>問題は、その「時期と深さ(範囲)」である。
>テクスト論は、とかく作品そのものに拘泥しがちであるが、時代背景・思想、作者の
>個人的プロフィール等を総合的に勘案してこそ、初めて「読解」という行為を
>可能ならしめるわけである。
一見筋の通った理屈だけど、単なる理想論だね。
事前学習のすべてが無駄とは言わないよ。作品に入りやすくなる効果は間違いなくある。
ただ現代の東洋の島国に生きる我々が、ヨーロッパの古典文学を読む前に
泥縄式にやる事前勉強ぐらいで、作品の時代背景や思想や作者の個人的プロフィールを
総合的に勘案できるようになるなんて勘違いもいいところ。
やる心意気は大したもんだよ。やらないよりはマシかもな。
でも、それをやったから俺様は「読解」できてて、やってないおまいらは読解できてないんだ!
なんて片腹痛すぎて入院しちゃうよ。まさに目糞鼻糞。
そういうくだらない理屈で敷居を高くしようとするから、普通の人たちが
文学を近寄りがたいものだと勘違いするようになるんだよ。
>時代や作者を離れた作品は存在しないことは、文学板住人なら、とうに御存知の
>ことかと思う。
そこまで言うんなら、作者がどういう文章・文体で物語を綴ったか、原書で読むべきだよね。
事前に作者のことを知れ!時代背景も勉強しろ!でも原語を読む必要は全くない!
なんつーのは変だよな(w
>作品のテーマ・本質を見落させる恐れがある
読者が第三者にこれらを与えられるものじゃない。
自ら選び取ってこそ意味があるんだよ。
読者全てが「事前学習」を踏み台にして読書することの
方が怖くはないかな