「海辺のカフカ」は私は村上春樹の「碑文」だと思います。
彼の今までの「狭窄」で「悲しい」文壇からの排除、
通俗性を非難する批評家からの暴力的罵倒、
そしてゆがんだ色眼鏡を通して春樹に「矮小な自己」を投影しあたかも
「人物」であるかのように振舞う盲目的なフアン(あえて愛読者とはいいません)
それらの、切実でないところから生まれるもの、全てを作品の中に飲み込んだ、
これはひとつの有機体ではないでしょうか。
日を追って細かな作品論を書き込んで生きたいと思いますが、
私の文章の全てが「いかに村上という作家は魂を見出したのか」という目標に
準じているのを、はじめの言葉とします。
492 :
吾輩は名無しである:03/04/15 21:14
>>484-489 481 :工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :03/04/15 03:11
誰もが気付いていることかもしれませんが、「村上春樹が好きだ」ということは
「趣味は読書です」というのと同じくらい無意味なことかもしれません。
真打ち登場。
495 :
吾輩は名無しである:03/04/15 21:50
>>493 あなたの言うことに否定も肯定もしませんが
もしよければ根拠を示してもらえませんか?
>>493 あなたは春樹をわかってないです。断言します。