1 :
吾輩は名無しである :
02/10/20 23:58 『恥辱』は有名だけど他の作品はどう?
2 :
吾輩は名無しである :02/10/20 23:58
dare?
3 :
吾輩は名無しである :02/10/20 23:59
南アフリカ在住白人小説家。
一応、数年前のノーベル文学賞の最終候補に残ったらしい。
ブッカー賞獲ってるからね。
ブッカー賞ってあまり馴染みがないけど、そんなにすごい賞なの?
英語圏で最も権威ある賞だと言われてるようです。
やっぱ人気ないのね、クッツェー・・・。 以前、書店で「恥辱」を探してもらった時にも、えらい時間がかかったし。 ちなみに今「砂の女」を読書中。 全編、父親を殺した娘の独白(日記?)なんだけど、現実と妄想が交錯してかなり狂気してます。 自閉的な空間の中で、人はいかにして狂うかという過程を見せられている感じ。 不気味なオモシロさです。
ゲーテとドストを足して2で割ったような感じ? (足して2で割るってあんまり正しくない表現なんだったっけ?)
10 :
吾輩は名無しである :02/10/23 20:02
>1 ちょっと恥ずかしい間違いですよ。『砂の女』じゃなく、『石の女』。 前者は日本文学の最高傑作のひとつでしょう。
阿部公房とクッツェーかあ。いいな。 『砂の本』とか「水の女」とかいろいろあるんだね。 傑作に共通するタイトル。
12 :
吾輩は名無しである :02/10/23 20:39
ゴンクール賞とブッカー賞ってどっちのが権威があるの?
13 :
吾輩は名無しである :02/10/23 20:42
>12 英語とフランス語の覇権だけじゃないでしょうか。 となると現在では圧倒的に前者。少なくとも日本語に訳されている、 もしくは世界規模に読まれているのはブッカー賞。
ブッカー賞 英国最高の文学賞。1969年にイギリスの多国籍企業ブッカー・マコンネ ル社により創設され、イギリス全土の図書連盟によって運営されている 。対象はイギリス、アイルランド、イギリス連邦の作家ならば、ベテラ ンも新人も区別はない。その年に出版された最優秀の長篇小説に与えら れる。 『日の名残り』 カズオ・イシグロ(1989年) 『恥辱』 J・M・クッツェー(1999年) 『昏き目の暗殺者』 マーガレット・アトウッド(2000年)は、早川書 房より近刊 ゴンクール賞 フランスでもっとも権威ある文学賞。美術評論家、作家、歴史家でもあ ったゴンクール兄弟の遺志により、1903年に設立。その年に発表された 最良の散文作品、とくに小説を対象に与えられる。若く、独創性にあふ れた作家を対象としているが、ベテラン作家が選ばれることもある。 『片道切符』ディディエ・ヴァン・コーヴラール(1994年)
クッツェーの最高傑作は『マイケル・K』か『敵あるいはフォー』だと思う。 特に後者は傑作。
>>10 あらら、本当に恥ずかしい。
いま顔面真っ赤になっております。。。
ブッカー賞を2回取っているのは、Coetzee と Peter Carey だけなんだよね。
18 :
吾輩は名無しである :02/11/08 09:57
某所でクッツェーさんのサインを貰ったよ。 「恥辱」と「Youth」の一部を朗読をしていた。
『敵あるいはフォー』が彼のベストだということには賛同。 『ペテルブルグの文豪』も読みやすくていい。
南アフリカって風土がムズイよねぇ 白人が黒人をアパしてるだけならまだしもオランダ人と イギリス人との対立もあるし、四面楚歌って感じだね で、このスレも行き詰まってるみたいだし…
ただの変態小説だろ。
sage hoshu
23 :
吾輩は名無しである :02/12/13 01:39
ブッカー賞というのも直木賞みたいにマスコミ受けする 販促イベントなのだろうか?
24 :
吾輩は名無しである :02/12/13 14:03
25 :
吾輩は名無しである :03/01/05 17:24
age
26 :
fishman :03/01/14 01:57
『敵あるいはフォー』がやっと手許に届く。 嬉しいのでage
(^^)
28 :
吾輩は名無しである :03/02/03 17:04
唐突に、ageていいですか。
>>26 良かったのぉ。感想うPキボンヌ。その内でいいから。
いやー、フォー面白かったです。 いつもの悪い癖で作品の概要はそれとなく知っての読書でしたが、 ロビンソン・クルーソーのパロディという側面は、それほど大きな ものではなく、書くことー語ることをめぐる知的な考察と括った 方がすっきりとする気がします。 雑な感想を記せば、これは一体誰の物語なのでしょうか? はじめ私は、遭難した女性スーザン・バートンの一人語りと 受け止めて読んでいました。風変わりな遭難者クルーソーと 舌を切り取られた奴隷フライディとの生活は、まるでご本尊 とは異なる、平平凡凡でドラマに欠ける生活です。 こちらの身勝手な期待をあっさりと裏切りながら、クルーソーは 船上で息絶え、女性とフライディが二人英国の地を踏むことになります。 そこから語りは複雑な位相へと移行します。つまりフォーなる作家に この女性の体験を物語化してもらうための材料提示という側面を 色濃くしていきます。しかし、フォーは一向に姿をあらわさず、 金に困った女性はフォーの屋敷に住み着くこととなる。次第にフォーの 実在が怪しくなり、同時に女性の経験そのものの真偽すら怪しくなって いく。
て、誰も梗概なんか欲してないですね。 ひたすらずっと女性に焦点が当たっているようでありながら、次第に もの語らぬフライディの存在が大きなものとなっていきます。 切り取られた舌というのは、ヨーロッパに去勢されたアフリカという 図式を浮上させてきます。 テクストと触れる読者に対して、作者の意図というものがどの程度 大きなものか私にはわかりませんが、大きく開いたフライディの穴 ー舌は切り取られ、小さな震えるような音しか漏れてこない口腔ー から、言語化できない暗く不定形な音ーそれをアフリカの記憶と 形付けてしまうことには戸惑いを覚えますがーを響かせること。 そこに作者の中心的な意図があったような気がします。 かなり多数のエピソード群を無視した強引な読みですが、何か 書き付けたく結んでみました。
32 :
吾輩は名無しである :03/03/18 23:11
保守
33 :
吾輩は名無しである :03/03/20 09:22
フィシュマソ感想age
(^^)
山崎渉の騙り唐ageはヤメロやヴォゲッ!
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
kgb
38 :
吾輩は名無しである :03/05/28 10:02
Foeの原書は薄っぺたいけれど、読みやすいのかな?
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
nblp
43 :
吾輩は名無しである :03/10/02 20:25
ノーベル賞あげ
44 :
吾輩は名無しである :03/10/02 20:26
ブッカー賞をとってるんだな。だが読んでいないから なんともいえないな。
なんだ白人か
46 :
吾輩は名無しである :03/10/02 20:28
ノーベル賞おめ。 「恥辱」今度呼んで見ます
47 :
吾輩は名無しである :03/10/02 20:28
>>4 なるほど、今回はじめて候補になったわけじゃないのね。
598 名前:吾輩は名無しである :03/10/02 21:00 クッツェー氏に文学賞 人種隔離批判の南ア作家 【ストックホルム2日共同】スウェーデン・アカデミーは2日、2003年のノーベル文学賞を、アパルトヘイト(人種隔離)を白人の立場から 批判した南アフリカの作家ジョン・M・クッツェー氏(63)に授与する、と発表した。 授賞理由について同アカデミーは「西欧文明の残酷な合理主義と浅薄な倫理観を容赦なく批判した」と説明した。 クッツェー氏は1991年まで同国で続いたアパルトヘイトを背景とした人種差別の深層心理を描いた作品で知られ、83年の「マイケル・K」で ブッカー賞を受賞。他に「鉄の時代」(90年)、評論集「白人は書く」(88年)などがある。 現在はオーストラリア・アデレードに在住。 授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれ、賞金1000万クローナ(約1億4500万円)が贈られる。
ノーベル文学賞…誇らしいですね  ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ お母さんが南アフリカに移民した韓国人と知られています  ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ エラも十分な大きさニダ | ク・ツェー氏の海外同胞認定  ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄. | の件についてニダが… 彡 ⌒ ミ .∧_∧ ∧_∧ レ―――――――― <ヽ`Д´ > <ヽ・∀・> <ヽ`∀´> ∧,∧ ( ヽV/ ) ( ヽV/ ) ( ヽV/ ) ミ゚Д゚ > ソロソロ ドウダロウ ?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄\ ⊂,ヽV/ ミ \ 旦 \ ,(~ヽ,, ,ミ. | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|J'し.  ̄ | 同 胞 認 定 委 員 会 | \| .|
どうにもやり切れない、あの『恥辱』のラストシーンだが…。 読んだ当時は、「犬」という言葉に引き摺られ、カフカの『審判』への 意識ばかりが印象的だったけど、今思い起こすと、「地獄の道でも自分は そこを行く」的なあの女性の決断は『野性の棕櫚』の黒人男を意識させ られる。 もっともクッツェーは、宗教的なものに支えられた書き方ではなく、 南アのシビアな現状を伝えんがため、そうせざるを得ない人間として あの女性を描いたのだろうけど…。 しかし、どう考えても自分に置きかえてみれば首を吊るな。とても 生もうという気にはなれない。 ただ、農場で動物たちの生死を見てきた女性という設定で、生むと いう意志を持つ女性の性格づけをきちんと行っている気はする。
この作家には口から手をつっこんで内臓を引っ張り出した みたいな印象がある。取って当たり前の良い作家だよ、心から拍手。
>口から手をつっこんで内臓を引っ張り出した
なるほど、面白い。『ダスクランド』の第一部(「ヴェトナム計画」)
なんかは、アメリカって巨体の中に手を突っ込んでる感じはするし。
『恥辱』もそうだよね。
>>50 さん
クッツェーの作品って、そういう「違和感」が妙に残るものが多い
気がする。俺自身はあまり『恥辱』が好きではないんだが…。
一夜たって考えてみれば、「地獄の道でも我は生く」というのは、 自殺という選択を許さない、また逃げを打つという選択を自分に 許さない…極めてキリスト教的な倫理にも思えてきた。 しかし、それを「信仰」と表現、解釈するよりは「信義」と言い 替えた方が適切なのかもしれない。 教義として書かれ説教として伝えられる「信者に共通の倫理」は、 人によっては宗教としての信仰としてではなく、「信ずる」と いう姿勢としてだけ形骸化(適語が見つけられない)するのかも しれない。 要は「己の信ずるところ」ということになってしまうのだが、 あの女性の違和感の残る選択を、「他者には理解できないけれども 個の信ずるところ」として描いた。つまり、それを人間存在の 可能性や希望として、「信仰」の上位にある「信義」として 書いたと取れば、好きではなくても腑に落ちる1冊にはなるの かもしれない。
書き忘れた。 「宗教」というのも、近代以前にすでにピラミッド型に制度化されて いた政治機構や軍隊に負けず劣らぬシステムだからね。 「信仰」というのも、ある角度から見れば、制度として個人のなかに 内在化されたものであると取れる。 だから「信義」という言葉でも使えば…と思ったのだけれど、 いくら「自分の」信ずるところだと主張しても、結局その「信ずる」と いう行為自体の刷り込みは、宗教を通して行われたものではないかと 思うわけです。
ixさんが書いた他のスレから引っ張ってきたんだけど、 >信仰(的な倫理)に踏み込んでいる作家 そうかな?受賞した作品をもっと人間的な部分に訴えかける平和への 解決策の1考え方として読むべきじゃないだろうか。もっと単純でいい。 苦しむ人間の存在を知り、「それでいいのか?」という問いが生まれれば それでいい。 (クッツェも「苦慮する(囚われた)人々に光を当てる」って書いてるし) きっとこんなことを書くとixさんは怒るかもしれないが、「信仰」を出すのは 貴方が差別主義者だという考えに基づいているからだと思う。 (・・・どやされるかもしれないが・・・) そんなもん、ひっぺがせ!
56 :
吾輩は名無しである :03/10/03 18:07
ノーベルage 漏れも読んでみまつ!
57 :
吾輩は名無しである :03/10/03 18:50
この人って去年の受賞者ケルテス・イムレより知名度高そう。 去年なんて「誰それ?」状態だったし、イムレの作品だって 今年8月になってからようやく翻訳されたばかりだし。
これから読んでみたいと思うんですけど、 一番始めに読むなら何がお勧めですか? 好きなのはアトウッド、ヘミングウェイ、キングです。
>tar baby 俺の言う「信仰」ってのは、「宗教」に対立するものとしてのあり方 だからね、誤解のないように。「平和への解決策」とかじゃなくて、 より個人的に何かに踏み込むことを厭わない作家たちだと思うよ、 みんな。 「差別主義者」?ってのはよく分からん。 「善き人か、悪くない。こんな暗澹たる時代に」だっけ?うろ覚え。
わかんないな、それ。 前出の「道徳」という言葉だけで足りるんじゃないの? わざわざ「信仰」という言葉を出さなくても良かったし、 意味的に「宗教」に対立するものとは読めなかった・・・。 >「差別主義者」 あなた自身がそうだと感じた。きっと俺のミスです。でも もう少し貴方の言う「信仰」の意味を教えてもらえないでしょうか?
ノーベル賞受賞の報道は毎日新聞(3日付け)が一番充実してたね。 毎日には、クッツェーさん、連載を持ってたこともあるらしい。
道徳、っていうのは、単なるその時代その時の枠組みに収まるような合意でしかない。 社会的道徳や宗教的道徳、その他なんでも良いけどある枠の合意の中に収められて しまうもの。でね、例えば作家がアウシュヴィッツについて書くとき、それが単に「道徳」 から来ていると考えてしまう人がいる。黒人差別や政治弾圧、植民地差別などなどに ついて書くと、社会的に/宗教的にetc.「良い」「悪い」について書いてるんだ、と「道徳」 の枠で勘違いする人が出てくる。 でも、実はあのスレで上げた作家は、その先に一歩踏み込んで、個人の心のあり方 や行為(つまり「信仰」)からより大きな、昔懐かしい言葉で言えば人間に通底する ような「倫理」を描こうとしている。それは、たとえある枠の合意--それが政治であれ 宗教であれ--に逆らう、もしくはそうした合意が不在であっても、個人の思想として 何かを信じることによってしか踏み込めない領域なんだよね。 (なんか柄谷の『倫理21』のようだな…^^;) ノーベル賞の選定は、時にはどうも「道徳」に基づいているような気がするのだが、 選定された作家はより個人の信仰(信じる/ふるまうこと)について書いている人たち ばかりだから、そういう風にあそこでは書いたの。
前レスで『恥辱』の最後あたりの台詞(だったと思う)を引用しましたが、クッツェーは 南アの問題をあからさまに表に出すこともあるけど、一貫してそうした信じ/ふるまう ことについて書いているように俺には思えるんだな。 誰も私を打擲せず、誰も私を飢えさせず、誰も私に唾を吐きかけはしない。私の 苦しみがそんな風に些細なものであるとしたら、どうして自分を迫害の犠牲者と 見なすことができようか。にもかかわらずそうした苦しみは、それが些細なもので あるだけにかえって一層品位を傷つけるものとなる。忘れもしないが、初めて牢の 扉が閉ざされて錠の鍵が回されたときには思わず笑みがこぼれたほどである。 日常生活の孤独から独房の孤独へと移行するくらいのことは、思考と記憶の世界 を失わずに持ち込めるかぎり、たいしてつらい刑罰ではない。しかしいまになって、 自由とはいかに根本的なものであるかを私はようやく理解し始めている。いまの 私に残されている自由とはなんであろうか。 (クッツェー『夷狄を待ちながら』土岐恒二訳) まぁ、作家ってのは、個人が信じ/ふるまうことを突き詰める方向に行くのが 当然つったら当然なんだけどね。でもクッツェーはそれと南アの歴史を 絡めたときにも素晴らしい作品を書く人で、『夷狄を待ちながら』もそんな作品。 帝国・兵士・植民地・そして夷狄…でも、最後には「私」がこう語る: 「私は帝国がその臣下、その亡くなった臣下にさえ押し付けた歴史の外に 生きたかった。私は夷狄のために、彼らが帝国の歴史を押しつけられるのを 望まなかった。そのことが私の舐めさせられた恥辱の原因であるとどうして 信じられようか」 この作品の終り方も非常に美しいです。特に最後の1文は。読んでなかったら 是非読んでみてくださいな>all
貴方の信仰の意味合いを間違えていたです、スマソ。 しかし信仰などと言うと彼らの宗教(民族)の概念がそのまま 考え無しに一般読者に受け取られてしまうような危惧があった。 モリスン・大江・クッツェーにしてその物語の内容は 「アンチノミー」、かなりきついでしょ?。受け手がどちら側につくか もちろん作家の技量にも関わるけど、どちらを取っても受け手の勝手。 そこへ「宗教」に近い言葉を使われると、偏見・差別の助長になるん じゃないか・・・と考えたわけで。 (僕的思考)ならば2003年というピンで固定された時間内で >「良い」「悪い」について書いてるんだ、と「道徳」の枠で 判断する方が良い。 世界レベルの文学賞だからこそ、この時とばかり出てくる ヘタな判断(批評等)には気をつけないといけないわけで、 世界レベルだからこそ、世界の基準に合わせなければならない わけで、その基準はかなり低いんじゃないですかね。 全ての人間が彼らの本を読めるわけじゃない。 どちらかといえば彼らの本を読んだ人間からの情報で 判断する人が多いのですよ。 (おつきあい、ありがとうございました>ixさん)
>世界レベルの文学賞だからこそ、この時とばかり出てくる >ヘタな判断(批評等)には気をつけないといけないわけで うん。安易にポスコロに走ったような批評も出てきそうだしね^^; クッツェーは一方でアレックス・ラ・グーマに関する論を、他方で ベケットやナボコフに関する論を書いている。アフリカーナでは あるが英語で教育を受け、でもアフリカーンス語も操る。 一人の作家が単にある分類へと一義的に収束される、ってことは ないんだよね。 書き忘れましたが、翻訳済みのクッツェーの作品としては検索しても 出てこないかもしれないので…。 上記の『夷狄を待ちながら』は、『集英社ギャラリー 世界の文学20 中国・アジア・アフリカ』に収められています。興味のある方はどうぞ。
昨日、さっそく図書館へ行き、クッツェーの作品をまとめて何冊も借り出してきた。 まず、「マイケル・K」からとりかかって、さっき読み終えたばかりなのだが・・・。 驚いたよ。こんなに面白いとは思わなかった。 少なくともゴーディマより面白い。なるほど、ヘタに面白いと受賞が遅れるんだな。
俺は、今『恥辱』読んでる。 そんなに面白いなら、次は『マイケルK』にしようかな。 昔、『石の女』を読んだことがあるんだよね。あれは、 まあまあだった。面白くはあったけど、もう少し作品の 奥行きが欲しかったな。
ノーベル賞効果か、Amazonで「恥辱」の売上ランキングが 100位以内に入ってきてる。
ライオンからイヌへ。 カフカがどうたらこうたらと恥辱の訳者コメントにはあったけど、 どっちかっつーと、歴史で登場する人物を思い起こしたな。 カフカが、嫌いって言うのもあるんだけど。
あげちまったようぅ。ごめんよぅ
71 :
吾輩は名無しである :03/10/05 11:34
でも最近のノーベル賞って、クッツェー等が意識しているしていないに関わらず 「人道的な良心」に依った選定がおおくないか? 抑圧された歴史を持つ人たちへの同情みたいなものが。 だからそういう観点のみから論評されるのはそこにも原因があると思う イムレ・ケルテースにしろ、ポスト文革期の高行健にしろ。
>抑圧された歴史を持つ人たちへの同情 腕組みして考えちまったYO! でもそれでいいんだよ。最初の1歩はさ。
恥辱読了。面白かったよ。誰か、結末が気に入らないという 人がいたけど、なんでだろ。こういう書き方しかないと思うん だけど。
『敵あるいはフォー』を、きのう半分くらい読んだ。 しかし、おととい読んだ『マイケル・K』のほうが面白いな、やっぱ。 たぶんこの1〜2週間で、日本で翻訳が出ているクッツェー作品を全部読破 しそうだ。受賞ではじめてクッツェーを知ったんだけど。 絶版になっている『マイケル・K』を図書館で借りられたのはラッキーだった。 『恥辱』はどこの図書館でも貸出中ばっかりだ。
『恥辱』や『敵あるいはフォー』は増刷に入ったのかな。 版元在庫切れのようで、書店の注文に応じられないようです。 『マイケル・K』もこの機会に文庫化おながいします。
>『マイケル・K』もこの機会に文庫化おながいします。 ちくま文庫ってすぐ絶版になっちゃうんだよな〜 出たらすぐ買わないとな。
『ダスクランド』一昨日読了。 ヴェトナム計画とアフリカ遠征の話、詳しい人は それぞれ連絡しあっているのが見て取れるんだろうけど、 初見では漠然とした関係しか分からなかった。
今、『マイケル・K』を読んでいる。 『夷狄をを待ちながら』も借りてきた。
そろそろ読み終わったんじゃない?感想希望
『マイケル・K』読了 今、『ペテルブルグの文豪』を読んでいるところ。 感想は、2-3日中に。とは言っても『マイケル・K』 は、あまり好きな作品じゃなかったな。『ダスクランド』 『恥辱』、『石の女』の方が、この人の好みが出ている 気がする。
81 :
吾輩は名無しである :03/10/22 14:57
74と似たような状況。恥辱買ってはまって、ダスクランドと石の女とフォー手に入れた。 今日ダスクランドとフォーも読了。南アフリカとか思わせない知的な構成自体をテーマにしてながら、突然暴力、それも抵抗できない類のものを混入させる手法は新鮮に感じた。
82 :
吾輩は名無しである :03/10/22 15:04
読みたい読みたいと思いながら、 まだだ。感想に刺激される、居ても立ってもいられないくらい どんどんUPして刺激してくれ〜、
83 :
吾輩は名無しである :03/10/23 12:25
ちょっと思ったんだけど、クッツェって「抑圧された人たちへの同情」側にいれていいのかな? 彼はオランダから最初に南アに移住してきた人たちの子孫で、いわゆる名家の出だよね。 確かにその後のイギリスのボーア人対策で北に追いやられたとは言え、先住民を虐待してきた、 むしろ加害者の立場を持つ気がする。 でも、そのかつての加害者がかつての被害者の内部に侵入し、逆に被害者の立場になる。 たとえば「恥辱」の主人公の娘とか。 まあひとくくりにはできないんだろうけど。
ノーベル賞は「世界の認識を広める」ための賞なんだから
>>71 の
言ってることは間違えちゃいないわけで。
ただ病気や飢餓、戦争etc.で悲嘆にくれてる人たちや、それに奮闘してる
人に光を与えてる(この光も若干不明瞭か・・・)けどこれは「同情」ではない
よね、たしかに。
集英社文庫 「夷狄を待ちながら」 J・M・クッツェー 価格未定 12/16
86 :
吾輩は名無しである :03/12/03 18:24
からあげ、スマソ
新作でたね。何に分類していいかわからないけど。 とことん書くことに拘る人だね。
>>87 さん
もう読んだの?<Elizabeth Costello: Eight Lessons
さらりと感想をばお聞かせ下され。
Even more uncompromising than usual, this latest novel by Coetzee (his first since 1999's Booker Prize-winning Disgrace) blurs the bounds of fiction and nonfiction while furthering the author's exploration of urgent moral and aesthetic questions. Elizabeth Costello, a fictional aging Australian novelist who gained fame for a Ulysses-inspired novel in the 1960s, reveals the workings of her still-formidable mind in a series of formal addresses she either attends or delivers herself (an award acceptance speech, a lecture on a cruise ship, a graduation speech). This ingenious structure allows Coetzee to circle around his protagonist, revealing her preoccupations and contradictions her relationships with her son, John, an academic, and her sister, Blanche, a missionary in Africa; her deep, almost fanatical concern with animal rights; her conflicted views on reason and realism; her grapplings with the human problems of sex and spirituality. The specters of the Holocaust and colonialism, of Greek mythology and Christian morality, and of Franz Kafka and the absurd haunt the novel, as Coetzee deftly weaves the intense contemplation of abstractions with the everyday life of an all-too-human body and mind. The struggle for self-expression comes to a wrenching climax when Elizabeth faces a final reckoning and finds herself at a loss for words. This is a novel of weighty ideas, concerned with what it means to be human and with the difficult and seductive task of making meaning. It is a resounding achievement by Coetzee and one that will linger with the reader long after its reverberating conclusion.
別にアマゾンから引っぱってこなくていいから(苦笑)
上は別人ですよ。 さらりとってむずいですけど。 形式からしてクッツェーのプリンストン大学での講演録なのに、 講演自体架空の大学での同じテーマの講演というフィクションだし、 講演に対し4人の学者が触発されたことへの返答をつけているけど そのうちの一人の哲学者もフィクションで返答しているっていう いかにもクッツェーらしい作品。この反応もすごい。 実際フィクションの部分では主人公(女性作家)は やたら隙のある論理振りかざしてていくらでも突っ込めそうなんだけど、 主人公の息子はあくまで中立。主人公の息子の嫁は反発しまくるし クッツェーの態度はフィクション内には描写されない。 形式を選んだことにのみ顕われている?から単純なテキスト内部への反応は許されない。 4人の学者さんにクッツェーがどんよりのしかかる姿が目に浮かぶようで、 苦労しただろうなぁっていう感想。 僕は非常に気に入った。ixionさんもし読んだら感想乗っけてくれると嬉しいな。 ここあんまりひといないし。
あれ?日本語で出たやつだよね? <Elizabeth Costello: Eight LessonsってたしかにElizabeth Costelloだけど The Lives of Animalsのことかと思ったんだけど。間違ってたらごめんなさい。