157 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :
スレ立てから1年以上、1がいまだに完読出来ないのも仕方無い感もある。
自分も、岩波文庫、新潮文庫と2度挫折し、今回、集英社の全集で
3度目にして、やっと読破出来た。
まずは、軽い話題から。
エイハブ船長のモデルは、マッコウクジラに沈没させられた捕鯨船エセックス号
(ナンタケット島が母港)のポラード船長だと言われている。
(第45章宣誓供述書に、簡単にこの事件の経緯が述べられている)
難破・漂流の凄惨な顛末は、、「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」(集英社)に
詳しい。
メルヴィルは、エセックスの号の乗員であった一等航海士の手記を熟読、
彼の息子にインタビューしたりもしている。
また、「白鯨」執筆後のことであるが、ポラード本人とも会見している。
なんとモビー・ディックこと白鯨にもモデルがいる。
モカ・ディック(Mocha Dick)という白子の鯨がそれだ。
1810年頃、チリ海岸沖モカ島近辺で発見され、1859年に捕鯨されるまで、
数十年間、捕鯨船とバトルを繰り広げた海獣。
ただし、エセックス号を難破させたのは、モカ・ディックではない。
過去ログで、ジョン・ヒューストン監督、グレゴリ―・ペック主演の映画の話題も
出ているようだが、ロープにからまったままモビー・ディックの背上で息絶えた
エイハブの手が招くかのように左右に振られるシーンは忘れ難い。
原作には存在しないが、映像の効果が良く発揮されている印象的かつ不気味なシーンだ。
原作にある鯨に関する膨大な薀蓄は全てカットされ、洋上のシェイクスピア劇と
いった趣も最小限に抑えられているので、文学板住人には不満を感じる向きも多い
であろうが、ビデオ化されているので一見の価値はある作品である。
クラッシックな名作映画のコーナーがあるツタヤには在庫しているかと思う。
158 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :04/02/18 20:04
さて、「白鯨」のメーン・テーマは、
「モビー・ディックこと白鯨が何のメタファーなのか?」
これが読解出来れば、その把握は容易であると言えよう。
いくつかの解釈としては、
1 白鯨は「神」のメタファーであるという見解。
この見解によれば、エイハブは「神」に対する反逆者、すなわち「神」に
与えられし運命に逆らい鉄槌を受ける者、とういうことになる。
ゆえに、「神」のメタファーである白鯨(白=神聖にして犯すべからざるもの、
我々が白いパンティに畏敬の念を感じる心理を想起されたし)は、
不死の存在ということになる。
2 白鯨はエイハブを中心とした登場人物たちの自我が表象化したものである
という見解。
この見解によれば、エイハブたちは、自己の内面との戦いに破れた者たち
ということになる。そこには近代的な自我の崩壊を読み取ることが可能。
ナレーターにしてトリック・スター的な役割のイシュメルのみが生き残るのは、
唯一「自我」の存在に自覚的であったゆえである。
3 白鯨はセックスの対象としての女性のメタファーであるという見解。
作品中(第32章鯨学)において、あるいは過去ログでも話題に出たとおり、
マッコウクジラの英語名は、精液鯨(スパーム・ホエール)である。
こういった語呂の問題だけではなく、白鯨=セックスの対象としての女性と
理解した場合、当時としては、もっともマッチョな捕鯨船員という職業にあり、
男性性を象徴する存在であるエイハブたちは、女性という当時は虐げられた異性に
より復讐されたと読むことが出来る。
また、白鯨により齎されたエイハブたちの死を母胎回帰と見ることも可能。
戦いは母胎回帰のための無意識による自殺行為という解釈である。
イシュメルが生き残るのは、クイ―クェグとの関係性を見てもわかるとおり、
女性性を内面に持つゆえであろう。
精神的に境界領域に存する人物ゆえに、客観的なナレーターとしてふさわしい人物
なのである。