、それとなくそれに触れた痕跡と考えることは、そう無理からぬこととも言えます。
しかし、そういった追究よりも、もっと面白い追究があるんじゃないかなというのが、こちらの考えです。

(続きます)
133:2006/03/12(日) 18:48:24
牧野作品において、派閥抗争が採りあげられることは珍しくありません。最たるものは家庭内での分裂かもしれません。
(言うもおろかかもしれませんが、大概がやぶれかぶれのペーソスに彩られているせいで、よけい悲しくもなります。)
ある記述に党派性や馴れ合いを揶揄していると読みとることも少なくないのではないでしょうか。

さっき思わず上に抜いてしまいましたが、「村のストア派」という題名からして示唆に富んでいるように思います。
その閉塞感、くるしみの閉鎖・封鎖、たがいがたがいに監視しあい、伝達するものでありながら縛りあっている状態、
恥の蓄積、村。おそらく、村というのは逃げても追いすがってくる記憶のようなもので、過去に属するものであり、
できることなら逃げたいと牧野の願ったものであるのでしょう。
このことは《吟遊詩人》という語句にもかかわってくるかもしれません。どうでしょう、ストア派という死語を
わざわざ採りあげて作品上にぶち上げたことは、滑稽でしょうか。血肉になっていない知識でしょうか。

小説は虚構を描きだすものでもありながら、同時にその虚構をあばくものでもあるということが、
牧野にはつらく思われていたに違いありません。
わたしはそれが「父を売る子」での終いまでの中断の意味するところなのではないかなと、いまのところ思っています。
134:2006/03/12(日) 18:56:00
日本語おかしいな。雑になったけど、なんとなく汲んでね。

まあ、なにを言いたいかっていうと、簡単なことで、
《ストア派》っていうのは、どう考えても作者とおぼしきお調子者のことなんでしょうけど、
じつはそういう独り者たちに名前を与えてやることで、組織にかかったんじゃないかな、
って思ってるんですね。ほら、時代的背景もあるわけで。
(梶井なんかは「資本論は面白い」だとか友人への手紙で厚顔無恥にも書くわけです)

牧野LOVEですよ。マッタク
135吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 19:28:30
牧野信一という人は文学に対して本当に生真面目な人間だと思います。
そういえば、彼にはずばり『文学とは何ぞや』というエッセイがありますね。
わけても、そのエッセイの末尾で牧野が自己のスタイルとして「滑稽小説」への志向を表したことは注目に値すると思います。
ここで私は後藤明生がゴーゴリを評した「悲劇を喜劇に反転せしめる」の言を思い出しました。
自己の不幸な境遇を創作の中で喜劇として昇華させること。マキノ氏は強い人だった。結局は負けてしまうわけですが…
136:2006/03/12(日) 20:55:51
>135
作品群が「昇華(フロイトですよね?)」だったらいいのですけどね。そう願いたいという気持ちはたしかにあります。

彼の文章にはどこか英文から和訳しているような不器用さがあって、たとえば漢字一文字に過剰な意味を篭めたり、
文章の長さも一段落のなかでさえ、てんでマチマチであったりと、さながら悪文のオンパレードの様相を呈しているのですが、
そこが魅力でもあり、乱れと言って片付けられない切実さがあることはたしかです。
また、丁寧に、寄り添うようにそれらの文章に付き合っていると、どこかで通じるような一瞬もあって、
一度ひとの心をとらえると離さぬものがあります。

後藤ですと、ドストエフスキーの作家の日記を採りあげた文章が印象に残っています。
大部なものから例外的な(『作家の日記』自体、まさに変態なんですが)ものを採りあげて論じるのは彼お得意の作法ですね。
ちょっと長くなりますが、要約すると以下のようになります。くだんのストア派の参考になるかもしれないので。

人間の世界は128年前となんにも変っていないという一種の悲観が彼の読書で抱いた印象だと断った上で、彼は読みときます。

(続きます)
137:2006/03/12(日) 20:57:22
1877年四月分に割り当てられている短篇小説「おかしな人間の夢」、題名の通り、
人びとからキチガイ呼ばわりされている男の夢物語です。
《知識は感情よりも尊く、生の知識は生よりも尊い。科学はわれわれに叡智を授け、
叡智は法則を啓示する。幸福の法則の知識は幸福以上だ(訳=米川正夫)》と
人びとに信じこませてしまった罪は、すべて自分にあるのだと信じこんでいる狂人の話です。
しかし語り手である《おれ》は、自分をキチガイと呼んで嘲笑する人びとを愛しているんだそうです。
それで、この道化は、伝道に旅立つ、と。知識を物(本質)よりも尊ぶようになった人びとは、
自分たちが失ったものを、きれいさっぱり忘れている、そのために道化を笑う、
彼らなど、ある日突然自分の鼻がなくなっていることに気づいていないコワリョーフ(ゴーゴリ『鼻』の主人公)
みたいなものかもしれない。消え失せた鼻をもとめて新聞社やら警察署長宅を駆けめぐるコワリョーフは滑稽でも、
鼻なしになっているにもかかわらず自分は道化ではないと思いこんでいる彼らは悲惨である。

そこから、喜劇の素材は、つねに悲惨なものだという結論に至るというものでした。
わたしはマキノ氏が結局夢やぶれて敗退したとは思えませんし、そのような強さは拒否いたします。
失って価値あるものが彼にはあった。それがたとえ生命力を奪うことであったとしても、彼には心があります。
それは『文学とは何ぞや』を援用すれば、終りのない《想い》です。
わたしたちの時代がそのような敗れを認めないとすれば、それは夢よりひどいことだと思いませんか?
――ああッ、ああッ!」淡雪での、あんな無様な死に方だって美しいではありませんか。
おそらく、「悲劇を喜劇に反転せしめる」一撃が、たしかに過去において彼にはあったのでしょう。
それが父の死だったかどうかは分かりません。
138:2006/03/12(日) 21:16:42
お恥ずかしい。ちょっとアツくなりすぎました。ごめんなさい。
しかも128じゃないです。102です。『針の穴から(いじましい総題だ!)』1979。

昭和十年ユリイカ単行本、ほしーなー……
139吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 00:12:02
140:2006/04/30(日) 00:43:49
おや、知らない間に長文書き込みが!(後藤ファンかな?)
牧野の同時代人にはたいした私小説作家はいないけれど
優れた幻想作家は多い気がする。
141:2006/05/04(木) 17:13:43
スレたてて三年たったのか・・・
あれから俺は
142:2006/05/29(月) 16:49:46
牧野信一全集を読破したぜ。
143吾輩は名無しである:2006/05/29(月) 16:51:13
褒ム。
144吾輩は名無しである:2006/05/29(月) 16:53:48
>>140
偉いもんだ。
145吾輩は名無しである:2006/05/29(月) 16:55:32
>>141-142
すばらしい。
146吾輩は名無しである:2006/05/29(月) 17:42:42
一同拍手!
147René:2006/05/29(月) 23:36:24
ギリシアマキノは素晴らしいデスね。
148吾輩は名無しである:2006/06/06(火) 12:42:47
全集古本屋にて入手。上げ
149:2006/06/25(日) 23:49:38
また久々にマキノを読みたくなったのですが、
>>135でゴーゴリの名前が出てたなあとふと思い出し、
なるほど、と遅ればせながら頷いてみたり。
150吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 12:24:33
ゼーロン!
151吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 13:00:04
柳沢孝子先生
152吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 15:02:47
牧野で卒論をやることになりました。
頑張ります
153吾輩は名無しである:2006/09/29(金) 01:20:47
作品は何扱うの?
154吾輩は名無しである
西瓜食う人