文学が虚学といわれていることについて

このエントリーをはてなブックマークに追加
931吾輩は名無しである:05/01/26 13:05:54
>>930
出てるどころか実行された大学もある。
都立大は首都大になって文学部は廃止。
932吾輩は名無しである:05/01/26 14:25:32
今はサブカルチャーのひとつという感じしかしない
933吾輩は名無しである:05/01/26 21:43:39
文学は虚学、これは判りきった事だ。
こんな情報化社会でペンでものを食えるか、もしこう
問うたならば、文学板の諸君は返答に窮するであろう。

ただ、学問というものは、どうにもならぬ便所の落し蓋である事も
云わなければなるまい。便所の落し蓋の虚像、結構じゃないか。
其処に人間と云ふものがあれば。
934933:05/01/26 21:47:28

書き忘れて了った。
そういった次第で、このスレを完結させるには、
まず「学問」というものに対する考えをおおよそ纏めねばならぬであらう。
935吾輩は名無しである:05/01/27 01:41:41
虚学って割り切った方が飯は食えるだろ。
936吾輩は名無しである:05/01/27 09:48:22
>>931
そうか・・・おそらく東京六大学や京大、阪大なんかも廃止の方向なのかなやっぱり。
一橋にはないしね。よし!!講師じゃなくて一気に駆け上がるぞ!
職を失うからな!
937吾輩は名無しである:05/01/27 14:26:50
自分の国の歴史やルーツをしるためには
文学・・というより、文字テクストで書かれた書物は
絶対的に必要だと思う。
この流れが続いてなかったら、人は何かを失うと思うよ。
でも、吉本ばななとかハリー・ポッターみたいな文学を
研究する必要性は全く感じないな。
938吾輩は名無しである:05/01/27 15:15:04
>>937
それなら、歴史書で十分でしょ。
小説は関係ないよ。

俺には、今時国文なんか行く奴の気が知れないね。
939吾輩は名無しである:05/01/27 15:46:04
まあ文学部っていうのは「学問が人生」とか言ってる眠たい人たちによって、コスト無視で食い物にされて来たものだと思うね。
好きな事だけしたい人たちのシアワセ感維持のためにさ。
そういう衒学的な自己運動というのは許されていいのだろうか。
940吾輩は名無しである:05/01/27 15:51:50
よしもとばななだって300年後には重要な文献になるかもよ
941吾輩は名無しである:05/01/27 16:37:04
ばななは無理だね。
江国のかおりんならいけそう。
942吾輩は名無しである:05/01/27 17:39:03
拝啓、>>938


歴史書は、物体の動きだけ。

「200×年 ばなながハリポタ研究完成」

こんなのは、ばななという肉体がハリポタという紙を見ただけ、
そんなのは意味が無い。

>>937が云いたいのは、ようは「物語としての歴史」ではないか。
僕も>>937に賛同。ただ、自分の国とは限定しない。
外国のものを見て、「文」化するものも、文化ではなかろうか。
943吾輩は名無しである:05/01/27 17:40:52
そしてage
944吾輩は名無しである:05/01/27 18:58:56
モダンタイムスとかエンデのモモを思い出させる流れだな。
アクセルにすらガタがあるだろう?



945吾輩は名無しである:05/01/27 19:34:19
>>944
むしろ文学部廃止して、失職した教授を工場のラインで働かせりゃいい。
人が増えて工員の仕事は楽になる。
946吾輩は名無しである:05/01/27 21:01:57
>>945
生産現場を知らない素人さんの意見。
使えない人が混ざってくると生産率はガタオチ。

ってことがいいたいのではなくてだな、...
947945:05/01/27 21:27:52
>>946
生産率って労働生産性のことか?
確かに落ちるが一人当たりの作業量が減るからミスは少なくなるぞ。
>>944は何かの比喩か?
948吾輩は名無しである:05/01/27 21:28:23
学問は、古典研究からはじまったのです。
「実学」など学問以前。
949吾輩は名無しである:05/01/27 21:51:51
>>947
^^;

>>948
学ぶことはただそれだけでも価値があると思いますけれど。
研究成果に血道をあげるのも経済効果とあまり変わらないんじゃないですか。
そういう主張をするとたいてい負けてしまいますよ。あなどるなかれ、経済効果!

文学は芸術でしょ、やっぱり。

それから、論理的な思考を鍛えるとか。
いい文学作品は情操教育に役立てようなんか。
あ、これは経済効果か。
効率の良い研究なんて糞食らえ!
950吾輩は名無しである:05/01/28 12:13:17
>>980

ということは、古典の「文学」を効率よく汲み出すために
「学問」がうまれたのではなかろうか。

と思う。
951吾輩は名無しである:05/01/29 09:02:49
夢は捨てない
952吾輩は名無しである:05/01/29 13:07:55

たとえば「古代ギリシア文学史」の一節ですが、

...古代ギリシヤ人は、非常に限られた自然科学、数学、技術等の著述を除き、
あらゆる散文を文学と考えていたからである。このために哲学、歴史、演説
等も亦文学史の中に取り扱う必要があり、云々。



953吾輩は名無しである:05/02/02 11:57:50
age
954吾輩は名無しである:05/02/04 09:41:59
でも、文学は必要だと思うよ。京大や慶応では今後が微妙な感じだが。
955吾輩は名無しである:05/02/06 21:23:14
「思うよ」で必要とされるのならカルト宗教と変わらん
956吾輩は名無しである:05/02/06 22:44:41
基本的に違わない
957吾輩は名無しである:05/02/07 18:05:30
見栄の張り合いはやめて給料晒そうよ
もういいよ。
958吾輩は名無しである:05/02/08 00:15:59
じゃ、スレ終了ってことで!


バイバ〜イ
959吾輩は名無しである:05/02/10 12:04:46
OK!
960吾輩は名無しである:05/02/10 15:14:46
じゃあ、言葉の定義から
(1)文学
(2)虚学

(1)文学とはなにか、と大上段に構えずに考えて見ると現代では、
(1)−1.小説や詩などの言語を使った創作活動と、
(1)−2.創作された作品を論ずる作品論、作家論、文学史などの評論・批評
と大別されると思う。

(2)これも大げさに捉えないことにすると、実学、つまり、社会のお役に立つ、
つまりは、経済優先(実用的な科学技術も広い意味では経済活動と捉える
ことにする)の考え方で、要するにちょっと見飯の種になるものや、その基礎
となるものでないものを言っているような気がする。
学部存続も、昔はやった産学協同路線の延長上にないものは排除できないか
の検討と捉えられる。
961960:05/02/10 15:31:42
もうひとつ、視点として
文学は芸術か、
というテーマがあると思う。
(1)−1.については、絵画や音楽と比べても芸術であるという意見は
異論もあるかもしれないが、まあ認めてもいいと思う人も多いのではないだろうか。
ところが(2)−2.はどうだろう。分析とか理論、言語学や哲学を援用すること
もあり、成果物として、一見、科学的なものでなければならない、とか、
こうあるべきだ、のようなべき論感情が反映されていないか?(1)−2.も、実は
というか、(1)−1.と同じ芸術の一つではないか、とも考えられると思う。
これに対して、所謂人間機械論のように、計算機科学がさらに発展すれば、
創作活動も機械化できる。データベースをうまく創れば、科学的な批評も夢ではない
(と、これは現段階ではいささか無謀に思えるのだが)とも考えられる。

962吾輩は名無しである:05/02/10 15:50:29
存在価値として「役に立つ」ということなんだけれども、
これはどういうことか、考えて見るととても難しい。
南極や北極の氷山の存在は役に立っているだろうか。温暖化で溶け出して見ると
あれらの存在が非常に大切だと思うけれど、昔はそんなこと考えもしなかった。
一見無駄と思われるものでも、よく観察すると大切だと理解できるものもある。
だが、ほとんどは分からないほうが多いのじゃないだろうか。「風が吹くと桶屋が儲かる」
という話があるけれど、世界はあの手の因果関係の、しかも非常に線の細い、
どうにでもころんでしまうような因果関係で成り立っている気がする。
これは一種の賭けだ。ネットワークが進んで行く、狭くなる一方の世界のなかで、
はたして文学をどう処遇すればいいか。

963吾輩は名無しである:05/02/14 12:05:28
今しっかり世間に認知されて、ガッポリ稼いでる小説って
宮部みゆきとかなんだろ?ほんともういいよ。
スレ終了。
以降「なぜ衰退するのかスレ」統合でいいでしょ
964吾輩は名無しである:05/02/14 16:20:28
>>963
がきのねごとか?
文学なんぞやめちまえ!
965吾輩は名無しである:05/02/16 11:29:33
まあまあ、落ち着いて
966吾輩は名無しである:05/02/16 18:46:05
藝術と文藝はすこし違うと思う。
文藝は言葉だから。
967吾輩は名無しである:05/02/16 19:19:16
>>966
ここでは当然、芸術性をもった文章表現を考えている。

絵画も目で見る記号の一種、音楽は耳で聞く音符と言う記号の一種
とも考えられるだろう?
絵画も音楽もそういう意味ではかなり違ったものを
ひとつの芸術と言う言葉で捉えているわけだ。

言葉というのは記号表現、音声表現を両方とも備えている。
968吾輩は名無しである:05/02/21 00:12:40
音楽じゃなくて音符が記号なんじゃないの?
それはいいけど、文学の処遇は美大や音大と同じにするのがいいんじゃないか?
芸大の文学科とか文学大?とか。
そこで実技と今の文学科でやってるような研究をやるのが
一番いいと思う。
969吾輩は名無しである:05/03/09 13:52:45
そしてage
970吾輩は名無しである:05/03/09 15:12:24
文学部がやばくなったら
文化全般を研究する学部作って
そこに文学も逃げるしかないだろうね。
971吾輩は名無しである:05/03/09 15:37:54
一生懸命読んできたけど、とりあえず皆さんの認識を要約すると
文学イコール道楽ですか。僕もそうです。
972吾輩は名無しである:05/03/13 00:15:59
>970
いまやそんな学部ばかりです。。。
973吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 00:02:23
u
974吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 02:55:17
虚でもいいか、不要という結論ではないし。
道楽、ガタ、余裕...
975吾輩は名無しである:2005/05/18(水) 02:08:30
繰り返し
976吾輩は名無しである:2005/05/18(水) 21:31:40
文学とは、体系化されていない哲学である。
意味ありげな行動やセリフを単発で吐き散らし、
その相互の矛盾を体系の代わりに物語で誤魔化す。
ゆえに村上春樹の小説を「何かあるとみせかけている」と評するのは、
コギャルとおじいちゃんの会話なみにズレている。
他のどの文学に何かがあるというのか。もともと文学に何かもクソもない。
飲み屋のオヤジのような薄っぺらいマイ哲学を、
物語のエンタメ性の飾りにしてるだけ。
薄っぺらく体系がない故に、想像が入り込み解釈が分裂する。
文学厨はそれを「深み」などと呼ぶ。
しかし解釈が異なるのは「深み」ではなく「誤読」「バグ」である。
それを楽しむのは芸術に近づくことではなく、
単にクイズゲームを楽しんでいるだけだ。
ゆえに文学厨とはネトゲオタなみに下劣な存在である。
反論はもちろんないよね?
977吾輩は名無しである:2005/05/19(木) 00:17:15
虚実皮膜論に反駁しきってから反論を切り捨てなさい。
978吾輩は名無しである:2005/05/24(火) 13:20:18
>>976
稲垣足穂氏の言葉に「日本の哲学者は哲学学者だ」というのがあったのを思い出す
つまり哲学を体系化して本人達はそれを学問と思い高級な仕事をしていると
そう思っているわけだけれども、実際にその哲学を自身の人生として生きる覚悟が
あるのかというとその覚悟は無い
体系化され分析されて仕舞ったものが「生きる」と言う行為に如何に無力であるか
人間の不可思議で曖昧な、矛盾に満ちた真実の姿を目の当たりにした時にどれほど無力であるか
分厚い哲学書は恋愛に悩むの一人の青年も救えまい
では優れた体系を得たと思われる哲学者はその人生をどうして生きたのかと言えば
時に自身の理論を裏切り、また時には自身の立場は例外視し、また時には狂気に堕ちた
もちろんそうならなかった哲学者も居たが彼らがこの二つの両輪にまたがり
尚自身の人生を進めることが出たのは実は問題の最も本質的な箇所を放り出していた為である
逆説と聞こえるかもしれないが本当の哲学はその最深部にある神秘的経験・確信を据えているものである
森鴎外は『妄想』の中でこれを端的にこういってのける
「どのような見事な哲学も結局は一つの抒情詩に過ぎない」と

文学について書く間が無くなった
979吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 05:02:02
>分厚い哲学書は恋愛に悩むの一人の青年も救えまい
これは、賛成できんな。
「救う」という言葉の意味にもよるが、かつてはマルクスやキェルケゴールの
著作に救われた者も多かったのではないかな。
もっと言えば、数学の論文を読んで救われたり、天文学の本を読んで
楽に生きられるようになった人もいるだろう。
「救済」は別に文学の特権ではない。人間、何に救われてしまうか、
知れたもんじゃない。

むしろ「救済」を目的として書かれた文学って単にくさいだけの
ような気がする。

>>978 の趣旨からは外れたレスかも知れんがな。
980978
>>979
誤読されている
この場合の「救う」は勿論「解決」をもたらすという意味であって
恋愛という一事を持ち出していることによって推察して欲しかった
つまり哲学や、言うまでも無く文学においてもそれ自体に人生の或る事件への解決法が
示されているという訳ではないといっているのである
貴方の言うとおりマルクスやキェルケゴールの著作、或いは数学の論文を読んで
また或る絵画を見て、音楽を聴いたとして、人工物ではない自然に触れたとして
其処に自分の生き方への何かしらの端緒・確信を捕まえたという人は数知れず居るだろう
けれどもそれはそれらはその鑑賞者を何れかの方向に促したのであって解決法を示したのではない
実際の人生の問題へ対峙するやり方は各人各々に工夫するしかないのは言うまでも無いことと思う

>むしろ「救済」を目的として書かれた文学って単にくさいだけの
>ような気がする。
そのような文学は少なくとも名著と呼ばれるものの中にはない
そのように見られるものも作家がなにを著したかったかを思えば自明のことと思われるが
つまりそれら著作は其の作家(例えばゲーテ・トルストイを思われたい)の「人」と言うものへの
一つの信じ方なのであって、作品は救済を「目的」とした「手段」ではないのである
或る著作があって其処に作者が人類を代表しているかのような驕りを見るか
或いは単なる無私な一人間を見るかは鑑賞者の鑑賞眼に委ねられている
そういった眼を潜り抜けてきたものだけが名著として読み継がれてゆくのは歴史が証明するだろう
それが実は文学における文体(文章の姿と言ってもいい)の問題なのだけれど……

最後に979氏は978の書き込みが976の愚劣な意見に対しされたものである事を了承されたい