天才バカボン=松浦寿輝あるいは東大表象について

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583吾輩は名無しである
批評空間第三期の3号に載ってるヨ!
サービスで少しうぷすると、こんなかんじ。

このsurvie(生き延びること)、まずもってそれが、きわめて犯罪的である。
ゴダールがごくいい加減に作り出し、適当に組み合わせ、ぽいと放り出してよこ
すジャンクすれすれの映像=音響のただなかで、聖書にせよシェイクスピアにせ
よレンブラントにせよベートーヴ−ンにせよ、人類文化の価値の秩序に安定した
姿で収まっていた諸々の高貴なものたちが、こんなにもこけにされているという
のに、誰もそれを憤ろうとしない。いや、憤るどころか、おおよそのところは
志村けんのギャグと大差ないゴダールの即興コントを前にして、何やらたいそう
有難いもののようにそれに拝跪し、あれこれ小難しい事柄を論じ合ってはみんな
して深刻な顔で頷き合っていると図の、この不健康さはどうだろう。ゴダールの
サヴァイヴァルが彼の自己神話化に貢献し、その神話化を通じて彼はいよいよ
図々しくサヴァイヴする。こうした間然とするところのない悪循環を統御するこ
の男の手際ときたら、まるで怪人マブゼ博士も顔負けだ。「負のミダス王」とで
も言おうか、彼が手を触れるものはことごとく、よりつまらなくなり、より馬鹿
々々しくなり、より暗くなり、より活力を減じ、より人の気を滅入らせるという
のに、この悪辣な男の奸計で、むしろそれに拝跪せよ、それを大喜びで歓迎せよ
と、あたかも誰かから(しかし誰から?)命じられているかのごとき奇妙な抑圧
がわれわれの上にずっしりのしかかっているのだ。