1 :
吾輩は名無しである:
2 :
吾輩は名無しである:03/01/07 21:05
軽くAGET
大江は風車でバラバラになれ!!
3 :
吾輩は名無しである:03/01/07 21:07
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
6 :
吾輩は名無しである:03/01/07 21:12
こういうコピペは読まない主義
7 :
吾輩は名無しである:03/01/07 21:12
賞金に眼がくらんだだけだろ。
文化勲章はたいしてもらえない。
大岡も報奨金が少ないから辞退したと明言してるしね。
てなわけでこの話題終了。
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、
嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
10 :
吾輩は名無しである:03/01/07 22:45
ドンキホーテって子供の頃絵本ででも読んだのか、なんとなく知っているけど
ちゃんとは読んでないな。おまいらは読んでた?
前スレ見直したら半分ぐらいコピペだね
理解できん粘着っぷりだな
12 :
吾輩は名無しである:03/01/08 03:46
あのーこのスレタイじゃあ
ドンキホーテの意味がわからないんですが
>フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国
これって自給率と関係しているんだっけ?
結構いいパーセンテージを逝ってるから、護りたいとかなんとか。
まあ大江は大好きだけどね。授章ばんざあい(嬉)
コピペしてる奴は、大江の「作品」を読みきれないから、その分政治的な
迂闊さを見せる「人間」としての大江を、しかも他人の言葉を借りて批判する
ことでしか、鬱憤を晴らせない可愛そうな人なのであろうから、放って置いて
あげよう。
サンチョはことわざの名人。道中で愉快なことわざの応酬を繰り広げる。
また、『ドン・キホーテ』前編の冒頭では、友人の司祭と床屋が
ドン・キホーテの蔵書である騎士道物語を片っ端から焼き捨てていく。
メタフィクションや翻訳の問題にも触れていたりもする。
そうしたものを照らし合わせて読んでいくと、『憂い顔の童子』が楽しくなると思うよ。
でも、大江自体は決してドン・キホーテ型ではないんだよなあ。
16 :
吾輩は名無しである:03/01/08 14:15
『憂い顔の童子』って、健さん絶対キャハキャハ笑いながら楽しんで書いたと思うよ。
17 :
吾輩は名無しである:03/01/08 14:29
上のコピペと作品両方読むと両方なるほどと思う。
一方があればもう一方もやりそうだなと。
で、そのあと世の中に対して殺伐とした気持ちになる。
18 :
吾輩は名無しである:03/01/08 16:55
大江は在日だから嫌い
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、
ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のインタビューで、次のように述べている。
「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。
もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。
「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に
空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。
子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物を
これほど多くの大人が読んで、考えたことはない。
その結果、公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。
父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を持ったのです。
東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」
この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。
つまり大江は、扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、
公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(できなかった)という事実とを結び付けて、
「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、
採択を阻止した」と結論付けているのだ。これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。
版元が公開している「読者の反響」を読んでみろ。
お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。
日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」とほめてしまい、
組織内からの突き上げを食らったではないか。
扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。
声のみはかしましいが、日本国民の中では圧倒的少数派である。
彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、
批判本を鵜呑みにして反対し、反対せんがために反対してきた(笑)扶桑社教科書の
市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左翼勢力の危機感は頂点に達した。
そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。
扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、
左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。
委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、
アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択現場に混乱を持ち込み、
委員に扶桑社教科書を忌避させ、採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。
大江はそうした現状を知らないのだろうか?
ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことはあるまい。
現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、
正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。
大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、
このデマに説得力を付加しよう。
だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。
そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。
かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。
大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣な「知性」こそ、
ヒトラーを、あるいはスターリンを、ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
21 :
吾輩は名無しである:03/01/09 10:52
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))
( 从 ノ.ノ
( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\
|:::::: ヽ 丶.
|::::.____、_ _,__)
(∂: ̄ ̄| ?? |=|?? | 大江は同士スミダ
( (  ̄ )・・( ̄ i
ヘ\ .._. )3( .._丿
/ \ヽ _二__ノ\
/⌒ヽ. \__/\i/\_|
| ヽ \o \
| | \o \
22 :
吾輩は名無しである:03/01/11 00:02
読売新聞で小説連載するんだってね。
子供向けらしいけど、どんなの書くつもりかね。
また大杉に引用されるぞこのスレ
むしろ大江に引用してほしいな。それでもって「クソどもが!」と激怒した
大江にパソコンごと電熱器で焼かれちゃうの。
26 :
吾輩は名無しである:03/01/11 05:50
>23
またっていつ引用されたの?
初期小説スレじゃなかったけ?
作家の大江健三郎氏が中国の大学での講演で石原慎太郎氏の東京都知事当選は
都民の恥だと述べたことが4日、中国の官営マスコミで報道された。
大江氏は9月27日、北京の精華大学で講演し、自分がいまもっとも気にしている
のは日本の最近の国家主義的傾向と日本が過去の侵略や残虐行為を謝罪していない
ことだと語った。国家主義傾向への批判のなかで石原都知事に言及し、「石原氏は
当選したことは東京都民の恥だ」と述べたという(10月5日付産経新聞)。
----------------------------------------------------------------------
大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、
「戦後民主主義者」の巨頭である。
彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、
文化勲章は辞退した。外国の王室がくれるものはもらうが、日本の皇室が授与する
ものは辞退する。典型的な日本蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。
また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落とさ
れたのは日本人の責任であると主張してもいる。
そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。
彼の特徴は、今回の件でもわかるように、日本国内においてはあいまいな言葉を
使ってソフトに日本を非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を
罵ることである。フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わない
ものである。彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に
罵る大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。
中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。
中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・
旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。そんな中国を非難する言葉など
ひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。
また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われている
裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。
他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。
いったい、恥知らずとは誰のことか?
こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマが痛くなってくる。
30 :
吾輩は名無し仔猫である ◆.EDMOUBKE2 :03/01/11 12:47
ここは政治板か、アホ共がw
、
32 :
吾輩は名無しである:03/01/11 14:43
なんで、大江健三郎は人気がないの?
作品によっては村上春樹っぽさのあるのもあるから、春樹ファンも好きになりそうな気がするんだけど。
メディアでは確かに痛い(政治的な)発言が目立つけどさ。
でも、大江健三郎の書く作品は、バカするほどのものでもないよ。
なんでなんだろ。
やっぱり、老いた作家への先入観やメディアでの発言による先入観が新規読者を遠ざけるのだろうか。。。
33 :
吾輩は名無しである:03/01/11 14:54
なにげにマジレス。
・読む人のことを考えていない、じっくりと読まないと訳判らんあの文体。
・作家=文化人=政治的発言をして大衆を導くべき、という (それはそれでいいけど) 古い価値観に
基づいての言動で、作品を離れて大江嫌いにさせる要因。
・最近の作品にあっては、自分の少年時代から今に至る自分自身だけに興味があって、そこから
作り出した物語しか作っておらず、普遍的な訴求力の乏しさ。
あたりかね。俺は惰性で読んでるけど、『憂い顔の童子』だけは途中でゴミ箱に捨てそうになった。
カフカを読んでると、四国の山の中ってシチュエーションがそう思わせるのか、大江を読んでるだっけか
と思わせることが何度があった。
けどその逆はないな。あのコテコテ文体を村上春樹が書く訳がない。
35 :
吾輩は名無しである:03/01/11 14:58
最近の大江の作品は駄目だけど昔は良かったってこと?
図式的な少女趣味
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春
樹ぐらいだろう。川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと
安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦する
と自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。いずれにせよ、
佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならな
い。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、後年の作品でも『雨の木』の連
作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。しかし本書のように「同時代」へ
の意識が過剰な作品は、読むに耐えない。学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがな
く、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。30歳のときに書かれた『万延元年』
が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
特に本書が著者の最低の駄作とされる原因は、当時、著者が傾倒していた山口昌男氏の「道化」論を
小説に丸ごと取り入れたことである。登場人物にそれぞれ文化人類学的な位置づけが与えられ、「祝
祭」とか「異化」とかいう言葉が小説に出てくるのは、鼻白むのを通り越して腹が立ってくる。最良の作
品というのは、山口的な図式を乗り越えるところに意味があるのに、作家自身がその図式で書いていた
のでは、話にならない。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女
趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例
によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
37 :
吾輩は名無しである:03/01/11 15:13
>>35 少なくとも俺はそう思う。『宙返り』はオウム事件を下敷き (というほどまでじゃないか) にしてるし、
多生判りづらい作品だが、時代性のあるメッセージを伝えるいい作品だと思う。
『取り替え子』『憂い顔の童子』は最悪だな。大江の全作品を読んでる「いい読者」には楽しいかもね。
でも俺は大江作品研究をしてるんじゃなくて、作品を読んで感動したいんだよな。
38 :
吾輩は名無しである:03/01/11 15:29
ふ〜ん
>>32 春樹の方が大江を真似てるってのが正解かな?
春樹って大江ファンだよね?
40 :
吾輩は名無しである:03/01/11 15:46
また今日も読売を買っちまったよ。130円だよ、130円!!
1年続くとして130*約50=6500円だよ。<B>6500円!!</B>
2年続いたら13,000円だよ。<B>13,000円!!</B>
頼むから健さん、期待を裏切らないでくれよ。
>>40 2chでタグなんか使えるわけ無いでしょ
つーか新聞は普通に毎日買うモンでしょ
>>41 冗句冗句!
つーか、毎日とってる朝日をやめられんもんで。
(また、刺激された人がでてきそう)
>42
白状したな
やはり君はアカヒの信者だったのだね
君はいまだにアカヒの欺まん性に気づいていないのかね
やめられんとはどいうことだ
良心派ぶってないで、歪んだ状況認識を改めたまえ
過ちをあらたむるにためらうなかれだ!
大江君も反省したようだから
君も、大江君を見習って読売にしるべきだ
大江君の連載が毎週読めるぞ
やせがまんするな
44 :
吾輩は名無しである:03/01/11 19:59
読売?
大江はなぜ人気ないの?…ってあんた。
たまには2ch以外も社会に触れとこう。
純文にしちゃ異例に売れとるっつうの。
文体に関しては、大江さんは詩人に近い、または詩人の才能を持っているから
文体が難しくなる、分化していく(まわりくどくなる)
というのは、仕方がないし、それは単に読み手が慣れていないだけ。
それでも最近はわかりやすく書いていると思うんだけど。
本当はもっとわけわからないのを書いて欲しい。あのくらいで難しいとか、読み手のこと
考えていないとか言われたら、現代詩なんて読めないよ。吉増剛造とか、入沢康夫とか。
47 :
吾輩は名無しである:03/01/12 06:36
200年詰まらんな。小5から中学生ぐらいを対象とか言ってるけどあんなの絶対読まない。
うん子供にはヒキが弱そうだな。
まあ2回で判断したんなや。
49 :
吾輩は名無しである:03/01/12 12:33
このひと、虫を週朝の連載から下ろした張本人だって?
ホントだったらよくやった。
バババ、バンザーイ!健三郎スレ立ってる!
10数冊位しか読んでないんだけど、健三郎の大大大ファンです!
もう、本当にクソみたいにファンなんです(笑)
以前からマニアックに語り合いたいと思っていたので、嬉しすぎる!
これから、ガンガン書き込みます!
たってなくてもそんなに語りたいんなら自分でスレ立てればいいじゃん
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
55 :
吾輩は名無しである:03/01/12 16:17
俺も朝日新聞とってる。
要は、使い方次第だよ。
俺はどちらかといえば右派的な人間だから、
産経も読売もとってた時期があったけど、飽きるんだよな。
自分の考え方とほとんど似ているから。
だから、刺激が欲しくなってどうしても朝日をとるようになるんだよ。
たまには、自分とは違う考え方の意見や見方も知りたいじゃん。
イライラしたりはするけどさ。
自分と同じ考え方の中でだけで生きてると、新聞も「ふーん」ってしか感じなくなってつまらないんだよ。
結構、俺みたいな理由で朝日をとってたり逆に産経をとってる人っているんじゃないか?
56 :
吾輩は名無しである:03/01/12 16:54
まっかだな〜まっかだな〜彼女のマンコがまっかだな〜彼女のセフレもまっかだな〜
大江はチョソ
58 :
吾輩は名無しである:03/01/12 20:38
たしかに大江は売国奴
59 :
吾輩は名無しである:03/01/12 21:33
たしかに大江の歌はゴミ
だから政治の話は別の板でやれって言うのに
61 :
吾輩は名無しである:03/01/12 22:22
で、大江と土井はいつ国民に謝罪すんの?
「二度と過ちは繰り返しません」ってな。
62 :
吾輩は名無しである:03/01/12 22:56
おそらく黙殺だろうな。
64 :
吾輩は名無しである:03/01/13 00:56
65 :
吾輩は名無しである:03/01/13 02:10
二百年の子供第2回を読んだけど
全然つまらないぞ
コンナモノ読ませられた子供は読書が嫌いになると確信するよ
完全なひとりよがりな話
大江は自分が子供の頃宮沢賢治とすれ違ったことを根に持ってるみたいで
宮沢の読者はプチブル階級の読み物で自分の生い立ちは貧しかったから
宮沢童話に触れえなかったと変な理屈で弁解している
この200年子供は宮沢賢治の足元にも及ばない
児童文学を勘違いしてないか
連載中止した方がいいんじゃないか
大江はひとりよがりの自意識過剰がおもしろいんだから
別にいいの。
67 :
吾輩は名無しである:03/01/13 02:55
あんたのような大江おたにはおもしろいかもしれんが
子供には迷惑だろ
>>67 それでいいの。
子供にガンガン迷惑をかけるべし
69 :
吾輩は名無しである:03/01/13 06:00
一部の人に熱狂的に読まれる大江健三郎。
まさに純文学
70 :
吾輩は名無しである:03/01/13 07:25
大江ってあつかましくね?
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ
には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
新聞の追悼文は、次のように結んであった。
文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし
た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。
ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している
のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知
識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ
の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省
しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、
反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ
たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私
は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと
くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ
シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ
て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し
かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち
はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ
たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日
本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや
ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の
信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理
解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出
て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問
伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと
決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた
者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた
知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左
翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな
かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊
な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の
ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま
り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
今日も元気だね>コピペ白痴
しかしこれほどの粘着も他の板で見たことない。
こういうのを見ると、大江の「通風」もあながち嘘じゃないんじゃないかと思わせるね。
前スレでこの粘着っぷりは取り換え子を取り込んだメタフィクションだ
っつー話があったぐらいだからねw
この世に大江おたが多数いるから大江は幸せだな
>>34 春樹っぽいのは、長編ではたぶん『日常生活の冒険』かなあ。
当時としてはめちゃくちゃ軽い作品な気がする。軽いというのは文体ね。
文体だけでいうと「洪水は我が〜」とか「我らの時代」とかも軽いんだな。
ただ「何を言っているのか」を読み解くのが重いだけで。
そしてそこに大江作品を読む快感のつぼがあるんでつよ。
ノーベル賞に思う
大江氏はノーベル賞授賞の直後に
「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかな
い」と言ってましたが、私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問で
す。「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っ
ておりましたが、今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶
文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という
声明を出したのでしたが、これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃を
したのが文芸春秋だったのです。しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考
委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。その点
に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して「あなたは核兵器廃絶を人に呼びか
けておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりし
ているのはおかしいのではないですか?」と問いかけたのですが、すぐには返事をせ
ず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。
それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、新聞
の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメデ
ィアには「しょうがないから辞めたんだ」という。それから三年くらいたってほとぼりが冷め
たころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。大
江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。ここから推量し
て、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあ
たるでしょうか?
大江は自らの罪を恥じて潔く自決すべきである。
>>80 縦読みでつか?w
せめて読みやすく書きましょうね
83 :
吾輩は名無しである:03/01/18 09:18
土曜日age
84 :
吾輩は名無しである:03/01/18 19:42
新聞の挿絵、白黒になっちゃったね。23面だし。
だけど面白そう。次回が楽しみぃ。
大江健三郎
「広島、長崎のあの大きい犠牲は、償わなければならないと思います。
償うのは私たち(日本人)です。」
(^^)
87 :
吾輩は名無しである:03/01/21 03:19
大江の過去の政治的な発言に対して、ぐだぐだと批判的発言(ただのコピペ?)している奴に対して、
漏れはちょっと切れた。
「ここは政治板じゃない」って、ちゃんと言ってくれている人もいるけど、
文学板として最低限の反論はしておかないと。
批判君(批判香具師だけど、仮にそう呼んでおこう)は、大江の何を読んだことがあるのか?
「個人的な体験」や「万延元年のフットボール」をきちんと読んでいるのか?
文学者の政治的思想なんていい加減なもんだ。
政治的なことだけじゃなくて、哲学的な思想だって、大したことない。
文学者は「政治思想家」でもないし、「哲学者」でもない。
彼らはだた一点で、彼らが書いた作品だけで、評価されるべきだ。
ドフトエフスキーにしても、フォークナーにしても、
批判君みたいに奴にかかったらいくらでもアラが探せるだろう。
でもそんなことを言うものはいない。
その作品を読んでしまえば、そんなことはどうでもいいのだ。
大江も同じだ。かつて「魂を揺さぶる作品を書いた」それだけで十分だ。
また文学者は「道徳者」でも「宗教家」でも決してない。
彼らは概して人間的には未熟で、特に若い頃の言動なんていい加減だ。
だけど一度小説世界を作らせれば、
それが一つの世界として命を持って輝き出す。漏れらを感動させる。
文学者はそれができるから偉大なんで、
それ以外の価値を求める方がおかしいのだ。
批判君の言うようなことは、大江に対して言うことじゃない。
きみの言っていることは、どうでもいいことだ。
>>87 おれは大江の北朝鮮系の発言てぜんぜん知らないが
知識人として活動してたんなら、「責任」とまでは言わなくても
非難されてもしかたないからもしれない。荒らしは論外だが
ただしですよ、正直なところ倫理より文学やその他の芸術の方が大事なぼくにとっては
その政治性は「悪いのがいい」って感じ。
セリーヌだってやっぱ倫理的、政治的に悪くないとダメでしょ。作品の価値としても。
もちろんそうじゃない部分もあるけど。
大江はセリーヌに比べるとなんかセコイが、でも大江の政治性を、「どうでもいい」っていいうんじゃなくて
芸術至上主義的な面から見た「魅力」として、素直に認めたいと思います
でもさ、本当に政治的バックボーンで発言してるんならともかく、何か、「文学者たるものは政治的
発言をして、作品とともに大衆を導かねばならない」なんつーくだん強迫観念だけで物言ってる
感じがしない?
文学者は作品で大衆の魂を揺さぶればそれでいいと思うんだけどね。
なんどもこのスレでコピペされてる「ぼくには帰るべき朝鮮がない」
なんて文章は大江のいつもの素っ頓狂なユーモアだと思うが。
いちいちそれを論ってるバカがいるだけで。
「我らの時代」なんか読んだらわかるじゃん。
この人にとったら世界は全部「魂のこと」をするための道具なんだよ。
いちいちマジにとってたら読めないと思うけどなあ。
あ、だから読んでないのか。じゃあ批判しなくていいのに。わからん。
>>90の通りだと思いますね。
林達夫の「政治的人間」をもじって「性的人間」を書いたことにも
それが表れていると思います。
あ、それは知らんかった。
大江の小説って実は非常に笑いの要素が強いと思うんだけど。
あんましそう言う人いないねー。
セヴンティーンとかもゲラゲラ笑いながら読んだけどな。
ドストの「地下室の手記」なんかもゲラゲラ笑いながら読むものだと思うけどな。
93 :
吾輩は名無しである:03/01/23 13:35
本人はえらく真面目に書いたつもりでも、
でき上がった作品がいつもどことなく間が抜けている。
まあ、それも大江の魅力といえば言えるね。
あるパーティーの席で知己の安部公房に向かって
「あなたの名前は逆さまから読むのが正しいのですよ」
と言った大江は、安部がきょとんとしていると、
にこりと笑って「だって、アベ・コーベだから」と答えた。
安部を唖然とさせたこんなエピソードを持っている人だからね。
本人が予期してない間抜けさだとは決して思わないけどなあ
つうか真面目なだけで書いてアレだったら逆にものすごい天才だとおもう
95 :
吾輩は名無しである:03/01/23 14:35
おやじギャグ言わせたらスゴかったりしてな。
なんだ、まんまじゃん。
96 :
吾輩は名無しである:03/01/23 15:59
地下室の手記がげらげら笑いながら読むものか……
大江、講演とかではけっこう笑いをとってるよね。
98 :
吾輩は名無しである:03/01/23 16:26
『はなまるマーケット』の「はなまるカフェ」にゲスト出演した時は
普通に笑いを取ってたよ
「いやーノーベル賞の記念メダル本物とレプリカとどっちがどっちかわかんなくなってますよー」
とか
ちなみに別の日にゲスト出演した杉田かおるの部屋の写真に写ってた本棚に
大江の本が何冊かあったのを思い出した。『宙返り』とか
杉田かおる……侮れん女だな。
そういえば「ノーベル賞受賞者講演会」でも笑い取ってから入ってたなあ。
関西生まれの業なのかw
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノ
ーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
お、久しぶりに来たねキチガイ。
>>101 だからあ、大江を取り巻く状況がそうなっているのは、
マスコミなり言論界が悪いんであって、小説家としての大江のせいじゃないでしょ。
日本のマスコミがタブーとしていることは他にもいくらでもあるよ。
今だったら拉致被害者のことは、間違っても批判できない。
マスコミの体質は絶望的に変わりようがない。
結局きみは、大江にそうした状況を打破するための「闘志」を期待しいるわけ?
きみの言う「作家性」は「社会運動家」としても評価されなければいけないの?
大江は矛盾した人間。ある意味で小心者。
だけど、小説家が立派な人間である必要は毫もないよ。
小説家ほどずるい人間はいないし、小説家ほどさまざまな業を背負った存在もない。
それにもかかわらず(又はそれ故に)彼らは俺たちには想像もつかないような世界を創り出す。
そうしてできた作品には、何ものにも代え難い、それこそ経済的価値を超えた意義がある。
そう考える立場が文学でしょ。
もちろん大江に対する一切の批判がいけないって言ってるんじゃないよ。
誰が誰をどう批判しようとそれは自由。
だけどきみのピントが激しくずれている原因は、大江の人間としての矛盾を取り上げることによって、
そのことで小説家としての大江を全否定しようとしていることだよ。
きみのとって「氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもっていること」が問題なら、
それがどのように大江の小説をダメにしているか言ってくれなくちゃね。
男ならわかると思うけど、大江みたいに顔がはっきり不細工なヤシ
はやっぱり歪んだのが多かったな
頭の形も変なら目つきは悪い口はネズミ男だし学校行ってる頃は
クラス1の不細工で苦しんだろうな
取り換え子の写真はなかなか男前だったな。
とうとう顔にまでケチ付け出したよ。イケメンの文学者が優れた文学者なのか。
そーか。平野とかか。うんうん。
はー
106 :
吾輩は名無しである:03/01/24 10:36
「万延元年のフットボール」すごい。
平野のブサイクっぷりは隠しようもないだろうが
大江の方がまだ良い顔してるよ、笑うとけっこう可愛いし
あー、田舎の子供だったんだなー、って朴訥な笑顔だね。
■大江健三郎は愛媛の恥である!!■
大江健三郎は、とかく愛媛ではヒーロー扱いされているが、困った風潮だと思います。
氏は、ノーベル賞を受賞した後、国家の文化勲章を受けるのを拒否し、
出身地である愛媛県の県功労賞も蹴りました。県職員を門前払いしました。
本音は、「ノーベル賞をとった後にそんなローカルな賞を受けられるか」なのでしょう。
その後は、中国で「石原都知事を選んだ東京都民を恥ずかしく思う」などとのたまう始末。
自分の見識に基づいて石原氏を選んだ東京都の人々を馬鹿にする発言で、
何様になったつもりなのでしょう。
われわれ愛媛県民は、こういう人物を祭り上げるのをやめるべきです。
小説『坊ちゃん』で松山のことをボロカスに言った漱石と同様に。
親の因果が子に報い
>>109 低脳コピペ厨
漱石も同罪かよw
批判したいなら自分の言葉でしろよ
左翼盲目病患者、大江健三郎(上)
米国同時多発テロ以降の情勢をめぐり、各国の左翼系文学者は、米国の軍事力によるテロリズムへの対応を批判する
発言を発表している。ドイツのギュンター・グラス、英国のルシュディー、米国のスーザン・ソンタグのほか、日本の大江健三郎もまたそのひとりである。大江は、フランスの11月27日付け『リベラシオン』紙で談話を発表している(多維網インターネットの報道による)。
グラスの発言は、自国内で多くの批判を浴びている。同国の文芸界の重鎮マルセル・ライヒ=ラニツキーなどは、公開の
場面でグラス氏の共産主義を理想化した小説を思想性ゼロ、芸術性二流と評したうえで破り捨てる挙にでた。
ルシュディーは、途中で米国支持に態度を変更した。
ソンタグは『ニューヨーカー』誌において、世界貿易センター爆破は米国のイラク空爆と同じである、自らの命をかけて他
者の命を奪う人間は卑怯者ではないと主張した。同誌の編集長の語ったところによれば、この文章の掲載後、100通を超え
る抗議の手紙が寄せられたそうである。これはひとつの文章に対する抗議文としては創刊以来最高の数だそうだ。ほか、さ
まざまな米国のコラムニストや批評家がソンタグのこの発言を批判しているが、たとえば『ワシントン・ポスト』のチャール
ズ・クラウスサマーは、ソンタグを批評するコラムの題に「鈍磨した道徳の声」と付けている。『ワシントン・タイムズ』のデイ
ヴィッド・リンボーに至っては、米国の強大な力があるからソンタグやその同類たちは安全な場所でそんな話をしていられる
自由を享受できるのではないのかと厳しく批判している。(そのほか、『ニューヨーク・タイムズ』にもソンタグの発言をめぐっ
て多くの批判の投書が寄せられた由である。)
大江の意見は、これら左翼人のそれと基本において変わるところはない。骨子は、米国によるタリバンおよびビンラディン
氏への攻撃は、"疑わしい戦争"であり、"この戦争は、アフガニスタンの人々を苦しみに陥れ、アフガニスタンという国家を
混乱に陥れるものである"ということと、同時多発テロの発生後、米国は"自らの失敗を認め"て反省すべきであった、軍事
的手段による報復はかならずさらなるテロを生むという点に尽きる。
軍事行動のはじまる前にこの発言がなされたのであれば、知性と常識に欠けた人間のたわごととしてまだ笑ってすませ
られたであろう。しかしタリバンは崩壊して戦争はほぼ米国の勝利に決まった今頃、これははたして正気の言か。今回の戦
争でアフガニスタンにおける民間人の死傷者はほぼ皆無にちかいのである(民間人が米軍の攻撃によって死傷したという
情報はほとんどタリバン側の主張によるものであり、第三者の情報源によって真偽が確認されていない。つまりタリバンの
宣伝なのであり、タリバンの宣伝が全く信用できないのは定評がある)。
それにアフガニスタンの民衆はいま、街頭でタリバンの崩壊を歓喜して祝っているのである。男は強制された髭をそり落と
し、女は顔の被いを脱ぎ捨て、子供達は、5年間禁止されていた映画やテレビに夢中になっているのである。そして国家とし
てのアフガニスタンは国際社会の監視下で新政府発足の準備に入っている。この新政権には同国の各方面の政治勢力が
参加してその意向が反映されるのはもとより、これまで社会的に抑圧される地位に置かれてきた女性にも門戸が開かれる
はずである。
このただいまの現実を前にして、大江が"疑わしい戦争"と主張するのはいったいいかなる了見か。どういう根拠があって
彼は、「この戦争は、アフガニスタンの人々を苦しみに陥れ、アフガニスタンという国家を混乱に陥れるものである」などと断
言するのか。大江の目には世界が反対に映るのか。それとも、大江は、タリバン政権支配体制が継続してアフガニスタン
国民は中世そのままの生活をしていればよい、専制支配のもとで呻吟し続けていろといっているのか。まさかそうではあるまい。
大江の、西側の軍事行動がさらなるテロの危険をもたらすという主張は、左翼の好む論法である。米国は自らの失敗を
認めて反省すべきだというが、どういう失敗を認めなければならないのであろうか。
彼の論理に従えば、米国が"反省"して軍事的手段以外の方法でテロに対処すれば、テロリストはテロ行為をやめて二度
とテロは起こらないというのだが、相手の誠意に感じてテロをやめるようなテロリストがどこの世界にいるか。
大江は、武力行使はテロに応えるにテロを以てするということであり、邪悪に対して邪悪で応えることであって、事態を悪
化させるばかりだと言う。それを避けるためには、いかなる軍事行動も一切取らず、それによってみずからが文明人である
ことを証明せねばならないと主張する。
では、ひとつ尋ねたい。真珠湾攻撃の際、米国はそれまでの対日政策の"失敗を認め"て、対日石油禁輸政策を"反省"
して止めれよかったのか。米国が対日戦に踏み切ったのは誤りだったか。
――その場合、おそらくアジア全域に日の丸の旗が翻る結果になっていたであろう。さらに多数の中国人や韓国人の生
命が失われたであろう。そしてより多くの日本人の生命も失われていたはずである。
米国が日本と戦い勝ったおかげで、"事態を悪化させる"ことから免れたのではないのか。米国が氏の非難する武力を用いた結果、日本は降伏し、
アジア地域は大日本帝国の支配から解放された。氏がその存在を長年批判し続けているところの核兵器を使用したことによって日本の降伏は早まり、核を使わなかった場合よりもアジア諸国の国民はもちろんのこと、
日本の軍人や民間人の死傷者も少なくて済んだのではなかったか。
解決方法を持っているというのであればまだよい。しかし彼らにはなんらの具体的な代案もない。それでいて反対ばかりする。没論理性と無責任さは、左翼の顕著な特徴である。
私は、日本人である大江が自国の軍国主義とアジア侵略の歴史を厳しく批判する態度を賞賛するのにやぶさかではな
い。しかしその彼が米国の核兵器を非難し、さらにはこのたびのアフガニスタンに対する軍事行動に反対するのはあきらか
に矛盾である。日本の軍国主義を打倒するために、武力のほかにどのような方法があったのか、氏にききたい。ドイツ人グ
ラスがヒトラー時代のファシストドイツを強烈に批判するのもまた賞賛に値するが、彼が東ドイツの社会主義を賛美し、西ド
イツの資本主義を批判するのは理解に苦しむ。グラスは東西ドイツの統一にすら反対だった。共産主義とファシズムは残
酷さという本質においては同一の存在である。これがグラスに分からないのは不思議である。だいたい左翼陣営の人間の
知的水準はそんな程度だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが。
今回の米国のアフガニスタン軍事攻撃は、第2次世界大戦における日本との戦争と同じである。戦後の日本は軍国主義
国家から民主主義国家へと変貌することができた。アフガニスタンとの戦争は、さらなる危機ではなく自由のための戦争で
あり、未来の平和と民主主義のための正義の戦争なのである。大江、グラス、ソンタグをはじめとする左翼文学者の最大
の誤りは、"平和主義"を振りかざしてあらゆる戦争に無差別に反対することである。彼らには正義の戦争と不正義の戦争
の区別ができない。寛容と善意は、邪悪をかえって保護助長するだけである。その結果、人類はさらなる災難に見舞われ、
払わねばならない代償はさらに莫大なものになる。
116 :
土曜日age:03/01/25 20:28
ふむふむ、大江のファンタジーって感じになってきたね。
辻元清美逮捕されたよ
118 :
吾輩は名無しである:03/01/27 01:40
『日常生活の冒険』を読んだ時、
「嬉しかった。」という言葉が見開き2ページで3回も出てきたのに驚いてしまった。
他の大江作品だったらもっと回りくどい言葉で表現しただろう気持ちをストレートに「嬉しかった。」
初期作品にはそういう瑞々しさがあるよね。可愛さというか。
大江は悪いのが面白いんだと思っているが
↑のコピペ読むと、
なんだ、大江って政治的にも正しいじゃん、と思ってしまうんですけどw
これもちろん2ch発信だよね? こんな文章公的な場に載ったりしてないんだよね?
120 :
吾輩は名無しである:03/01/28 02:33
121 :
吾輩は名無しである:03/01/28 04:24
しつこくコピぺしてる奴等って読んだ事あるのかな?
それとも頭の都合で読めないのかな?
っていうかどうやってもなにも伝わらないから
このコピペ群はスレとは無関係なコマーシャルみたいなもんだと思うことにしている漏れ。
学生の時とか、人が盛り上がってるとその内容の悪口言ってくる孤独な嫌われ者っていたよなあ。
渡辺一夫が大江に教えた、ひとりの作家や思想家について3年間徹底して読め、
っていうのは、なかなか実践し難いけど、それやったら充実した読書生活に
なるんだろうなぁ、と最近思う。
まあ作家とか研究者としてこそ、ってとこはあるなあ。
やっぱりいち読者としては厳しいよその読み方は。
研究者・作家・評論家・学生ならそういう読書生活もいいかもね。
大江は、そういうのを真に受けて、一般読者にも「自分の著作を3年間徹底して読む」ことを
強制してる感じがする。大江は自分の興味が自分にだけ向かってる。憂い顔の童子は、
正直がっかりしたよ。
126 :
吾輩は名無しである:03/01/28 12:22
個を追及して突き抜けると普遍に繋がるのだとおもう。
つーかそれ以外真実のことなんて書けないんじゃないでしょうか。
「よくできた物語」はべつに大江に求めるものでもないし。
「(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう」(伊東静雄)
これを大江独特の流儀で「誤読」して(「しかも〈私の魂〉は記憶する」)、
私の魂が、共通に、木霊として響き合うということを大江は言葉にしようと
しているんだから、「大江は自分の興味が自分にだけ向かってる」という
よりも、自分を徹底的に対象とすることで、その先に「魂の響き合い」を
描こうとしてるんじゃないのかな?126さんの言うように。
それが成功しているか否かは別にして、俺は『憂い顔の童子』は、絶対に
無視できない現代日本文学の作品だと思ったし、死者を葬る墓碑銘としての
文学ではなく、「生きられた人生の物語」となっていると感じたが…。
個を突き抜ける普遍、と同じように、
ラストのローズさんの呼びかけのラッシュ、
今までの大江の作品では鳴りを潜めていた、シンプルな、ドラマティックな、
感情的な呼びかけのあたり、そのへんにまた同じ構図として
死を突き抜けた先の、見つめ続けた先の生々しい生、という感じを受けます。
燃え上がる緑の木、で
「生まれるの前の無、それを恐れないのならば死の後の無も恐れるにはあたらない」
という詭弁じみたことを書いていたけど、その先を直視した、
「みずみずしい死」という感じの逆説的な生の輝きは確かに満ちていると感じます。>ixion
「コギト、あなたの二百年の物語の時が、いまより未来にはみ出していますように!」
という大江っぽくない感情的なカタルシスを導く一文にしろ、
死を意識してこその、死に損ないの老作家のもつ凄み、輝きであると思います。
そういや最近、大江はまた「未来にはみだす」って表現にこだわってるな…。
大江健三郎『言い難き嘆きもて』評
(2002/01/05)
大江健三郎さんは昨年から、つまりアメリカから帰国してからというもの、テレビや新聞での
発言が大変多くなった。ニュースステーションにも出演したし、正月もNHKで若者たちを前に
「いかにすればテロがなくなるか」ということについて御説を語っていた。その発言の大半は、彼
がその文学活動の中で政治的なスタンスとして保持してきた「戦後民主主義」の擁護に当たっ
ている。
この、『言いがたき嘆きもて』もその流れの中で書かれたエッセー集である。
帯には「ノーベル賞作家の魂の叫び」と書いてあった。購読者の目を引くための帯にいちいち
文句をつけても始まらないが、この本にあるものはそんなものではない。
この本には大きく二つのことが書かれている。ひとつは、混迷の時代にあって彼の師匠である
大仏文学者・渡辺一夫氏譲りの、人間に対する基本的には希望的なヒューマニズム(フランス
語だからユマニスムというべきか)の継続。もうひとつはここ十年ほど日本を覆っている、「右」と
か「ネオナショナリズム」という言葉で表現される「反戦後民主主義的」なものへの耐えがたい嫌
悪感である。
僕も大江さんから見れば「右」とか「ネオナショナリズム」といわれる部類に入るのだろう。僕は
決して大江さんが言うように、人命を軽視しているわけではないし、安易に国家主義に走るつも
りもないが、それでも「反戦後民主主義的」ではあり、それを嫌悪されるのならば仕方がない。
実際、嫌悪の度はすさまじいものである。たとえば、丸山真男氏の死に関する次の二つの文
章。
若い批評家は、丸山氏の側に立って?つまり現代世界の普遍性に結んで?
「虚妄」という言葉の深みをのぞいてみようとはしない。丸山真男氏の世代から
私の世代を経て、若い彼らの世代へと、共通の言語をつなごうとする知識人の
努力を、彼は放棄する。無知と、半ば意識的な誤解によって道を断ち切ること
で、自分らの言説の響きに空元気をつけるのみだ。近来の、新ナショナリストの
言論に共通の弱さ、アンフェアの特色を示していると思う。(p.27)
内村(鑑三)を「小慷慨家」とあざけり、「国家は実在す、空想にあらざるなり」
と天晴れリアリストを以って任じた(高山)樗牛らの立場と、彼によって「腐儒詩
人の空想」と嘲罵された内村の立場と、いずれが果たして歴史の動きをヨリ正
しく指していたか。(中略)いまはもう老年に入った私の、感慨がさらに複雑にな
るのは、戦争の悲惨の経験によって日本人がそれを乗り越えたと丸山(真男)
のみなした国家主義が、今日、高山樗牛をマンガ化したマッチョとでもいう思い
入れで若い人たちのうちに復活しているからです。(p.186)
大江さんは小説家だから当然なんだけれども言葉づかいは慎重かつ丁寧だし、そこが大江
文脈の真骨頂でもあるのだけれど、彼が「空元気」「アンフェア」「嘲罵」「マンガ」「マッチョ」とい
った激しい、唾棄するような言葉づかいをするのは珍しい。それほど彼は昨今の「反戦後民主
主義」的な動向を嫌悪しているし、否定したいのであろう。
それはご自由に、である。
問題は、彼が自分の単なる嫌悪感を、普遍的な高みにたって高尚なものに仕立て上げている
ことだ。上の文章だって、何も前提がない状態で読めば、「どうして僕たちがつないできた言葉
を君たちは聞こうとしないの?それはよくないよ」「内村鑑三は国家主義を否定しました。高山樗
牛はリアリストでした。それで歴史の流れを見ると高山のリアリズムで戦争に負けました。ほ
ら、内村のほうが正しかったでしょ。だから高山はいけません」という子どもっぽい議論にしかな
っていない。
この議論を高尚なものとして彼に書かせているのは、自分たちは普遍の側にたっている、自
分たちは正しい側にいるのだという自信だ。しかしその根拠は「歴史の流れが正当性を証明して
いる」というだけの、まったく薄弱なものである。そんな薄弱な論拠から「普遍性」というとんでも
なく困難な代物を(例えば昨日書いた『トランスクリティーク』を読んでいると、それがどんなに困
難な代物かだけはわかると思う)引っ張り出そうとするのは傲慢なのではないか。
僕ら若い世代が、「反戦後民主主義的」になっているとすれば、それは国家主義というよりも、
われわれが子どもだったころまで赤旗を振って真顔で反戦運動をやる大人たちが主張していた
「戦後民主主義」のもつ傲慢さ、そしてその傲慢さがもたらした結末への反感である。
そもそも、われわれ(日本人、である)はいつ「国家主義」を乗り越えたのか。いつ普遍性の高
みに達したのか。大江さんはこう書く。
私が被爆者たちの生涯から学んだのは、個人としての災厄の自覚に始まっ
て、日本人としての、と展開する被爆の受け止めが?確かにその段階までは
ナショナリズムと通うところがあったとしても、「時」を経て、人類レベルの普遍
性に昇華していることによってである。(中略)その普遍性の獲得は、被爆者た
ちの核廃絶への運動を、アジア侵略への積極的反省とも結びうるものとした。
(p.30)
私は日本の新ナショナリストたちの「自虐史観」説にあるひ弱さに対して、広
島・長崎の被爆者たちの「時」に鍛えられる誇るべき強さ、普遍性を示したい
(p.32)
僕自身長崎に生まれて、子どものころから多くの被爆者と接する機会を持った(いや、持たさ
れた)から、被爆者たちの個人的災厄がどれほど悲惨でその後も含めて辛いものであったか
は重々承知している。また、アジア侵略の犠牲となった人々の話も大学時代にたくさん聞いた。
僕はナショナリストであるが、ネオ・ナショナリストの一部の人たちが言うように「アジア侵略は解
放戦争であり、何にも謝る必要はない」というほど厚顔無恥ではない。朝鮮・台湾・中国への強
圧的政策の中で住民が蒙った犠牲を思うとき、顔を赤らめずにすむ日本人がどれほどいるだろ
うか。そのことが十全な解決に至っていないのも承知している。
しかし、である。僕が何を嫌悪するといって、子どものとき、被爆者の話を聞く機会を持った
(持たされた)あと、それを主催した左翼系の大人たちの「ほら、聞いただろ。だから戦争はいけ
ないんだ」という顔ほど嫌なものはなかった。犠牲になった人たちの心痛、それは一応同じ人間
として、いわば「普遍的」にシンパシーをもてる。けれども、犠牲者の個的体験を借りて、己は犠
牲者でも何でもないのにあたかも犠牲者に成り代わって俺が普遍性を主唱するのだ、俺は犠
牲者から話を聞いて普遍性に達したのだ、という連中の傲慢な心理には我慢がならない。被害
者宅に押しかけ、いかにも悲しげな表情を作って加害者を大袈裟に糾弾するワイドショーリポ
ーターと心根としては変わらない。
そして、「戦後民主主義」を支えてきたのはそんな連中なのである。
もし大江さんの上の文章で、普遍性を「獲得」したのがわれわれ戦後の日本人だというのであ
れば、それははっきり言って傲慢だ。被爆者自身とアジアの犠牲者たちとの連携も存在する
が、それは同じ戦争犠牲という紐帯によって結ばれているのであって、その悲しみを借りて普遍
性を主唱することは偽善あるばかりか、犠牲者への冒涜ですらある。
個的体験がそう簡単に普遍性に昇華されるものではないことも言っておきたい。朝鮮人や中
国人をいまだに蔑視する被爆者は少なくない。かつてアメリカの核疑惑艦が長崎に入港したと
き、被爆者団体の幹部は艦長が平和祈念像前に置いた献花を公衆の面前で踏みにじった。当
然の心理である。だがそれは平和団体の「市民運動家」たちの厳しい非難の的になった。なぜ
か。「運動家」たちが普遍的な正義と信じる信条から見てインコレクトだったからだ。普遍性に立
つ彼らは決して被爆者の心の奥底に耳を傾けようとはしない。
あるいは、朝鮮や台湾、中国大陸で、日本政府の無法な政策とは別に、個人的なハートから
現地の人々に尽くしいまだに顕彰されている日本人もいる。彼らがネオ・ナショナリスト系の言
論の論拠として使われているのは承知しているが、個的体験という意味ではどちらも変わりが
ない。一方を正義に、もう一方を不正義にしているのは日本が戦争に負けたという政治的な理
由であり、ポリティカル・インコレクトネスによって一方が封印されているだけだ。
そんな政治的に左右されるものが「普遍性」とはちゃんちゃらおかしい。ましてわれわれが普
遍性を獲得したコスモポリタン面して出かけていったところで、当面の間われわれは「日本人」
である。外国人はそうしか見ない。のっぺらぼうのコスモポリタンでは戦争責任も戦後賠償もあ
りはしない。もしかして、「僕はもう日本という国家的なものに束縛される段階は超越しちゃって
いるんですけど、でもまあ、ご先祖さんたちが悪いことしちゃったんで、その点については謝りま
す」とでもいうのだろうか。
あなたたちがどう思おうと、所与条件として国家は個人に張り付いている。国家的なものを否
定するのは自由だが、その戦略は国家というものがいまだ有効な現状を前提としてはじめなけ
ればならない。
そんな状況にあって、誰が「国家主義を乗り越えた」というのであろうか。
こう見てくると、大江さんの嫌悪感ばかりが目立つ。
脳梗塞をわずらい、妻を失った江藤淳氏の自裁を「センチメンタルな甘え」と断じ、「現に脳梗
塞を乗り越えてリハビリテーションに励む人たちに無礼じゃないでしょうか?」と言いながら、伊
丹十三氏の自殺を『神曲』を引用して悼むというのは、かたや終生の論敵、かたや終生の友人
にして義兄という関係がもたらした「アンフェア」としか思えない。あるいは、
そこで私は、迫ってくる老年についても、アジアの先行きへの不安について
も、環境、人口、資源のどの課題についても、明らかに進行する悪いときを引き
受けるつもりで生きよう、と自分に言うのです。(中略)さらに悪いときは必ずや
ってくる、しかし、その到来をいくらかなりと先のほうへ押しやろうというのが、あ
りていに言えば、世紀末から次の世紀にかけての、人類の基本的な態度では
ないでしょうか?(p.73)
なお彼らが?われわれみなとともに?平和の奪われた世界で希望を喪う日
は遠いように!(p.243)
というような文面に至っては、いずれにせよあまり希望的な観測の持てない世界でこれからを、
それでも希望をもって生きていかなければならないわれわれ若者たちに対して、すでに世俗の
ことから離れたかのような、宗教的な救世主的な発言はそれこそ失礼ではないだろうか。「彼ら
が」と「われわれ」という言葉遣いが、普遍性の高みに到達してた救世主的「われわれ」と、その
神の言葉に耳を傾けようとしない反戦後民主主義的な「彼ら」との区別を濃厚に象徴している。
かくして、反戦後民主主義的な高まりに対して戦後民主主義派が吐くべき呪詛が、この本に
は詰め込んである。そして、われわれがもっとも嫌う戦後民主主義的な要素が、大江健三郎さ
んという著者を通じて顕になっている本だ。論点を明らかにしていく上で、一読しておくべきもの
であろう。
むろん、反戦後民主主義派にも問題はある。「戦後民主主義」というとその主張やスタイルが
比較的まとまっているのに対して、戦後民主主義への批判者はあまりにも多様な形をとりすぎ
ているのだ。黒塗り街宣車でわめきたてるヤクザ、皇居一般参賀で菊の御紋章の入った御旗
を掲げて陛下に忠誠を誓う若者、自虐史観を批判しリキの入った教科書を執筆する大学教授
もそうならば、僕のようにいや今日は寒いねといいつつコタツに入って茶をすすりながら一般参
賀の中継も見ないけれども、いやおめでたいねえと思っている人間もそうなのである。そしてこ
れらを貫く筋の通った理論はない。ネオ・ナショナリズムを批判する人たちはいったいどこを批
判しているのか判然としないだろう。そのことに、ネオ・ナショナリズムのほうも甘えてきた感が
ある。
136 :
吾輩は名無しである:03/01/28 21:21
スレが盛り上がってくると頑張ってコピペの量が増えるのが滑稽だな
哀れすぎる
>>136 ありゃりゃ?
ほんのついさっきまで、このスレ見てたんだけど
その時は>129のixionさんのカキコまでだったのに
ものすごいスピードと熱意。
やっぱりこういうのやるのって独りでなのね。
138 :
吾輩は名無しである:03/01/28 21:29
ものすごい粘着の人だなー
ずっとまえのスレからだもんなー
マジで壊れてる人っぽい。
139 :
吾輩は名無しである:03/01/28 21:34
全然読む気ないから質問するが、なにが言いたいの?
?
僕自身も、ナショナリズムは生活の総体というかスタイルなのであって、「…主義」というのと
は異なるだろう、と思っている。しかしながら、ナショナリズムそのものを論理化するというより
は、新しい保守思想、新たに国家とか個人とか社会とかを捉えなおそうという思想運動をナショ
ナリズムをベースとした別個の理論として立ち上げる必要には迫られているだろう。そうしない
と、ありがちな流行で終わってしまい堕落した戦後民主主義の跋扈を再び許すか、勢いでファ
ッショの再来を招くか、どちらかしか道はないからだ。
普遍性を目指す運動を否定するつもりはない。むしろ普遍性は状態として現実にあるのでは
なく、決して実現することのない理想への運動としてしか存在しない。普遍的なものに足場を置
くことはできないのだ。戦後民主主義はそのありえない足場の上からものを言ってきた。その空
虚さに気づいているのが、現在の反戦後民主主義的な運動である。普遍性を問い直すための
足場を、「日本」という国家あるいは社会の中に見出すことができないか。それがナショナリスト
としてのわたしの「希望」である。
じゃあ俺もコピペしてみようかw
浅田彰の大江についての発言見つけたので・・・
>それにしても、そういうとき大江健三郎が出版社なら出版社のトップに苦情を持ち込むのはよくないね。
本人は世界から迫害されてるマイノリティのつもりらしいんだけど、
実際は押しも押されもせぬ大作家なんだから、
そんな人がトップに苦情を言ったら下の人間がどうなるかぐらい想像できそうなものなのに。
『週刊朝日』で大江の連載が始まった、その少し前に「虫」っていう匿名書評子が大江の『憂い顔の童子』の批判を書いたら、
直後にその書評欄の連載が打ち切られ、編集長も交替した、あれも変な話だよね。
僕は『取り替え子』と『憂い顔の童子』は最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど、
もし本当に大江の圧力があったとしたら許しがたいと思うよ。
>>139 何が言いたいかは、ある意味では明快だけどね(w。
ただgoogleあたりで拾って来たコピペみたいだし…。
つーかさ。このコピ平君(仮名)は、グラスとかソンタグどころか、
下手すると江藤淳すらも知らないと思うよ…きっと。
144 :
吾輩は名無しである:03/01/29 01:10
「奇妙な仕事」で犬殺しを手伝うアルバイトをしている主人公が、獰猛な犬だと
殺しにくいだろうと犬殺しに聞く場面で、
そういうのは、とやはり欠伸をかみ殺しながら、うるんだ眼で犬殺しはいった。
おとなしくする方法があるんだ。こんなにして。
犬殺しはゆるめた革帯の間から関節に毛の荒々しく生えた掌を押しこもうとした。
よしてくれ、と私大生が叫んだ。そういう卑劣で厭らしい話は聞きたくない。
という場面がありますが、犬殺しはいったい何をしようとしたのでしょうか?
>144
頚動脈をおさえようとしたとか、そんなかんじじゃーねーの?
146 :
吾輩は名無しである:03/01/29 21:02
それに、大江の作品を読んでから言って欲しい。
まるで本○勝一じゃないか。
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
コピ平キター(AAしょうりゃく)
148の文章の笑いの要素が理解できないヤシは
まったく大江を読んだことがないか
糞みたいな脳みその持ち主なんだろうなー
かわいそう。
親譲りの無鉄砲で小供の頃から損ばかりして居る。
みたいなことを本人も言ってたけど、その通りなのかもと思う。
>>148のコピペ読むと。
>>127 >それが成功しているか否かは別にして、俺は『憂い顔の童子』は、絶対に
>無視できない現代日本文学の作品だと思ったし、死者を葬る墓碑銘としての
>文学ではなく、「生きられた人生の物語」となっていると感じたが…。
たしかに…。だが前作の『取り替え子』との連繋で読むべき作品でもあるだろう。
『取り替え子』は異常な問題作。実のところは「自身の死」をベースにしながら、
現実の事象に深くコミットしつつ作品を創ることを運命付けられてきた大江が、
伊丹の自死によって大きく揺らいだ、その揺らぎをそのまま露出し、
思惑を超えた言霊に繰られるようにして提出してしまった。
後をどうするのか…注視される中へ、元の大江に戻り、作家としての経験と
底力で、前作を強引に自らの路線上へ取り込んでみせたのが『憂い顔の童子』。
だが、大江の計算を裏切って、決して取り込めてはいないし、いないからこそ
いっそう問題作として浮上する。未来「へ」の視点は、希望であり、
希望で「しか」ないわけで・・・。大江は苦しいな、なお。
大江の次女のマーちゃんて光のチンポしゃぶってるって本当でふか
153 :
吾輩は名無しである:03/01/30 23:49
「阿呆のコピ平(これからも無視しましょう!)」の粘着にも係わらず、
このスレも、細々とだけど、読むべき意見が出てきています。善きこと哉。
もっとも阿呆でなくて、152みたいな、「本当の馬鹿」も湧いて出てくるけど・・・
まあ、
>>152みたいなこと書かなきゃ他人の気を惹けない可哀想な人もいるんだということで。
漏れならそんな恥さらして到底生きちゃおれんがな。どこまで下劣なんだか。
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
157 :
吾輩は名無しである:03/01/31 21:53
何種類ものコピペを周期的に貼るってことは、
コピ平は元の文章をまとめて保存してあってそこからコピペしてるってこと?
マジで気持ち悪いな。何ヶ月も。病気だよあんた。ちゃんと生きろよ。
近代文学の宿命として仕方がないのだが
何かあるとすぐドンキに回帰するのが何か紋切型でヤダ
でもそういうのから傑作が生まれることが多いんだよね、なぜか
159 :
吾輩は名無しである:03/02/01 00:37
何度も何度も自分の言葉でなく、ただ人の文章をコピペするだけでは、
そこに一片の真実が含まれていたとしても、やがて人はその内容をはなから問題にしなくなり、
いやむしろその行為自体に反感を持つことを、阿呆のコピ平は分からないのだろうか?
自分の行為がまったくの逆効果だと言うことが。
これからもコピ平は、自分がしていることのナンセンスに気づかないだろうから、
俺たちはもう彼のことを気にとめることもよすことにしよう。
コピ平のコピペは、意味のない荒らしのイラストだと、何もない空間だと、そう思うことにしよう。
もう金輪際彼にかまうことはよそう!
160 :
吾輩は名無しである:03/02/01 00:47
大江健三郎ってオサレ文学なんだよ!ある意味初期なんかは。「他人の足」なんて
オサレシュール文学の頂点を極めてるよ。安吾の「谷の精、木々の精」っていう
知名度は低いけどとんでもない大傑作短編と並ぶ素晴らしさです。バリヤバ!!!
大江健三郎
「広島、長崎のあの大きい犠牲は、償わなければならないと思います。
償うのは私たち(日本人)です。」
償うという字面をそのまま受け取っているから、コピ平なんだよ。
この「償う」は、自分たち日本人の受けた多大な犠牲を忘れないで、死者たちを
弔っていくということを、大江独特の比喩を用いてつづった言葉のことだ。
そうした言葉の分析能力がないから、いつまでもコピ平なんだって。
もっと楽しもうや、小説を。
163 :
土曜日age:03/02/01 17:47
「二百年の子供」、日本語より、英訳すれば子供受けしそうだな。
165 :
吾輩は名無しである:03/02/04 01:07
大江について書くことがないので
コピ平君にあたって憂さ晴らしをしているヤシが最近多いな
166 :
吾輩は名無しである:03/02/04 01:20
今日のアエラ読んだわけだが、子供向けの本書いた後で出す小説が本当に
最後の小説だとよ。
何度目の最後かわからんが、本当にこれで最後かも。年齢的に。
167 :
吾輩は名無しである:03/02/04 01:21
書くことあるだろーに。なんか連載してなかったか、週刊誌に。
週刊誌くらい、買って読め。安いもんやろ
168 :
吾輩は名無しである:03/02/04 11:10
大江を批判した件で編集長が突然首になった週刊朝日でしょう?
アエラの表紙にはするは、朝日も必死だな。
>>165 むー、すまそ。
実は漏れは「憂い顔―」はまだ半分しか読み終わってない。
讃岐うどん屋でかけうどん食いながら読んでいる。
なかなか面白いんだけど、まとまった時間がないし
もともと遅読なんだよなあ。
今日も寒いし、うどんを食いに行くかなあ…。
170 :
吾輩は名無しである :03/02/05 01:21
短篇をかなりの数書くというのはどうなったのか。
週刊朝日の問題も
大江ってたぶん自分の影響力で編集長が首になるとか何も考えてないんだよ
「あ!へんなこと言われてる! モシモシ?おたくの雑誌でへんなこと言ってるが・・・」
数日後――「あ、首になったの? (´・ω・`) どーしよー、そこまですることないのに・・・
かわいそうだなー、でも、俺悪くないのね? そうだよね?」
みたいな
その「無自覚さ」が作品の凄味にも結びついてるのだとは思うが・・・
172 :
吾輩は名無しである:03/02/05 20:46
>>171 その問題はうわさに尾ひれがつきすぎて、真実が一体どうだったかは
わからずじまいになっている気がする。
おれの知っている話は、虫の文章は事前に大江に了解をとって掲載したもので
それを上層部が知って大慌て、急きょ、虫の連載は中止、編集長は更迭という話。
これも本当のところはわからないから、うわさって怖い。
174 :
吾輩は名無しである:03/02/05 22:59
>>173 >虫の文章は事前に大江に了解をとって掲載
俺の感覚では、大江の了解を取って初めて掲載する
ということ自体、自由な言論を建前とするマスコミとして恥ずべきこと。
週間朝日は事実はどうなのかを説明するべき。
>>173 むかし「すばる」で渡部直己が日野啓三批判しまくったら
日野はなんとも言ってないのに編集部が勝手に連載を打ち切ったという事件があったが
そんなもんかね。
もし大江が関わってないんだったら逆に抗議したほうがいいね
>>172 いや、でもイカす文学作品ってばけっこう「ただのアフォの凄み」を感じることがあるよ。
177 :
吾輩は名無しである:03/02/06 00:43
>>176 大江が自分をアフォだと認識しているとでも?彼が非常に執念深く、粘着気質であることは今までの言動から明らかである。
>>177 認識なんて関係ないじゃん。作品の話してるんだよ漏れは。
あと、うわさ話やら雑誌やらネットの書き立てることでその人間を知った気になっちゃだめだよ。
人間なんて実際に付き合ってみないと絶対わからんだろ。
179 :
土曜日age:03/02/08 22:18
今回は特に、子供が積極的に読むとは思えない。
童子とかメイスケさんとか鞍馬天狗の時代じゃないぞ。
>>175 そんなもんそんなもん。大江自身は無関係。
匿名書評「虫」なんぞガタガタ言おうと、んなもの問題にするか。
かつての、江藤淳の全面マンセー→反撃という極端な変節も体験し、その他
政治的な生身に関わるような恫喝だの、正面きっての攻撃だの、
数え切れないほどの意図的な讒言をもくぐりぬけてきたんだ<大江
朝日の
偏執(出版局)が、小粒になってバカやっとるだけ。
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノ
ーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
うわー
すげーうれしそうに貼ってる
恥ずかしすぎる
今出てる文庫には「偽証の時」は収録されていますか?
184 :
吾輩は名無しである:03/02/11 14:33
万延元年の一ページ目は凄い。
2002.11.24(日)
「週刊朝日」と「AERA」の編集長がダブル解任
「週刊朝日」は社長が常々記事の内容をにがにがしく思っていたところ、大江健三郎批判を掲載し、
「もう小説は書かないほうがいいのではないか」と批判した。大江さんは、
「批判は甘んじて受ける」というスタンスだそうですが、社長が自主規制した。
ということのようです。
大江さんは、朝日のシンポジウムというと出てくるパネリスト、という印象で
朝日にとっては看板作家なんだろう。
バックナンバーをめくってみると、なるほど11月22日号に「まっとうな本」という月一連載が載っている。
そこで、「これをもって小説は最後にすべし」とのタイトルで記事が掲載されています。
最近の「週刊朝日が面白かったか」と聞かれれば、そうとはいえない。逆に首をかしげることもあった。
だが、こんな理由で首をすげ替えるのは、社内にくらい影を落とすのではないだろうか。
捏造記事ならともかく、たった一本の記事で記者や編集者を処分していたら、いくつ首があってもたりない。
だいたい、外部のご機嫌を気にして社長が原論弾圧の強権発動をするなんて、メディアとして末期的としか
いいようがない。
朝日は出版局を出版部に格下げして、人減らしをしている最中だったそうです。
だからといって、出版のジャーナリズムなら金や作家の機嫌とりに差し出していいという判断をしたのなら、
その神経を疑う。
Hiroshi Tanaka
http://homepage2.nifty.com/htnk/200211.htm
雑誌板ででもやれよ
なんの興味もねえよそんなこと
「他人の足」ハアハア
188 :
吾輩は名無しである:03/02/12 17:55
>183
たぶんないんじゃない?
俺は図書館で全集借りた
189 :
吾輩は名無しである:03/02/12 17:59
今、我らの狂気を生き延びる道を教えよ
を読んでる。
万延元年のフットボールをまた読みたくなるよ!
作家の大江健三郎氏が中国の大学での講演で石原慎太郎氏の東京都知事当選は
都民の恥だと述べたことが4日、中国の官営マスコミで報道された。
大江氏は9月27日、北京の精華大学で講演し、自分がいまもっとも気にしている
のは日本の最近の国家主義的傾向と日本が過去の侵略や残虐行為を謝罪していない
ことだと語った。国家主義傾向への批判のなかで石原都知事に言及し、「石原氏は
当選したことは東京都民の恥だ」と述べたという(10月5日付産経新聞)。
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大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、
「戦後民主主義者」の巨頭である。
彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、
文化勲章は辞退した。外国の王室がくれるものはもらうが、日本の皇室が授与する
ものは辞退する。典型的な日本蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。
また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落とさ
れたのは日本人の責任であると主張してもいる。
そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。
彼の特徴は、今回の件でもわかるように、日本国内においてはあいまいな言葉を
使ってソフトに日本を非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を
罵ることである。フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わない
ものである。彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に
罵る大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。
中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。
中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・
旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。そんな中国を非難する言葉など
ひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。
また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われている
裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。
他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。
いったい、恥知らずとは誰のことか?
こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマが
痛くなってくる。
コピ平よ
どれもぐぐればすぐに見つかるが・・・
平成12年の話題を貼っていまさら何の意味がある?
自分の言葉で語れよ それともそのHPの管理者なのか?
151 :吾輩は名無しである :03/01/30 00:47
>>127 >それが成功しているか否かは別にして、俺は『憂い顔の童子』は、絶対に
>無視できない現代日本文学の作品だと思ったし、死者を葬る墓碑銘としての
>文学ではなく、「生きられた人生の物語」となっていると感じたが…。
たしかに…。だが前作の『取り替え子』との連繋で読むべき作品でもあるだろう。
『取り替え子』は異常な問題作。実のところは「自身の死」をベースにしながら、
現実の事象に深くコミットしつつ作品を創ることを運命付けられてきた大江が、
伊丹の自死によって大きく揺らいだ、その揺らぎをそのまま露出し、
思惑を超えた言霊に繰られるようにして提出してしまった。
後をどうするのか…注視される中へ、元の大江に戻り、作家としての経験と
底力で、前作を強引に自らの路線上へ取り込んでみせたのが『憂い顔の童子』。
だが、大江の計算を裏切って、決して取り込めてはいないし、いないからこそ
いっそう問題作として浮上する。未来「へ」の視点は、希望であり、
希望で「しか」ないわけで・・・。大江は苦しいな、なお。
194 :
吾輩は名無しである:03/02/13 06:09
出てすぐ買って読んで以来、久しぶりに読み直した。
一度目は迫力に押されてただただこれを読めた喜びに押し流されたけど、
ゆっくりと折ったページなどを咀嚼しながら読み直してみた。
一度目の時、唯一大江のテンションに共感できなかった加藤への怒り、
読み直すと分かる気がした。
結局はあさだっちが書いてたみたいに、
「自分が将校殺害の共犯になったのかどうか」の重要な葛藤の原因として
持ち出されたエピソードであったのに、加藤が「実際に何があったのか」という方を掘ったこと、
それに対する怒りなのだろうなあ。
加藤がただの馬鹿であればそんなに怒りはしなかったのだと思う。
加藤があのエピソードが物語で果たす役割を分かっていたにも関わらず、
あえて「実際に何があったのか」を掘ってみせたこと、
そこに評論家の業みたいなこと、「毛色の違った読み方をして独自性を出さなきゃいけない」
みたいなあさましさ、そこにいらだちを押さえきれなかったんだと思う。
だからなぜ「クソが」ではなく、クソ「ども」が、になったのか、つーこと、
それも加藤を通して批評家たちへの怒り、それを吐き出したのだろうと。
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、
ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のインタビューで、次のように述べている。
「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。
もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。
「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に
空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。
子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物を
これほど多くの大人が読んで、考えたことはない。
その結果、公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。
父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を持ったのです。
東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」
この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。
つまり大江は、扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、
公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(できなかった)という事実とを結び付けて、
「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、
採択を阻止した」と結論付けているのだ。これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。
版元が公開している「読者の反響」を読んでみろ。
お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。
日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」とほめてしまい、
組織内からの突き上げを食らったではないか。
扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。
声のみはかしましいが、日本国民の中では圧倒的少数派である。
彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、
批判本を鵜呑みにして反対し、反対せんがために反対してきた(笑)扶桑社教科書の
市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左翼勢力の危機感は頂点に達した。
そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。
扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、
左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。
委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、
アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択現場に混乱を持ち込み、
委員に扶桑社教科書を忌避させ、採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。
大江はそうした現状を知らないのだろうか?
ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことはあるまい。
現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、
正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。
大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、
このデマに説得力を付加しよう。
だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。
そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。
かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。
大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣な「知性」こそ、
ヒトラーを、あるいはスターリンを、ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
コピ平よ。「反日左翼勢力」なんて、いかにもベタな(ベタベタな)
ワードを含む文章をコピペしてきてもなあ…。しかも何度も。
いや。俺も「タモリ倶楽部」なんて見てないで「憂い顔─」の続きを
読まないといかんかった…。
「偽証の時」を読んで面白かったので立て続けに初期短編読みました。
「人間の羊」「他人の足」が良かったのですが、これらの作品に近いテイストの
作品があったら教えてください。
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
200 :
吾輩は名無しである:03/02/18 01:29
ハァ〜戦争中のスウェーデン王室の行動と日本の皇室の果たした行動の違いが大きいからだろう。
一緒にしてもなあ〜
金だろ、金。あと名誉。
202 :
吾輩は名無しである:03/03/01 20:18
おまいら、「二百年の子供」読んでないな。
朔ちゃん
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
206 :
吾輩は名無しである:03/03/01 21:00
>>200 お前、スウェーデン王室が非常に好戦的で何度も攻め込んでるの知らないだろ?
国王自ら戦闘し、戦死したこともある。
それぞれの王家が過去を背負って生きていかなければならない歴史を
抱えてんだよ。酸いも甘いもな。
さらに言えば、皇室の「行動」というなら、DQNな陸軍を抱え、都合のいい情報ばかり
耳に入れる軍人に囲まれる中、戦争終結を決断し、国民に直接呼びかけ
逃げもせず、亡命もしなかった行為は見事なもんだと思うが?
こうした戦争後には、大抵の国の元首は亡命したり、殺されたりしてしまうものだ。
だから大江の小説作品と政治活動は切り離せよ。
彼が幾らDQNでも作品が面白ければいいの。
>>200 30年戦争でスウェーデンのグスタフ・アドルフ2世は
ドイツを荒らしまわり、ワレンシュタインと戦って戦死した。
部下はボヘミヤまで占領している。
カール12世はポーランドやウクライナを荒らしまわり
最後は戦死した。
スウェーデンが平和国家と思っているとしたら大間違いだ。
209 :
吾輩は名無しである:03/03/01 22:48
210 :
吾輩は名無しである:03/03/01 23:53
>>208 30年戦争、1618〜48年
スウェーデン王カール12世、在位1697〜1718年
211 :
吾輩は名無しである:03/03/02 02:13
大江って小説だけ書いてれゃいいのになー
好きな作家とか
「そっち系」の中でも「?」なのばっかり
同じ系統でもっとマシなのいるだろ
あとこういうやつがなぜか共通して音楽の趣味が最悪なのは
なんでだろ
「わかりやすさ」だけが優先だからかな?
214 :
万延元年風に…:03/03/02 09:41
荒らしには無視が一番効果的だよ、蜜!
215 :
吾輩は名無しである:03/03/02 09:41
最近の「週刊朝日」掲載分、
例によって大江の「知識人とは…」云々を、自身の経歴を遡りながら
披瀝している。
東大仏文に渡辺一夫ありし時代…
その人に教えを乞いたいとひたすら願って辿る進路…
考えてみれば幸せな経緯だ。いま、そんな人物が、おるか? どっかに??
NHK総合で「平和の世紀は築けるか」という真面目な番組をやっていました。
主な出演者はノーベル文学賞の大江健三郎氏。
大江氏の世界平和論は、ご自身のコピー人間が増えるのが理想とでもい
いたげな話しばかり。実際に平和を脅かしているイスラム、ユダヤ、キリスト教
などの原理主義者、中国の覇権主義や過激な民族主義者を批判したらどうで
すかね。それと帝国主義時代から続く、欧米による白人国家の国益優先、アジ
ア搾取、イスラム分裂外交についてはどうなんでしょう?ノーベル賞もらってる
と西欧人の悪口が言えないんでしょうか?
小説家という安全地帯からの発言であっても、理性や哲学に依存する人なら、
大江氏の主張に理想を見出すかもしれません。しかし、宗教上の対立と欧米
の搾取に痛めつけられ、生死を賭して戦っている人たちに、大江流の「自立し
た個」の思想が何の役に立つというのでしょう?大江氏は世界平和について、
もっと現実的な提言ができなければ、沈黙すべきではないかと思います。
大江健三郎小説について大江は、
死後、すべてをおさめた全集が編まれないように、というようなことを言っているけど、
こういうことって前例はあるのかな?
別にそれを非難する気持ちはないんです。
いま憂い顔の童子を読んで、それなりにその理由も納得できたから。
でも普通に考えて、死後、大江の言うとおりになるだろうか、ということを考えて。
全部を納めるとしたら膨大な量になるし、それに大江は、遺族の反対とかも強力そうだしね。
でもそれでも、ノーベル賞なんていう大層なものをもらった作家の過去の作品が埋れてしまう、ということはありうるのか、と純粋に疑問なんです。
やっぱり除外された作品は、死後、文庫で読むしかなくなるんでしょうか。
219 :
吾輩は名無しである :03/03/19 01:25
「取り替えっ子」だと思ってる香具師が少なくないのに驚くと同時に笑える。
>>218 やっぱ全集は全集なんだから全部入れてほしいなあ。
「本は読者のもの」という意識がないんじゃないかな。
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ
には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
新聞の追悼文は、次のように結んであった。
文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし
た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。
ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している
のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知
識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ
の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省
しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、
反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ
たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私
は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと
くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ
シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ
て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し
かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち
はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ
たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日
本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや
ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の
信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理
解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出
て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問
伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと
決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた
者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた
知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左
翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな
かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊
な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の
ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま
り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
222 :
吾輩は名無しである:03/03/20 19:06
〉218
たぶん全部は収録されないかと思われ。
まず死んで数年後に、大江の意にかなった選び方。
そして死後何十周年記念ということで全部収録。
三島の全集もそうだけど、全集でボロ儲けできそうな作家だし。
(*゚∀゚)アホウ!
>死後、すべてをおさめた全集が編まれないように、というようなことを言っているけど、
>こういうことって前例はあるのかな?
確か井伏鱒二とかがそうだった気がする。。。
結構いるんじゃないの♪
224 :
吾輩は名無しである:03/03/20 23:49
漏れも読んだことはないけど大江にしてはバリ甘な恋愛小説は全集に載りそうにもないかなあ。
恋よゆるやかにすすめ、だったかな。
あと、この小説読めそうなとこ東北圏にあったら教えてけろ。
225 :
吾輩は名無しである:03/03/21 01:32
「夜よゆるやかに歩め」中央公論社、昭34.9
大江健三郎氏に仏レジオン・ドヌール勲章 (朝日)
作家の大江健三郎氏(67)がフランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドールを
受けることが決まり、22日に 東京の仏大使館で叙勲式がある。
3段階に分かれる同勲章の中で、コマンドールは最高位。
シラク大統領から大江氏に届いた文書によると「格調の高い作品でノーベル賞が与えられ、知的か
つ倫理的スケールが国際的に認められた」などと叙勲理由が書かれている。
大江氏は、95年にシラク氏の核実験再開に抗議して、フランスでの文学シンポジウム
を欠席したことがある。今回 は、シラク氏の、米英と異なる核軍縮の役割に期待して
受けることにしたという。同勲章は、画家平山郁夫氏や評論家加藤周一氏らも受章している。
何もくれないと抗議で欠席するけど、勲章を貰えるなら核実験でも容認、
日本の勲章は要らないけど、フランスの勲章は、
志を曲げても欲しいというところかにゃ。
フランスコンプレックス丸出しだにゃ。
まあ、ノーベル賞を辞退した奴を礼賛しといて、
自分はちゃっかりもらうような人ですからにゃ。
サヨクのダブルスタンダードぶりは、
今に始まった事じゃありませんけどにゃ。
227 :
吾輩は名無しである:03/03/21 09:09
取り替え子がイマイチだったから憂いがおはどうだろう?
まあこれから読んで見る。
大江は年食ってより小説の構成が洗練されてきたけど勢いというか気迫は落ちたという感じだな。
まあそれでも読めるってとこが凄いんだが。できれば大西巨人みたいにいつまでもクリエーティヴ・パワーを
保って欲しいもんだ。
228 :
吾輩は名無しである:03/03/21 13:09
憂い顔は俺は好きだよ。
「懐かしい年への手紙」を思い出した。
大江独特のラジカルさが残っていたのを確認できて嬉しかったよ。
ノーベル賞に思う
大江氏はノーベル賞授賞の直後に
「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかな
い」と言ってましたが、私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問で
す。「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っ
ておりましたが、今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶
文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という
声明を出したのでしたが、これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃を
したのが文芸春秋だったのです。しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考
委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。その点
に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して「あなたは核兵器廃絶を人に呼びか
けておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりし
ているのはおかしいのではないですか?」と問いかけたのですが、すぐには返事をせ
ず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。
それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、新聞
の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメデ
ィアには「しょうがないから辞めたんだ」という。それから三年くらいたってほとぼりが冷め
たころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。大
江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。ここから推量し
て、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあ
たるでしょうか?
あの本多さんでつか・・・・・。
そりゃそうと「反日」ってらべるで非難した気になるってのもなあ・・・(遠い目)
>>229 主観べっちょりの文章書いて「ここまでは事実です」って言っちゃう人にこんな
こというのは無駄かもしれませんが。
大江が文芸春秋からだしてる単行本(全部で6冊あるはず)、買うのは嫌だと
思うので、図書館で探して読んでみるといいと思うよ。とくに最後の2冊がお
すすめだが、あんたの知能レベルではその前の3冊のほうがいい鴨。
図式的な少女趣味
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春樹ぐらいだろう。
川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。
著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦すると自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。
いずれにせよ、佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならない。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、
後年の作品でも『雨の木』の連作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。
しかし本書のように「同時代」への意識が過剰な作品は、読むに耐えない。
学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがなく、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。
30歳のときに書かれた『万延元年』が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
特に本書が著者の最低の駄作とされる原因は、当時、著者が傾倒していた山口昌男氏の「道化」論を小説に丸ごと取り入れたことである。
登場人物にそれぞれ文化人類学的な位置づけが与えられ、「祝祭」とか「異化」とかいう言葉が小説に出てくるのは、鼻白むのを通り越して腹が立ってくる。
最良の作品というのは、山口的な図式を乗り越えるところに意味があるのに、作家自身がその図式で書いていたのでは、話にならない。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。
最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
日常生活の保険
芽むしり 子持ち
ってのはどーだ。
>>234 ワラタ!!(w
じゃあ漏れも、
河馬に絡まれる
いかに木を倒すか
憂い顔の貞子
日常生活の保険てw
包丁で指切った保障とか?
どれも退屈そうな本だなおい。
最後のはホラーだけどw
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか?
なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか?
なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを
周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。
かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いを
する人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。
すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、
周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。
さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって
自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。
大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。
日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人み
たいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。
優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。
朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんて
できません。つまり偽善者なのです。
さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族
の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示
したいのです。周囲からそのように見られたいのです。
それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が
人格者だと思われたいのです。
その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であると
いう優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。
昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。
共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していた
その種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、
相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動
をしています。その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。
(注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、
大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。
なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分を
まるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的
クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。
その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。
戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろに
してきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。
占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に
刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。
さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。
長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争し
ないように」という感想文を新聞に投書するのですから。
このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」
というふうにマインドコントロールされている間は、
戦勝国は皆安泰なのです。二度と日本人が刃向かう
恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。
上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れた
ロシアにとっても好都合の政策でした。だから、戦後一貫して、
朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、
絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに
乗って国民に植え付けられたのです。
239 :
吾輩は名無しである:03/04/02 22:58
こんなネタ話にもコピ平が粘着してくるとは…。
とりあえずageておくか。
241 :
吾輩は名無しである:03/04/07 10:12
今読んでるけど取り替え仔とは断然密度が違いますね
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
243 :
吾輩は名無しである:03/05/11 16:16
age
244 :
吾輩は名無しである:03/05/12 09:07
「宙返り」
思想が偏狭的で息苦しいが、ストーリーの発想、構成は逸品
ユーモアが欲しかった・・・
他人を信用しても信仰はするなってことと人間の多面性、多様性を経験と勘に
よって理解している俺にとっちゃ思想はお粗末
最後の結論に至るまでいつまでかかっとんじゃって感じ
最初の少年、少女、画家の出会いからのストーリーの発展には圧倒された
しかし物分かりのいい木津より、荻君の視点からの描写をもっと期待していたんだけどなあ
踊り子がつきものの落ちた育男と結婚にはちとショック
漏れは「宙返り」は大江小説のなかで唯一読み切れんかった。
なんかこのころがいちばん大江の「書きたい」という欲求が
希薄だった気がするんだけど。
大江の小説はあまり「物語」に寄りすぎるとパワーがなくなる気がする。
その後、伊丹の死で欲求が生じて書き上げた二本はすげー力を感じたから。
作家って因業な商売だよな。
246 :
吾輩は名無しである :03/05/12 17:59
俺も「里帰り」は読了できてないなー
>>245 たしかにな。
「宙返り」は、無理に大団円にもっていこうとする
ノーベル賞後の自意識がどこかで邪魔している。
伊丹の死を乗り越えるために書かれた「取り替え子」は、
大江自身の意図を凌駕して、無意識世界へまで浸透する異常なパワーを
孕む結果となった。文学作品の枠を破って、構成も物語も、まさに
問題作。「憂い顔の騎士」は、作家としての大江が再び活き始めて、
「取り替え子」の一種の破綻をも取り込んで、収束させようとした
力作。・・・因業な商売・・・烈しく同意。
248 :
吾輩は名無しである:03/05/12 19:34
>>245 切ないよな
踊り子はいつか絶対育雄に傷つけられることになる
育雄を止められるのは踊り子だけなんだろうけどさ
>>247 そうか。受賞後だったね。抜け殻みたいになってたのかなw
漏れはどんな小説でも「よくできた物語」よりも
シビれるセンテンスが一つでもあればオッケー、無けりゃ駄作、
というスタンスの読者なんだが、
その前の「燃え上がる緑の木」でもそろそろその読み方ですらキツくなってた。
教祖が死を迎えようとする病気の子供に言ったセリフ、
「生まれる前の無を恐れないように死ののちの無も恐れるな」
というとこ、そこだけがシビれたので読めたんだけど…
「宙返り」は無理だった。正直次でも一緒だったら読者やめようと思ってた。
だから「取り換え子」での瑞々しいセンテンスの迸りは感動したね。
永遠のドキュソ大江が帰ってきたぞ!って。
「このスッポンの王に魂がないのだとしたら、どうしてそれが自分の中にあるだろう」
のくだりのあたりは本を置いて拍手したもんな。
「憂い顔の童子」が迸りの無秩序を収束させようとしたものだ、っていうのは同意だな
破綻を創作内創作(もじった自著作を登場させたり)などに内包してしまうことで
置き換えたリアルでもって力任せにねじ伏せたという感じ。
ほんとにこれがくたばりぞこないジジイの小説かと目を見張ったよ。
あ、そうだ、「憂い顔」を読んでてひとつだけ気になったこと、
あれって重要な出来事(母の死など)が全部、起こった後、
しばらく経ってからの報告という形で書かれてるんだよな。
全部過去のニュースになってから出てくる。
あれどんな意味があるんだろう。ちょっと気になった。
作者自身に近すぎるから引き離した、という感じなのだろうか。
251 :
吾輩は名無しである:03/05/12 20:08
>>250 なにものかへの報告、もしくは歴史の形態をかたどっているのではと思った。
大江はじじいの(いい意味で)とりとめのない妄想に染められた森の歴史を
つくろうとしているのじゃないかな。
以前なら密度の濃い描写でまさに「物語」をつくっていたんだけど、
「憂い顔」などはより妄想、書かれた世界になにかが上からかぶさったという
感じが強い。よくわかんね、すまん
>>251 ウホッ!文学板にあるまじき早いレス!
うれしいね。
そうなのかな。「同時代ゲーム」あたりから「神話」への歩み寄りが顕著だけど
「歴史」って形態もその流れの中にあるのかもしれないな。
大江が何度も「魂のこと」と呼んでいるものなのか。
「なにかが上からかぶさった」ってのはとてもしっくり来る表現ですよ。
あれだけ長い間小説家やってっと、
もう生きることと書くことは不可分なものになってるんだろう。
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
256 :
吾輩は名無しである:03/05/15 02:47
同時代ブーム
ピンチランナー遺書
いまさらだがw
おそっ、しかもぜんぜんおもろなっw
258 :
吾輩は名無しである:03/05/16 21:57
>>248 >踊り子はいつか絶対育雄に傷つけられることになる
ごめん、なんとなく解るような気がするけど、よく解らない。
俺も読んだのに。
どうしてなのか、説明おながいします。
アフォだな俺。
259 :
吾輩は名無しである:03/05/17 23:59
育雄は彼の性質からして平穏なくらしを延々を送れるタイプじゃない
いつか必ず何か極端な方向に振り切れるはず(ギーと何かをやらかすとか、全く違うこととか)
彼女はそれを止めようとし、巻きこまれ・・・
踊り子はそれを理解した上で結婚したんだろうけど
踊り子は荻青年と結婚して欲しかった(小説に感情移入した僕の個人的な願望)
でもストーリー的にはこの後味の残し方がいいんだけどね
261 :
吾輩は名無しである:03/05/18 00:01
延々を送れる→延々送れる
>>259 ご説明ありがとうございます。
ぼんやりしていたのが明快な言葉になってスッキリ。
>踊り子は荻青年と結婚して欲しかった
という所に烈しく同意です。
読んでるうちに気持ちはそっちへいきますよね。
>>262 僕は続編が書かれるんじゃないかというような気もするんです
でも書かれない方がいいかも、とか複雑な心境です
書かれるなんて話はひとつもないんですけどね
>>263 当時のダヴィンチのインタビューで
「ギー兄さんを誰か若い人にあげます」と、
続きは他の人がやれという、まあいつもの大江的ユーモアかもしれませんが、
そう言っています。
ところが同じインタビューの中で「谷間の村のことはもう書かない」といいつつ
その後「取替え子」「憂い顔の童子」という、まんま谷間の村小説を物しているので、
あんがいいい加減な発言なのかもしれませんね。
ギー少年のその後……読んでみたい。3人目のギー。
産経新聞北京総局の古森義久総局長が伝えるとこ
ろによれば、作家の大江健三郎氏は九月二十七日、
北京の清華大学で講演し、こんなことを語ったという。
「石原慎太郎氏の東京都知事当選は都民の恥です」
「わたしがいまもっとも気にしているのは、日本の
最近の国家主義傾向と過去の侵略や残虐行為を謝罪
していないことです」
大江氏は中国の学生たちからやんやの喝采をうけ
たにちがいないが、なかには日本のノーベル賞作家
を冷ややかにみつめていた学生もいたと思う。大江
氏の論法だと、石原候補に投票した都民は善良な都
民として認めてもらえないことになる。
「石原候補に投票した都民は都民の恥です」
大江発言はそう解釈できる。要するに多数の都民
を誹謗する言葉であり、そんな大江氏の傲慢さに鼻
持ちならないものを感じ取った学生たちも少しはいたはずだ。
まともな日本人なら外国人に対して自分の国や国
民について度の過ぎた悪口は決していわない。いっ
ても、その節度を弁(わきま)えている。ナショナ
リズムは普遍的なものであり、どの国や地域にも濃
淡の差はあっても、それぞれの人々に備わっている
自然の感情である。
大江はもう新作書いてるのかなあ。
取替え子からだんだん質が上がってきてるから楽しみ。
ただ若い頃のようなダイナミズムにはもう関心がないのかな。
今の身辺雑記的と随想のような構成もなかなか味があるけど、
もう一度大江には狂気やDQNの暴走を描いてほしいw
60年安保の岸内閣強行採決か何かの時に
大江健三郎が新聞(?)に寄せた文章で、
「この若者たちはルールを守った…にも関わらず、岸伸介は国会の中でルールを破った」
みたいな意味の文章をなにかの引用で読んだのですが、
原文が収録されているものってなにかありますかね?
浅田彰
それにしても、そういうとき大江健三郎が出版社なら
出版社のトップに苦情を持ち込むのはよくな
いね。本人は世界から迫害されてるマイノリティのつもりらしいんだけど、
実際は押しも押されもせぬ大作家なん
だから、そんな人がトップに苦情を言ったら下の人間がどうなるかぐらい
想像できそうなものなのに。『週刊朝日』で大江の連載が始まった、
その少し前に「虫」っていう匿名書評子が大江の『憂い顔の童子』
の批判を書いたら、直後にその書評欄の連載が打ち切られ、
編集長も交替した、あれも変な話だよね。僕は『取り替え子』と
『憂い顔の童子』は最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど、
もし本当に大江の圧力があったとしたら
許しがたいと思うよ。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
271 :
吾輩は名無しである :03/06/07 15:24
「取替え子」「憂い顔の童子」読みました。
私も、「近作より初期の方がいい」という平凡な読者なんですが、
それに対する大江の自己弁明・自己批評があって、面白い。
本人も近作に対する世評は気にしているみたいだね。
この2冊読んでつくづく思ったけど、この人、ホントに
自分の妄想に入り込んでいける人なんだね。
相変わらず、妄想が迫力あって、すごいけど。
人の妄想っていうのも、もういいかな…
274 :
吾輩は名無しである:03/06/07 15:58
大江には死ぬまで小説を書いていてもらいたい。
最悪「アレ」を書き終えるまでは死なないでもらいたい。
275 :
吾輩は名無しである:03/06/07 21:11
>>269 いいよ。大江がそういう自分の影響力を知らずに苦言を呈して
末端の匿名批評子の首が飛ぶなんて、アイロニーを感じて面白いw
どうせ匿名なんだから何処かでリカバリーきくって。
■2002/12/03(火)「週刊朝日」編集後記からにじみ出る無念
今日発売の「週刊朝日」12月13日号の加藤明編集長の編集後記。
「なんか『週刊文春』に載っていましたが、私、12月1日付で編集長をお役御免になりました」
もちろんこれは11月29日の日記に書いた記事のことだ。普通、こういう場合、ライバル誌の
記事には触れないだろ。あえて触れるところにこの人事が正常でないことがにじみ出ている。
あとは在任中にうれしかったことなどあたりさわりないことをつづっているが、突然の解任への
無念が感じられる。
私の印象では、週刊朝日は文春や新潮に比べ、記事そのものは面白くない。だがコラムは面
白いものがあるので買っているわけだ。虫の書評は面白かった。これは明らかに加藤編集長
時代の功績である。ところがこの虫の書評を理由に解任されてしまった。これを機に週刊朝日
が上向くとはとても思えないが。
■2002/11/29(金)虫の書評、打ち切りか?
週刊朝日の匿名書評、「虫」の書評が打ち切りとなる公算が大きくなった。今週発売の週刊
文春12月15日号によると、虫の「憂い顔の童子」批判が来年からの連載が決まっていた大江
健三郎を怒らせ、12月1日付けで加藤明編集長が更迭されるという。
記事自体は連載がどうなるかにはまったく触れていないが、このぶんでは虫の書評も打ち切
りだろう。来週発売の週刊朝日は本来ならば虫の書評が載る回だが、果たして何か載ってい
るだろうか。
大江の連載に読者がつくかどうかは知らんが、私は関心がないから絶対に読まないだろうと
断言できる。虫の書評には賛否両論あるにせよ、久々に登場した面白い書評であったことは
事実。私は毎回楽しみにしていた。打ち切りで週刊朝日が上向くことはまずあるまい。
虫の書評タイトル一覧
http://homepage2.nifty.com/bookbookbook/zakkan5.htm
>繰り返しコピペ貼るしか能が無い低脳野郎へ
プロパガンダは、政治板で好きなだけやれ! ここは文学板だ、
間違えるな、ドアホ!
、
、
>>276 うるせえよ。くだらねえ倫理観で
作品を観賞できないやつはすっこんでろ。
280 :
吾輩は名無しである:03/06/10 00:27
マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?
http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html 489 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/11(水) 17:25
一般人なのに盗聴される、じゃなくて、「一般人だから盗聴される」んじゃないのかな?
基本的にネタ集めのためにやってんなら、有名人のネタを盗むと、有名人は告発できるし、
そんなことされても当たり前だと思われるので告発しても信じてもらえる。
そうでない人は、ここの途中の書き込みにもあったように「電波」扱いされるだけ。
ただで、ネタを仕入れるんなら、一般人に限るでしょう。
マスコミは自分らの無能さを恥じてほしいです。
ちなみに私が盗聴されはじめたのは、芸能人にストーカーされ始めてからでした。
そこからマスコミに広がって行った。
だから余計「妄想」とか思われそう。
友人に話したら完全に病気扱いされた。ストーカーって言葉がない時代だったしね。
書いておいておいた小説のネタが、他人の原作でドラマ化されたときにはきれまくっ
たなあ。(一度や二度のことじゃないけど)
281 :
吾輩は名無しである:03/06/10 14:45
282 :
吾輩は名無しである:03/06/15 04:31
質問があります。
大江は会話文に「括弧ではなく―ダッシュを使っていますが、
これは昔からですか? 誰かの影響でしょうか?
またこの表記が原因ではないけど、「憂い顔」で
会話文が続く箇所では誰と誰が話してるのかわからなくなる
ことない?
283 :
吾輩は名無しである:03/06/15 04:40
>会話文が続く箇所では誰と誰が話してるのかわからなくなる
中谷の発言のようだ
284 :
吾輩が名無しである:03/06/15 04:58
>>282 大江のダッシュは昔から(初めから)ではないですかね。括弧を使った
作品は思いつかない(多分無い?)。
ダッシュ使用が日本文学でいつから始まったのか改めて考えてみると、
戦前にはないのかな? 私見では、大江のダッシュ使用は埴谷雄高の
「死霊」の影響を受けたのではないかと言ってみるテスト。ということは
ダッシュ使用は「死霊」を嚆矢とする…、などと断言するだけの知識も
勇気も私にはありません(汗 あるいは翻訳の影響もあるかもしれないし。
現代では括弧を使うのに抵抗がある作家は結構いるはず。すぐに思い
つくのは村上龍ですね。
誰の発言か分からなくなるというのは、表記に拘わらず、また「憂い顔」
に限らず、はたまた大江に限らず、私にはしょっちゅうです(汗
285 :
吾輩は名無しである:03/06/15 05:17
警告
>現代では括弧を使うのに抵抗がある作家は結構いるはず。
>すぐに思いつくのは村上龍ですね
村上龍はどう表現してるんだっけ。
>>285 「」を使った作品も結構あると思いますよ。メムシリコウチとか短編とか。
確かコジンテキナタイケンもそうじゃなかったかな。
ダッシュを使うのは、おそらく、海外作品、英文、仏文から来ていると思います。
ハニヤユタカから来ているというのも新鮮で面白いですけどね。
レスありがとうございます。
>>284 言われて他にダッシュを使っている日本の作家はいないか、調べてみました。
福永武彦、津島祐子、島田雅彦、そして文壇のドン・キホーテ笙野頼子も
会話文でのダッシュの使い手でした。
>>287 実はオレも外国の影響かなと思ったのです。
「憂い顔」の第三章のタイトルにその作品名が使われているジェイムズ・ジョイスも
初期は他の英語作家同様に会話文は" 引用符で区切っていたのですが、
「若い芸術家の肖像」以降、フランスの影響なのか―ダッシュを使っています。
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
290 :
吾輩は名無しである:03/06/16 16:33
ところで私家版『個人的な生活』読んだヤシいたら語ってくれ。
292 :
吾輩は名無しである:03/06/20 20:51
「個人的な体験」のラストで、鳥が改心するでしょ。
でもそれが突拍子も無いような気がするのは私だけでしょうか。
それに関する描写が少なく、青天の霹靂のような気がしたもので・・・・
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、
ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のインタビューで、次のように述べている。
「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。
もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。
「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に
空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。
子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物を
これほど多くの大人が読んで、考えたことはない。
その結果、公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。
父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を持ったのです。
東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」
この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。
つまり大江は、扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、
公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(できなかった)という事実とを結び付けて、
「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、
採択を阻止した」と結論付けているのだ。これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。
版元が公開している「読者の反響」を読んでみろ。
お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。
日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」とほめてしまい、
組織内からの突き上げを食らったではないか。
扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。
声のみはかしましいが、日本国民の中では圧倒的少数派である。
彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、
批判本を鵜呑みにして反対し、反対せんがために反対してきた(笑)扶桑社教科書の
市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左翼勢力の危機感は頂点に達した。
そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。
扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、
左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。
最後までめちゃくちゃ重い内容なのに
ラストはうってかわって軽すぎるくらい軽い
ってのは意外とあるねえ
委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、
アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択現場に混乱を持ち込み、
委員に扶桑社教科書を忌避させ、採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。
大江はそうした現状を知らないのだろうか?
ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことはあるまい。
現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、
正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。
大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、
このデマに説得力を付加しよう。
だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。
そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。
かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。
大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣な「知性」こそ、
ヒトラーを、あるいはスターリンを、ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
284のレスで一件落着と思い、忘れていたのに、上がってきたスレを
見てふと気になって、手元にある龍の本をスキャンしてみました。
そして愕然。「ブルー」も「コインロッカー」も「五分後」もすべて
括弧を使っているではないですか! 逆にダッシュを使っているやつ
なんて、全くない。いかに自分の発言がいい加減なものか、自嘲した
次第です。
ただ、会話文の括弧を使うのは違和感があると、龍はどこかで発言
していたはずなんですけどねえ。しかし、どこで? と訊かれても
答えられない。これも私の妄想か?
それと、龍は発言を地の文に埋め込むというやり方が好きなよう
ですね。特に「トパーズ」辺りからその傾向が強くなったような…。
と、自分の頓馬ぶりをごまかしてみる(汗
>>292 文学はほとんど素人だけど,あの小説は完全に私小説というか
光君が生まれた時の心の動揺を回収するために書かれた小説だから
ああいう肯定的な終わり方にするしかなかったんじゃないですか?
三島由紀夫はあの終わり方を
「人生がハッピーエンドでなければならないと思っている人間の小説だ」
と批判したらしいけど,なにしろ実際に自分の人生がかかってるんだから
無責任にバッドエンドにするわけにいかないでしょう。
三島由紀夫は自分の人生でバッドエンドを体現しちゃったけど…
あの小説以降,大江健三郎はきれい事しか書かなくなったという批判があるけど,
それはやっぱりこの体験で直面した自分の闇とのバランスを取るために
光(長男の名前でもある)だけを見つめるようになったということなんだと思いますです。
個人的な体験なんて何度かは読んだのに、結末は忘れてるな・・・・・
つーか、床屋で洗髪してもらったとこくらいしか覚えてない(w
>>297 そーだね。
あと、ラストがごっつい不自然にアスタリスクで区切ってあるところに
大江の私人と小説家とのせめぎ合いを感じて漏れは好きだ。
NHK総合で「平和の世紀は築けるか」という真面目な番組をやっていました。
主な出演者はノーベル文学賞の大江健三郎氏。
大江氏の世界平和論は、ご自身のコピー人間が増えるのが理想とでもい
いたげな話しばかり。実際に平和を脅かしているイスラム、ユダヤ、キリスト教
などの原理主義者、中国の覇権主義や過激な民族主義者を批判したらどうで
すかね。それと帝国主義時代から続く、欧米による白人国家の国益優先、アジ
ア搾取、イスラム分裂外交についてはどうなんでしょう?ノーベル賞もらってる
と西欧人の悪口が言えないんでしょうか?
小説家という安全地帯からの発言であっても、理性や哲学に依存する人なら、
大江氏の主張に理想を見出すかもしれません。しかし、宗教上の対立と欧米
の搾取に痛めつけられ、生死を賭して戦っている人たちに、大江流の「自立し
た個」の思想が何の役に立つというのでしょう?大江氏は世界平和について、
もっと現実的な提言ができなければ、沈黙すべきではないかと思います。
301 :
吾輩は名無しである:03/06/24 00:14
このキチガイは規制されないの?
>300のキチガイは、洗脳されたプロパガンダ貼りの糞バイトだからw
完全無視で。
303 :
吾輩は名無しである:03/06/24 01:17
マジョリティーがなんと言おうが、
程度の悪い粗悪な教科書は、
採用しないのが筋というもんだろう。
イデオロギーの問題じゃないよね。
>>296 大江は知らないけれど、村上龍は『会話文に「」を使うのに抵抗がある。』のではなく、
『「」で括っただけで『会話』と言うものが成立してしまう事に抵抗がある。』という感じだったと。
「」でもダッシュでも、記号を使って会話を成立させる事は結局同じことだから、
発言を記号で会話文とするのではなく、地の文で語らせているのかと。
北朝鮮の政治犯収容所
多くの政治犯は栄養失調のため異常なほど小柄で風呂などにも一切入る
ことを許されないので身体中真っ黒であり、人間と獣の中間の生物のように見える
与えられる食糧はほんの少しのとうもろこしのカスと塩のみ
政治犯はヘビ、カエル、トカゲなど動くものは何でも食べる
食べなければ間違いなく餓死する
毎日朝から夜まで重労働を課せられる
休日は全く無い
あまりの過酷さで収容者は40代で腰が90度に曲がる
鉱山では何の道具も与えれず素手で土を掘ることを強要され
手の爪がすべて無くなる
看守による政治犯への暴力、虐待は日常茶飯事となっている
むしろ政治犯に残酷に振舞わないと、看守自身が忠誠を疑われ密告される
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>297 「個人的な体験」は私小説ではないと僕はおもいますね。
私小説の定義自体、大江氏は確かなものを持っているようですが、
「個人的な体験」は現実に引き較べてフィクショナルな物語だと
大江自身が語っているのを読みました。小説は現実のモデルとして
ある、というのが一つのたどり着いた文句だそうです。
これは僕のそれこそ個人的な意見ですが、「個人的な体験」という題名の『個人的』という
言葉がもつ大江氏によって込められた意味合いは、私小説が小説として何を達成して
いるかという事とそれへの大江氏の定義も念頭にあっての、小説としての社会的な価値付け
をひとつの観点にした仕掛けのあるものだと思います。個人的にして社会的、裏返すことが
いつのまにか二つの違いに多重の意味を与えていきますよね。
amazon.comでKenzaburo Oeを検索して読者書評を読んでたら、なんかヒステリックに攻撃してる人が一人いてちょいと面白かった。
大江は「戦後民主主義者」を自認する旧左翼である。
しかも文革や北朝鮮を礼賛し、弾圧・大虐殺を賞賛する「戦後民主主義者」である。
岩波や朝日といった一流紙と見なされていたマスコミでしか書かず、
週刊朝日編集長の解任に見られるように、
自分に対する批判は圧力で押し潰す権威主義者でもある。
彼は、『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの反米的な仕事を
しながら長期間米国に滞在するといった偽善者ぶりを発揮している。
>>308 ABCD包囲網はおんなじコピペをもっとたくさん貼ってたように記憶して
いるけれど、消されちゃったのかな。対象になっている本を読んでないことは
明らかなので消されるのも当然だろうが。お義理にでも内容に触れておけば
消されずにすむんだろうけど、そんな知恵も働かないのか。
The Silent Cryの読者評で、自分の母親の自殺に触れているオーストラリア
人のやつ、あれはちょっと感動した。
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった。
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
313 :
吾輩は名無しである:03/08/27 18:02
「燃え上がる緑の木」。最初読んでたとき、作者の言いたいことは
わかるけれど、どうもなぁとおもってた。
だいたい、サッチャンみたいな女どこにいるんだ、とか。
でも、それは自分の偏見にあったようだ。
実際にこういう女いるし、身のこなしをする、または潜在的にもっている
女はいる。サッチャンの正直さはフェミニズム的でもある。
また、サッチャンの語りに大江の希望があるし、サッチャン女としての態度、
観察眼、もろもろにも希望があるんだろうな。
あくまでも、小説の中での話しだけれど。
そのサッチャンはただの女ではなく、男でもあるというのだから
話しはさらに複雑。
314 :
吾輩は名無しである:03/08/28 10:33
サッチャンの女としての、ね(訂正
315 :
☆コギャルとHな出会い■:03/08/28 10:34
出会いカリスマ、即アポ、即出会い
○▲!”恋愛フレンズ〜”””””!
女性返信率も何処にも負けない
わりきり〜メル友・他色々
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、
嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
317 :
吾輩は名無しである:03/08/28 23:48
大江について話さない?w
ここは文学板、政治板と間違えている厨がいるような・・・<316
大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、「戦後民主主義者」の巨頭である。
彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、
文化勲章は辞退した。外国の王室が
くれるものはもらうが、日本の皇室が授与するものは辞退する。典型的な日本
蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。
また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落
とされたのは日本人の責任であると主張してもいる。
そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。
彼の特徴は、日本国内においてはあいまいな言葉を使ってソフトに日本を
非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を罵ることである。
フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わないものである。
彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に罵る
大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。
中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。
中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・
旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。そんな中国を非難する言葉
などひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。
また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われて
いる裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。
他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。
いったい、恥知らずとは誰のことか?
こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマ
が痛くなってくる。
320 :
吾輩は名無しである:03/09/14 14:00
今夜23:10からNHKアーカイブス「響きあう父と子・大江健三郎と息子光の30年」
障害を越え音楽に目覚める子・ヒロシマとの出会い。
321 :
吾輩は名無しである:03/09/14 17:53
死ななければならなくなってしまった。
作家の大江健三郎氏がフランスのレジオン・ドヌール勲章を受けて、喜びの弁を語っているのを奇異に感じた。
大江氏は、文化勲章を「受けない」と断ったから、勲章そのものを認めないのかと思ったら、
外国の勲章は別だったらしい。
しかし、同じ人間が日本の勲章はダメで、外国のものならよい、というのは常識的には納得しにくい。
慣例では、ノーベル賞を受けた人には文化勲章が贈られる。中間子理論の湯川秀樹博士は、戦前、若くして文化勲章を受け、戦後のノーベル賞を待った。
逆に、ノーベル賞が先きになった福井謙一博士は、あとから文化勲章を受けた。
大江氏は、ノーベル賞のあとの文化勲章を断わった。賞は受けるが勲章は受けない主義かとみられたが、そうではなかった。日本の勲章だからいらない、というのでは、日本国に不満があるように思える。
しかし、ノーベル文学賞は、その国の言葉で発表されたその国の文学(者)にあたえられる。それゆえ、大江氏の賞は、日本人だからあたえられたのである。何か感ちがいをしているのではなかろうか。
朝日新聞の報道によると、東京のフランス大使館で行われた勲章授与式で、大江
氏は「ちょうどニ百年前に創設された勲章をお受けすることは、幸運な予兆で心から励まされます」(5月29日・大阪夕刊)と歯の浮くようなことを言っている。
夏目漱石は、人間に等級をつけることを嫌って、博士号も勲章もいらないと言った。大江氏のご都合主義とは大分ちがう。大江氏は、国家の権威と権力の象徴である勲章に対して反発しているのかもしれないが、
その勲章に二重規準を持っているとすれば、大江氏の国家観もあいまいなものといわざるをえない。
大江氏に勲章をくれたシラク仏大統領は、サッカー・フランス大会で、フランスからの分離独立を唱えるコルシカのチームのサポーターが、国歌ラ・マルセイエーズにブーイングしたのに激怒して席をけった。
これは、国家を代表する公務員としての当然の行動だった。ほぼ同じころ、国家の誇りが傷ついた瀋陽の日本総領事館の亡命者連行事件に対して、日本の小泉首相は、いまだにあいまいな事なかれを通している。
国家というものについての意識が低いことについては、大江氏だけを責められないかもしれない。
残念なことである。
324 :
吾輩は名無しである:03/09/14 23:58
僕は前代未聞?
「二百年の子供」、なにか未来少年コナンみたいですね。
僕が死んだら全て終わるのだろうか。喜ばれるのだろうか。
325 :
吾輩は名無しである:03/09/15 08:10
死ななければならなくなってしまった。
なんで、こんなことしたのだろうか。
今は、全体どうなっているのでしょうか。
首を吊れば、腐るのははやいのだろうか。
今、人の僕に対しての認識はどうなっているのでしょうか。
あなたの、立場もわかります。
だから、いくらでもあなたに合わせる余地がありました。
僕は今どのような評価になってるのでしょうか。
僕のことは、僕に聞いてください。
僕に弁明をさせてください。弁明などというと、なにかいじわるな
人と人との壁を感じます。一生乗り越えることができない壁を感じます。
僕は死ななければならなくなってしまいました。
マスゴミなどに、僕の身体をさらしたくはありません。
僕はこのような掲示板にこのような文章が残ってしまうことの
怖さをあまり感じていないのかもしれません。みんなみてしまうのですよね。
マスコミも。。。。僕のことを笑わないでください。
一生乗り越えることのできない、壁を感じます。
図式的な少女趣味
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春樹ぐらいだろう。
川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。
著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦すると自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。
いずれにせよ、佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならない。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、
後年の作品でも『雨の木』の連作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。
しかし本書のように「同時代」への意識が過剰な作品は、読むに耐えない。
学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがなく、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。
30歳のときに書かれた『万延元年』が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
特に本書が著者の最低の駄作とされる原因は、当時、著者が傾倒していた山口昌男氏の「道化」論を小説に丸ごと取り入れたことである。
登場人物にそれぞれ文化人類学的な位置づけが与えられ、「祝祭」とか「異化」とかいう言葉が小説に出てくるのは、鼻白むのを通り越して腹が立ってくる。
最良の作品というのは、山口的な図式を乗り越えるところに意味があるのに、作家自身がその図式で書いていたのでは、話にならない。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。
最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
大江は素晴らしいひとだよ。なかなかのひとだよ。
爪の垢でも煎じて、飲んみなければならなひとだよ。
僕はもうきません。
僕を僕に返してください。いったい生きるとはなんでしょうか。
人間とはなんでしょうか。
マスコミは許せない。マスコミは恐ろしい。マスコミが憎い
僕が女の人について話すと、どうも疑いの目でみられて
しまうようだ。ただ、本で読んだりしただけなんだけどね。
あはははははは。
328 :
吾輩は名無しである:03/09/15 10:56
大江はチョソ
本当ふざけてるなぁ。僕はなにに、苦悩してるか知ってますか。
まぁ、あなたの好きなようにしてください。「憂い顔の童子」的な
イメージを宣伝してみてください。それもまた、少しおもしろかった。
その発想に、僕にはないものがあった。それもまた、僕は学びたいと
おもった。
僕には、自分の好きなことだけやるということが、できないようだ。
二面性ねぇ。。。。なにもしらないくせに。許せない。
331 :
吾輩は名無しである:03/09/16 00:09
「憂い顔の童子」って、どうよ。
332 :
吾輩は名無しである:03/09/16 00:16
こうなってくると、子供のだだっこだね。あなたたちには
そのように見えるのだろうか。
どんなにぶんなぐっても許せない。マスゴミ。。。。
よくもまぁ、ここまで自殺せずに生きてきたもんだよ。
不利になったら、自分は世間知らずでしたという、批判があるようだ。
あのね。。。どうして、私が書きこみをしたかわかりますか。
私がなにに、苦しんでいるか、わかりますか。
人間になってください、か。。。。私が子供のころから苦しんできたのは
どうも、あなたたちの政策が関与してるのではないかと、私は
おもっていますよ。
>嫌味とか文句しか言わない人というのも何だかなって感じですがね。
>その女々しいレスは男らしいといえるのだろうかね?
>単に難癖つけたいだけだろう。
>個人を最も尊重するって考え方自体がおかしいよ。
>もっと考え直したら?
>何様?偉そうな人だね。
ふざけるな。
336 :
吾輩は名無しである:03/09/16 02:18
あなたの間違いを今度はだれが指摘してくれるのでしょうか。
ところで、あなたの頭のなかにる「僕」と
僕自身の「僕」と、どちらが、本当の「僕」ですか。
そして、何故そのようなことをしたのですか。
正したいから?正義のため?ってことは、「僕」は関係ないのですよね。
ところで、今日はみんな寝たようですね。それもまた、あなたたちの
行動パターンですよね。
あなたから、学んだことも多いけれど
僕を僕に返してください。
339 :
吾輩は名無しである:03/09/16 11:10
私の一番のお勧めは、「新しい人よ目覚めよ」です。私はこの小説がとても好きで、
20代の頃から繰り返し読んでいます。最近では通して読まなくても、寝る前に、
今日はあの場面が読みたいなと思って読んだり、ぱっと開いたページを読んだり
という読み方もしますが、どのページからも引きずり込まれてしまう魅力に満ち溢れています。
私が今まで読んできた様々な本の中でも、五指に入ります。先日放送されたNHKの
「響きあう父と子・大江健三郎と息子光の30年」をご覧になったとの事ですから、
大江ファミリーの雰囲気や登場人物など、よりリアルに感じ取りながら読めると思いますよ。
宝石箱のような小説です。
340 :
吾輩は名無しである:03/09/16 13:06
僕の頭の中は真白になってしまった。
>>339 少しおせいじでも、言っとくか?
大江の小説は、なんかじわじわ底の方からわいてくる勇気みたいのを
一行読むたびに沸いてきますね。それは、大江が真面目に
自分の体のなかだけで熟成させてきた、まっすぐなものを文面に
すりこませてるからでしょうか。大江の見方、生き方がそこに反映している
からでしょうかね。世の中はつらいことばかりだけれど、そのように芯を通す
ということは、なかなか出来るものじゃない。まぁ、そもそも
文章書くのが好きだし、得意なんだな。そもそも、伊丹をおもしろがせようと
して小説を書き始めようとしたっていうし。
>>339 大江の最高傑作は何かと問われればやはり『万延元年』だし、初めての人
に薦めるのなら『芽むしり』だけども、個人的に好きなのは僕も
『新しい人よ眼ざめよ』だな。イーヨーが足を媒介にして父親と和解しようと
する場面や、伊豆の台風の中で父親に「恐くありませんよ」と語るところとか、
何度読んでも感動してしまうし、父親をしかりつける谷間の村の警察署長や、
宇波・稲田の二人組には何度読んでも本気で腹が立つ。イーヨーが弟の
おもちゃの電車を占拠する場面や、割り箸の表装に眼を走らせる母親、
イーヨーの腎臓についての弟の発言を父親が誤解するところとか、細かい
場面で印象深いのがたくさんある。
342 :
吾輩は名無しである:03/09/16 17:34
大江の最も優れた作品は初期の短編群&「芽むしり仔撃ち」
童子はもうちょっと凝縮してくれればなお良かったな
てかいいかげんこのコピペキチガイはアク禁されとけ
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/1503125oe.html 大江健三郎 週刊朝日の作品酷評に怒る
ノーベル文学賞作家として名高い大江健三郎(写真右)をネゴシ
エーターと呼ぶ。その本領を発揮するような"事件"があった。
「週刊朝日」が連載していた匿名書評家によるコラムで大江の
最新作がこき下ろされたのが事の発端。
朝日賞の選考委員で、「週刊朝日」に連載予定のあった大江から
編集部に早速クレームが入った。問題のコラムは連載中止となり、
編集長は解任された。
大袈裟とも思える「週刊朝日」の反応には訳があった。ライバル
紙・読売が大江の新聞連載小説をモノにしたという情報を察知して
いたからだ。
天下の朝日、読売を手玉に取った大江。流石はノーベル賞作家だ
と業界人をうならせている。
345 :
吾輩は名無しである:03/09/16 22:43
頭の中が真白になってしまった。
首の後ろが痛い。首の後ろが痛い時は必ずなにか間違っているのです。
今日、名古屋で事件があって、なにか同情的なことを書いたけど、
それは間違いかな。やれやれだね。
>>339 は、良識的なレスですね。それに見合ったレスを書きたいが、今大江小説が
手元にありません。
僕はもう死ななければならなくなった。。。絶対に許せない。
346 :
吾輩は名無しである:03/09/17 02:01
自己責任・・・結局こういことになるから、あのようにしたのです。
最初っからわかっていたから、あのようにしたのです。
自己責任・・・古くて新しい、とりあえずの、今私を追いこむための
究極の常套句にしようとしてるのでしょうか。
ならば、最初っから関わらなかった。
347 :
吾輩は名無しである:03/09/17 02:06
なにか、あなたは、私の弱みを握っていて、そこを追求したいらしいね。
身近にあなたの話しを聞いてくれるひとを見つけなさい。
コミュニケーション能力ですか。
>特殊人物は相手にしない。
>プライベートでは
>ちゃんとした人物とだけつきあいましょう。
↑
これ、あなたですね。
最初っから、こうなることはわかっていた。
あ、僕が、難しいスレタイだと読む気しないんだよねといったら
また、これもネタになりましたか。
なんで、僕が難しいスレタイだと読むのいやなのかわかりますか?
教えれないよ、ここでは。
もちろん、文部省がそんなこと知ってたわけではなく
それを読むアナウンサーの心に、それが見えたってだけだけど。
もう疲れたよ。まるでこれまでの僕の人生のようだ。
マスコミって、バカですか。
あなた、いったいどうするの?
マスコミに届く言葉って限定されてるよね。
もう、本当に疲れた。マスコミはトラブルメーカーですか。
もう、本当つかれた。
笑いとは、なんだとおもいますか。
私をどうしようというのですか。マスコミはぶん殴ってもどうしても
許せない。
358 :
吾輩は名無しである:03/09/17 06:41
僕は、わかってても、罠にわざと、はまっちゃうんだなぁ。
その、さびしさがわかりますか。
人恋しいからじゃないですよ。この世の空間そのものに絶望してるのですよ。
あーあ、言っちゃった。これも、ネタにするのですか。
話せば話すほど、私は自分の首をしめてるようだ。
ようは、あなたたちの頭のなかの問題なんです。
あなたたちが、満足すれば、ああ、満足だし、不満足といえば、不満足になるし
へへん。
人を不安にさせるということは、つまらないことだ。
空間そのものに絶望してるだってさ。
こういうことをしたあとの、人間の行動ってどんなものだか知ってますか?
あのNHKの男のお天気キャスター、サヨですか。
それとも、なにか霊感みたいなものもってるのかな。
女性にもててそうだよね。
マスコミの人間の顔みてると、ああ、この人達はこういうひとだから、云々と
おもってしまって、疲れますね。ああすれば、こうなる、こうすれば
ああなると。。。
あなたの立場を保持するためだろうとおもうけれど、なんで全てでは
ないだろうけれど、つつぬけにしてしまうのですか。
今日の発言は間違っていました。
僕を僕に返してください。もう、おちます。
なんか、やさしそうな、明るい顔をしているな、NHKのキャスター
二人・・・気味悪いよ。
なんか、ありましたね?僕のエロ発言があなたの脳のシナプス
になにか、影響をあたえましたかね。
それとも、僕のピンチが伝わってしまいましたか。
エロ発言・・・そりゃ、言葉を知ってれば、そのぐらいのこと
できますよ。
頭が真白になってしまった、ごめんなさいね。
そしらぬふりをしてれば、よかったのでしょうか。
こんなところに、かきこまなければよかった。
むかつくんだよ、そんなにニコニコされちゃ。
だって、そのニコニコは、間違いのはじまりなのだから。
90年代がどんなものだったか、思い出してくださいよ。
もう全然証明され済みじゃないですか。
どんなことになっていくのか・・・・
まぁ、僕が悪いんだろうけどね。悪いも正しいも、生まれた時から
あなたたちの手のひらの上で生きてるのだから、わからないけどね。
あなたが、悪いと言えば悪いのだろうし、良いと言えば良いのだと
おもうし。でも、それでも、やはり、僕が悪いのだとおもいますよ。
それが、教育によってすりこまれたものなのかもしれないけど。
だって、僕は苦しんでるのですからね。なんで、苦しいのだろう。
神様へ、僕の両親はいじめないでください。
あああああああああああああああああああ
僕に服従してください。僕に逆らわないでください。僕に危害を加えないでください。
僕は、だれですか。確かにこの世には、神様がいるようです。
マスコミの人間がなにか余裕のようなものをみせてるとしたら
僕が基地外だとおもって、心理的安心を、優位性を得たからでしょう。
だから、人は神様などというと、不審顔をするのです。
僕は、常軌を逸してないですよ。
大江さんは、「ザ・ワイド」みたいな番組をどうおもってられるので、しょうか。
サットだか、ワットだか、ゴレンジャーだか、まるでゲームのように
警察の特殊部隊を自分のもののように話すコメンテーター。
もう僕はここへこないかもしれません。
なにか、やっぱり、まずいことをしてしまったのかな。
また、へんなことを、話してしまった。
本当に、ごめんなさい、もう、これでおしまいです。
すみませんでした、公的な掲示板を使って日記みたいのを書いてしまいました。
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
もういいかげんにしろよ?
昨日、アメリカフェミニズムのポルノの話しをしたら、今度はフェミオだってさ。
えーっと後はなんだっけな。要するに種の保存とかそんなことを考えてるのでしょ?
やれやれ、だね。。。。あなたがまず、先に死んでくださいよ。そんな批判にも
しっかりと手をうってるのだからなぁ。。。w
376 :
吾輩は名無しである:03/09/18 16:09
頭の中が真白になってしまった。
少し話しすぎました。2ちゃんねるで遊びすぎて、また少し人格が変わってしまった
かもしれません。
いろいろと診断してもらおうと、あけすけに話したつもりだけど
結局、冷たく?分析されるだけのようです。
こんなことでは、すぐにでも自殺しなければなりません。
頭の中が真白になってしまいました。
このような、人格になってしまえば、自殺しなければならないように
なってしまいます。
僕の生きていける場所はあるのでしょうか。
このあいだまで、みつかったとおもっていたのに。
378 :
吾輩は名無しである:03/09/18 20:17
∧_∧ まあまあ、
>>377 さん、お茶でも飲んで
( ・∀・) マターリしませう。
( つ日c
と__)__)
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか?
なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか?
なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを
周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。
かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いを
する人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。
すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、
周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。
さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって
自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。
大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。
日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人み
たいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。
優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。
朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんて
できません。つまり偽善者なのです。
さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族
の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示
したいのです。周囲からそのように見られたいのです。
それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が
人格者だと思われたいのです。
その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であると
いう優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。
昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。
共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していた
その種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、
相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動
をしています。その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。
(注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、
大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。
なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分を
まるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的
クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。
その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。
戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろに
してきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。
占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に
刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。
さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。
長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争し
ないように」という感想文を新聞に投書するのですから。
このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」
というふうにマインドコントロールされている間は、
戦勝国は皆安泰なのです。二度と日本人が刃向かう
恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。
上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れた
ロシアにとっても好都合の政策でした。だから、戦後一貫して、
朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、
絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに
乗って国民に植え付けられたのです。
381 :
吾輩は名無しである:03/09/19 05:57
私はだれですか?あなたは正しいよ。
いろいろと消したい書きこみあるけど
僕を僕に返してほしい。
383 :
吾輩は名無しである:03/09/28 02:08
あたまのなか、まっしろになってしまった。
大江のなかでの日本文学の影響がよくわかるようなエッセイとかなんかあります?
セリーヌとかダンテとかもいいけど、
結構明治の日本文学を読んでるという話しを聞くし、
あとそれ以前の日本の古典についてもどう思ってるのか知りたい。
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
387 :
吾輩は名無しである:03/09/28 10:25
田原総一郎が
日本で最も純情な青年と言っていた。
金曜日の朝生でも山本一太氏に対してなにか言ってたな。忘れてしまった。
昨日、フェミ・・・それは動物研究と変わらないと言ったけど
必ずしもそのようにおもってはいませんよ。僕を殺す気なのだろうか。
フェミには希望をもってたし、今でももっています。
敵は泳がせておくにかぎると言ったけど
また、冷たく情報分析だろうか。
敵は泳がせておくにかぎる・・・か・・・
憂鬱でしかたがない。
神様助けてください。致命傷といったけど、それは私のことでは
ありません。あーめん。
389 :
吾輩は名無しである:03/09/28 10:52
>>384 大江さんが、正宗白鳥について書いてる文章があったけど
正宗白鳥、すごい人なんですね。
漱石との、2台巨頭なのだそうですね。小林秀雄が常に気にしている
作家を、漱石と正宗白鳥なのだそう。
大江が紹介する作家は、必ずどこかに、上等な人間性をもってる
人ばかりかな。
太宰がいかに、不良少年だったか、よくわかる?かなw
なにか、大切なことを言おうとしたのだけど、忘れちゃった。
なにを、言おうとしてたんだっけなぁ。。。。
それとは、関係ないけど、どうして女って男が感じる縦の軸とを
同じようには感じる事ができないの?
そこが、女の可能性?であり、女の傍若無人というか、危険性でも
ありゅ。
また、当分発言しません。
また、冷たく情報分析か。。。。
愚痴を言っても仕方ありませんがね。というと、ここは使えると
おもうのだろうか。愚痴をいっても仕方がないと言ってくるのだろうか。
こういうと。。。さてつぎは。。。。
女って、なんでバカなの?男って、なんでバカなの?
僕が間違ってましたよ。
人を不安にさせるということは無意味なことだ。
浅田彰
それにしても、そういうとき大江健三郎が出版社なら
出版社のトップに苦情を持ち込むのはよくな
いね。本人は世界から迫害されてるマイノリティのつもりらしいんだけど、
実際は押しも押されもせぬ大作家なん
だから、そんな人がトップに苦情を言ったら下の人間がどうなるかぐらい
想像できそうなものなのに。『週刊朝日』で大江の連載が始まった、
その少し前に「虫」っていう匿名書評子が大江の『憂い顔の童子』
の批判を書いたら、直後にその書評欄の連載が打ち切られ、
編集長も交替した、あれも変な話だよね。僕は『取り替え子』と
『憂い顔の童子』は最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど、
もし本当に大江の圧力があったとしたら
許しがたいと思うよ。
396 :
吾輩は名無しである:03/09/29 12:40
あたまのなかが、まっしろになってしまった。。。。。
あたまのなかが、まっしろになってしまった。
僕が間違っていましたよ。
こんなとこに、書きこまなければよかった。
天声人語から
「理念を掲げて戦う者はやっかいだ」という作家フアン・ゴイティソーロさんは
「天に根ざす者は、地に平和をもたらさない」とスペインの詩人の言葉を引く。
数学者森毅さん。「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる。
……みんなが毎日ハイになることないやんか。元気がない人もいてええんや」
だってさ。
エドワード・サイード、亡くなったそうですね。
あ、そうだ、エドワード・サイードのことを書くと
いけないことが起こると占いにでてたんだ。
そんなことになりませんように!絶対になりません。
400 :
吾輩は名無しである:03/09/29 18:12
このあいだの、「朝生」で、田原総一郎が山本一太に、外交について
他の人ちゃんとやってくれてるのに、あなたたちが勝手な事ばかり言うと
言ってたけど、これはわざと言ってるのか、それとも田原総一郎の頭のなかを
ずっとかすめているセリフだったのか。
僕を紹介するに際して、やっぱり、僕の危険性を紹介したのですか?
大江に対して感じるのは嫌悪である。それは自分の事を
「戦後民主主義者」だとヌケヌケと語り(そしてそれは全くその通りなのだ
が)、酒鬼薔薇事件の時に「なぜ人を殺してはいけないのか」と言った
子供に対して、誇りのある子供はそのような質問は恥じて口にしない
ものだ、と答えたりする正に「戦後民主主義者」そのものの偽善者ぶ
り、文革礼賛・北朝鮮礼賛と『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの
反米的な仕事にうかがわれる旧左翼ぶり、岩波や朝日といった一流
紙でしか書かず、自分に対する批判は圧力で押し潰すといった権威
主義者ぶりなどが、とにかく嫌だったのだ。この間のノーベル賞受賞
にしたって、そのためにスウェーデン大使館に通ったりと様々な政治
工作をしていたのは周知の事実だったし、大体その直前に文化勲章
を辞退するというパフォーマンスもなんか嫌らしくて不快だった。天皇
制はダメでスウェーデンの王制ならいいのか? 大体その昔サルトル
のノーベル賞辞退に喝采していたではないか。
403 :
吾輩は名無しである:03/09/29 22:23
まあ聞いちゃいねえだろうがコピ平よ
旧左翼のトップに当時
「革命後は真っ先に粛正すべき文学者」
と名指しされていたのは大江その人だぞ
ちなみに「戦後の真の左翼は石原慎太郎」
とも言っていた
時代も変われば変わるもんだ
大江は一貫して政治に対して一人の人間の
日常感覚として提言する姿勢を保ってきた
それが時代性の流れでいろいろな立場に
あてはめられてきただけのこと
文学板では大江のような視点でのみ
政治については語られるべきだとおもわんか?
いかにそれがDQNな意見になっても
それゆえに文学はおもしろい。
あたまがまっしろになってしまった。
身体が寒い。。
僕はねぇ。。。子供のころから衝動的に動いた事などないですよ。
ここに書いてる僕は僕ではありません。
つかれるなぁ。。。。今NHKをみてるけれど、ニュース10の男のキャスター
とぼけた顔をするよね。僕は子供のころからそういうのよくわからなかった
んだよな。なにか余裕があるのでしょうね。大人のおとぼけでしょうか。
おとぼけでもしなければ、犯罪でもおこしてしまいそうで、相手の鋭鋒を
さけるために、おとぼけてやりすごしているのでしょうか。
自分とはなんでしょうか。自分と他人とをしっかりと区別できてるのでしょうね。
でも、子供の私にはそのようなものは、論外だったのだけど、それがないと
生きていけないのですね。なんなのだろうね。人をバカにするとは。
人を見下すとは。僕は生物学的に人を見下した事はあるけど、意識下では
したことがないのだけどな。そんなところが、僕の首をしめたのだろうな。
>>404 あたまがいたい。
あたまがいたい。
あたまがいたい。
本当にふざけてますね。心理学では、相手をみたこともないのに診断するのは
ご法度なのですよ。
僕が間違っていました。
本当にふざけてるなぁ。。。。
>>404 は、間違い。
サイードは、アイデンティティーが無いことに、苦しんでたのですね。
でも、サイードはのびのびしてましたね。もしサイードが日本人だったら
どのようなサイードになってたのでしょうね。
僕は、問題児ということで、落ちつきましたか。
どうやら、緊張の糸が切れてしまったようだね。
そこに糸があると切ってしまいたくなる。
それは、僕が傍若無人だからではなく、それに疑いをもつからだ。
信頼できないからだ。そういうのはよくないとおもってきたけれど
やはり、それも私の中のひとつだからね。
一方で、その緊張の糸が、みんなどしどし切ってしまってるなかで
私がこれは大切だとおもうものは、大切に育てようとおもってきた
つもりだけどね。
もう、やめます。
つかれました。
僕が、間違っていました。
僕は、いかれてるんですか?
>>404 は、嘘。嘘というと、そこにあなたは飛びついてきますか。
何故嘘をついた?説明するのが面倒くさいから、嘘嘘と言っとくだけ。
それに、僕の発言を不利に使われたりするからね。
>>404 は、まぁ僕の善良性を僕の正当性のためにつかったかもしれないということ
かな。
でもね。なんでこのように追いこむかねぇ。このようになってこのようになって
一度もいいことなかったのだよ、わかってるのか?
また、善良性のために僕の正当性を使ったといったけど
それは、あなたたちの思考法ではそのような意地悪な発言をするのだろうと
子供のころに学んで、自分自身に使うようになっただけだよ。
それによって、私は自己愛というものを忘れてしまった。
もちろん生物学的な自己愛というものはありますがね。
僕がまちがっていましたよ。
自殺の言葉が思い出される。
あたまがいたくなってしまった。もう、疲れた。
以前から疲れた疲れたと言ってるけど、本当は疲れてなかった。
ただ、あなたたちに触れられるとそのように追いこまれるだろうという
危機感からそのように言ってただけ。未来を見越すのも私の性格だから。
そのように、あけすけなく言っただけ。本当に疲れた。
あーあ。。。。
僕が間違ってましたよ。
僕がへんなことばかりいうから、NHKの朝の女のキャスター
あわてふためいてるじゃないか。伏目がちじゃないか。
ぼくもあわてふためいてるよ。僕がいいかげんなことばかり言うからか?
いいかげん・・・いまいち、言葉が正確じゃない。
だから、「また同じことをやるのですかといったじゃないですか」
この状況は私の未来を意味しているのですよ。
だから、いやなんだよ。私は私の救いを求めただけです。
「ライ麦畑でつかまえて」を村上春樹さんは、「Catcher in the rye」?だっけ
にしてたけど、ライ麦畑でつかまえてじゃ、甘いとおもったのでしょうかね。
僕は、題名だけに、いいなとおもって読んでみようとおもったのだけど。
ライ麦畑でつかまえて。また、へんなことを書きましたよ。
僕の論理はどうしても女を排除してると、子供のころから気がついていたけれど
それがどういう意味だったのか、いま少しわかるような気がする?
それで、あの女のキャスターの方は、伏目がちに、まぶしそうにするのだろうな。
ま、それは正しいとおもうよ。だって、僕自身あわてふためいてるのだから。
なぜなら、彼女の反応が最初っから予想できてたし、そのために私は
いやなめにばかりあってきたと、実感があるから。
あーめん。
女を排除してるというよりも、人間としてちゃんと付き合ってないということが
見破られてるんだろうな。
昨日スーパーで、レジでちょっとしたトラブルがあって、僕は平謝りされたのだけど
最初のうちは、「いいですよ、いいですよ」といってたのだけど
その人は、深夜だけのアルバイトらしくて、まだ慣れてないらしいのだけど
謝られまくりだから、もう一度レジにならんだとき、さすがに目をそらしちゃった。
そうしたら、それにすぐ気がつく風だったね。
つまり、読まれちゃうのね。これは、なにを意味してるとおもいますか。
これはね、知ってるけど、教えてやれない。2ちゃんねるの為に私が不安定であったという
ことでもあるのだけどね。
読まれたってのは、違うけどね。つまり、僕が関係を絶ちたいとおもってると
おもわれたのかな。また、へんなことをかいたよ。動くなよ。
ああ、死にたい。
僕は、そんなに照れ症でも、ないよ。
そこには、複雑な心理がありました。僕の癖のようになってる心理がありました。
その癖こそが主題です。
言っとくけど、このレジの件も、僕が悪いんだよ。
悪いってこともないけど。。。。教えてやらない。
あなたの、これまでの、意地悪をおもえば、言えるわけがない。
ああ、あたまのなかが、真白になってしまった。
言っとくけど、このレジの件も、僕が悪いんだよ。
悪いってこともないけど。。。。教えてやらない。
あなたの、これまでの、意地悪をおもえば、言えるわけがない。
ああ、あたまのなかが、真白になってしまった。
まぁ、別に教えてやれないというより、僕のなかで決まってないから。
それは、僕の人生に深く関わってくるものだから。
決まっているけれど、言語化するのは、ちゅうちょする。
僕には芯が危ういために、無意味に昇っていってしまう?
いや、僕は僕の秘密に気がつきはじめているだけ。それを話したくないだけ。
でも、このように話しちゃったからすぐ忘れちゃうんだろうな。
でも忘れない。正義の人ってのも、困ったもんだねぇ。。。。
秘密に気がつき始めてる?安心するなよ。。。。
さっき、照れ隠しの好青年みたいに書いてるけど、けっだよ。ふざけんなよ。
どうして、僕が苦しんできてるのかわかっているのか。
>>422 は、今朝書きこめなかった部分。。。
「ザ・ワイド」で、不心得者だって、古臭い表現をしていました。
本当に、もうつかれた。
今朝もへんな電話がかかってきたな。でなかったら、「がちゃん」と切れてしまった。
どこかの会社の人間なのだろうな。
気持ちが不安定になってしまった。電話は関係ないことだれど。
なんで、草野仁って、あんな風な顔をするの?
有田は、素朴な感じをかもしだしている。
あーあ、やっぱり、こういうことになるんだ。
426 :
吾輩は名無しである:03/09/30 16:05
なんで、こういうことになるのだろうか。
僕のことは僕に聞いてください。
優しすぎる、だってさ。
あたまが、まっしろになってしまった。
>>413 を、どうしてマスコミに話してしまったかねぇ。ただ、みただけかもしれないけど
そうすれば、どういうことになるか、わからないのでしょうか。
笛吹のはりきりかた、その隣の男のポカンとした不審顔、みてくれよ。
昨日から今日にかけてやったことが、どういうことになるか、わかっているのですか。
429 :
吾輩は名無しである:03/09/30 17:42
久しぶりにきたら
えらいことになってるなオイΣ(゚д゚lll)
こいつ「おしゃれ事件」の有名キチガイ?
てーかコピ平こいつだったの!?(((;゚Д゚))
あたまのなかが、真白になってしまった。
どうするんだよ。
僕のなかの大切なものが、また昨日。。。。
もう、僕に関わらないでください。放っておいてください。
プラス1で、よく分析してる、長崎の事件の少年のイラスト。
あの腐った犬は、「バイオハザード」というゲームにでてくる
犬のキャラクターなんじゃないの?
女子地獄の訓練だってさ。男女板に反抗してのことかねぇ。。。。
バカだねぇ。。。。。
ふざけんなよ。
>>413 は、全部嘘です。
あたまが、真白になってしまった。
どうすんだよ。これまでの経緯からすると、またすっとんきょんな顔を
してるのだろうか。
また、このように、ぼろぼろになってしまって。
いや、ぼろぼろになる、予兆を感じるのだ。
人間にとって、なにが大切かわかっていますか。
生きることになにが大切かわかっていますか。
こんなに、ぼろぼろになってしまって。
あたまが、真白になってしまった。
私はねぇ、あなたたちに、好かれるために生きてるわけではない。
この意味がわかりますか?。
これも、先にはなした感覚で話してると言っとくけれど。
「クローズアップ現代」で、母と娘だってさ。
着目点はいいけれど、まぁ、母と娘って、描きやすいんだな。
描きやすいほう、楽な方と、進んでしまうのが現代。
やれやれだね。それは、いろんなところで、80年代後半から感じていたよ。
また、なにかが変わってしまった。
頭まっしろ君は、ちゃんとお薬飲まなきゃ。
でもいいか、どうせ人を殺しても不起訴だしな。
あたま、真白になってしまった。
あたまのなか、真白になってしまった。
私生活を度外視して、発言してしまった。
あんなの、書かなければよかった。
死んでしまうじゃないか。
神様ごめんなさい。助けてください。長江って神様に通じてるのだろうか。
なんで、私がこのような立場にいるとおもいますか。
僕がまちがっていました。
なにが、大切だったのか、忘れてしまった。
それを、忘れたらどういうことになるか、知ってますか。
あなたは、いま、斜めにまっすぐ、目も口も鼻も髪の毛も
よこにのけぞるように、斜めから見ていますね。
ロボットでもみるように、味でいえば、なにか金属を食べているような。
なにか間違いましたか。言葉足らずだった。。。。。
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノーベル賞授賞式の大江氏を描写した
「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
446 :
吾輩は名無しである:03/10/02 18:54
今、テレビをつけたら、早稲田のボートチームについてやっていましたね。
そしてら、笛吹さんの顔には、早稲田=スーパーフリー事件があるようでした。
これが「性」の怖さなんだな。。。。。
僕はね、間違いばかり書いてきたけれど、間違いはあなたに送ったもの。
僕がこのようにひどい状態にあるのだよというメッセージ。
正しさは、それそのままですよ。
僕は、あなたのせいで?夢遊病者のように生きなければならなくなった。
また、このような状態がきてしまった。
身体が寒い。でも、決して神様は見捨てません。夢遊病者だなんって
そんな風には絶対しません。夢遊病者など、本当の事にはなりません。
本当、ふざけてるなぁ。あたまが真白になってしまった。
製造業で、なにか異変がという、特集が「ニュース23」でやっている。
それは、男達の感覚からこの世界が離れてしまったからですよ。
あらたな問題ができれば、どしどしこれまで対処してきただろうけれど
そうもできなくなったってことですよ。ハハハハハ
草野さんほくそえんでますね。
草野さんが、辞めれば、この世の中よくなるようにおもいます。
>>440 と、男女板的発言をしてみるか?
さって、疲れた。あたまがいたい。
あーあ。。。あたまがいたい。。。。
>>449 で、書いたことは、80年代、子供のころ考えた事。
今、今は、話しが少し違ってきています。
あたまが、真白になってしまった。
これから、どういう事になるとおもいますか。
僕の手のうちに世界は、このあいだまであった。すべてを把握できていた。
そして、それらの事象に対処できる準備もできていた。
でも、できなくなってしまった。不安になってしまった。
「ザ・ワイド」をみていると、ああ、これからこういうことが起こるのだろうかと
番組自身でかもしだしている。
私を私に返してほしい。このあいだまでは、保険が利かない美容整形みたいな
ことをいってたけれど、今は保険が利く整形外科のように、せっぱつまってる?
美容整形っていうのも、僕自身の自虐的なところのため、他の人からみれば
整形外科的なものなのだとおもうけど。
>>453 ちなみに、上のネタは「朝まで生テレビ」がはじまって、それが流行ってた時
日本テレビで、それと同じような一回だけの番組をやったときにでてた
ネタですよ。他の人達がいろいろと議論する中で有名な整形外科医が言ってた
言葉。大島渚さんもでてたな。あなたは、うまいことを言うとか、その上で
反論しようとしてたけど。
少年犯罪を減らすには。。。まず、自転車窃盗を取り締まりましょう。
必ず、自転車窃盗を、非行少年はやってるんだな。小学生のころから
やってたりする。
犯罪の凶悪化っていうけれど、凶悪でなかった事件ってかつてあったのかな。
この国は、なにか、タガをはずしちゃったんだな。
犯罪の凶悪化と、言わずにはいられないのは、敵を明確にしたいという
おもいがあるんだろうな。
伊丹十三さんの映画にもあるけれど、あのヤクザたちのやってること
凶悪そのものじゃないですかw。
あーあ、つかれたよ。
少年を罰することが、将来的に国のお金をおもうと、罰することが安上がりか
更生に力を入れることが安上がりかというのを、アメリカで試算したひとが
いるけれど、その少年が刑務所で過ごすことを将来考えると
多少高くても、更生に力を入れるほうが安上がりと試算してたけれど
要するに、人間性なんだな。これは、大人にも言えることなんだけどな。
>>457 これを、僕の甘えととりますか。。。
いくらでも反論してあげるけど、頭がまっしろになってしまった。
なんか、根本が溶解しちゃった。
あなたたちは、無礼にも人の心にどしどしはいってきて
こちらが面食らってるのを勝ったと思って、平気なんだからな。
>>449 男達の感覚といったけれど、もはやその感覚とやらが、どんなものだったか
わからなくなってるんだもんな。
>>459 そんなもの、なかったってことでしょうかねぇ。
あたまのなかが、まっしろになってしまった。
ハハ、このへんのことだと、つっつく隙がみえたとして、つっついてくるかな。
マスコミってさ、いろいろな問題をだしてくるけど、解決しようとは
おもってないんだもんね。なんで、こういうことになるんだろうね。
だれかが、嘘をついてるのです。そのしわよせが、私達にやってくる。
でも、嘘をつかなければ、生きていけないですか。
疫病神?貧乏神?
なーにが、必見だよ。
けっ、やっぱり、僕がまちがってるのか。
やだねぇ。。。。
ところで、犯罪被害者って、外国では、どのような手厚い、なんというか
保守を受けてるの?
この国で、犯罪被害者の人権が守られてないというけれど、僕は子供のころ
太宰は今一番美しいのは犠牲者ですといってるように、犠牲者、被害者には
やさしい国だとおもってたんだけどなぁ。どうも、人と感じ方が違ったのだろうか。
違ったんだろうなぁ。。。。
まぁ、個人主義が徹底されるなら、そうなんだろうね。。。。
ただ、僕は80年代の個人主義ブームに、疑問をもってきたから
そのへんの感覚に乗り遅れたんだろうな。。。。いまだにこだわってるから。
乗り遅れたんじゃなくて、そのように主張するマスコミを軽薄に
感じたんだな。この人達は、その時代の気分で、ころころころころ
変わっていってしまうんだと、怒りをおぼえたんだな。
ああ、みていないのに、みているように思うというのを、タモリが
自己中と言っていますね。
あなたは、これらのレスをみて、指でなぞるように自己中という
批評をするんでしょうね。やれやれだね。影でこそこそやるなら、
正面切って大声で訴えるしかないじゃないか。
影で、こそこそ、か。。。。うーむ、難しいね。
影でこそこそやるから。。。。ならじゃなく、から。
ミュージックステーションの、女のアナウンサー
あゆが、なにか録画したビデオをほしいといったら、ならすぐに
ダビングして云々と、言ってたな。
あゆに優しすぎるよ。おまえ、あゆに優しすぎるよ。
あゆから、優しくして光線でもでてるのだろうか?男がそれに感染するなら
わかるけど、男も女もそれに感染してしまうのが、今だな。
2度もくりかえしちゃったw
まぁ、彼女の性格の一部なのだろう。彼女自身の中に同じような弱さが
あるのだろうけど。これが、俗フェミの正体?
なんなんだろうね、イライラさせられるな。
タモリをよく制止してるけど、そんなこと、わかってるっちゅうねん。たぶんw
なんか、イライラするな。
あたまが、まっしろになっちゃった。
この女のひとは、他のひととかわらず、反発力で生きてるんだな。
ま、これも全部子供のころにおもったことです。
見なおすために、はなしてしまっています。
まったく、ふざけやがって。。。。
あ、ちなみに、僕はあゆ、すきですよw
最初ちょっとわからなかったけど、ここ2年ぐらい前から、すきです。
いつも、遅れて好きになります。
っていうか、この前まで、おっくうでテレビとか、見てなかったので。。。。
っていうか、ニュース番組とかしか、みてなかった。あとは、気ままに。
そろそろ、また、連続投稿かな。
あーあ、477は、うそうそうそ。
477と、478、は却下。あーあ。
あたまが、まっしろになっちゃった。
どうしたら、いいんだろ。
昨日・・・昨日・・・昨日・・・
なんか、TBSへんな番組はじまりましたね。。。うっちゃんなんちゃんも、あまり
すきではなかったけど。。。。
すきと書いたら、なにがおこるのだろ。嫌いじゃないとしとくべきでしょうか。
あーあ、やっぱり動いたか?少しでも隙をみせると、そこにのしかかってくるな。
なんだ、この少女、結婚してたんじゃん。
「ニュース23」は、僕がこの少女を軽視するようなことをいうと
怒るんだろうな。いったい、だれがこの少女のことを、本気で心配してたん
だろうね。そんなことをやってるから、本当のところがわからなくなって
しまうんだよ。あーあ、僕がまちがってるのかなw、つかれた。
477をうそうそと書いたのは、あゆに僕の意見が届くのをさ、恐れるから。
なーんか、面倒くさくなりそうだったから。
ああ、面倒だからというのは、間違い。
ああ、別に届いてもいいけどね。。。。どうでもいいや、それは、その時。
あなたの、心次第で動くのだから?
それにしても、やっぱり、「ニュース23」って、へんだよね。
あーあ、またへんなことを書いちゃったかな。
この掲示板は消せないのかなw
だれかが、掲示板ではけんかしない、なぜなら、残るからと言ってたけど。
昔から、僕は作文がへただったよな。。。それは、活字ってものが残るからだと
おもう。で、考えすぎて、いやになっちゃったんだよねぇ。。。。
また、へんなことを、書いてしまいました。
あー、頭が、まっしろになってしまった。
頭のなかが、真白になってしまった。
>>485 って、彼女、幸せだったんだよね。
ヘンなこと書いてしまった。
あたまが、まっしろになってしまった。
なにか、疑問点におもったのなら、聞いてくださいねw
あーあ、なんなんだろうね。。。。
あーあ、アホらし。。。空白ができれば、埋めたくなるのが政治というやつか。
草野さんって、理数系なんだよね。
筑紫さんが、最後に気合をこめて、挨拶してたね。
やっぱり、これが、原因?
僕が、ろくでもないことを話してるから?
ほらみたことか、あの「憂い顔の童子」で言ってること、あたってるじゃないかw
ってことに、なるのですか?w
「憂い顔の童子」 今まで通りの文体で書いてくれれば、もう少しおもしろく
読めたんだけどなぁ。。。。
あーあ、ほめちゃったw、畜生。
あなた次第って書いたの間違いでしょうかね。
神様、お許しください、僕を、僕の家族を。
あなたたちの、底意、あなたの、底意は、どこにあるんでしょうね。
男女板で、あのようにするということは。。。。
やれやれだね。
やっぱり、あなたたちが、しかけたものだったのじゃないですか。
僕の家族をっていうところが、つっつきがいが、あるところなんだな。
あーあ・・・・
あたまのなかが、まっしろになってしまった。
だめだこの気違いオサーン手に終えないっす。
勝手にしろよ。
このチンケな板じゃあんたが最強。
引き籠もりの気違いオサーンにゃ勝てん・゚・(ノД`)・゚・
これは、あなたの発言ですか?
上等だよ。
あーあ、ぷっ
おい、いい加減、工作員送るのやめろよ。
やっと、言葉遣い学んだってことだろうけれど、あなたがやってることを
やったら、どうなるか、わかっているのか?
結局、あんたが、全部しかけてきたんじゃないか。
猪瀬直樹にしても、テリー伊東にしても
なんというかなぁ、なんなんだろ、なんかを、信じきっちゃってるんだなぁ。
なんで、上の二人は、酔っ払った話し方みたいにするんだろ。
陶酔してるのかな。酔っ払ったドスの効いた話し方みたいのが
この日本で生きる処世術みたいに、なってるのだろうな。
そして、案外そんな軽薄さを女たちも指示したりしている。
女たちにとって、軽薄だろうがなんだろうが、とりあえず安易に
安全ならそれでいいわけだから。
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
他人との距離の取り方がわからない?
どうして、そんなわかりきたことを、ほざくことができるんだろうか。
仮にね、僕がそんなことを言ったりしたり、かもしだしたりしてるとすれば
それは、意識してやってることですよ。
苦渋の決断で、まぁ、昔の事をいっているのですよ。
そういう、バカさかげんが、人を追いこんでるというのです。
まぁ、それが大切だから、言ってるとおもっているのだろうけれど。
でも、その大切さと、私の命と、どんな関係がある?
その、なんともいえず、のっぺらぼうな感じが、僕は子供のころから
大嫌いだったんだ。そんなことなら、苦しんでねぇよ。というのが、
私の子供のころの答えだったけどねぇ。
今はよわってるから、おとなしく聞いておりますが。
まぁ、これも、子供のころの思いで話ですがね。
永遠のどうドめぐりをやって、それが空振りにおわったら
あなたは、どのような対応をするのだろう。
他人との距離の取り方がわからない?それはね、僕は子供のころそんなふうに
一度もおもったことがなかったけど、他人からそのような話しを聞いて
無理やり俺の頭の中に押しこんだものだよ。
そもそも、僕の発言ではないのだ。
ま、いまはそんなものなのかとも、おもってるけどね。
それは、子供のころに聞いたはなしなのだ。
ま、いまは、そんなものなのかと、おもってるけどね。
そのひとたちが、どのような気持ちで、そんなようなことをほざいていたのか
ということも、わかるようなきもしますけどね。
他人との距離が、わからない?よくもそんなことを言えますね。
それは、僕が言ったネタじゃないですか。なに、使いまわししてるんだよ。
おまえは、僕と、闘ってるのか?レモンのエキスからレモンの香りがする
成分を取り出したりするけれど、それと同じように私の文章から
そのエキスと取り出したりしているということか?
いちから国語勉強しろときたもんだ。
なんで、こんなでたらめに書いたかわかりますか?
それは、神経症のためでしょ。しっかりかくと良くない事がおこるのじゃないかと
おもったりしてしまったり、することがあったからですよ、ぼけ。
自作自演なんって、してんじゃねぇよ。
それを、言われて、ごまかしてんじゃねぇよ。
おい!おい!おい!おい!
今度は占いですか。
今、2ちゃんねらーではない、ネットの知り合いが、馬の耳に念仏だってさ
これは、僕に言った言葉じゃないよ。これは、あなたがおもってることでしょうが。
僕の恋人はママとかいうの、上げたの、あなたの仲間ですか?
行き詰まると結局そういうとこに、いくのね。
僕になにか、話させて、うっぷんばらしをさせようとしてるの?
どうして、そういうカラクリを知ってしまってる人間にはそれは無意味だと
おもわないの?
おもって、くれないの?