1 :
吾輩は名無しである :
02/09/22 10:40 糞スレたてました 今や死語とさえも言われなくなったメタフィクション 筒井とかピンチョンとかバースとかカルビーノとか色々いますね おすすめとか感想とか議論とかご自由にどうぞ 取りあえず「虚航船団」を挙げておく
1000げっとぉー
_ , ― 、 ,−' `  ̄ヽ_ ,' ヽ ( ) ( ノ`ー'ー'ヽ ) ( ノ● ●( ) ( 〉 -――-( )_ _ `ー'l ● ( ノ ヽ ) 、‘ー'ー’ _ノ`ー' |  ̄| ̄ | / /7 / ̄ ̄/ / `ー´ `ー ´ `―´
4 :
吾輩は名無しである :02/09/22 10:52
「利家とまつ」なんかどう?
(\(\ ヽノハヽ ( ´D`) (Y"__ i" . (____)、,,),,) ◯ )))  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
6 :
吾輩は名無しである :02/09/22 10:57
「幕張」「鳴くようぐいす」とかのアイツのマンガ
7 :
吾輩は名無しである :02/09/22 11:02
今だ100ゲットー ∧_∧ (・∀・∩) (つ 丿 ( ) ( )
8 :
吾輩は名無しである :02/09/22 11:07
ネタフィクション 2ちゃんのカキコの98%がこれ。
10 :
吾輩は名無しである :02/09/22 11:35
「テニスの王子様」も801のネタフィクション。
11 :
吾輩は名無しである :02/09/22 11:37
12 :
吾輩は名無しである :02/09/22 13:09
>9 無限地獄。
13 :
吾輩は名無しである :02/09/22 20:14
>>2-
>>13 白痴のすくつだな。
本来面白いテーマだと思うのだが。
まあ、1が率先して盛り上げてくれ。
(因みに死語ではない。)
15 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:17
>>14 激しく同意。1がちゃんとネタ振りすれば良スレの予感がするんだが。
16 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:18
そうか? 1は『虚航船団』だぞ……。
17 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:20
>>16 そう?
バースとかカルヴィーノあたりの話はいろいろ聞きたいんだけど…。
18 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:21
ガンダムはメカフィクション。
19 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:22
炉利はネタフィクション
『パロマー』の123は面白かった。誰かこの面白さを解説してくれ。
21 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:26
>>20 あれ面白いんだ?
おれは途中で辛くなって読むの止めた。
なんか、禁欲的な面白さって感じがするんだけど。
あと、クノーの作品についても。 笠井潔は、安易なメタフィクションに危惧を抱いている。
>>21 数学の順列と各編の構成要素が一致してる。
というわけで、主人公が唐突に作者へ電話をしてくる、 小島信夫『別れる理由』を、興味ある人は読んでみてはいかがでしょうか。 これは畢生の大傑作。
25 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:38
メタフィクションについて検索したら、面白い文章があったので引用します。 >自分が「おもしろい」と思ったものを、まず「おもしろい」と言わずに、 >「有意義だ」という言いかたを好む人は、いつの時代にもいる。 つまり、メタフィクションって「面白い」というより「有意義」って感じがするんですけども。
>>25 そりゃそうです。作品世界に入り込んで楽しむという、
通常の読書スタイルが通用しないのですから。
27 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:46
>>26 メタフィクションっていう手法自体の行き詰まりはないですか?
どれ読んでも似たり寄ったりって気がするんですよ。
28 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:56
>>27 「ドン・キホーテ」すらメタフィクションと言う奴すらいる
ようは小説の見所を一つ増やしたようなものと思え
29 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:56
巽の「メタフィクションの謀略」は読んだけど、 他に良い評論ありますか? 笠井のとか。
30 :
吾輩は名無しである :02/09/22 21:59
ピンチョンとかバースとかメタフィクションとか関係なしに面白く感じるよ。 物語そのものに。
31 :
吾輩は名無しである :02/09/22 22:33
>>30 ほんとにちゃんと読んでるの? 「やぎ少年ジャイルズ」に挫折した苦い思い出あります。
32 :
吾輩は名無しである :02/09/22 22:35
>>30 おれもピンチョンとバースは読めないです。
やっぱり「面白い」というより「有意義」ってことで読んでるの?
バースはかろうじて「フローティング・オペラ」、「旅路の果て」(傑作!)、 「酔いどれ草の仲買人」くらいまでしか読めなかった。「レターズ」は積読w ピンチョンは「競売ナンバー」まで。「V」らの長編はことごとく撃沈。 読みきれなかったw
34 :
吾輩は名無しである :02/09/22 23:02
カルヴィーノの「冬の夜、ひとりの旅人が」、でしょう!!
35 :
吾輩は名無しである :02/09/23 00:38
私もピンチョンは読めてないんだが、ピンチョン以降で メタフィクションやってるヤシって誰かいる? 日本人でも外国人でもいいから
36 :
吾輩は名無しである :02/09/23 00:39
ていうかメタフィクションを簡単に説明しちくり マジ知らないので
37 :
吾輩は名無しである :02/09/23 00:47
>>35 日本なら阿部和重の作品がちょっとそれっぽい。「IP」とか。
あと村上春樹の「ねじまき鳥」もある種のメタフィクション。
ピンチョン以降の外国かあ。バーセルミとか? 具体的な作品の名前が浮かばない。
っていうか「死父」以外のバーセルミの作品をすぐさまいえるやしがいたら出てこい!
38 :
吾輩は名無しである :02/09/23 00:49
ピンチョン以前だが、小島信夫『別れる理由』はスゴイ。 群像に10年以上連載。刊行は1980年ごろだったような。
39 :
吾輩は名無しである :02/09/23 00:53
>>38 小島の「別れる理由」? そりゃあ知らなかった。探してみよう。
コルタサルの「石蹴り遊び」もメタフィクションと言っていいのか?
おーい、ixion! 出番だぞ!
40 :
吾輩は名無しである :02/09/23 00:56
メタフィクションに興味を持った人は、 とりあえず巽の本を読んでみましょ。
41 :
吾輩は名無しである :02/09/23 01:01
42 :
吾輩は名無しである :02/09/23 01:02
>>41 あー、そうだそうだ。大正解。あれは傑作。
43 :
吾輩は名無しである :02/09/23 01:41
>>41 『朝のガスパール』もわかりやすいメタフィクションだね。
44 :
吾輩は名無しである :02/09/23 01:42
『虚人たち』は違うの? メタの境界線がよくわかんないんだけど。
45 :
恵果ミ*・∀-ミ⌒☆13さい ◆5tlQkmQY :02/09/23 01:47
嘘を嘘と見ぬきつつ嘘をついて 嘘を信じて嘘に騙され見ぬきつつ 嘘に死ね!
46 :
吾輩は名無しである :02/09/23 03:20
批判を覚悟で言うなら、 モーニング娘。は究極のメタフィクション。 そもそもアイドルっていうのはメタフィクション的傾向が多分にあるわけで、 その極北はモーニング娘。だと思う。 モーニング娘。のこれまでの軌跡、売り出し方なんかぼんやり眺めてると、 その裏で暗躍してるのはもしかたらピンチョンではないかと勘繰ることさえある。 というか、そう睨んでる。決めつけてる。でなければ巽孝之。 もちろんここは文学板だから、モー娘。なんぞ知るか、黙れ、って怒鳴られるかもしれないけれど。 バースやピンチョン、ヴォネガット、筒井などを好んで読んできた僕の眼からは モーニング娘。もメタフィクションと言われる文脈の中に加えても遜色ないんじゃないか、と勝手に思ってる。
どう扱おうか、即座に判断しかねる書き込みだな・・・
>>47 いや、けっこうマジレスです。
何か言ってください。
最初からオーディションを公開したりして、舞台裏を見せるっていう点においては、 これまでの偶像ビジネスとは異なる手法だが・・・。 それをメタフィクションとするにはちょっと・・・。 モーというかハロプロを裏で動かしてるのは創価学会だしな〜。
叶姉妹の方が余程メタフィクショナルな気がするが。
>>49 >最初からオーディションを公開したりして、舞台裏を見せるっていう点においては、
>これまでの偶像ビジネスとは異なる手法だが・・・。
もちろんこれもそうなんですが、一番重要なところは
モー娘。メンバー個人自体、それぞれが自分は物語(虚構)のコマにすぎないって
自覚してる点だと思います。
さらにミニモニ、プッチモニなどで見られるように、
物語の中で分裂、再生、合体をしてまたそこから新たな虚構を生み出してくって過程もメタ的。
>モーというかハロプロを裏で動かしてるのは創価学会だし
これは初耳ですが、
池田大作って人物もメタフィクション的な存在。
>>50 叶姉妹とモー娘。どちらがよりメタフィクショナルな存在かはわかりかねますが、
同感です。
「芸能界で生き残れるか」をネタにしているタレントは、 お笑いだけではなく女性グラビア系などでも、 今ではあたりまえに見られる存在。 ハロプロ所属の奴らがテレビに出てるとテロップまでもが赤青黄色。うざい。
娘。がというよりも、むしろアサヤンがメタフィクショナルだったのでは。 あれがあったからこそ、今でもあたりまえに見られるようになったと。 今現在ではメタフィクションそのものが制度化しているように。
文学よりテレビのほうがメタフィクションに適してるというか、 よりメタフィクションの魅力を引き出せるメディアな気がするなぁ。
56 :
吾輩は名無しである :02/09/23 04:53
最近のお笑いはメタだね 番組中で 「若手はこういう風に前に出ろ」とか 「こういう時はこのパターンだ」とかみたいな発言が多い 直接笑わすんじゃなくて、メタレヴェルで笑わそうとする
57 :
吾輩は名無しである :02/09/23 04:58
>>56 あるね。そういう笑い。
観客と演者と共通理解がないとダメな笑い。
楽屋落ちとメタの線引きが難しいところだけど。
しかし、池田がメタフィクションなら、 オウムの面々はどう説明するんだ?
60 :
吾輩は名無しである :02/09/23 05:13
今週のこち亀はメタフィクション
61 :
吾輩は名無しである :02/09/23 05:14
62 :
吾輩は名無しである :02/09/23 08:36
面白い展開だね。興味深いよ。 メタフィクションとテレビアイドルの関係性。
63 :
吾輩は名無しである :02/09/23 08:46
アイドルという物語と眼差しへの欲望。
>>61 アンダーグラウンドはノンフィクションと見せかけて
実は作者の自作自演オンパレード。
65 :
吾輩は名無しである :02/09/23 09:51
テレビのお笑いなんて芸人がネタを考える暇も与えないからメタ的なものに なっちゃうんじゃないの?特に普通の芸能人と一緒に出ることが多いしさ。 観客と演者の共通理解というよりは、演者同士での共通理解のためって感じ。
66 :
吾輩は名無しである :02/09/23 09:56
ダウンタウンだね。
67 :
吾輩は名無しである :02/09/23 10:02
エヴァもメタフィクション?
68 :
吾輩は名無しである :02/09/23 10:05
うん
69 :
吾輩は名無しである :02/09/23 10:20
今、メタってどういうのをいうの? 作品自体が何かの隠喩になってるヤツ?
70 :
吾輩は名無しである :02/09/23 10:41
作品自体がその作品の隠喩になってたりもしいます。
71 :
吾輩は名無しである :02/09/23 11:45
72 :
吾輩は名無しである :02/09/23 12:03
73 :
吾輩は名無しである :02/09/23 12:28
あだち充の漫画もメタフィクションじゃない? よく作中に過去の漫画のコミックスや作者自身も出てくるし。
74 :
吾輩は名無しである :02/09/23 12:30
それは、メタファーかもしれない。
75 :
吾輩は名無しである :02/09/23 14:51
松本零死は死ぬ前に、これまでに描いた作品の登場人物を全員一同に集わせる 作品を描きたいと言っていた。メーテルと森雪がキャプテンハーロックを奪い合い、 二人ともフラれ、二人は次にサイボーグ009へ。しかし009がサイボーグと知った森雪は、 やっぱ人間よね、と男おいどんの元へ。自分も人間ではないメーテルは、 009とめでたく結ばれました。エンディングに流れるのはもちろんダフトパンク!
76 :
吾輩は名無しである :02/09/23 15:15
マムガはよそでやってくれよ。モー娘。は可。
モーヲタは専用板に帰れ。漫画はスレもあることだし可。
78 :
吾輩は名無しである :02/09/23 15:20
だから漫画太郎くんたちは隔離スレでなめあってろって。 モー娘。は可。アギトも可。浜崎あゆみも可。でも漫画だけは絶対に不可。
漫画をいぢめると荒れるぞw<76 77
すまそ<78
メタフィクションの定義から始めようじゃないか
>>81 いや・・・それはもう定義されちゃってるからさ・・・。
そこまで話を戻さなくても・・・。
83 :
吾輩は名無しである :02/09/23 15:41
>>82 誰かがちゃんと定義を書いとけば、不毛な争いが減ると思う罠。
84 :
吾輩は名無しである :02/09/23 15:54
定義論になるとまたもめるしなあ。 でも最近はほぼネタだからね=メタ あんまり新鮮味はないなあ。
>>84 のようなポォズが、ここ最近のメタの扱われ方。
86 :
コギャルとH :02/09/23 15:56
87 :
吾輩は名無しである :02/09/23 16:02
>>85 ふうん、じゃあなんかネタふってみなよ。君のポオスを見せてごらん
88 :
吾輩は名無しである :02/09/23 16:10
曖昧にしかわからんのですが、舞台での傍白とかもメタフィクション?
89 :
吾輩は名無しである :02/09/23 16:57
ジョン・ケージの「4分33秒」はメタ音楽。
いやあれはメタじゃないよ。あくまで実験だ。実験を実践するという のはまあ実験は実践によってしか開始されえないものであるという のは確かにそうだとしても、あれはまず作者という概念を完全に 取り払って、何もない場所というものに視点を注入している。 つまりサイレントミュージックというものの実践であるのだが。。。 などと思ったら大間違いだ。あれは間違いなく音符記号からの 音楽の開放をめがけて実践されているあくまでも「演奏」である。 「演奏」という概念の演奏とでも言おうか。しかしケージ自体の 考えでは、あくまでもサイレントという概念の否定化に接続しよう と試みているに違いない。純粋なサイレントなどありえないのだと。 それを端的に啓蒙的に教育の意味も込めて、教えているのかもしれない。 いずれにせよ受け手による解釈というのとは隔離されたところで 自己の作品を凝視する作者の存在を見るものに意識させるという 作品内における第三者の導入がいわゆる一般的にメタというそれじたい が批評として作品に反復される不可避の視点。言い換えればなにかの 作品に対してそれの外部を導入すれば、それがたとえ作者による意図を 解さない読者による無媒介的な作品への貫通行為であれ、それは メタと呼ばれて相応しいし、それこそがテクスト論の本質であると いうことは疑いえない。
91 :
吾輩は名無しである :02/09/23 19:11
催眠術のような書き込みだ・・・zzz
ネタでしょう。めちゃくちゃだもん=9十
93 :
吾輩は名無しである :02/09/23 20:36
メタメタ
94 :
吾輩は名無しである :02/09/23 21:30
ジョン・ケージの「4分33秒」はメタじゃないよ。あくまで実験だ。実験を実践するという のはまあ実験は実践によってしか開始されえないものであるという のは確かにそうだとしても、あれはまず作者という概念を完全に 取り払って、何もない場所というものに視点を注入している。 つまりサイレントミュージックというものの実践であるのだが。。。 などと思ったら大間違いだ。あれは間違いなく音符記号からの 音楽の開放をめがけて実践されているあくまでも「演奏」である。 「演奏」という概念の演奏とでも言おうか。しかしケージ自体の 考えでは、あくまでもサイレントという概念の否定化に接続しよう と試みているに違いない。純粋なサイレントなどありえないのだと。 それを端的に啓蒙的に教育の意味も込めて、教えているのかもしれない。 いずれにせよ受け手による解釈というのとは隔離されたところで 自己の作品を凝視する作者の存在を見るものに意識させるという 作品内における第三者の導入がいわゆる一般的にメタというそれじたい が批評として作品に反復される不可避の視点。言い換えればなにかの 作品に対してそれの外部を導入すれば、それがたとえ作者による意図を 解さない読者による無媒介的な作品への貫通行為であれ、それは メタと呼ばれて相応しいし、それこそがテクスト論の本質であると いうことは疑いえない。
まあ、さ。。。
バースのびっくり箱のなんとかかんとかってのが 未訳だ。
97 :
吾輩は名無しである :02/09/23 22:31
バースってあんまり面白くないね。 「有意義」かもしれないけどさ。
98 :
吾輩は名無しである :02/09/23 22:34
>>97 もう面白いのだけでいいね。文学的意義みたいなのはもういいよ。個人的意見に過ぎないけど。
いや、あれが一番メタっぽいのが いっぱい詰まった短編集の筈なんだが...
100 :
吾輩は名無しである :02/09/23 22:37
>>98 まったく同感。
有意義だから読むなんていう国語教育的な読書にはウンザリ。
メタフィクションが心底楽しめる人はそれでいいけど、
面白くないと思う人は無理して読む必要は無いと思う。
101 :
吾輩は名無しである :02/09/23 23:40
これまで読んきだ楽しめるメタフィクション。 競売ナンバー(文句なし) 重力の虹(文句なし) ユニバーサル野球協会(メタフィクションかどうか意見は別れるかな?) 雪白姫(微妙だけど楽しめた) ウォーターメソッドマン(文句なし面白いけど、メタかな) バースはヤギ少年ジャイルズしか読んでないけど、つまらんかった。
前のほうでモームスがメタフィクションではないか? って意見あったけど、わりと同意できる。 モームスをそんなに熱心に見てるわけじゃないけど、 同じようなこと感じてた。虚構を虚構として過剰に演出してる感じが。
103 :
吾輩は名無しである :02/09/24 00:26
やっぱり筒井とか高橋源一郎(の書評)とかを経由してるから、 超虚構とメタフィクションとポストモダンがごっちゃになってるなぁ>おれ
>>101 レムの「完全な真空」と「虚数」が抜けてる。
>レムの「完全な真空」と「虚数」が抜けてる。 そういうのは戯作っていうんじゃないかな?
>>105 ま、一般的にメタフィクションって
「小説についての小説」だろ?
107 :
吾輩は名無しである :02/09/24 05:13
>>106 その定義は危険でしょう。
たいていの古典小説が当てはまってしまう。
バースはねぇ…やっぱり分かりやすくて面白い、ってのは初期作品 だろうし、上で挙がっていた『ビックリハウスで迷子』という短編集 は面白いと思うけど(表題作だけは集英社、宮本陽吉編『アメリカ 短編24』で読めます)、物語の「枠」から上手く「枠の中」へと移って 行けていないときもあるし(最新作は読んでないけど)。 だから、長編なら『船乗りサムバディ最後の航海』あたりがいいのかな? でも、あまりにも「文学的」になろうとしているのと、思いっきり男性至上 主義的(なのはしかたないんだけどさ)な点で、嫌いな人は徹底的に嫌い かもしれない。究極、バースは自慰作家だしなぁ…^^; あとは、未訳だけどA・S・バイヤット『バベルの塔』あたりもある種の メタフィクションだけど、やっぱり何か「枠」を意識しすぎているので、 この作者は『ポゼッション、あるロマンス』(和訳のタイトルは『抱擁』) がいいかな、あんまりメタじゃないけど。
109 :
吾輩は名無しである :02/09/24 09:57
井上ひさしなんかも戯作者だけど、 メタフィクション作家の色合いが濃いなーって捉えてるんだけど、 間違いですか?
冨樫義博なんか典型的なメタ少年漫画家だと思うのだがどうよ。
111 :
吾輩は名無しである :02/09/24 10:12
木多康昭は?
112 :
吾輩は名無しである :02/09/24 10:16
113 :
吾輩は名無しである :02/09/24 11:56
木多と冨樫はただのパクリ作家じゃないか
115 :
吾輩は名無しである :02/09/25 00:49
116 :
吾輩は名無しである :02/09/25 01:18
冨樫のどういうところがメタなの?
117 :
吾輩は名無しである :02/09/25 01:23
>>116 ぶっちゃけ筒井好きなところがジャンプ読者には新鮮だった
118 :
吾輩は名無しである :02/09/25 01:26
筒井好きなだけでメタ?
119 :
吾輩は名無しである :02/09/25 01:37
>>118 読んでみな
絵がうまくない分、語り口に工夫があるから
120 :
吾輩は名無しである :02/09/25 04:37
自ら意識的にアイドルという存在を演じていたり、 良く聴く音楽は自分の歌だったり、歌番組でのトークでは (歌の内容についてではなく)歌い方や踊り方のテクニカルな部分の 説明があったりする(自己言及性) 80年代アイドル像を完璧に踏襲している(過去の作品の引用) 以上の点から、松浦亜弥はメタアイドルである、と私は考える。 山口百恵、松田聖子から続いてきたアイドル像全てを飲み込んでしまう だけのポテンシャルを持った化物、それが松浦。
121 :
吾輩は名無しである :02/09/25 07:46
ヲタだらけのスレですね 晒しage
122 :
吾輩は名無しである :02/09/25 10:01
筒井って、アイデアだけのような気がする。 読んでても思いついたときの浮かれた顔だけが思い浮かぶ。
123 :
相互リンク :02/09/25 10:26
母「おい、おまいら!!夕食ができますた。リビングに集合しる」 兄「2げっとずさー」 父「詳細キボンヌ」 母「今日は、すき焼きですが、何か?」 兄「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!」 妹「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!」 姉「>>兄 >>妹 ケコーン」 兄「>>妹(;´Д`)ハァハァ…」 姉「すき焼き程度で騒ぐ奴は逝ってよし」 母「オマエモナー」 父「--------終了--------」 兄「--------再開--------」 妹「再開すな!ヴォケが。それより肉うぷキボン」 母「しらたきうp」 姉「↑誤爆?」 兄「野菜age」 母「↑誤爆スマソ」
父「ほらよ肉>家族」 妹「神降臨!!」 兄「野菜age」 母「糞野菜ageんな!sageろ」 兄「野菜age」 姉「野菜age厨uzeeeeeeeeeeee!!」 妹「野菜sage」 母「ageっていれればあがると思ってるヤシはDQN」 セールスマン「イタイ家族がいるのはこの家ですか?」 母「氏ね」 父「むしろ生きろ」 兄「野菜age」 妹「兄必死だなw」 セールスマン「そんな事よりきいてくれよ一家よ。すき焼きとは関係ないけどさ。」 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
126 :
吾輩は名無しである :02/09/25 14:26
>>119 冨樫作品はひととおり読んでるが、どの作品?
またどんな意味で?
127 :
我輩は名無しである :02/09/25 14:30
2chは信用できない話し手ばかりなり
128 :
名無し募集中。。。 :02/09/25 18:09
キタ━━(●´ー`●)゜〜゜ノ|`.∀´)〜^◇^)´Д`)^▽^)0^〜^)‘д‘)´D`)━━!!!!!
129 :
吾輩は名無しである :02/09/25 18:10
130 :
名無し募集中。。。 :02/09/25 18:10
メタって次みたいな意味? 見沢知廉がよー使ってるな
132 :
吾輩は名無しである :02/09/25 18:12
>>130 実は正解。古代ギリシア語ではその通り。
メタフィジック(形而上学)は
フィジック(自然学)の後に来るものらしい
133 :
名無し募集中。。。 :02/09/25 18:13
文学板っつても微妙だな 泥の川があがってるようじゃな
134 :
名無し募集中。。。 :02/09/25 18:15
形而上って抽象的なもんの事か つうかここは純文を語る板なわけじゃないのか
「信頼できない語り手」じゃなかったっけ? ま、一緒か。
136 :
吾輩は名無しである :02/09/25 18:15
だからヘヴィー・メタるはハードロックの後なんだ!
137 :
名無し募集中。。。 :02/09/25 18:16
メタル野朗汗臭い
138 :
吾輩は名無しである :02/09/26 01:58
春樹の作品にひとつだけあったようななかったような……。 早稲田文学に掲載されて単行本に収録されていない……。 でもメタとは呼べないのかもしれないがどうなんだろう……。
139 :
吾輩は名無しである :02/09/27 01:37
いずれにせよすでに古典ですね<メタ系小説
別に書きたきゃ書いたっていいだろ
141 :
名無し募集中。。。 :02/09/27 16:16
モーニング娘。×つんくってのがでるけど、
ソレ見ると、やはり
>>46 の言うとおりメタフィクション的な一面が
覗けるのだろうか??
誰か買った人いないですかね
自分の事を自分で解説しちゃうってのがメタなんだろ モー娘。ってのはメタアイドルなんだな 昔のアイドルは自分からアイドルが成り立ってる構造を暴くなんて しなかったもんな だから俺はピン著ンがどうメタなのか分からん
143 :
吾輩は名無しである :02/09/27 20:43
>>1 よ。
このスレの
>>1 よ。
駄スレを立てた
>>1 よ。
そう、お前だ。
今でも毎日このスレをチェックしているだろうか?
流石に見ていないよな。それはこのスレの下がりっぷりを見れば分かる。
現在、このスレは一覧の最下段にある。あと一人、
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
たった一人、おまえのように駄スレを立てる奴がいるだけでdat落ちする。
人間で言えば虫の息ってやつだ。気になるか?ならんよな。
初めてスレを立てたとき、掲示板に書き込んだときのことを、お前は憶えているか?
言いたいことは解るな。まさに今、お前の一部は死に往こうとしている。
それは駄スレを立てたお前自身の責任であり、罰だ。
正直、今だから言うが、このスレの
>>7 と
>>11 は俺だ。
>>100 のキリ番は今更ながら地味に嬉しかった。
他にもいくつか書いたし、自作自演もした(番号は勘弁してくれよ)。
ここまで伸びたってことは、俺よりも大切に見守ってきた他の参加者もいたに相違ない。
何がいけなかったのだろう?粘着を相手にしたこと?議論のループ?
違うな…もうこのスレは寿命だったんだ。ネタ切れってやつ。
もし、このスレを倉庫で見つけて、今読んでいる君がいたら憶えていてくれ。
パート10まで続き、各所で紹介される名スレがある一方、
志半ばで堕ちるこの
>>1 のようなスレが山のようにあることを。そして、君は名スレを育ててく欲しい。
さぁ、時間だ。最後の記念カキコ(sage)を送ろう。
クソスレ立てるなッ!
>>1 ……ッ!!
145 :
吾輩は名無しである :02/09/27 21:16
こういうコピペも引用なのでメタフィクショナルなものとして考えてみる。 スマソ何も思いつかん。
146 :
吾輩は名無しである :02/09/27 23:47
>>108 フォークナースレ荒しの張本人
おまえうざい。来んな。
147 :
吾輩は名無しである :02/09/28 00:47
アイドルなんかどうだっていいよ。くだらない・・。
148 :
吾輩は名無しである :02/09/28 00:54
>>148 何を言っても分からない人というのはいる訳で・・・まあ放置しておきましょうよ。
151 :
吾輩は名無しである :02/09/28 20:50
自作自演もメタ的であると考えてみ(r
というか自作自演ではない訳なのだけれど・・・
モーより華原朋美にメタを感じたがな俺は。
154 :
吾輩は名無しである :02/10/01 18:58
ピンチョンスレに対抗age しかしこちらもネタがあるわけではない。 カルヴィーノ「パロマー」買った。でもまだ読まない。 文庫本で入手しやすいメタものって何かありますかね? (筒井と高橋は読んでるからそれ以外で)
>>154 「ユニヴァーサル野球協会」は絶版かな?
ジイドの「贋金つかい」は岩波と新潮でタイトル違ったな・・・。
クンデラの作品は幾つか集英社文庫でも出てる。
純文学じゃないけど・・・・
笠井潔の「天啓の宴」「天啓の器」
竹本健二の「ウロボロスの偽書」「ウロボロスの基礎論」
この4作品は純文学好きでもメタフィクション読むような人なら
十分楽しめる(と思う)。
156 :
吾輩は名無しである :02/10/02 09:06
>>155 「ユニバーサル」は読んでた。あれは良かった。
ジイド、クンデラ、笠井、竹本は今度どれか買ってみよう。
ありがと。
157 :
吾輩は名無しである :02/10/02 11:01
構造化されたコンピュータプログラムにはメタクラスというのがります。 それは相対的な立場を表現するときに使うもので、例えば 「AはBに対してメタクラス(メタ情報を与える)」のような表現をします。 メタフィクションっていうのは「フィクションの構造自体を扱うもの」 ということでいいんでしょうか? メタっていう言葉は英語の辞書にも「メタ」としか書かれていないし、 インターネットで調べてもみなさん仰ることが違っているようです。 「インフラ」という言葉の意味を理解する時のとまどいと同じ感覚を覚えます。
>>157 インフラは辞書をひくと一発で訳語が出るけど?
159 :
吾輩は名無しである :02/10/02 12:34
結局みんなメタの意味が分かってないような・・。
160 :
吾輩は名無しである :02/10/02 14:30
定義に関してはジィド以来というので合ってるだろ
161 :
工藤伸一 ◆j1HkWi6c :02/10/02 14:51
メタ=シュール=超、じゃないんですか?
162 :
吾輩は名無しである :02/10/02 14:56
フランツ・カフカ
>161 そーゆー漠然とした決め付けが混乱を助長するんだってば!
164 :
吾輩は名無しである :02/10/02 15:24
>>155 関係ないけど笠井潔って笠井アナの親戚らしいね。
由良君美
166 :
吾輩は名無しである :02/10/02 16:33
metafiction n. メタフィクション ((フィクションを創造すると同時に,その構築自体 について記述,分析するようなフィクション)). ふむ、辞書的にはこれで良いんでしょうけどね。 自己言及性、自意識過剰、引用、小説内小説、入れ子構造、、、 ん〜、あと何だろ?
でも普通に『罪と罰』とかでもメタ的な読みすれば、できるわけ だしね。突き詰めると、辻仁成なんかがすでに死ね死ね言われる のだってメタ的な観点から直リンしているわけだ。いっとくが 辻擁護じゃないよ。ある程度小説の読解しようとすると、必然的 にテクストの書かれた形跡まで読み込むようになる、と持ち上げる 力によって引っぺがされたテスクトと著者と物語への感情移入とか が3次元的な相対性の中で奥行きを獲得してしまうわけだ。 つまり、小説にとって本質的に関係のない世界=経験的な感性を 司る主体的な判断に、物語の描写といった恣意的なものが回収され ることを免れない。読みというのはある程度そういう行為を達成しない と醸成されていかないというのも確かだが、あらゆる思考が経験的 な判断に回収されていくのと「メタ」であるのとは絶対に切り離して おかないとまずい。形而上を忘れて実存に走るのは、あまりに19世紀 への回帰だし、実存から形而上へ、というのもすでに散々啓蒙されてき た哲学体系の反復にすぎない。ロブ=グリエの反復を読んだ人なら分かる があの小説は、主体における告白であって「メタ」ではない。 つまり「メタ」というのはきわめて時代を読む力に包括されている といってよい。たとえば『あらゆる場所に花束が……』は「メタ」だ。 しかし『海辺のカフカ』は「メタ」ではない。『本格小説』も好きだけど 「メタ」ではない。
やはり共通した「コレ」という・・イデアみたいなものははっきりしません。
>>160 ジィド以来ということはジィドも含まれますよね?
オレは「狭き門」しか読んだことないけど、あれもメタフィクションですか?
個人的には他の小説と形式上一線を画す点が分かりません。
>>167 具体的に例まであげていただいたのにオレ的には理解できませんでした。残念。
ネバーエンディングストーリーとかはメタと言えるのでしょうか?劇中劇。
>>158 >インフラは辞書をひくと一発で訳語が出るけど?
確かにそうですね。でもオレが中学生のときは「社会資本」という訳語自体
が漠然としていたし、「道路」と「電柱」の共通性が分かりませんでした。
また逸れるけど「イデア」っていう言葉も最初は理解に苦しみました。
169 :
吾輩は名無しである :02/10/02 22:19
よーするにアレだ。シニフィアン≠シニフェでなく シニフィアン≠≠シニフェ、シニフィアン≠≠≠シニフェ、とか こんな感じ?
170 :
吾輩は名無しである :02/10/02 23:31
171 :
吾輩は名無しである :02/10/03 02:04
はーー で、バーチャルとメタはどうちがうんでしか?
>>171 ヴァーチャルは現実を模したもので、メタは超現実。
先生、これで合ってますか?
そうだね、合ってるね。 とても簡潔な答えだよ、172。
174 :
吾輩は名無しである :02/10/03 02:40
超現実ってなんですか? シュールのSF言語、スか? 語源を教えてくだされ
175 :
吾輩は名無しである :02/10/03 02:42
176 :
吾輩は名無しである :02/10/03 03:18
わかった。 メタってメタルのメタなんだね。つまりヘビメタって重厚なメタか‥‥ すると、昔「メッタメタガキ道講座」ってあったけどあれは少年版ではあまりにも早すぎたわけだね。 ヤスジは超現実だったわけだね。 その後に菅原文太が「時代はバーチャル!」とか言ってたしね。 なんかの符丁なのかな。難しいよね、現実って。
177 :
吾輩は名無しである :02/10/03 15:15
超現実とは現実性にさらに現実的なものを加えたもの。 だと言葉上、おもうんだけど。 現実性から現実的なものを乖離させるようない印象がある。 だから超=メタでわないですわな。とおもうこのごろ。
メタフィクションの「メタ」は メタ言語の「メタ」って読んだことあるよん! え? メタ言語って何かって? それはその、、、 (しどろもどろしどろもどろ)
メタ言語というのは、言語を定義する言語ということです。 仕事では携わったことがないので詳しく知りません。すみません。 メタクラスならもうちょっと分かります。 例えば「オレ」という人間がいます。オレは人間で、人間はほ乳類で、 ほ乳類は動物で、動物は生物です。 それぞれ下にいくほど、そのモノの「属性を表現する」ことになります。 この場合に「オレ」という物体に対するメタ情報を与えてくれるのが 「人間」というクラスです。 ほ乳類というクラスは人間に対してメタ情報を与えます。 逆にほ乳類の一種である人間という見方をすればスーパークラスになります。 「人間」は「ほ乳類」のスーパークラスって感じです。 だからメタというからには相対的でないとダメで、「誰から見てメタなのか」 が大事だなと思う次第です。
180 :
吾輩は名無しである :02/10/04 21:24
>>173 センセイ、無責任なこと言わないでください
181 :
吾輩は名無しである :02/10/04 21:36
メタが相対性に関わる言葉だってのは何となくわかったが、 メタ言語の具体例が知りたい。
目立たないということで却って話題にのぼってしまう人。
183 :
吾輩は名無しである :02/10/04 21:44
岩波国語辞典から引用 【メタ言語】 言語(言語表現)について論ずるのに使った場合の言語。 #metalanguageの訳語。普通の使い方での言語を「対象言語」と呼ぶ のに対して、特に区別する。この区別を無視すると、例えば「がが助詞 なら文頭には立たない」の文頭にその「が」が使ってあるというような、 説明の難しい問題が起こる。この辞典で「Aの意。また、B」のように書い てある「の意」「また」の部分は、表現AやBに対するメタ言語表現の例。
184 :
吾輩は名無しである :02/10/04 21:46
??よくわからん?? こんな私は逝ってよしですか?
ま、
いきなり否定されちゃったけど、基本的に
>>106 で、いいだろ?
186 :
吾輩は名無しである :02/10/04 21:55
187 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:10
具体例って何? 作品について?
188 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:18
筒井の『亭主調理法』はメタじゃないですか?
まだだよ。「の意」とか「または」という接続詞、指示代名詞、関係代名詞 等々をさして「メタ」でありえる必要条件ということなんだから、それを 「メタ」として完結させるには、「A」「B」の相対関係性が如何に人間 主体であるか、人間の判断主体、連関の必然性が「の意/または」 だけでは曖昧なんで、それはあくまで辞書的なアナロジーへの招待 という概論=メタなわけで、辞書はそれ自体メタ的なアルシーフだし それからメタの概念を抽出しようとしたって、メタからメタを取る、 つまりメタの前後関係を洗い出すことなしに、それを「メタ」と言い切る こと自体、それはただちに「メタ」レベルへ昇華されてしまうわけで 極論すれば「メタ」における具体例なんてありえない。それぞれ矛盾した 語義だし、メタの具体例はメタでしかありえないのだし、メタをメタで 結ぶ具体例だって、「の意/または」の辞書に回収されていかざるを 得ないわけで、つまり卵が先か鶏が先かというのもメタなわけだし。
てことはメタフィクションは 「小説についての小説」 でOKですか? 例えば千一夜物語とかですか?
ごめん、189と入れ違い。 ちなみにプログラムではXMLがメタ言語とかって言われてます。
192 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:30
普通に考えてこのスレで再三挙げられてる ピンチョンやバースなどのいわゆるメタフィクション作家から語るべきだと思う。 まぁ誰も読んでないんだろうな。常套句。
193 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:31
つうか元々メタってどこの言葉? 何用語?
194 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:34
ラテン語
195 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:35
ギリシャ語
196 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:35
士農工商メタSF
197 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:35
ギリシャ語の哲学用語
198 :
吾輩は名無しである :02/10/04 22:54
トータル・リコール
メ
タ
『トータルリコール』は確かにメタ的な第二次CG戦争への突入開始 の合図を告げる当時としては画期的な作品だった。この映像面での 超現実主義=シュルレアリスムがCGというインターフェイス上の テクニカルコラージュという複製技術をさらに複製するという二次 三次的なデータベース消費に表象される概念としてはもはや消尽の 方向へ向かっていることも忘れてはならない。
202 :
吾輩は名無しである :02/10/04 23:36
キミにメタメタ
ま、典型例として、 ある小説を構想中の作者の話と その構想中の小説そのものが 交互に出てくる様な感じの作品。 ま、実際ありそうで 具体例は無いかも知れないけど...
204 :
吾輩は名無しである :02/10/05 00:13
カルヴィーノとかそういう小説書いてそうだね それに付け加えて作家自身がその小説にひきずりこまれちゃうとか(w
205 :
吾輩は名無しである :02/10/05 00:14
タメタ
>>203 うーむ、それなら少し分かる。ありがとう。
でもきっと「それが全てじゃない!」ってことになるわけですよね。
208 :
吾輩は名無しである :02/10/05 01:11
筒井康隆『虚人たち』みたいなやつのことかな。
209 :
吾輩は名無しである :02/10/05 02:43
贋金造りをまず嫁 全てはそれからだ
210 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 03:06
>>172 それはおかしくないですか?
「ヴァーチャル」は「模擬」で「メタ」は「超越」という程度の意味にしかならないはずですよ。
どこに「現実」なんて意味が隠されているんですか?
「ヴァーチャル・リアル」と「メタ・リアル」なら、「模擬現実」と「超現実」になりますけど。
それで「メタ・フィクション」を訳すと「超現実」ではなく、「超物語」ですよね。
211 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 03:08
>>210 最後の部分、間違えました。「超物語」ではなく、「超虚構」ですね。
212 :
吾輩は名無しである :02/10/05 03:26
駆動 何を一人突っ込みやってるんだ。こんな夜中に。
213 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 08:03
いくつかわからないことがありますもので、教えてください。 漱石の「猫」とか太宰の「愛と美について」はメタフィクションですよね? それからメタフィクションとポストモダンの関係はどうなってるんでしょうか?
214 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 08:46
誰か答えてください。 田口ランディの話題とかそういうのは、 ここじゃなくて一般書籍板でやっててほしいんです。 こっちのほうが文学板らしくていいスレだと思います。
歴史を遡ってみても「メタフィクション」という類型が確立されて いた時代というのは明確になっていないし、ヌーボーロマンに代表 される一連の作品郡がそういった「メタフィクション」の概念貯蔵庫 であるということはいえるとしても、「メタフィクション」というのは どこまでいってもやはり概念であって、形式ではないのだろう。 概念から形式を加工するというのがポストモダンだとすれば、 「メタフィクション」という概念の流通過程に沿って、70年代から80年 代への移行が行われたのであり、その点で言えば「猫」も太宰も、 メタ以前である。メタの定義を今一度明確にしておくと、あくまで 語の物質性に直面した媒介物としてのテクスト認識に基づいている わけで、その意味で言うと、「猫」は物語的位相の中で語の無媒介 な面を強調しているので、「メタ」とは最も遠く離れた存在である と私には思われるのだが…。
ポストモダンは知らんが 構造主義あたりでポイポイってかたずけられるでしょ。メタ文学ごときは。 ジャック・ラカンとかで。
217 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 09:11
>>215 難しい話ですね。ただ単に僕は「メタフィクション」の定義を
「書くということについて書かれた小説」ということだと思っていたので、
漱石や太宰を引き合いに出してみたんですが、違うようですね。
僕はポストモダンに関する勉強が足らないので、出直してきます。
>>216 そういえば「文学板はくだらない」と言い残して「哲学板」に行ってしまった
方がいました。やはりこの辺の話題はここでは相手にされにくいんでしょうね。
構造主義ですか。それなら哲学板に行ったほうがよさそうですね。
なんでメタフィクションが語の媒介物としての物質性を 強調した文学になるんだろ?よく分かりません。
>>218 ああ、オレも同じ部分が気になりました。
しかも、せっかく「定義を明確に」してくれているにもかかわらず
理解不能な自分が悔しいのですが・・・・
形式ではなく概念というのは分かります。今までの流れを見ていると
結局「ちゃんと説明できる人」はいないということですね。
あくまで個人的意見ですが、メタフィクションにおける「メタ」という
接頭語(?)は誇大に解釈されていると思います。
字義から遠く離れてしまって、ミステリアスなものになっていると思います。
220 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 12:33
途中でコンピュータ用語の「メタ言語」の話が出てましたよね。 ソフトウェアを構築する際に使用する言語とは別に、表に出てこない情報を ソフトウェアのなかに忍び込ませるときに「メタ言語」が使われますよね。 それと同じで「メタフィクション」は「本来なら書き表さないはずの物語構築上の 秘密をわざわざ物語中に描くことによってなされた小説」ということではないのでしょうか? そもそも「メタ」は「超越した、上にある、隠された」など曖昧な意味を持つ言葉ですし。
221 :
吾輩は名無しである :02/10/05 12:38
そもそも「メタフィクション」って言葉の言い出しっぺは誰? それでそれはいつ?
222 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 13:02
>>221 どうやら世界的にはメタフィクションの歴史は長いようです。
それがメタフィクションと名づけられたのは1980年代前半で、
日本でブームになったのは1980年代後半から1990年代前半にかけてのようです。
ですから、実際にはメタフィクションという言葉が出来る以前からメタフィクション
はたくさんあったということです。
メタフィクションという言葉をネットで検索してみると、
メタフィクションについていろいろな意見があるようですが、結局のところ
「お約束に基づく虚構世界のルールをねじまげたり馬鹿にしたりしてみる」
というのがメタフィクションなんじゃないでしょうか。だとすればやはり、
作中で小説のお約束事をちゃかしてみたりすることもあった漱石や太宰も
メタフィクションをいくつか書いていることになると思うんです。
223 :
工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/10/05 13:27
あと、途中で「メタアイドル」なんて概念に言及したレスが見受けられましたが、 僕が思うに「メタアイドル」といえばちょっと古いたとえですが、キョンキョン こと小泉今日子だと思うんです。キョンキョンはテレビの音楽番組で司会者に 「キスをしたことはありますか?」と聞かれて、「アイドルだから、あっても言えませんよ」 なんて答えていました。「なんてったってアイドル」なんて歌も歌ってましたよね。 モーニング娘。の面々もその流れで「アイドルだから、オナラしません」 とか言ってたりもしますから、「メタアイドル」の流れを汲んではいるのかもしれません。
224 :
吾輩は名無しである :02/10/05 14:47
ヴァーチャルアイドルはホリプロの伊達杏子
226 :
吾輩は名無しである :02/10/05 16:00
>>203 >ある小説を構想中の作者の話と
>その構想中の小説そのものが
>交互に出てくる様な感じの作品。
クノーの「イカロスの飛行」みたいやつ?
たしか登場人物が逃げちゃって、
最後にまたもどってくるようなストーリーだった。
難しく考えるな。ひとことで言えば 「楽屋オチ」
工藤さんの >それと同じで「メタフィクション」は「本来なら書き表さないはずの物語構築上の >秘密をわざわざ物語中に描くことによってなされた小説」ということではないのでしょうか? というのはオレにとっては分かりやすいです。正しいかどうかは、反論している人も 賛成している人もいないのでよく分かりませんが。 それと、「秘密」というのはテクニックとか手法ということだと思いますが、 「いままでにない物語スタイルを確立しようと悶々と苦悩の日々を送る凡庸な小説家」 の物語があったとしたら、これがメタフィクションの一つのスタイルになると いうことでしょうか?
230 :
吾輩は名無しである :02/10/05 17:58
一見楽屋落ちっぽいけど、楽屋落ちが楽屋落ちとして機能してないみたいよ>君にメタメタ リアリズムではないから読む必要があるようだね
231 :
吾輩は名無しである :02/10/05 19:59
カチャ ターン カチャ ターン カチャ ターン カチャ ターン カチャ ターン ;y=ー( ゚∀゚)・∵ ;y=ー( ゚∀゚)・∵ ;y=ー( ゚∀゚)・∵ ;y=ー( ゚∀゚)・∵ ;y=ー( ゚∀゚)・∵ / .<| y |.\/ <| y |.\/ <| y |.\/ <| y |.\/ <| y |.\ \(゚∀゚ )ー=y; ∵・(゚∀゚ )ー=y; ∵・(゚∀゚ )ー=y; ∵・(゚∀゚ )ー=y; ∵・(゚∀゚ )ー=y;/ .∵・| y |> \/.| y |> \/.| y |> \/.| y |> \/.| y |> ターン カチャ ターン カチャ ターン カチャ ターン カチャ ターン カチャ
232 :
吾輩は名無しである :02/10/05 20:21
単に215はデタラメをかましているだけだと思うのだが。 メタフィクションはフィクション(虚構)に関わるものの はずだから、語という形式的な素材とは関係ないのでは。 虚構=ルールのようなもので、そのルールを作成・指示したもの がそのルールの支配する世界に現れてくるというようなものかぁ? 巽某の出した「メタフィクションの思想」はリアリズムと対比して いたり、ヴァーチャルリアリティを取り込んだ小説をメタフィクション と呼んだりして激しくメタフィクションの意味を取り違えていると思た。
筒井康隆はメタフィクション作家なんですか? SF作家ではないんですか? 1からずっと読んできたけど良く分からん。 SFとシュールリアリズムとメタフィクションってどう違うの?
筒井康隆はSFからスタートし、 文壇では小説扱いされないジャンルのために文学賞を受賞できず、 その怨念で純文へ殴り込みをかけました。 筒井の作風は、純文では通用しないため、 何らかの技を備えていないといけなかった。 それで彼は様々な実験を繰り返している。 読者はただ単に、その実験を味わう。 所謂純文の読み方とは異なる。
要するに、読み手側の深読みって事なんですか?
236 :
吾輩は名無しである :02/10/06 00:08
小島信夫とか後藤明生あたり出てきたっけ?最初から流していないんで ごめん。 後藤明生の意識はともかく、小島信夫の無意識はかなりメタフィクション していると思うんだけど。
「メタミステリ」だと竹本などの名前がよく挙がる。
>>236 小島の作品には、主人公がいきなり作者に電話してくるシーンがある。
そこからはもうメタメタ。実在の人物とのパーティはあるわ、
作者(小島)に文句を言う主人公はいるわ…
>>238 例としてはとっても分かりやすいです。(ありがとう)
でもそれがメタフィクションだと言われると、
「なんだ、単なる手口(テクニック)の一つで、別にメタ的じゃないじゃん」
と思ってしまいます。
そしてガリバー旅行記やガルガンチュワなんかもメタの範疇になってしまい、
結局は古典の世界から存在する(名前がついてなかっただけの)技術だと見なせます。
ってことでオレも
>>232 と同じく、メタフィクション等と言っている人たちが
メタ・・という言葉の使い方を間違っているという風に思います。
『マトリックス』での電話の使い方は上手い! わざわざプッシュ回線ではなくダイヤル電話を使っているところとか。
マトリクスはメタフィクション?
で、トリストラムシャンディは最初のメタフィクションということでOK?
243 :
吾輩は名無しである :02/10/06 00:51
>>240 押井守も同じこといってた
映画自体はつまらんが
>>243 あらら、マジっすか。
誰でも気付くことですよね。
でも「電話がかかってきた。すわ、出なきゃ!」という
感じがよく出ててよかった。
ストーリは部分部分で整合性に欠けていて激しく萎えた。1999年の
現在も現在らしくない。ストーリ・テリングの装飾が多くて未消化だったよ。
245 :
吾輩は名無しである :02/10/06 01:11
あそこでとっとと電話に出てりゃぁ、浮浪者エージェントと闘う必要もなかったのに! などというと盛り上がりに欠けるので言わない。 続編を想定しての作品だから腑に落ちない部分は多いね。観ていて面白いけど。
で、マトリックスはメタフィクション?
それとさ、人間の体温だとかをエネルギーに変換できるコンピュータのくせにさ、 なんで動力源が電池なんだろ。すげー笑う。あの電池つまんでるシーンはいつも。
見えているものが現実、見えてないものが虚構 でメタフィクションは見えてないものを「見えてないじゃん」 って物語の中で言ってしまっている状態。 『マトリックス』は見えてない部分を「見えてない」って言わず CGで全部見えている状態にしてしまった。ということで メタでも現実でもない、新しいフィクション。
でもさ、死んだくせにさ、自分のことを愛している女にキスされたら生き返り、 真の救世主になるってのも、何度観ても笑う。キスかよ! どうせなら2001年みたいに見た目も進化してほしかった。スーパーサイヤ人とか。
で、マトリックスはサイエンス・フィクションってことでよろしいか?
そうだな、 >「見えているこの現実世界は実はディジタル化された仮想空間だった」 というのは、まだ仮想空間てなヤツがはしりだった頃にこそ 可能な発想だったに違いない。んで、現実(20世紀)を語りながら 現実を統合しているプログラム(マトリックス)のことを語るのは一見メタフィクションの ように見えて、そのプログラムそのものを可視化し、観客に全体として フィクションのように提示しちゃっているところで“メタフィクション”のシステムから は外れる、ってなところかな?この手法をジョイスの「ユリシーズ」に 導入したらメタフィクションになってたかもしれない。
252 :
吾輩は名無しである :02/10/06 01:39
マトリックスの描いた世界は事実だからノンフィクション。
253 :
吾輩は名無しである :02/10/06 02:21
伊達杏子は生年月日があるのに老けない。なぜだ。
254 :
吾輩は名無しである :02/10/06 15:34
「所詮我々は物語の中の登場人物に過ぎないんだ」 と彼は言った。 「やれやれ」 ぼくはグラスに残ったビールを飲み干し、新しいビールをジェィに頼んだ。
>>254 実際の僕らが住んでいるリアルワールドも、
それで済んだら言うことないんだけどな。
「家賃の延滞分、今日中に払ってくれないと部屋に入れなくしますよ!」
「なにをかっかしてるんだい。所詮我々は物語の中の登場人物に過ぎないんだ。
家賃なんてものは物語の読者に払ってもらえばいいじゃないか」
「はあ?あんた、お金がなさ過ぎて、とうとう狂っちまったのか?」
「僕は決して狂ってなんかいないさ。僕はただ作者のいいなりになって、
作者が書いたとおりの言動をなぞることしか出来ない操り人形なんだからさ」
「やっぱり狂ってるとしか思えない。作者だって?一体、何の話をしてる?」
「哲学の話さ。あるいは物理学の話かもしれないし、宗教の話かもしれない。
いずれにせよ、僕が狂っているかどうかなんて事は、僕と同じく作中人物で
しかない君ごときに判断できるようなことではないんだよ。場合によっては、
作者自身が狂っているのかもしれない。それなら君も僕もそもそも狂人の妄想
から産み出された何の役にも立たないでくのぼうなのかも知れないよ」
「デクだか棒だか何だか知らんが、俺の知ったことか!とにかく家賃を払ってくれ!」
「ああ、今日はいい天気だね。怒鳴ってばかりいたら喉が渇くだろう?ほら、
冷たいコーラでものみなよ。話の続きはそれからだって遅くはない。物語は、
まだはじまったばかりだ」
「……それもそうだな。コーラはありがたくいただくよ」
「そうこなくっちゃ!気楽に行こうぜ、相棒!」
「コーラをおごったくらいで相棒呼ばわりされる筋合いはない!」
「ははは、まだまだ頭は冷え切ってないようだね」
「何だと!馬鹿にするのもたいがいにしてくれ!」
「まあいいさ。君のように今を精一杯生きるのはいいことだ。手に手を取って
がんばって、せいぜい荒唐無稽の一大スペクタクル巨編でも築いていこうじゃないか」
256 :
吾輩は名無しである :02/10/06 18:26
僕はこのスレでしみじみと思ったんだ、 工藤の作家への道は、 やはり入り口からやり直すべきだと。
257 :
吾輩は名無しである :02/10/06 18:33
駄文を堂々と載せる勇者クドー
258 :
吾輩は名無しである :02/10/06 19:13
とりあえづ 大家と店子の会話には読めない とだけ言っておく
とりあえずメタフィクションの傑作っていうのを教えてよ。 読んでみるからさ。
そういえば手塚の漫画に、この世は主人公が主役の芝居で、 主人公だけそれを知らないっていう設定のがあった。 親が叱るのは、シナリオにないことを主人公がした時。 周囲の人間は役者だから、なんとか芝居をミスることなく演じていく。 しかしある時主人公は気づく。 突然皿を投げても音がしないのだ。音響係の準備が出来ていないためだ。 そして彼は、シナリオの彫られている洞窟へと向かう・・・。 スレ違いでスマソ。
261 :
吾輩は名無しである :02/10/06 19:24
>>260 その手のパターンなら、
楳図かずおの方が数も多いし面白いよ
トゥルーマンショーみたいなもんか? あれもメタフィクション? じゃあ、なすびも?
>>260 その手のは、フィリップ・K・ディックのほうが早かったと思うんですけど。
266 :
吾輩は名無しである :02/10/06 20:23
早いか遅いかの話なんてしてねーだろ駆動ちゃんよ。 あいかわらず「ぼくがいちばん物知り」と言いたげだな。
……何でそうなるんでしょうかね。 普通のレスですよ。はあ。馬鹿らしい。
268 :
吾輩は名無しである :02/10/06 20:39
だったら 「その手のものだとディックにもあったね」 でいいだろヴォケ。
269 :
吾輩は名無しである :02/10/06 20:42
>>267 >>261 のようには書けないのでしょうか?
「ディックのほうが早かったと思うんですけど」
けど。けどぉ? けど何だよ!
頼むから工藤、Barスレから出ないでくれ。 隔離目的でたてたスレなんだから。 他のスレがおまいさんのおかげでハタメタになるのは忍びなくてのう。
271 :
吾輩は名無しである :02/10/06 22:03
楳図は、 『シリーズ怖い本』とか『イアラ短編』をまとめて読むといいよ
272 :
吾輩は名無しである :02/10/06 22:09
273 :
吾輩は名無しである :02/10/06 22:10
と「驚愕の荒野」
274 :
吾輩は名無しである :02/10/06 22:26
>273 「驚愕の曠野」は確かに傑作だあ。 234は、これ読んだ上で「ただ単に、その実験を味わう」とか言ってるのか。
275 :
吾輩は名無しである :02/10/06 22:39
人の好みはそれぞれナリよ。 274もピンチョン、カルヴィーノ、クノーを読んでごらん。傑作だから。
276 :
吾輩は名無しである :02/10/06 23:11
おおこりゃ失敬。 104を見てアマゾンで注文したんだけどまだ未読で。 届いて読んだら加えるナリよ。
>>276 アマゾンの書評読んだらすげぇ面白そうだった。
オレも買うぞ。
279 :
吾輩は名無しである :02/10/06 23:52
もう少し待つとレム著作集でるはず
おい! おまいら! 合計4400円の買い物を気軽にするなんて、うらやますぃでつね。
>>279 それはいつ出るのだ?そっちの方がいいのか?
>>280 出費は痛いけど、仕方がないのだ。欲望を押さえる事は出来ない。
ソラリスしか読んだことないから楽しみでやんす。 オレは注文しちゃったから国書のでいいや。・・・いいや。
その序文集だっけ? そういうのがメタなわけ?
『スタニスワフ・レム・コレクション』。 「ソラリス」原典訳を含み、5、6冊らしい。 ソースは文学界10月号。
285 :
吾輩は名無しである :02/10/07 00:39
ゼウスガーデン衰亡史 小林恭二 日本がディズニーランドのような遊園地に飲み込まれていく様を描く! ってな感じの小説。けっこう良いですよ。
なつかしいのう。ポストモダンかい?
ソラリス原典訳って、ハヤカワ版もそうじゃないの? レムは未訳、絶版が多いからそっちを重視して欲しい気もするけど。 あ、版元は国書刊行会
>>288 ハヤカワはロシア語版を底本にしていて、
文庫化で原典との照合をしながら改訳。
>>288 今こういうことやるの国書だけだろうと思ったら、やっぱりでしたか。
「ソラリス」の原典訳は沼野充義氏が労を執るという話だし、
「枯草熱」あたりが復活して来そうな期待感がありますね。
工藤さんが
>>255 で書かれているのはメタフィクションでしょうか?
この際細かいことはおいといて、諸兄の意見を聞きたいです。
反論が多いと思うのですが、その場合は出来れば「ここがダメ」
と具体的に教えてください。
>>291 工藤氏のがメタでないのは、鍵括弧付の会話内で、それが演技されている
という事実に尽きる。つまり「メタ」を演じているわけだ。物語中の人物
が「これはメタだ」とはっきり言うのは、現実との対比にはならない。
本当のメタフィクションというのはかぎ括弧付の会話というのがまったく
無意味に堕するという過程を踏んでいる。つまり理屈からすれば、工藤氏
のあれが、メタフィクションになるためには、すべての鍵括弧を取っ払って
会話ではなく地の文として、あの会話を描写しなければならないのだ。
メタフィクション奥が深いな......。
294 :
吾輩は名無しである :02/10/07 23:07
ガイ出かもしんないが、 『メタフィジックス [metaphysics] 形而上学 』 の「メタ」って意味合いもあるんだろ?
もちろん。それそのものだ。
296 :
吾輩は名無しである :02/10/08 01:02
自然学に対する省察が形而上学であることと、 虚構に対する省察がメタフィクションなのは並行するよ。 フロイトも心理学に対してメタ心理学を唱えたね。
297 :
吾輩は名無しである :02/10/08 01:25
タランティーノの映画は?
298 :
吾輩は名無しである :02/10/08 01:28
>>297 前半と後半の構成が逆だったらいけたかも
逆かよ!
俺かよ!
最近おまいクイズで金獲りまくってんな 俺に金くれ
302 :
吾輩は名無しである :02/10/10 22:54
奥田民生は「ロックとは何ぞや」と意識しながら廻りまわって メタな領域に達したのではないか。 パクリも含めてね。
>>301 あげんのかよ!
でも確かに1000万円近く、秋のクイズ特番何本かででもらっちゃったよ。
全部俺が優勝するなんて、思ってもなかったよ。
260の作品名は「赤の他人」ですね、確か。雑誌で読んだ覚えがあるけど、 はて、何の雑誌だったか。全集にはもちろん入ってるはずです。
ジョルジュ・ぺレックの「人生 使用法」もメタフィクションなのかな。何年か前に大枚叩いて買ったのにまだ読んでない。鬱だ・・・
306 :
吾輩は名無しである :02/10/12 00:05
>>305 ま、メタフィクション的な部分もあるんだろうけど、
ああゆーのは、百科全書的大作っていうんじゃない?
「白鯨」とか「重力の虹」とか...
307 :
吾輩は名無しである :02/10/12 19:08
だれかこれまでに挙げられた作品を整理してください
筒井康隆「虚航船団」 「利家とまつ」 「幕張」「鳴くようぐいす」 「テニスの王子様」 『パロマー』 小島信夫『別れる理由』 「ドン・キホーテ」 巽「メタフィクションの謀略」 「やぎ少年ジャイルズ」 バース「フローティング・オペラ」「旅路の果て」(傑作!)、 「酔いどれ草の仲買人」「レターズ」 ピンチョン「競売ナンバー」「V」 カルヴィーノ「冬の夜、ひとりの旅人が」 阿部和重「IP」 村上春樹「ねじまき鳥」 バーセルミ「死父」 小島信夫『別れる理由』 コルタサル「石蹴り遊び」 筒井康隆「驚愕の曠野」『朝のガスパール』『虚人たち』 「こち亀」 「冬の夜、ひとりの旅人が」 あだち充の漫画 ジョン・ケージ「4分33秒」 モーニング娘。 叶姉妹 池田大作 ダウンタウン エヴァ 松本零死 ダフトパンク 漫画太郎 アギト 浜崎あゆみ
ちなみに1から100まで。 101から誰かお願いします。
競売ナンバー、重力の虹、ユニバーサル野球協会 雪白姫、ウォーターメソッドマン バース「ヤギ少年ジャイルズ」 レム「完全な真空」と「虚数」 バース『ビックリハウスで迷子』という短編集 (表題作だけは集英社、宮本陽吉編『アメリカ短編24』で読めます) 長編なら『船乗りサムバディ最後の航海』 A・S・バイヤット『バベルの塔』(未訳) 『ポゼッション、あるロマンス』(和訳のタイトルは『抱擁』) カルヴィーノ「パロマー」 ジイド「贋金つかい」 クンデラの作品 笠井潔の「天啓の宴」「天啓の器」 竹本健二の「ウロボロスの偽書」「ウロボロスの基礎論」 フランツ・カフカ 由良君美 カルヴィーノ ジャック・ラカン 『罪と罰』『あらゆる場所に花束が……』「狭き門」 筒井『亭主調理法』 漱石「猫」 太宰「愛と美について」 クノー「イカロスの飛行」 小島信夫 後藤明生 フィリップ・K・ディック 「ガリバー旅行記」「ガルガンチュワ」 「トリストラムシャンディ」 ピンチョン、カルヴィーノ、クノー、レム ゼウスガーデン衰亡史 小林恭二 ジョルジュ・ぺレックの「人生 使用法」 「白鯨」「重力の虹」 トータル・リコール 『マトリックス』 トゥルーマンショー タランティーノの映画 小泉今日子 伊達杏子 奥田民生 手塚治虫「赤の他人」 楳図かずお『シリーズ怖い本』『イアラ短編』
結局101からもおいらがまとめたよ! ピンチョン、カルヴィーノ、クノー、レムっていうのは 結構頻繁に出てくるね。おいらも読んでみようと思た。
312 :
Prost ◆cheerzFXQc :02/10/13 18:48
おお! 乙彼! どれにしようか選べる! もうすぐレムの2冊届くからそれ読んで、その次に読むのを選ぶよ。
313 :
吾輩は名無しである :02/10/13 19:14
>>308 >>310 やっぱ、こうやって並べてみると壮観だね!
なんだかんだいっても最近の文学にとっての
中心テーマである事には違いないね。
ファイトクラブってメタフィクション?
315 :
吾輩は名無しである :02/10/15 18:23
いわゆる「下敷き」のある小説(金井美恵子とか)は、これはメタなのであろうか。 例えば、『ケンシロウ』という登場人物があらわれた瞬間、我々は『北斗の拳』を 連想せずにはおれないが、その「下敷き」を写したりひっくり返したり折り曲げたり いろいろ利用して書かれた小説。 一体それは、音楽でいうところの「ヒップホップ的手法」「サンプリング」「リスペクト」 と同じなのだろうか。
そりゃメタじゃないでしょう。 それを何と言うかは知らないが。
317 :
吾輩は名無しである :02/10/15 18:34
そういった小説は割とあるように思う。
レス早っ。 む〜ん、むつかしいねぇ。
>>315 登場人物の「名前」の問題は、面白いテーマだと思いますよ。
何のためらいもなく、何となく登場人物の名前を決定してしまうのは
浅はか過ぎて、僕は好きではありません。
320 :
吾輩は名無しである :02/10/15 18:49
>>319 へたれ作品を晒す浅はか野郎が
何を言うw
となるとピンチョン作品のどこがメタフィクションなのか?と考えてしまう。 ピンチョンってそれこそ膨大な「下敷き」を使ってるような気がするんだけど。 「スロー・ラーナー」しかまともに読んでないけどね。 たしかこれ解説にメタフィクションって言葉が出てこないんだよね。 やっぱ長編読まなきゃダメか。
>>314 映画で言ったら、『ファイトクラブ』よりも『フランス軍中尉の女』
(原作byジョン・ファウルズもメタフィクションかな)やホドロフスキー
の『ホーリー・マウンテン』なんかを見るとよく分かると思う。
ピンチョンの長編はメタフィクションっていうよりメガフィクション?
短編は別にメタではないと思う。
323 :
吾輩は名無しである :02/10/15 19:30
メガフィクションage
『エル・トポ』は観たけど『ホーリー・マウンテン』は見逃してるな〜。 ん〜、昔流行ったいわゆる「カルト・ムービー」を見直したくなってきた。 オーソン・ウェルズの『市民ケーン』や『フェイク』なんてちょっとメタ?なところが あったりするけど、あれはただの映画的「ギミック」なんだろうな。
工藤さんへ
>>292 については反論ありませんか?
「下敷き」の話が出ているけど、ベタベタな所でユリシーズは
メタフィクションですか?
あれはオデュッセイアを下敷きにしているけど、オレは共通点よりも
相違点のほうが多いと感じました。
「下敷き」というのはいわゆる「間テクスト」のことですか?
327 :
吾輩は名無しである :02/10/16 11:03
315ですが、「下敷き」って引用とか参照とかそんなニュアンスで使いました。 間違ってたら指摘して下さい。 「間テクスト」って何でしたっけ。
>>319 まじめに考察し続けると形而上学的な話になってしまうので、その辺の知識に
自信がない僕には現状、たいしたことは語れないとは思いますが、問題提起
だけは何とかしてみようと思います。国語辞典に掲載されている語彙を
引用して下敷きにすることでしか文学的表現がなされえぬものであるとしたら、
名声を得ている登場人物の名前や物語中のエピソードを引用して下敷きにする
行為はあくまでもその延長線上にある単なる文章技法の一環でしかないのかも
しれません。ちなみに僕が好きな小説のなかにも、こういった記号としての名前
の問題を強く意識した作品が数多くあります。
「吾輩は猫である」、「壁」、「さようなら、ギャングたち」などがそれにあたります。
なんか工藤がかわいそうになってきた
どっちかっつうとQPの方が哀れだけどな。
331 :
吾輩は名無しである :02/10/16 20:41
メタフィクションてなんか図式の単純化っつーイメージあるので ピンチョンは過剰さがあるし違うような気が
>>329 何に対しての感想なのかわかりませんが、正直言っていまの僕の知識レベル
では、ジョイスやバースやピンチョンについて語ることは出来ないと考えています。
無知の知ってやつですね。
工藤さん 自分じゃ気付いてないかもしれないけど、 何気ない言葉がここの住人をプチっとさせていると思いますよ。
またまた僕の知識の浅はかさを逆手にとって暴言を吐いてみることにします。 「人間は全てを知ることは絶対に出来ない。だから哲学は無意味である」という 哲学を標榜していたソクラテスは、メタ哲学者だったのでしょうか? そして「語りえぬものについては沈黙しなくてはならない」という ウィトゲンシュタインの有名なフレーズは、ソクラテスの「無知の知」の 焼き直しなのでしょうか?
無知の知とかね。 鈍感な人間が書くものなんて読みたくない。 そんな本を買うくらいなら森林保護NPOに寄附する方がいい。
336 :
吾輩は名無しである :02/10/16 21:17
なんのこっちゃよくわからんが 二者択一はよくないんでないの 意味があるか無いかじゃなくて相対的にマシだったらそれでいい 小説なんて全部メタフィクションみたいなもんだし いわゆるメタフィクションは普通の小説と比べて相対的によりメタレベルで書かれただけ とか思いました
>>315 既に他の媒体において有名になっている登場人物の名前が作中に登場すると、
読者である我々は純粋にその作品世界を読み解くための冷静な判断力を奪われて
しまうと言うことですね。しかしそれは同時に作中に記号としての言語が持ちうる
恐ろしさを露呈させる高級な批評の力が盛り込まれているともいえるわけです。
特に高橋源一郎の作品にはそういう例が顕著ですが、実は登場人物の名前が
キンニク大王やニコチャン大王であったりする必要はないのです。しかしあえて
そこでそういった記号を使用することによって、自ら産み出した作品世界を同じ
作品のなかで自らの手によってぶち壊すという奥深い作品構造の創出が可能に
なるんだと思うんです。だからたとえば数ある名作の語彙を変えてみるだけで、
途端にその作品がとんでもない代物に異化されてしまう面白さを味わえます。
ところで、現代の日本の文学作品の登場人物がいっぱい出てくる作品って、
ありそうですが、何かありませんでしょうか?あれば読んでみたいのです。
「村上春樹の小説に出てくる僕」と「村上龍の作品に出てくる俺」の会話とか、気になります。
源一郎はそうでもしないと何かがある風に仕立てらんないからじゃねぇの? はっきりいって寒い。工藤と似ている。 源一郎は書かなきゃいいのにと思う。
>>338 そこが高橋源一郎を評価するかどうかの分かれ目でしょう。
工藤さんは何故かそれを創作に生かし切るところまで達してないように思う。
やっぱ推敲不足?
>>338 そんなことはないと思いますよ。僕は高橋源一郎を読む際には、
とにかく出来るだけ記号にだまされて本質を見失わないようにと、
まさに「行間を読む」思いで読むようにしています。
三島賞受賞作「優雅で感傷的な日本野球」が「優雅で感傷的な日本文学」
の途方もないスケールのパロディ大作であっただけでなく、その方法論
が同時に、「たかがゲームに過ぎない野球に熱中するばからしさ」と、
「たかがゲームに過ぎない文学に熱中するばからしさ」がまったく同質の
ものに過ぎず、しかもなおそれをわかったところでやはり「野球バカは一生直らない」
のであり、同様に「文学馬鹿も一生直らない」ことの切なさを表現していたのだと思います。
現在連載中の「同時多発エロ」も、実は大切な文学の話をしてくれているに
違いありません。そしてまた陳腐なエロ駄洒落が出てくるのも単なる行稼ぎなんかではなく、
そこにも文学批評的な狙いがあってのことなんだと思います。
春の頃のような長文レス、ありがとう工藤。 この酩酊感も久しぶりだよ。
>>340 の追記です。「同時多発エロ」には、もしかすると、
音楽やその他文化系のさまざまな分野にエロというかロリータ商法が
蔓延している現状を揶揄する意味もあるのかもしれませんよ。まだ
連載中なので、なんともいえませんが。
もともと「ロリータ」って単語自体、文学畑から産まれたものですよね。 そういえば「ロリータ」の作者であるナボコフも、世界文学史的には ポストモダン作家に位置づけられていませんでしたか? 日本が誇るノーベル文学賞受賞作家である川端康成の作品にもロリータ 嗜好の傾向は数多く見受けられますし、アダルト産業と文芸産業には かなり近しい関係があるともいえるのではないでしょうか。 女流作家のデビューの低年齢化が話題になる昨今ですが、それも決して 過去の文学史の流れからするとおかしなことではありませんよね。 特に日本文学の場合、源氏物語や枕草子なんてかなりロリ入ってますし。
春の頃のような連続カキコ、ありがとう工藤。 一言逝っておくと、いろんな異常(と呼ばれる)性愛のなかで、 「ロリータ」だけが(特に日本で)定着したのはなぜかを考えてみよう。 トマス・マンの『ベニスに死す』で「タジオ・コンプレックス」という言葉ができたか? それだけ少女への愛情は普遍的なんだよ。別に文芸だけが近しいわけではない。 工藤は文学至上主義ではないと信じてるのだが。
文学の根拠は現実社会の秩序づけられた情感だから、文学至上主義っていうのが そもそも転倒した意味を帯びてしまうんだよね。 すべては同じ地平に開かれていながら、それが文学という枠組みに収束した 形態を象ってしまうことの根拠について、さらに考えてみよう。
ぺレック「人生 使用法」は、どうやって書いたのか、教えて。 訳者による解説を読んでも、イマイチわからない。
ぺレック「人生 使用法」は、どうやって書いたのか、教えて。 訳者による解説を読んでも、イマイチわからない。
再度伺いますが
工藤さんへ
>>292 については反論ありませんか?
無知の知とかおっしゃるのであれば、「無知でした」とか言えそうなものです。
ちなみに私は工藤さんが長文で括弧つきで書いてくれた文章がメタであるか
どうか全く判断できません。
唯一の反論らしい反論である
>>292 に対する工藤さんの見解を知りたいと思いました。
>>346 >>292 さんの意見を整理してみると、「地の文の独白こそが登場人物の本音であり、
台詞の内容はあくまでも登場人物の建前上の演技を示したものに過ぎない」という
小説作法上のルールがあるということなのでしょうね。それが正しいことなのか
どうか、それすらも疑ってかからなくてはならないような作品でなければ、確かに
メタ・フィクションとはいえないということなのでしょうか。正直言って僕には、
そのへんのことははっきりとは断言できませんが、過去にメタ・フィクションと
呼ばれていた作品のなかには、僕のようにあくまでも登場人物台詞の中でしかメタ
を表現していなかったものがあったような気がします。具体例はいますぐには思い
つかないのですが、思い出したら、またここに書きに来ます。
競売ナンバー読み中で保全
このスレ読んで、昔読みまくった本を久しぶりに引っ張り出してきちゃったよ(笑 とりあえず、バースについては「旅路の果て」や「フローティングオペラ」はメタフィ クションじゃない。ルールに沿って生かされていることを自覚している男の物語だ ったような覚えがある。 「酔いどれ草の仲買人」や「やぎ少年ジャイルズ」も基本的には同じだけど、その ルールがフィクションに関わるルールに移行してきているので、メタフィクション的 色合いが濃くなってる。 メタフィクションとして読むならば「キマイラ」と「サバティカル」。特に「サバティカ ル」は俊逸。ラストがいい。俺的にはやぎ少年の次に面白かった。 ちなみに「レターズ」は未読。
ピンチョンは上で誰かが書いてたメガフィクションってのに同意。ただし、「競売ナ
ンバー49の叫び」は訳者注があって初めてメタフィクションとして読める(笑
読者が作中から読み取った情報を元に作品内にもう一つの虚構を作り上げて、
その虚構によって小説内に入れ子状態が出来上がるって感じかな?
同じ意味でウンベルト・エーコの「薔薇の名前」もメタフィクションの境界例として
あげとこう。
バーセルミはメタフィクションとはちょっと違う気がする。漱石の「猫」をメタフィク
ションと言えるならバーセルミもメタフィクション。
判断は各々に任せます。
日本のだったら久間十義の「世紀末鯨鯢記」(まだ入手可能?)がまさに
>>203 が
書いてるようなメタフィクション。ベタだけど、分かりやすいよ。
メタフィクションはこのスレでは単純にテクニカルな問題として扱われてるようだけ
ど、メタフィクションのテクニックが目指していたものは物語の脱構築。で、脱構築
されて残るのが純粋な虚構。メタフィクションはその純粋な虚構を楽しめばいい。
その楽しみ方はモー娘。を楽しむのと同じ。
結構上の方で鋭いこと言ってるんだよな、みんな。
あっ、でも俺はモーオタじゃないよ(笑
シュールレアリズムとは違うの?
>>354 俺はシュールリアリズムは詳しくないんだけど、多分違うよ。
通常のフィクションてのは現実との対比の中で存在する。
現実⇔フィクションの相対関係の中。SFもミステリーも恋愛小説もファンタ
ジーもマジックリアリズムも、それから多分シュールリアリズムもその現実
に相対的な位置上のフィクションに含まれる。
でも、メタフィクションはそういったフィクションと相対的な位置に存在する。
現実⇔フィクション⇔メタフィクションって感じ。
具体的にどう違うかってのは読んで比べてもらうしかないけど。
すごい大雑把な説明だけど、反論訂正補足があればお願いします。
別にメタじゃないけど、バース、バーセルミ、ピンチョンが出てきてる のに、やっぱりFelipe Alfauの名前は出てこないのか…。 まー、メタじゃないといわれればそれまで。
おや。Felipe Alfauって作家は知らんかった。僕の知識は8年前からストップしちゃってる
からな(苦笑
>>356 メタじゃないとのことですがスレ違いにならない範囲内でお話していただけたら嬉しいっす。
アルファウは『ロコス』『クロモス』の2作品で知られる(っつーか、この2作 しかないんじゃないだろうか)スペイン生まれのアメリカ移民作家。で、彼の 作品『クロモス』は、1940年代に書かれたにもかかわらず、発掘されたのは 1990年代になってから(1999年に彼は死去)。その作品はナボコフやボルヘス を髣髴とさせると言われ、手法としてはバースやバーセルミ、ピンチョンなど のいわゆる「メタフィクション」作家を先取りするものだとして賞賛された。 作中に他の物語を挿入したり、映画のプロット(だっけ?)を入れたりし ながらも、移民としてニューヨークに生きることを叙述していくという作品 で、それほど「メタ」を意識させる訳ではないが、やはり先行作品としては 無視できない。 『ロコス』の方は『ロコス亭の奇妙な人々』として訳されているらしいが、 俺はまだ読んでない。『クロモス』は途中ちょっとタルイけれども、面白 かった。
360 :
吾輩は名無しである :02/10/25 00:36
>>355 >シュールリアリズム
っていったら超現実主義だんろ。
ダリの絵とか
文学だったらブルトンの詩。(読んだことないが(w
エルンストのコラージュ小説はちょっと面白いよん。
メタフィクション? とっくに太宰が書いてらw なにをいまごろ輸入してどーするw
太宰はメタドキュメンタリー・・(スマ
>>361 を!? 同志発見!
僕も
>>213 で太宰の名前を出してたんです!
でも該当作品が違ってたりするのでしょうか?
シュテファン・ツヴァイク
>>356 レスありがとうございます。
ちょっと興味深いんで、自分でも調べてみるとしますね。
>>363 太宰のメタフィクションって上のほうで「愛と美について」を上げてられましたね。
ちょっと詳しい話を聞いてみたいです。
シュテファン・ツヴァイクについても知ってる方は紹介をお願いします。
かなり古い作家なので、どうメタフィクションと絡んでいるのか興味があります。
それから
>>361 の発言ですが、メタフィクションに限らず小説の方法論あるいは
技法は誰かが先にやったからもう意味がないってもんじゃないです。
ちょっと言語感覚と物語の構造感覚に優れた作家ならばメタフィクション的な作
品なんて書いても全然不思議じゃないです。
80年代後半から90年代前半にかけてアメリカのメタフィクションが数多く紹介さ
れたのは技術の輸入というよりはメタフィクションによって得られる結果あるいは
効果があの時期に注目され必要とされたからだと理解しています。
そしてそれが消化されて生まれた日本の作品もあります。古いものなら大江健
三郎の「M/Tと森のフシギの物語」。それから高橋源一郎の「日本文学盛衰史」。
この2人はメタフィクションを紹介してた張本人達ですから、当たり前と言えば当
たり前ですけど(笑
ただ、今、メタフィクションそのものを語る意味と言うのは本当はあまりないかも
しれませんね。太宰がやったからとは別の理由で。
本来ならばバース、ピンチョンの影響下に出てきた次の作家達、(有名どころな
らエリクソンやジュリアン・バーンズ)あるいはさらにその次の世代の作家達が、
どうメタフィクションを消化し自分達の作品へと繋げていったのか語った方が意
味があるのでしょう。
あるいは知的ゲームとしてメタ的な視座で書かれている作品のの成立背景をさ ぐっていくとか。 その線でテーマを限るならば太宰の話や猫の話、ジイドやセルバンテスなんか の話も面白く語れると思います。。 ただ、正直言って僕の知識ではその辺全部をフォロー出来てはいないので、そ こら辺の話が出来る方が話をすすめてくださるとすごく嬉しい、というか楽しいで す。 すみません、最後逃げ腰で(笑
ということで、あげ。
369 :
吾輩は名無しである :02/10/25 20:05
シュルと混同する奴がいるとは……何読んでんだ普段
ツヴァイクは本当にメタだなあ、と感じる。 『メリー・スチュアート』は、作中ないでシェイクスピア悲劇がメリースチュアート の悲劇的な人生から始まっているとし、メルヴィルやらオースティンやら 作家名を次から繰り出して、それらの作品の台詞を小出しにしながら メリーとの整合性を高めていっている。伝記文学といえど、ドストエフスキー の影響なのか知らないが、ブロンテなのか知らないが、古典文学作品に共通する センティメンタリズム、扇情主義、騎士物語、不条理、とかそういうのが いちいち作家名と共に語りの上で言及されている。これってつまり「伝記」 っていうのがメリースチュアートの人生を意味しているだけじゃなくて、 代表的な物語形式を語りの上で整理した書庫のようにも読める。 別に「ボルヘス」というわけじゃなくって、「ボルヘス」はもう前衛むき出し ですけど、ツヴァイクってあくまでナラティブ、プロットにこだわる。 そう言う意味で、これは英国古典文学の「紋切り型辞典」で、つまり「メタ」 に該当するのではないか、と。
371 :
吾輩は名無しである :02/10/25 22:51
田口検証本、本日堂々発売! 馬鹿ども買え!! 我々の印税がかかっておるのだ協力しろ!
無礼きわまりない上記のカキコについてのお詫び。 田口スレの住人ですがお邪魔いたします。 ランディ周辺の汚猿が、盗作監視スレの 評判を落とすためのなりきりカキコを、 あちこちのスレで乱発しています。 こちらのスレッドを無礼なカキコで汚して申しわけありません。 どうかお許し下さい。m(_ _)m
>>370 ツワイクはマリーアントワネットしか読んだことがないのですが、
アレもメタでしょうか?
「ラストアクションヒーロー」にはシュワルツェネガーが本人役で出ている。 これも一種のメタかな。
松浦亜弥が美空ひばり作詞の曲を歌う そしてこの詞を題材にしたミュージカルも上演 どんなものになるのかは全然知らないが こんなものにもメタな薫りを感じて勝手に盛り上がってる俺はアフォ
>>371 我々? ってことは、僕にも印税が入るんですか?
このスレでの『我々』ということなら、そうなりますよね。
入らなかったら詐称罪で出版社を訴えます。
歌といえば八代亜紀の「舟歌」やら、 小沢健二がラップグループと一緒に歌った「今夜はブギーバック」やらは メタっぽい。
>>378 ハァアァァァァァッァァァァァァアァァ??
380 :
吾輩は名無しである :02/10/27 00:57
>>377 まさか小沢パートがスチャパートの「いつもながれているのはこんな曲」や「ヒットチャート第一位」であるからなんていう簡単な理由ではあるまいな貴様
>>374 なんか今までの流れからすると、ラストアクションヒーローはメタと
いうことになりそうですね。
陳腐だなー
382 :
吾輩は名無しである :02/10/27 03:03
>>382 ラストアクションヒーローがパロディ?
「何の」パロディだってんだ?
>>370 解説ありがとうございます。
ただの伝記作家だと思ってました(苦笑
ふと思ったけど、歴史とメタフィクションって相性がいい。
歴史自体がフィクションだからかな?
>>377 =383
確かにスチャ→小沢のつながりは面白いね。
BOSEの”心のベストテン第一位はこんな曲だった”の最後の”た”と
”ダンスホールの〜”て歌い始める小沢の最初の”ダ”が重なって出
てくるからちょっと不思議な感覚が味わえる。
メタかどうかは・・・(笑
そういや、『ロコス亭の奇妙な人々』は昔、本屋で手にとって買おうか
どうか悩んだの思い出した。買っときゃよかったな。
『ロコス』を訳本で読み始めた。やっぱり面白い。バース先取り。
でもわかってるとおもうけれど、ツヴァイクはメタフィクションでは ないです。ただ言ってみたかっただけ「メタフィクション」て。 西欧の文明を橋渡しに統一しようと野望に燃えた時期を過ぎ、 南米やら世界中を旅した果てに選択したのは、妻との心中であった。 って変ですよね〜.ちょっと怖いですよ。『メリースチュアート』には 確かにちょっと既知外な女王様が次々に男性を入れ替えていくというお話。 その女王メリーの友人が、ハーマン・メルヴィル。好敵手言うとほのぼのな 気分ですが、ライバル、エリザベス女王との諍いの合間を縫って作中に 登場するメルヴィルの存在が虚構の重層化に読者を走らせる。 19世紀中ごろに生まれた作家だからヌーボーロマンもメタフィクションも ない場所で「伝記」を頼りに物語を構築していった。もちろんただの 「伝記作家」ですよ。だけれど、英文学専攻でもない私がこんなこと言うのも 気が引けますが、英国の王家とくにスコットランドとの対立みたいな 歴史は小説には凌駕しようもないほど大きいですよね。
>>387 19世紀中ごろに生まれたただの「伝記作家」が現代の目から見てメタ的と
言える作品を書いたってのはどういうことなんでしょうね?
>>366 で僕は、先行する作家がメタ的なものを書いたとしてもおかしくはな
いと書きましたが、それでもただ突発的にそういった作品が生まれたとは
あまり考えにくい。
そういった作品が成立する必然性が作品内外にあったのではないか?と
いう気がします。
ただの思い付きにすがって書いたという可能性はもちろんありますが。
同じ疑問をメタを先取りしているというアルフォウにも感じます。
もちろん、アルフォウはまだ読んでないし(これから取り寄せします)
僕はアメリカ文学全般に対する知識を欠いているのであてずっぽう
な推論しか出来ませんが、アメリカ(もしくはヨーロッパ)にはメタフィク
ションを成立させる文学的土壌が前もって用意されていた可能性とい
うものを何となく感じています。
あっ、でもドンキホーテが騎士道物語のための騎士道物語だってこと
を考えたらそんな大げさなものでもないことなのかな?
389 :
吾輩は名無しである :02/10/28 23:29
筒井たんのめたふぃくそんは小説を批判する小説という意味の時もあるにぇ。
筒井は好きだけど、メタではないような気もする。
たとえばメリースチュアートの物語がフィクションとして都合のいいように 虚構化された部分をウォルタースコットを引き合いにだして作中内で指摘 したりする。それは創作という観点ではなくって正史に対する偽史の実態を 明確にするという行為そのものであったはずなのです。真に対する偽という のが大江の『憂い顔の童子』からも抽出される概念であるように文学にとって の大きな物語=正史を、ナラティブドライブ、というエクリチュールの運動性 がすなわち物語=小説というものの実態だとすれば、メタフィクションより ももっと本質的な議論になって、小説以前/以後の境界を映し出す作品を 論じる契機にもなる。作家が真か偽かという二元論の情報しか手に入れられか った時代の作品が、今この時代で大江健三郎によって実践されていると読めば 『憂い顔の童子』の論点も明確です。 って話がそれましたけど。
>アメリカ(もしくはヨーロッパ)にはメタフィクションを成立させる >文学的土壌が前もって用意されていた可能性というものを何となく >感じています。 メタ、というのが、重層的に捉える、という意味で考えるならば、フィク ション自体がメタ化への欲望を内包して来たとも言える。語り手、の問題に 関してならば、口承時代の「語れよ詩神、英雄の物語を」みたいな呼びかけ や、またギリシア悲劇などにおけるコロスなども、語り語られる物語の文脈 から外れた言葉として提示されるわけで。 また、現代アメリカ文学がメタフィクション作品を多く生み出していることに 関して。もともと(北)「アメリカ」総体というのが観念的であり、さまざま に分裂した内部の矛盾や、開拓・移民から始まったという歴史の薄さ、また その歴史を「構築」する際に打ち壊してきたネイティヴアメリカンの別の歴史 体系などを、無意識へと押し込めるように短期で作り上げられてきた。しかも 無意識としての歴史(=ネイティヴ、もしくは移民にとっては本国)に対する 構築としての歴史は、例えば「自由」「平等」「キリスト教的隣人愛」「繁栄」 などの、さまざまな「信念」を強く意識化することによって成立の基盤を得て いるわけで、逆に言うと、そうして構築されたものの底から無意識が逆襲する 時、「アメリカ」とは結局フィクションでしかないのではないか、という観念 が作家の頭には浮かんでくるのでは? 具体的にいうと、ピンチョン、デリーロ、エリクソンなどの作品は、「アメ リカ」というフィクションを強く意識している。もちろん、これに関しては メルヴィル(文学する若きアメリカ)という偉大な先行者がいるわけだが。 また、前出のアルファウは移民としての二重性を、素晴らしい(と、断言 できる)2作『ロコス』『クロモス』という形でフィクション化している。 この2作は、前者がスペイン、後者はアメリカということで、続けて読まれる べき。 まあ、もっと単純に言うと「新しさ」を突き詰めるのがアメリカだ、って意識 があるのかも知れないけど。
393 :
吾輩は名無しである :02/10/30 11:24
>392の「アメリカ」を「日本」に置き換えた場合、誰の小説が当てはまるんだろうか? やはりそれは、天皇制だったり不在の中心だったり加工貿易だったり 戦後民主主義だったり…がテーマになるんだろうか?
エリクソンの「リープイヤー」を読むと確かに”アメリカ”に対して懐疑的な彼の姿勢
が分かります。また、「Xのアーチ」は正に”アメリカ”というフィクションに対するメタ
フィクションだと言って良いものでしょう。
>>392 >構築としての歴史は、例えば「自由」「平等」「キリスト教的隣人愛」「繁栄」
などの、さまざまな「信念」を強く意識化することによって成立の基盤を得て
いる
これらの信念とは”アメリカ”の信念なのでしょうか?これらの信念が表現するものは
”近代”という言葉で表現されるヨーロッパが作り上げたフィクションであるようにも思え
ます。”アメリカ”とはそれを特化したものであるような。(僕の短絡的な思考かもしれま
せんが)
その上で改めて考えるのはミラン・クンデラが「小説の精神」の中で語った「小説の歴史
とは発見の歴史であった」という主張です。手元のその本がない状態ですので記憶違
いがあるかもしれませんが、クンデラはその中でドンキホーテからトリスラムシャンディ、
そしてカフカから現代へ至る小説の歴史を発見の歴史として書き出しています。
(それらがどのような発見をしてきたかはここでは書きませんが)クンデラの主張をそ
のまま受け入れるならば小説というジャンルには常に発見を促す欲望が備わっている、
そしてその欲望こそがメタフィクションのような”小説を批判する小説”を生み出す原動
力となっている、と言えるのではないでしょうか?
さらにクンデラの言う発見の歴史とはそのまま”近代”という歴史に重なります。
近代もまた発見を促す欲望を備えている、という言い切りは妥当なものでしょう。
ならば、小説とは近代を批判する近代、という働きをもって産み落とされたものだとも
言えなくもないし、そのように考えていくならば
>>391 の主張もあながちそれた話でもな
いでしょうね。
なんか、うまくまとまりませんでしたが…
395 :
吾輩は名無しである :02/10/31 00:50
スタニスワフレムが読めませんでしたごめんなさい
396 :
吾輩は名無しである :02/10/31 01:03
397 :
吾輩は名無しである :02/10/31 01:10
スタニスラフ・レムか・・ 「ロボット物語」「宇宙創生期ロボットの旅」は面白かったな。 原文が地口と洒落に溢れていることは翻訳からも想像できる。
>>394 文章の間違い。恥ずかしい・・・
手元の×→手元に
それから トリスラムシャンディ→トリストラムシャンディ
>>397 も訂正
×創生期→○創世記
どうせメタフィクションでいくなら小説形式より演劇のほうが破壊力ありそ。
400 :
吾輩は名無しである :02/11/01 00:23
既出だったらすまんのだが(この友人のPCのブラウザ、検索の使い方わからんのだ)、 ダニエレブスキー「草の家」読まれた方いますか?
401 :
吾輩は名無しである :02/11/04 18:25
レム『完全な真空』『虚数』読了age メタっていうよりもなんていうかスーパーフィクションだったけど、 面白かった。二冊で4000円超える価値があるとは思えないが。
402 :
吾輩は名無しである :02/11/04 19:11
>二冊で4000円超える価値があるとは思えないが。 そんなこと言ったら世の中の全ての本に そんな価値無いよん...
二冊で4000円は極めて普通の値段だと思うが
404 :
吾輩は名無しである :02/11/05 02:31
文庫書き下ろしのつまらなさよ…
>>400 文学板歴1年半程ですけど、その名前は初めて見ますた。
存在しない作品、作家をでっちあげるのも、メタフィクションかな?
407 :
吾輩は名無しである :02/11/05 10:52
FF7はメタだな
408 :
吾輩は名無しである :02/11/05 10:55
あれって主人公が自分で作り出した所謂RPG的な虚像の記憶から抜け出す話だっけ。 うーん?わかるようなわからんような
>これらの信念とは”アメリカ”の信念なのでしょうか?これらの信念が表現する >ものは”近代”という言葉で表現されるヨーロッパが作り上げたフィクション >であるようにも思えます。”アメリカ”とはそれを特化したものであるような アメリカがヨーロッパから脱しようとして、究極そのある部分を特化したもので あるのは、その起源において歴史を剥ぎ取られたからこそそうなったのだと思う。 ヨーロッパに代表される西洋思想が自我と神を対置させてきたものを、アメリカ の移民たちはさらに突き詰めて考え、また、そういった思想ではなく方法として の西洋のあり方を、アメリカは発展させさらに突き崩して成り立ってきた。 アメリカン・ルネサンスの時代においても、ソローやホーソーン、メルヴィル などは多分に〈メタ〉的な志向を持っていたと思うのだが、それが60年代の 『エデンの門』の時代を過ぎて、さらに前面に出てきたということだろう。 クンデラの話についてはその通りだと思う。ただし、ボルヘスが、偉大な作家は その先駆者を作り出す、と書いているように、あらゆる〈発見〉は、何らかの 先取りを常にはらんでいるものだとは思うのだが…。
ところで、 >ダニエレブスキー「草の家」 って、例のメタ/SF夫婦(苦笑)が薦めてた奴かな。面白い?>400 FFXの方がメタじゃないか(ボソッ)
412 :
吾輩は名無しである :02/11/05 16:17
出てきてないみたいだけど、箱男って違うの?
あれはタランティーノかも
414 :
吾輩は名無しである :02/11/05 23:54
415 :
吾輩は名無しである :02/11/06 02:20
ミルハウザーってどんなもんですか?
416 :
吾輩は名無しである :02/11/06 02:34
>411 サイバー/プログレ夫婦、どこで薦めてたんだ?
418 :
乙葉 ◆.5wljPk1.c :02/11/06 05:35
419 :
吾輩は名無しである :02/11/06 07:17
やっぱカルヴィーノだな
わしもそう思う、と言ったらルール違反かのう?
>417-418 ((((;゚Д゚))))
>起源において歴史を剥ぎ取られたからこそ ヨーロッパから来た白人たちは自らピューリタン、カトリック等の 宗教や出身地、あるいはアメリカでのそれぞれの居住植民地の一員として 意識していた(インディアンや黒人もね) 移民も同じだと思う。 文化的抑圧から出身の文化や自己のアイデンティティが保持しえなく なり補給の意味から特化せざる得なかった 歴史を剥ぎ取られたというのは、、、変だな
剥ぎ取られた、は確かに変だ。その通り>422 ある者は新たなエデンを開拓しようとし、ある者は自分の出自を否定されるよう にして連れて来られ、ある者は本国になかった希望を求めて移住し、またある者 はその土地に根付いていた記憶を迫害により否定されながらも強固にする、と いったふうに、「アメリカ」は一概には語れない。だからこそ「サブアメリカ」 とでも言うべきものがさまざまに存在する訳だしね。 ただ、ヨーロッパのような「連綿と続く歴史」という文脈に対置してアメリカを 読むとすれば、その「歴史」が希薄であるがゆえに「構築」の意識が強まった、 っていう部分はあると思うんだけど、どう?>422 まぁ、アメリカの話は置いといて、メタフィクションの話ということでフェリペ ・アルファウ『ロコス』内の「作中人物」の冒頭は、クノーの『イカロスの飛行』 を思わせます。 「私が書こうとしている物語は、しばらく私の頭の中にあったものだ。しかし、 私の作中人物たちは反抗心に富んだ性格で、これまで私にその物語を書かせて くれなかったのだ。どうやら、私が人物たちやその行動を頭の中で枠にはめて 考えている間は、かなりしっかりと手綱を握ることもできるのだが、ある人物 を紙に書きつけるだけで、途端にその人物を抑えていることはできなくなって しまう。自分の道を走り始め、私の手を逃れて好き勝手にやってくれるので、 私は全くお手上げになってしまうのだ」 訳が気に入らないんで、勝手に自分で訳してみましたが、これを1928年に 書いているのが良いですね。
えーっ?・・・なんかそれ合点がいかない 希薄じゃなくて重要とみなしてるからじゃないですかね? 歴史の薄さとか「ない」とかいう物質的なものじゃなくて 精神が歴史を「欲」してるからこそだと思うけど>423 人間が生きる限りその人間数分歴史はあるわけで、その厚みを文字に 変換するだけでは現せきれないし色々な見方もできるわけで、 霊媒師的な役回りは作家にとっては不具合もあるわけで、 だったら読者にまかせちゃおうかな?・・・という感じでメタフィクションを 捉えてます。 (僕のメタフィクション代表は「筒井康隆」なのでixさんとは ずれてるかもしれませんね) ぼけてるカキコかもしれないのでsageときます
移民のアメリカ人がアメリカ人としての自分たちの歴史を明確に意識しだしたのって 二十世紀に入ったくらいからじゃないでしょうか? それまでは、恐らくヨーロッパへの帰属意識が拭い去りがたくあって、独立した歴史と 言えるものを持たずに来たのじゃないかと想像します。 現在のアメリカが歴史を欲しているかどうか? これは、結局のところ人それぞれと 言うしかなくて、欲求の強い人もそれ程じゃない人もそれぞれいるだろうけど、 実質的な歴史意識が芽生えてからの100年を実際の歴史500年で薄めれば 希薄に感じられるのはしょうがないという気がします。 それとメタフィクションですが。 私は、小説を読み終える瞬間が来る度に、いつも現実に引き戻される感覚を味わいます。 途中の説明を全部すっ飛ばしてこの私的な事実に依拠して言えることがあるとすれば、 私にとって虚構と現実はやはりメタの関係にあるらしいということです。 何だか至極当たり前のことを言ってるような気もしますが、心の有り様が最初から そういう風に出来ているということです。 だから、心が感じている現実と虚構の関係性の狭間に割り込んで、新たに中継地点を 出現させてしまうようなものがもしあるなら、それをメタフィクションと呼んでも良いのでは ないか? と思います。 だけど、一般に了解されているメタフィクションは、むしろ、その関係性を壊そうとしたり、 あるいは組み替えようとしたりする試みのことである、とでも言った方が近いのかもですが。
ぷっ
427 :
吾輩は名無しである :02/11/09 00:35
>425 >移民のアメリカ人がアメリカ人としての自分たちの歴史を明確に意識しだしたのって >二十世紀に入ったくらいからじゃないでしょうか? 何に書いてあるの?(ORどうしてそう思うの?でもいいや) >実質的な歴史意識が芽生えてからの100年を実際の歴史500年で薄めれば >希薄に感じられるのはしょうがないという気がします。 数字で比べることのできるものだと考えるのか・・・本、読んでる?
428 :
吾輩は名無しである :02/11/09 01:27
アメリカ連邦がアメリカ合衆国として主権を確立したのは 南北戦争以降だろうね。 それ以前は各州で好き勝手にやっていたわけだから 国民精神とその起源である歴史を共有するのは事実上不可能だろう。 まぁ、アメリカに限らずナショナリズムというのは比較的新しいものだけどね。
metafictionつーのは fabulation または surfictionとも言われてて ロレンス・スターン「トリストラムシャンデイ」(1760)が代表。 小説それ自体の虚構性や創作過程について言及して自らをもてあそんでる 小説っすね やっぱヨーロッパ(特にイギリス)から考えないとmetaはまずいなぁ 話が行き詰まりそうだ >423が >アメリカの話は置いといて って言ったのは当たりですよ。アメリカから眺めるとあまりにも作品に 経験値が足りなさ過ぎる。 作品は「フランス軍中尉の女」(ファウル・英) 「冬の夜ひとりの旅人」(カルヴィーノ・伊)があります
一応"fabulaion"は"metafiction"とは区別しないといけないと思う。だって それはScholesがアメリカ文学のある動きに関して命名したものだから。まぁ 形式上のデザイン、たとえば言葉の配列や構築性に重点をおく作法、という 点では過去のさまざまな作品と共通してはいるけどね。自己言及性と物語の 内と外の明確な区別ってことで。 あと、メタフィクションに関してはアメリカが経験値が少ないとは全く思い ません。なぜ現代アメリカ文学にその傾向の作品が多いのか、を考えた時、 歴史的背景を持ったヨーロッパの文学より、歴史という点では希薄なアメリカ 文学の方が意識的「構築」の方向に大きく傾く要素を持っていたのではないか と思っています。 「希薄」という言い方がまずいなら、非常に短期間に出来事を凝縮させたが、 それを「歴史」として確定するよりも、より抽象的にその出来事たちを消化 してきた(メイフラワー、独立戦争、南北戦争、世界大戦、ヴェトナム戦争、 公民権運動やヒッピームーヴメントなど)アメリカという国は、自らの場を いちいち定義するようにして作られてきた、と言っても良い。 (こういう風に言うと、ジェイムズがアメリカのにわか貴族とイギリスの貴族 を対比させたりしているのを、なんとなく思い出す) あと、ファウルズやカルヴィーノらは有名どころですが、他の国にもたくさん いると思いますよ、メタフィクション書いてる人。英語圏で俺が知ってるのは カナダとかオーストラリアとかの作家だけど。
metaもsurもfabuもポストモダンの範疇に入ってるし流れ方としても当たってる と思うので入れたんすよ。この3つを調べてみると楽しいですよ。かなりの 時間つぶしになります。 そもそもmetafictionって言葉自体があやふやじゃないですか?60年代に出来 ものと思ってたんですけどカフカはmetaの流れをせき止めた(?変革だったか な…忘れたw)って読んだんす。そうなるとixionさんの >フェリペ・アルファウ『ロコス』(1928) っていうのはすごいってことじゃないじゃんと考えたわけです。 源泉にはたどり着いてないなと・・・じゃ源泉はどこよ?と。 そうなるとあるじゃないですか18世紀のイギリスに。ま、このころの書物が 手に入るかどうかはわからないのですが、metaとしてとりあげて時代背景とか 調べれば面白いなぁと感じたわけです。 源泉の地質を調べることは大切だと思いますよ。だから特にイギリスと括った わけです。 >経験値が少ない と書いたのは「質」ではなく「量」にしか目をやらない人に何を言っても 無駄だと思うし、調べることをせずにそのままixionさんの言葉を鵜呑みにする ixion信者さんへ対して譲歩してあげただけです。
あげた作品はこの板にあるスレを元にして書いただけです。 その方が多くの人が参加できるでしょ?最近文学板の英米文学が 燃えてなくてつまらんので
>ixionさんの言葉を鵜呑みにする そんなバカいねえだろ。 利口そうなことを言うバカだよ奴は。 世界史板だったら鼻であしらわれるよ。
世界史板には史書を簡単に鵜呑みにするバカが結構いるじゃん。
ixion信者=425のこと言ってるんだろ? そう思って425を読んでやらないと救いがないほどの馬鹿の書き込みだから >世界史板だったら鼻であしらわれるよ そうかなぁ。ixさんて痛いとこ突いてるんだわ、これが。 知ってて軽く撫でてるだけかもしれんので迂闊に攻め込めないな
まあ、その
>>425 に釣られてるやつもバカだからな。
「本、読んでる?」なんてのはバカ中のバカだろう。
>そもそもmetafictionって言葉自体があやふやじゃないですか?60年代に出来 >ものと思ってたんですけどカフカはmetaの流れをせき止めた(?変革だったか >な…忘れたw)って読んだんす。 んー、それはどうかな。確かにカフカは方法的な「外」をあからさまに意識 させるのではなく、"existential"(って言葉出てこなかった、その本?) な物語「内」において収まりの付かないようなものを丹念に描いていく作家 だけど、別に「メタ」の流れをせき止めたわけではないだろう。また「変革」 というほど「メタ」的なものが「主流」を形成してきたことは、むしろ西洋の 文学では少ないぐらいだと思う。 さらに、「源泉」を『トリストラム・シャンディ』とすることには「英語圏に おける」っていう留保が付くだろう。だって、じゃあ『ドン・キホーテ』には メタ的なものはないのか、さらに『千夜一夜物語』はどうか、と、探求は さまざまに続いていくから。だから >そもそもmetafictionって言葉自体があやふやじゃないですか? っていうのはその通り。参考としてボルヘス"When Fiction Lives in Fiction"(日本語の題は知らん)って小文でも読んでみると、ちゃんと 『ハムレット』の劇中劇にも触れながら、フラン・オブライエンの名前も 出している。つまり、さまざまな作品の中に「メタ」は読み取れるので あって、「源」はフィクション自体の中に埋め込まれているものと考える 方が分かりやすいと思う。 ところで、アルファウを素晴らしいと言ったのは、移民として書く、という ことをアメリカという国で意識することが、そのまま作品の「構造」を意識 することと繋がっていると見るからです。つまり、メタフィクションの重要 な作品というより、「アメリカの」メタフィクションの一作品として、優れた 作品だと言っているわけです。あと、アメリカが物語としての歴史を紡ぐ ことを意識的に行っている、ということに関しては、古くはジョン・スミス やウィリアム・ブラッドフォードの著作などを参照すれば分かるのではない でしょうか?
三浦俊彦の小説は、筒井好きなら筒井以上に好きになる。 三重四重のメタ世界。文壇を徹底的にちゃかした『パロール九段』がイイ!
ツラレタネ>427 _n _、_ ( l _、_ ( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )  ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ ヤラレタヨ! フ /ヽ ヽ_// />427/
>確かにカフカは... いえ、ドイツので日本語訳でした。それまでのmetaの流れを変えた? 終止符を打った?だと思います。あんまり好きじゃない作家なのでどこがいいのかと 図書館にあるものを適当に読んだんですよ。 貧乏で本買えないし置くとこないしw でもまあ、60年以降の見解でドイツでは文学史上カフカ以前にmetaと とれる作品がたくさんあったということでしょうね。(ドイツだとsurfictionに なるのでしょうか?よくわからないとこです) >「源泉」を『トリストラム・シャンディ』とすることには「英語圏に >おける」っていう留保が付くだろう。だって、じゃあ『ドン・キホーテ』には >メタ的なものはないのか、さらに『千夜一夜物語』はどうか そういう風に「トリストラム...」を捉えますか? 確かに読んでいないので個人的見解で確かなものでのmetaとは言いきれないけど その内容を拾い読みすれば明らかに「meta」ですね。 「的」ではないのです。metaについてリポートを 書く、論文を書くなら触れておいて間違いはないでしょう。 >「源」はフィクション自体の中に埋め込まれているものと考える >方が分かりやすいと思う。 これは作品論になりますね。賛成します。 以下(アルファウ)は惨敗です。 「アメリカは置いといて」って言ってたくせになぁ、ズルイゼ...
>でもまあ、60年以降の見解でドイツでは文学史上カフカ以前にmetaと >とれる作品がたくさんあったということでしょうね。 なるほど。誰かドイツ文学の専門家の登場求む。 >確かに読んでいないので個人的見解で確かなものでのmetaとは言いきれないけど >その内容を拾い読みすれば明らかに「meta」ですね。 いや、『トリストラム・シャンディ』はメタだと言うのは否定しない。だって、 主人公がきちんと動き始めるまで読者の期待を引き伸ばしたり、読者に向かって 「読み飛ばせ」って言ったり、さらに読者を作中に登場させて叱ったり、自分の たどってきた道筋を図式したり…と、まぁやりたい放題いろいろやっているわけ ですが、その心は一言: 「読書の生命、真髄は、脱線です」 なんだからね。直線的、内的なフィクションに対置するものとしては、これほど 徹底して脱線する物語はあまりないだろう。
でもね、「メタ」というのを「脱線」と捕らえることもできれば(この視点に 立つと、ピンチョンはメタの主流に属するだろう)、物語の外部の視点を導入 する――例えば作中作とか――ことを「メタ」ということもできる。こういう 用語的な混乱に関して、明確な立場を表明しなければ、『トリストラム』を もって、 >・・じゃ源泉はどこよ?と。 >そうなるとあるじゃないですか18世紀のイギリスに。 と言い切ることはできないと思う。実際、バースはメタの源流を『千夜一夜 物語』に求めているし、また『ドン・キホーテ』にはかの有名な作中作が ある。これらもフィクションを重層化することで、メタを顕現させていると 考えられるわけだ。 あと、トリストラムは拾い読みしないで、全部読み通すと、単なるメタ以外の 部分の良さも見えてくると思う。 >「アメリカは置いといて」って言ってたくせになぁ、ズルイゼ... いや、アメリカについては一応自分の専門のつもりだから、無名な作品を 過剰に「再評価」したくなるんだな。ごめんね^^; でも、上で世界史板に行けば…と俺を批判していた奴がいたが、じゃあ そいつはちゃんとThe General History of Virginia, New England, and the Summer Islesとか読んで、ジョン・スミスの三人称の使用と 物語化とか踏まえて、さらにその後のアメリカ移民史と文学を読んだ上で 批判してるんだろうな。違うんだったら別の場所で受けて立つぞ …とか煽ってみたりして。
やっぱりメタはよくわからない >物語の外部の視点を導入する っていう括りならモリスンの「青い目が欲しい」の冒頭文はメタにしても おかしくない。 そうなると「意識の流れ」だってメタと取ってもいいのかな?と 考えてしまう。 「あ、これもメタじゃん?」なんて言う作品が多すぎですよ。 どこかでメタを独立させてやらんと面倒です。これはこれでいいのかもしれ ませんが、わかりやすく「ポストモダンの範疇」に入れてやれば 年代が狭まって深く考えることができそうです。 >アメリカについては一応自分の専門 そうなんすか?遠慮なくまたツッコミ入れさせてもらいます >433 食い殺されないうちに逃げろ!世界史と文学史は主人公が違うから 先手先手でいかないとかなりやばいぞ。 付け焼刃でやっつけられる相手じゃない(これは俺のこととも言うw)
専門「のつもり」ね。研究者じゃないから。 >「あ、これもメタじゃん?」なんて言う作品が多すぎですよ。 でも「作中作」って、メタの特徴だとよく言われたりしない?
ixion様、雑談スレへ一度お越しください。我々は貴方のようなコテハンを望んでいます。 文学板の成長貢献者 ↑ Tar baby 二笑亭 ixion | JPB Fishman | | 勘弁 | | | | | | | 5郎 後藤 加藤 | ごはん 荒らし貧乏神 ←―――――――――――――――――+――――――――――――――→ スレ栄え長者 | | ←美香 | 二? | | | くろしろ 夢民 | | | | 偽美香 (゚∀゚) SHIMA 〜〜 らげ| おさむ | 恵菜 ↓真ころにゃん 優奈 デムパ
>専門「のつもり」ね 自分が米文学好きだからちょっと感激したんすよ。 では最後にすみません、メタって「技法」と割り切って考えて いいのですか?それしか考えられないけどまた違うものがあっても いいかもしれない。あんまり批評とか読んでないのでわからないけど 何かしらの新しい見解があるとうれしいな…これは自分の宿題に します。ありがとうございました。
>446 貢献者に入れてもらえてうれしいですが、 どうせ俺は物語のtar babyと同じ役回りなんで これからもまたixion氏に叩かれ続けるでしょうね...フッ
age
ふと思った: 書物のうち、その対立物、つまり「反書物」を内包していないものは、不完全 であると考えられる、とボルヘスは語っているが、物語においてその物語と いう文脈に対立するようにして現れる反物語こそが、まずメタフィクション への契機であると考えられる。ただし、「入れ子構造」をとる作品、例えば 『嵐が丘』や『ロード・ジム』もしくは『アブサロム!アブサロム!』が必ず しもメタフィクションと言い切ることが難しいように、やはりメタフィクション という認識が成立したことには、ポストモダニズムという用語によって曖昧に 示されるような文学現象(が存在するとしたら、の話だが)が背景として必要 だったのではないだろうか? で、フラン・オブライエンの『スウィム・トゥー・バーズにて』から引用: 一つの作品に発端が一つ、そして結末が一つというのは承服いたしかねる ところである。優れた作品には三通りの発端があってもおかしくはあるまい。 共通点皆無の三通りであって、その相関関係は作者のみが洞察しうる。 ついでのことに百通りの結末があってもよかろう。(大澤正佳 訳) つまり、発端は『千夜一夜物語』かもしれないし、『ドン・キホーテ』かも 知れないし、また『トリストラム・シャンディ』かもしれないが、とにかく 書かれた途端に「かつて存在したがもはや存在せず、過ぎ去り、失われ、 再び取り戻すことができず、死者の国へと葬り去られるようなもの」 (カルヴィーノ)としての物語に対立するものとして物語内から物語を 裏返すような反物語は、さまざまな頭と尾を持つ不気味なものであり、 それを用語として包括的に捉えるよりも、むしろ個別の作品から捉え直す べきではないだろうか?
そして、ポストモダンという用語が薄れて消えかけている今の書き手が、 どのようなメタフィクションを書いているのかを、個別に検討してみる ことによって、逆に百通り以上の結末もしくは発端を… って、書いててややこしくなってきた。困ったもんだ^^;
一つ質問させてくだせえ。 メタフィクションというのはフィクションですかい?
>物語内から物語を >裏返すような反物語は、さまざまな頭と尾を持つ不気味なものであり、 >それを用語として包括的に捉えるよりも、むしろ個別の作品から捉え直す >べきではないだろうか? まったくその通りだと思います。 無理にポストやメタと言った具合にインデックスで分けるのはどこかで 行き詰まる感じがするんです。「あれはどうよ」「これはどうよ」っていう 感じで複数に跨る作品が多いんですよ。こういう用語に作品を当てはめるよりも 作品に用語を当てはめた方が納得できますし、無益な論議はわずかですが 回避できます ま、私的意見として「メタフィクション」とか「ポストモダン」っていう言葉で 作品を括るのは好きじゃない(けど知っておいた方が楽に作品検索はできる)って ことです。 >452 それ、面白いですね。どっちもアリの気がしますw
Mark Z. Danielewski, House of Leaves 読み始めました。なんか、Pale Fireを思わせるね。
455 :
吾輩は名無しである :02/11/22 00:41
うpきぼんぬ
飽きた。気負いすぎで面白くない<『草の家』 実験が拡張しすぎると、時には醜悪なものになる、っていうのをあまり 考えずに突っ走ってる感じだな。 the after math of meaning.
三津田信三 「ホラー作家の棲む家」 「作者不詳」 なんか面白かった 思うにメタであるかないか以前に面白いかどうかが問題 それをクリアしてからメタを生かせているかを論じるべき この2作はどちらも合格 敢えていうなら作者に知名度がもっとあれば完璧(ワラ
火蛾(だっけ?)以来、講談社ノベルズ手出してないんだけど、 三津田信三面白いのかぁ、読んでみよう。
459 :
吾輩は名無しである :02/12/03 00:20
ほじくり返してすみませんが >つまり、発端は『千夜一夜物語』かもしれないし、『ドン・キホーテ』かも >知れないし、また『トリストラム・シャンディ』かもしれないが、 歴史上初めての「小説」がなにか、という論争と根が一緒なのだと思います。 小説の誕生と同時にメタフィクションは生まれた・・というより、小説という ジャンルとメタフィクションは初めから切り離せない概念では?デカメロン、 カンタベリーテールズ、物を語る人と語られた物語。 問題はそれをどこまで自覚的、かつ自意識過剰に提示するか。 その意味ではトリストラムシャンディは明らかにドンキホーテより 自覚的でしょう。そのような意味で、トリストラムシャンディが メタフィクションの先駆であると西欧圏で認識されているのでは?
メタ構造を持つ小説が生まれるのは必然だったのでしょうが・・・ 何故メタ要素を発現させたかは様々。 メタフィクション(語りの視点からして必然の入れ子構造)、 メタフィクション(小説を批判する小説)、 メタフィクション(一発ギャグ)、 メタフィクション(なんとなく夢オチ)、 メタフィクション(猫の原稿が紛れ込んだ)。 だから単に”自覚的”で括るのはとってもアブねぇ気がするんですが。>460 ア、ボクハナニヲイッテルンダロウ。キノセイカナ、ハヤクカエッテタイガーマスクヲミヨウ。 >457 それは手法とその産物全般に言えるのでは? と同時に言っても意味が無かったりそれを言っちゃあおしめぇよ、なわけですが。
先駆であるとするなら「自覚」なんていう言葉は使われないだろうね 自覚するものなんかないんだから それよりなんでドンキホーテにそこまでくっつけたがるのかが よくわからん 誰かが批評でも書いているのだろうか、それともただ単にixionの 意見であることだけなのか。もし後者ならもう少し書き込んでもらいたい 気もする
保守
464 :
吾輩は名無しである :02/12/13 19:02
曲げる
465 :
吾輩は名無しである :02/12/31 16:09
ウーン└(-ω-;)┘ヨイショッ
466 :
吾輩は名無しである :03/01/17 15:07
保守
467 :
a n ◆uHYO5VMdHE :03/01/19 12:33
>書物のうち、その対立物、つまり「反書物」を内包していないものは、不完全
>であると考えられる、とボルヘスは語っているが、物語においてその物語と
>いう文脈に対立するようにして現れる反物語こそが、まずメタフィクション
>への契機であると考えられる。
このixion氏の考察を、今ごろになってとても面白がってしまいました。
反物語とはどのようなテクストを指すのですか?
「個別の作品」にはどんな代表例がありますか?
>>451 その「ややこしさの彼方」にも面白い考察が潜んでいそうですね。
そういった百通りの論考の折り重なりが、巨大な一冊の「書物+反書物」を織りなしている
という風に読んでいいでしょうか?
468 :
吾輩は名無しである :03/01/20 13:56
>反物語とはどのようなテクストを指すのですか? テクストというか、作品の中の一部分だろうな。 どういうのをさすのかは、オレもわからんが。
>問題はそれをどこまで自覚的、かつ自意識過剰に提示するか。 >その意味ではトリストラムシャンディは明らかにドンキホーテより >自覚的でしょう。そのような意味で、トリストラムシャンディが >メタフィクションの先駆であると西欧圏で認識されているのでは? それは「より」という比較があるから作用する言説であって、『ドン・ キホーテ』はとても自覚的にメタフィクションを先取りしている。 説明は面倒だから故牛島先生の『ドン・キホーテの旅』(中公新書)を 読んでみてください。もしくは、『ドン・キホーテ』という作品自体を読めば もっとはっきりするかも。 反物語の例として最たるものは、ボルヘスの例の「分類」じゃないかなぁ。
メタフィクションで一番面白いのはフラン・オブライエンの 『スウィム・トゥー・バーズにて』。 ソレンティーノの『マリガン・シチュー』も面白いのだが これ以降はメタフィクションはあまりめぼしいものはなし。 というか飽きたというか。
世界文学史に関する文献を紐解いてみれば 『ドン・キホーテ』がいかに重要な作品であったかがわかるはずです。
>471 それは、この板では常識の類いではないのか?
473 :
吾輩は名無しである :03/02/11 03:58
>>472 佐藤亜紀のエッセイによると、
「最近の早稲田の文学部の学生の殆どは、デリダやドゥルーズは
読んでいるけれど、セルバンテスを読んでいる人が少なすぎる」
とのことでした。僕が『ドン・キホーテ』を読んだのは18歳の時です。
475 :
吾輩は名無しである :03/02/12 05:13
「ソフィーの世界」なんかはメタフィクションといえるのでしょうか?
全員集合はメタだと思った。 (しむらー!うしろうしろー!とか)
477 :
吾輩は名無しである :03/03/01 16:43
アニメ映画 千年女優はメタフィクション。 観客にとても分かりやすく作っている。構成の苦労が忍ばれる。 監督の今敏は前作パーフェクトブルーでも、メタ要素をこねくり回したので そういうのが好きなんだろう。
あげ
479 :
吾輩は名無しである :03/04/02 23:35
さっきまでフジでやってた『明石家さんまのフジテレビ春の大反省会』見た人いる? あれこそまさにメタフィクションの極地だと思う。 小説じゃなくてテレビだけどね。メタ笑いの超高速ぶつかり合いだった。 つーか小説全般があの番組のパワーに負けてる。
おいおいあれのどこがメタフィクションなんだよ。
481 :
吾輩は名無しである :03/04/08 00:19
>>477 パーフェクトブルーねえ。
漏れの頭の中ではリンチの映画『マルホランドドライブ』とリンクしてる。
というか双生児状態。
>>479 メタ要素と笑いは骨肉の関係だからじゃない?
フィクションなのかどうかは知らないが。
482 :
吾輩は名無しである :03/04/08 00:31
ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』はメタフィクション?
うる星やつらのビューティフルドリーマー
>>483 そんなこといったら、「トーキングヘッド」
と言ってみるテスト
>>480-481 半分マヂだ
なぜなら、やたらめったら我先にと芸人達がボケまくるので
複数の芸人のボケが被りまくるのだ
流れからも妥当な今田が行こうと思ったら、被さるように小堺が前に出てきてボケて
その間も画面の隅っこでは
今田が引いた後、爆笑田中がそのことで突っ込もうとしたのだが
今田が田中をそっと止めて二人でコソコソ会話、みたいな、おもろかった
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
487 :
吾輩は名無しである :03/05/02 14:36
あげ
488 :
吾輩は名無しである :03/05/06 01:12
ありゃ?『ドグラ・マグラ』は既出?
『ドグラ・マグラ』より『白髪小僧』だろ。
デビットリンチのロストハイウェイはメタフィクションですか?
491 :
吾輩は名無しである :03/05/21 16:16
保守
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
493 :
吾輩は名無しである :03/06/07 06:07
age
詩人で小説家のB・S・ジョンソンの作品もメタフィクションかな。 『老人ホーム』は訳されてるから、是非読んでみて。 ページとページの絡み合い、そして最後の… 『ホーリーマウンテン』というか『テンペスト』というか…
495 :
吾輩は名無しである :03/06/17 23:58
ダニエレブスキネタを振った手前、今更ながら読んでみました。 ・・えぇ、あたしゃ原文読むほど気力の伴う語学力無いので。 売り文句通り極北ですね。んでもって衒学を超える何かまでは無い。 ただ僕はあの駄目具合嫌いじゃありません。 それと「怪物」から逃げ回るあたり、筒井っぽくて純粋に面白かった。 怪物であるが故に怪物である何かからの逃避。その先にある全く無意味な死。
えーと、パビッチって読んだ方いますか? ハザール辞典とか 風の裏側とか 結構よかったけど
>496 幻想スレのほうに書きますた
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
こんちわ。 ixionさんのいくつかのスレ(全部じゃないけど)に敬意を表しageます。 由良君美氏に{脱構築とメタフィクション」という本がありますね。 「私は今1行目を書いているところだ」で始まるような作品はあります? カルヴィーノ「冬の夜の旅人が」が一番近いでしょうか?
501 :
吾輩は名無しである :03/07/18 17:31
>500 「そうこうしている間に私は2行目を書いており」 と書いて、私は501となった。
「そして知らないうちに私は3行目に書き移っており」
「4行目に移っていることを今知り」
504 :
吾輩は名無しである :03/07/28 23:55
[なぜか私は今5行目を書いている‥‥どうしてなのか‥‥(今日はヒマだから)」
「そして私は5行目の最初のカギカッコが違っていることに腹を立てる」
「いいチェックだ、と、5行目に言及している6行目にこの7行目で言及しながら」
「いつしか8行目へと筆を進めることに私は気づいていた」
508 :
吾輩は名無しである :03/07/29 03:28
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』はメタ??
510 :
吾輩は名無しである :03/07/29 17:52
「〈ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』はメタ??〉というレスを9行目に引用し」 「10行目で一応〈そうです〉とこたえておくが、またもやメタの定義が問題になるので(以下伏字)」
11行目の空行を見つめてのち、レス番下2ケタと行数の一致を発見する12行目。
「500以降のレスはふざけている!と思ったが、メタフィクションの実践であることに気づいた13行目」
514 :
吾輩は名無しである :03/07/30 00:43
515 :
吾輩は名無しである :03/07/30 00:54
14行目の誘惑に打ち勝ち、やがて朝を迎える私は15行目。
「レス数の意外な伸びに、しょせん文学は好事家の趣味かと得心する16行目」
517 :
吾輩は名無しである :03/07/30 22:52
「おいおいこれで1000までいくつもりじゃないだろうな、
とツッコミたくなる17行目でカメレス(原注1)」
*原注1
>>494 B・S・ジョンソン『老人ホーム』
>>496 パビッチ『ハザール事典』ほか
たしか昔読みましたです、はい。
518 :
吾輩は名無しである :03/07/30 22:55
「このような流れでは何も新しい話題も情報もないと知りつつもやめられずに18行目まできてしまったのだ」
「17行目にカメレスが返ってきたことに喜びを隠し切れない19行目だったが、あるいは」
「20行目にも思いっきりカメレスしてみる517であった」 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(482) (『青白い炎』のほうが好きだけど) 『ドン・キホーテ』(471) (いわずとしれたメタ古典) 『ドグラ・マグラ』および『白髪小僧』(488-489) (は傑作だがメタだったかナ。。。)
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
と、突然、メタフィクションなのか?というような作品を挙げてみたくて、 久間十義『マネーゲーム』 とか言い捨ててみる22行目(でも久間ってバーガーとルックマンとか 言ってたから、メタフィクションという認識ではないんだろうなぁ、たぶん)
523 :
吾輩は名無しである :03/09/01 22:53
ixionハケーンの23行目
「ふん、つまらん23行目め」と思いながら、ピーター・パンを生み出したバリ の最近邦訳が出た『小さな白い鳥』は100年前刊なのにユニークな幻想小説 なのだよ、ぜひぜひ読んでみて――と進めたあと、ixionあたりに「ふん、つま らん。とうに読んだがピンとこんかったよ」などと言われないかとびくびく しつつ、いや、どう考えたってロコス亭ぐらいのことはあるのだから、 「なかなかいいんじゃない」ぐらいのレスはつけてくれてもよさそうなもの だが、その程度の反応だったら応戦を試みてやろうじゃないかとダラダラ引き 延ばして、ざまぁさらせ8行ものレスをつけてやったぜいと喜ぶうちに、じきに そーれ9行目に突入したんだと自己満足がアホらしい24行目。
今やってる映画だと『アダプテーション』や『シモーヌ』がメタフィクション。 ええと、……25行目。
つーかこの感じはあまりにも筒井康隆っぽすぎて、 他にも色々読んでるはずだろ! おまいら! と言いたくもなるのが26行目。
527 :
吾輩は名無しである :03/10/24 00:27
一月ぶりにageる27行目。
528 :
吾輩は名無しである :03/10/24 00:58
>>525 映画といえば「リーグ・オブ・レジェンド」!
これもメタフィクション的ともいえるじゃねー?
『ソロモン王の洞窟』のアラン・クォーターメイン、
『海底二万里』のネモ船長、
『吸血鬼ドラキュラ』のミナ・ハーカー、
『透明人間』のロドニー・スキナー、
『トム・ソーヤーの冒険』のトム・ソーヤー、
『ドリアン・グレイの肖像』のドリアン・グレイ、
『ジキル博士とハイド氏』のジキル、
という7人の文学的ヒーローが揃い踏みだしねー☆
ちゅうことで28行目。
529 :
吾輩は名無しである :03/11/13 20:14
『青白い炎』文庫化祝いageの29行目ですよん ちくまくんエライ!
現実ってメタフィクションだよな。
531 :
吾輩は名無しである :03/11/13 23:22
で、メタフィクションってどういう意味?
質問age これをすれば、私が本気であることを諸君らも知るであろう
533 :
吾輩は名無しである :03/11/14 00:50
流れに乗って遊びながら問題提起しようとしない御仁に 少し落胆する33行目。
重要なのはメタフィクションの理論ではなく実践であることを 531=532に言ってみても無駄だとは知りつつ また合理論よりも経験論の優位性を説いてみることも野暮だと知りつつ もちろんデカルトとスピノザを持ち出すことは控えながらも この34行目がワン・オブ・メタフィクションだと答えておこう
535 :
吾輩は名無しである :03/11/14 11:50
そしてメタフィクションにも様々なタイプがあることを つまりメタフィクションズという複数形にする必要があることを 今一度確認しておくことは無駄ではあるまいと思いつつ 自己言及的なメタフィクションのほかに どんなタイプのものがあるかといえば、それは・・・ 面倒だから解説書参照と書き逃げする35行目なのであった
この板にもまだまだ洒落とセンスが 拡散していることを知って安心の36行目
>>虚構の中の虚構 メタ------多重 フィクション------虚構
まあな。このくらい知らないと日本雀観察協会会長にはなれんよ。
日本雀観察協会って何? ほんとに雀なんか観察するの? なんか別の変なモン観察とかしてそう。
雀はいろんなことを教えてくれるんだよ。 自身が来るとか、台風が来るとか。
542 :
【占有屋】 ◇zGQNHDP.Wk :03/11/24 20:45
へえ、じゃ、今度いつ地震がくるか当ててみな。
レム・コレクションがまた延びて2004/4から発売だそうだ。