「『ホールデンは天才』説 その2〜実は硬直的でも、閉塞的でもなく、子供っぽい独りよがりなどではない、ホールデンの審美眼」
「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」(p263、白水Uブックス(以下同書))
このフィービーの発言に端的に表されるように、
・一見するとホールデンは自分以外のもの(価値観)を何もかも否定してるように見える
けど、
【命題】
彼の持つ厭世的な、世の中の様々なものに対する否定的な価値観は、
自己中心的で浅はかな、思春期の若者にありがちな全否定とは違い、
実は考えられた、繊細な、独自の審美眼による、熟慮の末の否定だと言えるのではないか?
例1:I・ディーニセンの「アフリカ便り」
a)「いやらしい本だろうと思ったが、そうじゃなかったな。とてもいい本だよ」(p31)
いやらしい本だろうと思った・・・・・・・・・・・・・厭世観による全否定=偏見を
そうじゃなかったな。とてもいい本だよ・・・躊躇や留保は一切なしで、180度改めることが出来ている
=実は開かれた心、開かれた価値観の持ち主?
b)「もう前に読みあげていたんだけど、所々をもういっぺん読み返したくなったんだよ」(p32)
所々を〜読み返したくなった・・・受動的で漠然とした価値肯定(流し読み)ではなく、能動的で詳細な肯定(精読)
=単純なイエス、ノーではない、複雑な審美眼の表れ?
つづく
つづき
例2:L・オリヴィエの「ハムレット」
a)「僕もたまんなく見たくなったんだ。〜勇ましい将軍みたいだった」(p182)
・オリヴィエを全否定するのではなく、
・姿や立ち居振る舞いなどは認めつつも、
・内面的な演技について意見
=単純な全肯定や全否定はせず、一つの対象に相反する両方の価値を認める、詳細かつ公平な審美眼
b)p182〜p183の演劇論、役者のあり方
=長くなるのでまたの機会に(笑)
あのインテリ大学生のフラニーが悩んでいた「エゴ」と同じことを、まだ16歳なのに、この時、既に語ってる!
c)「自分で読まないとだめなんだな。〜
いまにインチキなことをやりやしないかと、そいつが気になって仕方がないんだよ」(p183)
・既存の価値観にとらわれない、独自の審美眼はもちろん、
・個人の思い込みにとらわれず、原典参照を至上とする、謙虚な批判姿勢?
【結論】
16歳にしては、天才的といえるほど、開かれた、謙虚な価値観、審美眼を持っていると、言えるのでは・・・