山本周五郎

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855吾輩は名無しである:2009/02/05(木) 08:50:42
赤ひげ診療譚はゲロ吐きそうになりながらも感動した。
856吾輩は名無しである:2009/02/12(木) 22:37:16
小説の効用・青べか日記
山本周五郎/著
「エッセイの類は、学者とか通人とかが披露するもの」――小説に全てを投入した山本周五郎にはエッセイの数が少なく、本書はその貴重な1冊である。数々の名作を生み出したものの見方・考え方を語り、
公表された唯一の日記『青べか日記』では、失職、貧困、病苦等々の苦難に耐えながら「絶対に挫けない」と記す。周五郎の素顔、人生・文学観が総覧できる。

2009年2月10日発売
定価:860円(税込み)
ISBN 978-4-334-78523-9
知恵の森文庫
857吾輩は名無しである:2009/02/15(日) 14:08:55
>>18
まだまだだな
858吾輩は名無しである:2009/02/21(土) 03:22:24
>>856
また出たんだ。
859吾輩は名無しである:2009/02/21(土) 07:24:13
そういや、奥さんが山本について書いた本てのもあるね、
ソフトカバーの小説全集と似た感じの装丁のやつ。
860吾輩は名無しである:2009/04/09(木) 03:06:03
お直という妻が出てくる短編知らね?
主人公がしばらく村を留守にしていて帰ってきたら
実家は村八分にあってて妻は実家の庄屋に帰ってしまってたっていう
話なんだが
861吾輩は名無しである:2009/04/19(日) 02:36:07
探偵小説全集読破した人います?
862吾輩は名無しである:2009/06/30(火) 06:02:45
山本周五郎先生
863吾輩は名無しである:2009/07/27(月) 01:14:14
おぉ、こんなスレが…過疎ってるけど

学生時代は新潮文庫のこの人の短編を読み漁ったもんだよ、懐かしいな
864吾輩は名無しである:2009/08/27(木) 11:00:17
ながい坂の主人公のガキにむかついたから読むのをやめた
再度読んでみたがまたムカついて読むのをやめた
865吾輩は名無しである:2009/08/29(土) 23:33:37
>860
すごく遅いけど、新潮文庫「菊月夜」に収録されている「蜆谷」
だと。(ちょうど菊月夜を買って読んだばかり)
866吾輩は名無しである:2009/10/05(月) 13:43:54
保守age
867吾輩は名無しである:2009/10/05(月) 17:57:49
富次郎は芝新網の生まれで、今年23歳になる。親は小さな下駄屋であったが、
彼が11の年に、日本橋槙町の近江屋という質屋へ奉公に出た。
彼は6人兄弟の次男で、末にはまだ7歳の弟がいた。3年前に父が死んだ後、
母と兄とで下駄屋を続け、あと3人の弟と妹は、それぞれ奉公に出ていた。
「私はあと1年お礼奉公をすれば、暖簾を分けてもらえるんです」と富次郎は
言った、「うちへ仕送りをしたので、店を持つほど金は貯まりませんでした、それ
でも主人が貸してくれるので、戸納質から始めるつもりだったし、おふくろや兄
は、それを頼みの綱のように待っているんです」
そこへ思わぬことが起こった。
同じ新網の裏長屋に、幼馴染の<おきわ>という娘がいた。父親は決まった職が
なく、酒好きの怠け者で、暮らしは母の賃仕事で立てていた。母親は<おふく>と
いい、身体はたくましく、はきはきした性分で、「子供が一人きりだというだけが
めっけものさ」などというほかは、愚痴らしいことも言わずに、よく稼いだ。
富次郎は少年のころから<おきわ>が好きであった。<おきわ>のほうでも好きだっ
たらしい、彼が薮入りで帰るたびに、付いてまわって離れず、「あたし富あんちゃ
んのお嫁になるのよ」などとよく言ったものであった。勿論それはごく小さい時分
の事であるが、育ってゆく彼女を見るにしたがって、富次郎もまた「おきわを嫁に
もらおう」と思うようになった。はっきり口に出していった事はないが、去年の暮れ
に帰ったとき、年期があけたことと、お礼奉公が済んだら、小さくとも店を出す事
ができると話した、そのときの様子で、富次郎の気持ちが分かっていた。
868吾輩は名無しである:2009/10/05(月) 18:00:49
そしてつい7日まえ、夕方になって、<おきわ>が近江屋へ彼を訪ねてきた。それ
までに3度ほど来たことがあるので、べつに気にもとめず、かかっていた用を片
付けてから、勝手口へいってみた。「すみません、ちょっと」と云って路地を出て
行った。ようすがいつもと違うので、富次郎もそこにあった下駄をつっかけて、あ
とを追った。―――どうしたんだ、何かあったのか。
富次郎が訊ねると、<おきわ>は前掛けで顔をおおって、泣き出した。しばらくは
何を聞いてもただ泣くばかりだったが、やがて。
―――あたし売られるのよ。
そう云ってひとしきり泣き続けた。
おきわの母親<おふく>は働づめで疲労が重なり、倒れた。半身不随で寝ていた
があっけなく死んだ。
母親が倒れてからも、父の亀吉の怠け癖は治らなかった。時たま僅かな銭を稼
いでは来るが、あとは<おきわ>に任せきりであった。その間の家賃や、医薬代、
米屋、酒屋などの借金が溜まって、<おふく>の葬式を出す事もできない始末に
なっていた。そして昨夜、亀吉は<おきわ>に身売りの相談をした。相談とは口先
の事で、すでに女衒と話がまとまり、内金として5両受け取っていた。
―――あたし明日、その人に連れてゆかれるんです、それでひとめ逢ってゆき
たいと思ったものですから……。
そう云って<おきわ>は微笑した。泣いたりしてごめんなさい、こんなこと話すつも
りではなかったのよ、ただひとめ逢っておきたかっただけよ、と<おきわ>がいっ
た。

869吾輩は名無しである:2009/10/05(月) 18:01:43
富次郎は逆上したようになり、<おきわ>の肩をつかんで、そんなことは駄目
だ、そんなことをさせるものか、金は幾らだ、とどなった。
―――私はおまえを嫁にもらうつもりでいた、だから、もうすぐ店が出せるという
ことも話したんだ、分からなかったのか。
―――わかってたわ、あたしうれしかったのよ。
<おきわ>はまた微笑した。うれしかったけれども、本当にそうなれるような気はし
なかった。それまでに何か悪い事が起こるだろう。きっと何か邪魔がはいって、
いっしょになることはできないだろう。そんな気がしていたのだ、と<おきわ>云っ
た。富次郎は彼女の肩をつかんでゆすぶり、金は幾らだと聞き続けた。
―――おまえに身売りなんかさせやしない、金は私が都合する、幾らあればい
いんだ。<おきわ>が父から聞いた額は12両だった。富次郎はよし、といった。
今夜というわけにもいかないが、明日の、遅くとも昼までには持っていく。必ず
持ってゆくから、それまで決して動くな、誰になんと言われても家から出ずにい
てくれ、と念を押した。




870吾輩は名無しである:2009/10/05(月) 18:50:24
富次郎は店に戻ると、そのことを主人に話した。
主人はものわかりのいい人で、店の者たちは勿論、同業者なかまでも徳人とい
われていた。しかし、富次郎の話を聞くと、首を振った。そんな たいまいな 金は
出せない、というのである。富次郎はとりのぼせていたから、12年も奉公してい
て預けた金もある、その金なら渡してもらえる筈だといった。
―――金ではない、お前の一生の事だ。
と主人は言った。質屋というものは、他の商売と違って僅かな利益で稼ぐもの
だ。そんな父親がついていれば、ここで12両渡してもそれだけでは済まない。
これから先も必ずせびりに来るだろう、そうなれば夫婦の仲だってうまくゆかなく
なる。世間には幾らでも例のあることだ、その娘のことは諦めるがいい、と主人は
云った。富次郎は返す言葉もなかった。主人の云うとおりである。妻が生きているうちは妻に稼がせ、妻が死ねば3日と経たないうちに娘を売ろうとする。そんな父親の付いた娘をもらって、家がおさまってゆく筈がない。確かのそのとおりで
あるが、それだからこそ<おきわ>が哀れだった。さきのことはともあれ、そんな父
親のために、<おきわ>は身を売られようとしている、今売られようとしている。
<おきわ>の一生がいま、めちゃくちゃになろうとしているのだ。
主人に預けた金は10両ある、店を出すときには、貯めただけの金高を、主人か
ら別に貸してくれることになっていた、もちろんそれは利を付けて返すのだが、
富次郎には20両近い金がある筈だ。富次郎は金を持ち出そうと決心をした。
だが主人も彼の気持ちを察したとみえて、翌日いっぱい、その隙を与えなかっ
た。富次郎は身を焼かれるような気持ちで時を過ごしたが、日がくれてからまも
なく、ほんの僅かな機会に帳場から金を取り出し、そのまま夢中で新網へ駆け
つけた。だが<おきわ>は、既にいなかった。

871吾輩は名無しである:2009/10/06(火) 04:28:14
男は、木場に勤めていた、紀の国屋という店の帳場をやっていた。
<おつじ>と所帯をもって5年、子供が3人生まれた。生活は楽ではなかったが、
<おつじ>はやりくりがうまく、平板ながら穏やかな暮らしが続いた。そのままでい
れば何事もなかったが、彼はふと、妻や子供たちにもう少しましな生活をさせて
やりたいと思い、材木の売買に手を出した。それがはじめから思惑はずれだっ
たし、帳場の金に20両ばかり穴をあけた。彼は紀の国屋に16年勤めていたの
だが、主人が息子の代に替わった後で、しめしがつかないからと暇を出された。
家じゅうの物を洗いざらい売り、知人から借り集めた10両ほどの金を入れたが、
若い主人は、不足の分もなるべく早く返してくれというだけだった。
一家は平野町の裏長屋へ移った。売れるものは残らず売ったあとで、親子5人
が、その古長屋の6帖に坐り、壁ひとえ隣りで赤児のなく声を聞いたとき、彼は
悔しさと絶望のため泣いた。
―――気を強く持ってよ、これからじゃないの。
妻の<おつじ>が明るい声で励ました。あたしは平気だ、貧乏には馴れている、
あなたといっしょになら、どんな貧乏だって平気だ。お互いにまだ若いし、幸い
みんな丈夫だから、やろうと思えばどんなことだってできる。気を強く持って、は
じめからやり直してみよう、と<おつじ>は繰り返した。

872吾輩は名無しである:2009/10/06(火) 04:30:15
女房の云う事を聞けばよかった、けれども彼は聞かなかった。どうしても自分の
しくじりを取り返して、まとまった金を掴んで世間を見返し、女房子供にいい暮ら
しをさせてやりたかった。どうにもじっとしていられなかった、彼は江戸を出て
行った。3年のあいだ辛抱してくれ、と彼は妻に頼んだ。金ができてもできなくて
も、3年経ったら帰って来る。苦しいだろうが、3年のあいだ辛抱してくれ、と頭を
下げて頼んだ。<おつじ>は初め反対した。親子、夫婦がいっしょならどんな苦労
でもする、お金もたくさん欲しくないし、いい暮らしをしたいとも思わない。どうか
思いとどまってくれ、と泣きながらくどいた。けれども、彼の決心が動かないと知
ると、こんどは思い切りよく承知して、それ程の決心ならやむを得ない、留守のこ
とは引き受けようし、3年と限ることはない、これでよしと思うまでやってみるがい
い、あとのことは決して心配いらないからといった。そして彼は木曾へいった。
木場で育ったし、大きく儲けるには木出しかないと思った。木曾から紀州へまわ
り、また木曾へ戻り、京、大阪と飛び歩いた、1年経ち、2年経ったが、元手なし
の仕事だから思うようにいかない、もう半年、もう半年と、手紙で延ばし延ばし、と
うとう5年経ってしまった。
今年がまる5年めで、偶然の機会から2百両ちかい金をにぎった。もうひと稼ぎと
思ったが、いちど妻子の顔を見るつもりで、江戸へ帰ってきた。上方のほうの払
いを済ましても、金は120両ばかりあった。それを妻に渡して、すぐ引き返すつ
もりだったが、平野町の長屋には妻も子もいなかった。

873吾輩は名無しである:2009/10/06(火) 04:31:09
<おつじ>は、おと年の暮れに、大川へ身投げして死んだ。暮らしひどかった、苦
しかったようだ。2番めの5歳になる娘が、はやり病で死んでから、すっかり気落
ちがして、暫くは正気をなくしたようになっていた、そして12月の末ちかい或る
晩、残った2人の子と一緒に大川に身を投げた。
金が何だ、100両や200両の金が何だ、彼は呻くように云った、女房や子供が
死んでしまって、100両や200両の金が何の役に立つ、金なんぞ何の役に立
つかってんだ。
彼は気が狂いそうになり、狂ったように酒浸りになった。彼は自分を呪い、その
金を呪った。その金が妻子を殺したようなものである、彼がいれば妻子は死には
しなかっただろう、彼は側にいなかった。何百里も離れた遠い土地にいた。生活
の苦しさ、幼い娘の死、それを妻はひとりで背負い、背負いきれなくなって死ん
だ。どんなに辛かっただろう、どんなに苦しく、悲しいおもいをしたことだろう。
そう考えると、彼は、いっそ自分も死んでくれようと幾たびか思った。
やがて、男は云った。
―――その金を使ってくれ、娘さんを請け出して、使い込んだ金をお店に返し
ても、少しは余るだろう、ほんの少しだろうが、もしもそれでまにあったら戸納質を始めるんだ。富次郎がなにか云おうとし、その男は首を振って「何も云うな」と
遮った。
「おれのことはおれが承知している、また上方へ行ってやり直すかもしれないし、
このままのたれ死にするかも知れない、どっちにしろ、富さんには縁のないこっ
た、しかしただ一つ、一つだけ断っておくことがある」そう云って男は富次郎を見た、
「――その人と夫婦になったら、はなれるんじゃあねえぞ、どんな事があって
も、いっしょに暮らすんだぜ」
富次郎は固くなって「ええ」と頷いた。

874吾輩は名無しである:2009/10/06(火) 08:45:41
何が楽しいんだ?
875>>870の続き:2009/10/17(土) 03:38:42
富次郎が新網へ駆けつけたときは、既に〈おきわ〉は女衒に売られた後だった。
家には親の亀吉と、知らない男が二人とで酒を飲んでいた。
富次郎は、おきわの売られた先を訊いた。女衒の宿も訊いたが、亀吉は何も知
らないの一点張りで、そのうちに男の一人が口をはさみ、「因縁をつけるなら、俺
が相手になろう」と云いだした。
富次郎は、とても駄目だと思い自分で探し回った。岡場所を次から次へと探し
回った。挙句の果て、富次郎は有り金を全部 巻き上げられた末、無銭飲食だと
言われ、女衒の用心棒に袋叩きにあってしまった。
そんな富次郎を見かねて拾ったのが、深川安楽亭という一善飯屋の極道だっ
た。命知らずで、極悪非道のならず者達は人殺しなど平気だった。
この物語の最初に、八丁堀の同心をいとも簡単に匕首で刺し殺している。
そんな悪党どもだが、富次郎の話を聞き、〈おきわ〉の身請けの金を稼ぐ為に、
命がけの儲け話に乗ってしまった。実はその儲け話というのは、八丁堀の罠
だった。結局 罠にはまって命を棒に振ってしまった。

この物語、山本周五郎原作深川安楽亭は映画「いのちぼうにふろう」で、映画化された。
876吾輩は名無しである:2009/10/17(土) 03:41:45
ネットで興味深い文章を発見した。

深川近くの中川の中洲、通称「島」と呼ばれるところに安楽亭という一杯飯屋が
ある。親父(中村翫右衛門)と娘のおみつ(栗原小巻)が経営するこの店は、抜
け荷を働く悪党達のアジトだった。ある日、一味の与兵衛(佐藤慶)が、町から飲
み逃げの若者を連れてきた。この若者(山本圭)は富次郎といい、将来を誓った
おきわ(酒井和歌子)が女郎に売られたため、身請け金を店から盗んでおきわ
を探したが見つけられず、金を使い果たしてしまったという。悪党たちは富次郎
を助けるため、気乗りのしなかった抜け荷の仕事を請け負うことにする。どうもこ
れは罠ではないか、と定七(仲代達矢)らは疑っていた。気の短い同心、岡島
(中谷一郎)は安楽亭に単身来た所を始末したが、慎重なもう一人の同心、金
子(神山繁)がまだ安楽亭を付け狙っているのだ。

しかし、無駄死にしたってかまわない。他人のために命を懸けることの喜びに目
覚めた男達は、「命棒に振ろう」と、月夜に抜け荷を決行した。果たして、この仕
事は金子の仕掛けたおとり捜査だった。抜け荷の実行犯たちは殺され、残った
者も一網打尽になったが、富次郎は謎の男(勝新太郎)からもらった50両でおき
わを身請けし、安楽亭前の地蔵の前で、自分を助けるため死んだ者たちに礼を言った。
それをおみつが陰から見ていた。(完)

877吾輩は名無しである:2009/10/17(土) 03:43:34
まず、非常に私をイラつかせ、不快な気分にさせる人物が、ひとり。 それはイノ
セントマンの富次郎。イノセントというのは度を超すと、きわめて迷惑なものであ
る。世の中の道理も知らず、自分がこうすればどうなるという先の予測もできず、
自分の行為が周囲にもたらす影響が全く想像できない。しかも自分がそのような
ハタ迷惑な存在であるという自覚や反省が微塵もなくて、周囲に対して、自分が
至らず申し訳ない、という謝罪の気持ちも、助けてくれてありがとう、という感謝の
気持ちも抱かない。ひたすら自分勝手な行動を繰り返す。こういう人間は直喩的
な表現をすると、バカでありコドモである。山本圭の演技はデフォルメしたイノセ
ンスぶりに、常にビクビク、オドオドした過剰なヘナチョコさが加わり、不快感が
急上昇。上映中、沸々とこみ上げてくる怒りを抑えるのに、私は身を捩って苦し
んだ。

私はこういうイノセントマンは、簀巻きにして川に捨てちまえとか、そういうことすら
思うわけなので、悪党連中がこの富次郎に同情して助けようとする、という展開
が、全く腑に落ちない。脚本もそこにストーリーの飛躍を感じるのか、いろいろ
フォローするがごときシーンも出てくるのだけれど、結果としては映画が長くなっ
て、ダレるだけムダだったと思う。単純に富次郎も悪党にしちゃえばいいのだ。
悪党の富次郎が一瞬だけ見せた純な表情、一言だけ語った女への思いが、他
の連中の胸を打った、というほうがよっぽど自然でスムーズだと思う。

878吾輩は名無しである:2009/10/17(土) 03:46:11
そういう要素もあって、悪者達がワイルドでニヒルな顔を見せる前半に較べて、
富次郎サポート部隊と化す中盤以降は、チープなセンチメンタリズムが先行し
て、どうもいただけない。変に「いい人」を強調するシナリオと演出が鼻につく。
雀の子を飼い始めたりする。翫右衛門の渋く重厚な演技も、栗原小巻のフォト
ジェニックな美貌も、仲代の熱演も、その魅力が半減してしまう。

それから勝新太郎の「小芝居」は、映画を壊している。酔っ払いを演じるシー
ン、訥々と己の身の上を語るシーンに個人的な「芸」は感じるが、それが映画の
中では浮いていて、ちっとも溶け込んでいない。最初から最後まで「異邦人」。
もっとうまく処理してほしいところだった。

モノクロの撮り方は手馴れていて上手いと思う。終盤の大量の御用提灯の映像
は、水上、陸上とも抜群に達者。美術や照明にはこんなに地力があるのに、い
かにも山本周五郎らしいウェットなヒューマニズムをそのまんま持ち込んでしまっ
た脚本と演出が、惜しまれる。世には「山本周五郎が嫌い」という人は意外に多
いのだが、その人たちの感覚を理解するために絶好の映画、とは言えるかもしれないなあ。

ソース
http://www.geocities.jp/mirror_django/toho/inochi.htm


879吾輩は名無しである:2009/10/17(土) 03:51:17

さて、ここでポイントを整理してみよう。
富次郎は、〈おきわ〉に夢中だった、なぜ夢中だったのか。
冷静に考えれば、近江屋の主人の忠告は正しい。忠告に従うのが普通のはず
だ、ところがこの物語はそうではなかった。
富次郎は、後先考えずに なぜ衝動的な行動に出てしまったのか。
それは、人間本来の姿を映し出している。どういうことかと言うと、富次郎にとって
〈おきわ〉は全てだった、富次郎には天使に見えたに違いない。批判をす神経
が麻痺して、何が何でもとにかく〈おきわ〉に夢中になるように、人間のDNAが
生まれながらシステム化されている、そうしないと子孫がたえる、自然は人類を
絶やさない為に、子孫繁栄の為に、不自然なまでに恋愛は美しいものだと露骨
に示している。





880吾輩は名無しである:2009/10/17(土) 16:35:39
上の批評文を読んだ時、変に納得した。
どうだろ、これはファクション(小説〉だからと言ってしまえばそれまでだが。
おきわを売ってしまった怠け者の父親を責めるべきで、富次郎を責めるのは筋
違いだ。それに、大体人身売買なんていけないよ。
売春があるから悲劇が繰り返される、社会を責めるべきだ。
それに、貿易を禁止するのもおかしな話だ、資源のない日本は今では、石油な
どの資源は殆ど輸入に頼っている、農産物だってしかり、幕府は何を考え政治
をしていたのだ。富次郎を責めるよりも、むしろ幕府の政治に責任があるだろう。
と言うように、批評すればどうにでもできるというものだ。

映画「いのちぼうにふろう」を観たが良かった。
映画を見て山本周五郎を知り、初めて読み始めた。
「日々平安」と同じ様に、原作と映画は別物だ。

富次郎とおきわのラブストーリが原作ではメーンストーリだが、映画では極悪人
のアクションがメーンストーリになっている。謎の男の過去だが、これも原作では
重要な位置を占めているのだが、映画ではさほど重要でもなかった。
映画では極悪人が主役で、謎の男の役回りは脇役の筈だ、それがまるで座市
か隠密同心か、凄いアクションシーンを見える、観ていて思わず主役を食ってど
うする、確かに浮いていた。

881吾輩は名無しである:2009/10/25(日) 12:08:50
司馬遼太郎なら中学生が読んでも面白いだろう
だが山本周五郎は三十代四十代にならなければ、その深さがピンとこない

どうりで2chで人気がないわけだ
882吾輩は名無しである:2009/10/25(日) 12:38:42

プッ
883吾輩は名無しである:2009/10/25(日) 18:55:56
>>881
面白い見方だ。
司馬遼太郎は、壮大だ。背景が歴史や社会だったりする。
テーマが個人より外に向けている、だから感動が大きい、それに感動を誰かと共
有したい衝動に駆られる。
その点、山本周五郎の感動は、人間の内部に訴えかける何かがある。歴史とか
ではない、社会でもない。人間が生まれながらに持っているという心がテーマに
なっている。だから、自分 独りだけでこの感動を秘めておきたいという衝動に駆
られる、解る人間は自分独りで十分だとう思う。テレビドラマ水戸黄門を見たと
き、思わず山本周五郎のパクリだと叫んだ、テレビ映画、小説、いろんなところに
山本周五郎は影響している。人に感動を与えるのには便利だ。
人生の辛さを体験した人間は、より感動が大きい。それが山本周五郎の小説だ。


884吾輩は名無しである:2009/10/26(月) 03:46:05

ブスッ(ドスでぶっ刺した音。他意はないんでキニスンナ

ウチにはまあ半端にだが小説全集やら文庫で結構あったんで
じぶんはしょうがくせえの頃から読んでたし、好きだったが。
885吾輩は名無しである:2009/10/26(月) 03:53:05
あ、司馬も。…おかげで小六の一時期ウヨがかってたりしてw
ありゃあでもあれだな、司馬だけでなく初期の大江のせいでもあるカモ

んで。話は跳ぶが。
無理だろーねーしっかし、右翼だ保守だのオジチャンたちには、
その線からの大江叩きは。だってブンガク読めないんだものアノヒトタチはw残念
886吾輩は名無しである:2009/12/05(土) 13:31:06
せっかく大好きな作家のスレがあったから来たのに、ヒドいな〜、ココ。
しようがくせいから読んでるのに、なんで別の作家のことしか話さないんだろ。
まだしようがくせいなのかな
887吾輩は名無しである:2009/12/26(土) 21:03:25
山本周五郎の子孫?親戚?が来ましたよ。
888ノノゲーパ:2009/12/27(日) 21:44:28
どの作品が一番すきか、と聞かれてなかなか答えるのがむつかしいのですが、
「おもかげ」を挙げてみます。少女雑誌向けの作品ですから正直言ってぐっとくる
深みとか文章の味は少ないのですが、ただ単純に泣ける話ですね。山本作品は
文学として楽しむことができる反面、余計なことを考えずお話として楽しめる
という二面性を持っているのが好きです。
889吾輩は名無しである:2010/01/22(金) 01:31:40
虚空遍歴を読んだ。

冲也のような芸への考え方は惹かれるし、
すごくのめり込んで読んでいたのに
ラストのお京の描かれ方にはなんか悲しくなった。
お京は話上、どうでもいい存在なのだとはいえ…
そこでなんかものすごくいやーな気持ちになった。

子ども生まれる直前に突如放り出されたけど、
(欲情姿に厭悪感とかってのもひどかったなー)
芸に打ち込み、模索してる彼を尊敬していたわけでしょう?
でも何故か遠くでは付き添って世話をする女がいて、
おまけに体の関係も持たないようだが強く繋がってるって
気が狂いそうに嫌な状況だ。

っても、もちろん読んでるときは全くお京を気にしてなかったけど。
ほんとに最後だけ…酷すぎ。
あんなセリフ言わさんでも…。
その後腹を立て、あたしだけだった!とか言うおけいにも苛ついた。
ほんと最後の最後で。

女なしで孤独に立ち向かったらよかったのでは。
必ずしもこのテーマに女性が要るの?
この話では独白が生きてるんだけども。
2人は運命の存在でプラトニックだからって…
そういうあいまいな狡さにもうんざりしてしまったかも。
890吾輩は名無しである:2010/02/08(月) 13:30:51
 俳優田村正和(66)が江戸時代のお家騒動「伊達騒動」で、
周囲に本心を隠し命と引き換えに仙台・伊達藩を守った忠臣、原田甲斐の生き方を描く、
テレビ朝日系ドラマスペシャル「樅(もみ)ノ木は残った」(2月20日午後9時)に主演することが20日、分かった。
時代劇でも、着流しに素足に雪駄(せった)が多い田村が家老役とあって格調高い裃(かみしも)姿を披露。
クライマックスにこん身の演技で見せる“悲劇の殺陣”は圧巻だ。

 山本周五郎の小説(新潮社)のドラマ化。
甲斐に育てられ甲斐に淡い恋心を抱く宇乃を初共演の井上真央(23)が演じているほか、
伊東四朗(72)、草笛光子(76)、笹野高史(61)、
橋爪功(68)、床嶋佳子(45)ら共演陣も演技力のあるメンバーがそろった。

 伊達藩は権力闘争から内紛に発展。
甲斐はそのため目の前で両親を殺害された宇乃を引き取る一方、
藩主や盟友たちを裏切るかのように一方に肩入れ。
しかし、幕府がいよいよ伊達藩を取りつぶそうとした時、
甲斐はある行動に出てその真意が明らかになる…という感動的な物語。(続きます)

ソース:中日スポーツ(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010012102000131.html
画像:http://www.tv-asahi.co.jp/mominoki/img/01.jpg
テレビ朝日 ドラマスペシャル「樅ノ木は残った」番組サイト◇http://www.tv-asahi.co.jp/mominoki/
891吾輩は名無しである:2010/02/11(木) 12:18:03
今では考えられない。二本差しで街中を歩くなどとは、銃刀法違反だ。
武士とは何だろう、今で云う職種は。城勤めと云うのだから或いは公務員なの
だろうか。凶器を脇に差して街中を歩く公務員。
腰に刺した凶器は何の目的があるか、人を切り殺すのが目的だ。
刀とはそんなものだ。
だが、当時刀で切り殺される人数よりも、今現在交通事故で死亡する人数の
方がはるかに多いのだろう。尤も今の世の中人間多すぎる。
昔は、1億2千万人なんていなかったに違いない。
さて、以前読んだ単行本「樅の木は残った」を押入れから探し出して読み始
めてみた。
刺客が現れ暗殺する、「上意討ち」。
2歳の城主の同意があるから殺害は合法的だというのだ、上意討ち。無茶苦
茶だ。地方自治、仙台を私物化する。地方都市の権力紛争、お家騒動。



892吾輩は名無しである:2010/02/13(土) 10:19:02
あの長編を二時間でやるの?さすがに色々省略されるとは思うが
893吾輩は名無しである:2010/02/13(土) 11:53:40
何かひとつでも本の中に得るものがあれば、読書する意味がある。
ひとつの何かを求めて読書をする。
山本周五郎は、ひとつの何かを表現したくてひとつの作品を書いた。
ドラマ製作者は、ひとつを表現する為にドラマを作る。
ひとつで十分だ、何かひとつ。「何か」では伝わらない。
それは「人間の情」。
人間が人間である以上、人間の情というものは色あせる事はない。
いつの時代でも、いつの世でも、人間共通のもの、人に感動を与えるものだ。
どんなエピソードを、どんな構成で。いろんな表現がある、だがそれはあくまでも
技術的なことだ、伝える、表現することには影響しないのではないだろうか。
時間的なことには左右されないのでは。山本周五郎の作品は。







894吾輩は名無しである:2010/02/17(水) 11:07:44
>>892
だよね。省略されすぎてわけわかめにならないことを願う。
たぶん見ないけど、とりあえず録画予約だけしてみた。
895吾輩は名無しである:2010/02/20(土) 20:02:50
同じく録画予約した。
山本周五郎賞で知って有名そうな「樅(もみ)ノ木は残った」を図書館で借りてきたけど
最初の方で挫折してしまった。
登場人物が最初から多くあまり説明されないのでついていけず。あと紙面にびっちり書いてあるのがキツイ。
この人の書くテーマは好きなんだけど、司馬遼や隆慶みたいにすんなり入れなかった。

2時間だと中村橋之助?がやった河合継之助みたいに原作好きにはイマイチになりそうだけど、
楽しみに見てみる
896吾輩は名無しである:2010/02/21(日) 11:44:32
なんか昨日ドラマやってたけど15分くらいでテレビ消しちゃったよ
やっぱヤマシューさんは本で読むに限るな
樅ノ木〜は甲斐とUNOが好きになれない自分にとっちゃ拷問だしな
それにマサカズの声がorz
なんだ、その、まあ、とりあえず・・・・・新八氏ね(´・ω・`)
897吾輩は名無しである:2010/08/09(月) 16:43:29
 
898吾輩は名無しである:2010/08/15(日) 15:23:49
樅ノ木読みづらいな
周五郎作品初めてなんだけど、同時に買った婦道記のほうを先に読めばよかったかも
899吾輩は名無しである:2010/08/22(日) 22:11:25
小説日本婦道記の不断草がいいですね。
ある番組の司会者が読め、読めといっていた
本です。
900吾輩は名無しである:2010/08/26(木) 16:08:53
>>898
短編集をいくつか読んでまず周五郎ファンになれ
901吾輩は名無しである:2010/08/26(木) 17:36:24
898だけど後130ページで終わるわ
ドキドキしてきた
なかなか面白い
902吾輩は名無しである:2010/08/26(木) 20:03:05
よかったね
903吾輩は名無しである:2010/09/03(金) 22:39:43
あおべか
904吾輩は名無しである
「その木戸を通って」。日本婦道記だったかな?