1 :
吾輩は名無しである:
忘れ去られて逝きそうな近代作家の名短編を
勝手に紹介していくスレッド。
・著作権に気をつける(死後50年経っている等)
・出来るだけ原文に近くしつつ、現代人が読みやすく適当にくだく
・長い目で見る
第一回『あひびき』作:ツルゲーネフ 訳:二葉亭四迷
秋九月中旬というころ、
一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあった。
今朝から小雨が降りそそぎ、
その晴れ間にはおりおり生ま暖かな日かげも射して、
まことに気まぐれな空合い。
あわあわしい白ら雲が空一面に棚引くかと思うと、
フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、
無理に押し分けたような雲間から
澄みて怜悧し気に見える人の眼の如くに
朗かに晴れた蒼空がのぞかれた。
自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。
木の葉が頭上で幽かにそよいだが、
その音を聞いたばかりでも季節は知られた。
それは春先する、面白そうな、笑うようなさざめきでもなく、
夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、
また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが、
ただ漸く聞取れるか聞取れぬ程のしめやかな私語の声であった。
そよ吹く風は忍ぶように木末を伝った。
照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変った。
或はそこに在りとある物総て一時に微笑したように、
限なくあかみわたって、
さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、
やさしい光沢を帯び、地上に散り布いた。
細かな、落ち葉は俄かに日に映じてまばゆきまでに金色を放ち、
頭をかきむしったような「パアポロトニク」(ワラビの一種)の
みごとな茎、しかも熟え過ぎた葡萄めく色を帯びたのが、
際限も無くもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
或はまた四辺一面俄かに薄暗くなりだして、
瞬く間に物のあいろも見えなくなり、樺の木立ちも、
降り積った儘でまだ日の眼に逢わぬ雪のように、
白くおぼろに霞む―――と小雨が忍びやかに、怪しげに、
私語するようにパラパラと降って通った。
樺の木の葉は著しく光沢は褪めていても流石に尚お青かった、
が只そちこちに立つ稚木のみは総て赤くも黄ろくも色づいて、
おりおり日の光が今雨に濡れた計りの細枝の繁みを漏れて
滑りながらに抜けて来るのをあびては、キラキラときらめいていた。
鳥は一ト声も音を聞かせず、皆何処にか隠れて鎮まりかえっていたが、
只折節に人をさみした白髪翁(シジュウカラ)の声のみが、
故鈴でも鳴らす如くに、響きわたった。
この樺の林へ来るまえに、
自分は猟犬を曳いて、さる高く茂った白楊(ハコヤナギ)の林を過ぎたが、
この樹は―――白楊は―――全体虫がすかぬ。
幹といえば、蒼味がかった連翹色で、
葉といえば、鼠みとも附かず緑りとも附かず、
下手な鉄物細工を見るようで、しかも長け一杯に頸を引き伸して、
大団扇のように空中に立ちはだかって―――どうも虫が好かぬ。
長たらしい茎へ無器用にひっ付けたような
薄きたない円葉をうるさく振り立てて―――どうも虫が好かぬ。
この樹の見て快よい時と云っては、
只背びくな灌木の中央に一段高く聳えて、入り日をまともに受け、
根本より木末に至るまでむらなく樺色に染りながら、
風によそいでいる夏の夕暮れか、
―――さもなくば空名残りなく晴れ渡って風のすさまじく吹く日、
あおそらを影にして立ちながら、ザワザワざわつき、
風に吹きなやまされる木の葉の
今にも梢をもぎ離れて遠く吹き飛ばされそうに見える時かで。
とにかく自分は此樹を好まぬので、そこでその白楊の林には憩わず、
わざわざこの樺の林にまで辿り着いて、
地上わずか離れて下枝の生えた、雨凌ぎになりそうな木立を見立てて、
さて其の下に栖を構え、四辺の風景を眺めながら、
唯遊猟者のみが覚えの有るという、
例の穏やかな、罪の無い夢を結んだ。
というような一編。
「あわあわしい白ら雲が空一面に棚引くかと思うと、
フトまたあちこち瞬く間雲切れがして」
のような一語一語の語彙がいいと思います。
11 :
吾輩は名無しである:02/07/12 04:53
続き
何時ばかり眠っていたか、
ハッキリしないが、とにかく暫らくして目を覚ましてみると、
林の中は日の光が至らぬ隅もなく、うれしそうに騒ぐ木の葉を漏れて、
はなやかに晴れた蒼空がまるで火花でも散らしたように、鮮やかに見渡された。
雲は狂い廻わる風に吹き払われて形を潜め、空には繊雲一つだも留めず、
大気中に含まれた一種清涼の気は人の気を爽かにして、
穏やかな晴夜の来る前触れをするかと思われた。
自分は将に立ち上ってまたさらに運だめし(猟のことだが)をしようとして、
ふと端然と座している人の姿を認めた。
瞳を定めてよく見れば、それは農夫の娘らしい少女であった。
二十歩ばかりあなたに、物思わし気に頭を垂れ、
力なさそうに両の手を膝に落として、端然と座していた。
旁々の手を見れば、半はむき出しで、
その上に載せた草花の束ねが
呼吸をするたびに縞のペチコートの上をしずかにころがっていた。
清らかな白の表衣をしとやかに着做して、咽喉元と手と手頸のあたりでボタンをかけ、
大粒な黄ろい飾り玉を二列に分って襟から胸へ垂らしていた。
この少女なかなかの美人で、
象牙をも欺むく色白の額際で巾の狭い緋の抹額(ヘアーバンド)を絞めていたが、
その下から美しい鶉色で、しかも白く光る濃い頭髪を丁寧に梳かしたのがこぼれ出て、
二つの半円を描いて、左右に別れていた。
顔の他の部分は日に焼けてはいたが、薄皮だけに却って見所があった。
眼ざしは分からなかった、―――始終下目のみ使っていたからで、
しかしその代り秀でた細眉と長い睫毛とは明らかに見られた。
睫毛はうるんでいて、旁々の頬にもまた蒼ざめた唇へかけて、
涙の伝った痕が夕日にはえて、アリアリと見えた。
総じて首付きが愛らしく、
鼻が少し大く円すぎたが、それすらさのみ目障りにはならなかった程で。
とりわけ自分の気に入ったのはその面ざし、
まことに柔和でしとやかで取り繕った気色は微塵もなく、
さも憂わしそうで、そしてまたあどけなく途方に暮れた趣もあった。
だれをか待合わせしているものと見えて、
何か幽かに物音がしたかと思うと、
少女はあわてて頭を擡げて、振り返って見て、
その大方の涼しい眼、牝鹿のもののようにおどおどしたのを、薄暗い木陰でひからせた。
カッと見開いた眼を物音のした方へ向けて、しかじか視詰めたまま、
暫らく聞きすましていたが、
やがて溜息を吐いて、静に此方を振り向いて、
前よりは一際低く屈みながら、また徐ろに花を択り分け始めた。
擦りあかめたまぶたに、厳しく拘攣する唇、
またしても濃い睫毛の下よりこぼれ出る涙の雫は流れよどんで日にきらめいた。
こうして暫く時刻を移していたが、
その間少女は、かわいそうに、みじろぎをもせず、
唯折々手で涙を拭いながら、聞き澄ましてのみいた、ひたすら聞き澄ましてのみいた
・・・フとまたガサガサと物音がした、―――少女はブルブルと震えた。
物音は罷まぬのみか、次第に高まって、近づいて、
遂に思い切った闊歩の音になると―――少女は起き直った。
何となく心おくれのした気色。
ヒタと視詰めた眼ざしにおどおどした所もあった、
心の焦らされて堪えかねた気味も見えた。
しげみを漏れて男の姿がチラリ。
少女はそなたを注視して、俄にハッと顔を赧らめて、
あれはもしや?とおもい顔にニッコリわらって、起ち上がろうとして、
フとまた萎れて、蒼ざめて、どきまぎして、―――先の男が傍に来て立ち留ってから、
漸くおずおず頭を擡げて、念ずるようにその顔を視詰めた。
ここまでは写実というよりもむしろ浪漫主義的な描写で、
「写実主義」の二葉亭四迷とはかけ離れている様にも思えますが・・
20 :
吾輩は名無しである:02/07/31 02:02
age
21 :
吾輩は名無しである:02/08/26 19:18
age
続きをくれくれくれ。
23 :
吾輩は名無しである:
最近、短編に凄く惹かれる。
名品の他に
途中まではいいんだけどというような、なんちゃって名作も求む。