【正しい】小論文の書き方・質問スレッド【書き方】

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36吾輩は名無しである
三島由紀夫の場合

彼等はあたかも粒子の粗いモノクロムを補うかのように麗色を施した、
およそ二次品でしかないフィルムを好むのであった。そこで登場人物は
血気にはやる過ちを犯し、そうすることがさも当り前であるかのように
悔悛してしまう。彼等の面前で荒筋はとうに出来上がっているのである。
追々その筋を認め、確かめ、そして好み、人物の上に自らを投射する。
間違いない、劇的な人生などという誰の眼差しに捉えられたところで
珍奇に映えるでしかないものは、あらかたあちら様に委せておくのが
好いのだ。「ええい面倒だ」とばかりに斬って棄てる辻斬りの後姿など
理解に値いしない。自らを見てくれている者を斬り棄てることに等しい
だろう。まさに佯狂を見詰める視線がここにあると云っても良い。場末の
ファミリー・レストランにてW.C.に篭もり、鏡と向きあい、頭を掻き毟っては
一言きり「生きられない」と呟くのが好い。取っ手を圧し、何喰わぬ顔で
仲間の許へと出向けば構わない。「誰にも自分の気持は判らないんだ」
と吐き棄てて、気取った俳優がここにまた一人誕生したではないか。
また追体験してゆくことに馴らされているため、感覚は鈍磨している。
総じて悲哀に疎いものだ。――リビドーがその対象にしがみついていて、
その代わりの用意ができても、失われた対象を容易なことでは諦めまい
とするということ、つまりこれが悲哀というものなのである―― これは
フロイトの『無常ということ』からの言葉ではあるが、全くもって彼等の
群像に通ずるものと思われる。彼等は殊勝に対象へしがみつく必要など
見ないだろう。なぜなら彼等は膨大な劇の蓄積であり、そしてそれを
使い回すようにとの綱領が組まれており、ために自らの外 対象を見ない。
愁然と振舞うべき時来たれば、二次品に貶められた悲哀のロマネスクを
念入りに引き出すまでであった。悲哀の影は彼等に落ちることもない。
如何にしてさり気無くクリシェを用いるか、それこそが今日の死活問題である。
そして今日も模倣に尚更妥協を重ね、取澄ました顔付きから勿体つけた
不平を洩らす。いちどきりの深いあじわいに拘泥わることなど、知らない。
仮面(ペルソナ)の捏造に罪を問うすべを私は知らない。