ネット汚物・田口ランディは盗作ゴリラPart9

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697検討用資料
「寺山修司さんの宿題」in『できればムカつかずに生きたい』

 十四歳の時、初めて寺山修司を知った。
 ある日、友達の新井智恵美が『あなたの詩集』という本を貸してくれた。
 それは、寺山修司が素人の女の子たちから詩を公募して自ら編纂した詩集だっ
た。人気があるらしくシリーズになっていた。一読して「凄い」と思った。それか
ら熱狂してむさぼり読んだ。もちろん、おこづかいを貯めて全シリーズ揃えた。読
めば読むほど燃えた。そこに詩を書いている少女たちの言語センスに圧倒された。
 当時、茨城県の田舎の中学生だった私は、詩といえば学校の国語の教科書に載っているようなものしか読んだことがなかった。でも、『あなたの詩集』に描かれて
いる詩的世界は、もっと身近で、もっと神秘的で、カッコよくて、言葉を浴びただ
けでくらくら眩暈がしそうだった。
 寺山修司から絶賛されていた素人少女詩人のなかには、今は劇作家になっている
岸田理生さんがいらっしゃった。その他、度々登場するスタープレーヤーたちがい
た。
 アンニュイな少年・杏里の日常を描いた詩、万里の長城に住む不眠症の猫を描い
た詩、大和言葉を駆使して自然を描き出した蓮作。
 言葉にはなんという多種多様な表現の可能性があるのだrふぉうと思った。しか
も、書いているのは私と年の違わない少女たちなのだ。
 そして、寺山修司は少女たちの才能を絶賛していた。彼が少女詩人たちに送る短
いコメントにも宝石のような言葉がきらめいていた。

 「この人の詩は、燃えながら歌っている回転木馬のようだ」

 なにしろ、二五年も前の記憶なので定かではないけれど、こんなコメントを寺山
さんが書いていたことがあった。私はこの一分を読んだだけで、その映像が頭の中
に鮮明に浮かび上がり、その時の感動を今でも想起できる。燃えている回転木馬。
なんと美しく狂おしいイメージだろう。
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>>697続き
 そして、寺山修司に憧れた。この人に認められることは言葉の世界に認められる
ことだと確信したのだ。魔法のように言葉をあやつる少女たちの総元締め。謎のあ
しながおじさん。それが、私が思い描く寺山修司だった。

《略》

 私は、十五歳の頃から寺山修司に手紙を送り続けた。なぜかというと、やはり寺
山さんが編集していた「ペーパームーン」(新書館)という雑誌に、寺山さんが
「お手紙下さい」と書いていたからだ。だから私は手紙を書いた。読んでもらえな
くてもいいと思った。何を書いたろう。他愛ない事だったと思う。学校で起こった
出来事、今日の空の色、通学路のコスモスの美しさ、寺山さんの本の感想。
 寺山修司は、私たちの世代の少女にはあまりなじみがない。寺山さんがアンダー
グラウンドの旗手として最も活躍していたのは私が小学生の頃だった。寺山修司の
本を読むと、ひと世代前の人々の息吹きが感じられる。それは私の世代(私は五
十九年生まれだ)にはない不思議な力だった。
 六〇年代のとこか微熱を帯びたような時代の雰囲気。そんなものに七〇年代を生
きていた私は憧れた。自分の生きているこの場所が生ぬるいと感じた。そんな思い
を寺山さんへの手紙に書きつづったように記憶している。
699検討用資料:02/08/14 23:24
>>698続き
十七歳のある日、突然、寺山修司本人から電話がかかってきた。もちろん私宛て
にだ。
「寺山です」と彼は言った。「いつも手紙ありがとう」。
「読んでいてくれてたんですか?」と私は興奮して叫んだ。「読んでます」と彼は
答えた。それからのやりとりは、頭が茫然としていてうまく思い出せない。とにか
く会うお約束をした。次の日曜日に京王プラザホテルのロビーで、ということだっ
た。
 電話を切ってから、京王プラザってどこだろう、と思った。ホテルなんて行った
事もなかった。東京なんて遠い世界だった。それでも行こうと思った。行かねばな
るまい。きっとそこには私がこれまで出会った事もない「異物」が蠢いているに違
いない。
 本の中の世界でしかないと思った「異和なるもの」が、いま、自分の日常に漏れ
出して来たのだと思った。そういう力を寺山さんは持っていた。漏れてくるのだ。
私のような田舎娘にまで。
 次の日曜日、母親に泣いて頼んでこづかいをもらった。電車を調べ、東京の地図
を買い、一人で起きて始発電車に乗った。興奮のあまり耳たぶが熱かった。私は本
当に、あの寺山修司に会えるんだと思った。心臓がバクバクする。
 京王プラザホテルのロビーには、寺山さんの秘書の女性がいた。そして「こっ
ちです」と部屋に案内してくれた。入っていくと、同じような年頃の少女たちが、
四、五人いてカーペットの床に座っていた。恐る恐る名前を告げると、少女たちの
真ん中に座っていた男の人が「ああ、あなたが……」と笑った。その人は私が茨城
の田舎では見たこともないような独特の雰囲気を持っていた.先生でもない、親戚
のおじさんでもない、誰でもない、寺山修司だった。大人の男であり、芸術家だっ
た。
「あなた、星座は何座?」といきなり聞かれたので、「天秤座です」と答えた。す
ると寺山さんは「ほう」と行った。それが何を意味しているのかはいまだにわから
ない。それから彼はどうでもいいことのように言った。「あなたは文才あるよね」。
700検討用資料:02/08/14 23:25
 その後、連れて行ってもらった麻布十番の天井桟敷には、J・A・シーザーという
不思議な名前の長髪の青年や、小人や、ちょび髭を生やしたダリそっくりのおじさ
んがいた。家出人や、歌手の卵や、俳優や、同性愛者や、作家の卵がいた。もう私
の想像を絶する、ありとあらゆる「異和なるもの」がそこに大集合しているみたい
だった。
 寺山修司という人は「異物」を集めて、それを他人の人生に注入するのが趣味み
たいだった。私もそのおこぼれにあずかったのだろう。おかげで私は自立できた。
あれだけのものを十代に見せていただいたら、この生ぬるい時代の中でもどうにか
こうにか自分を生きられる。
 結局、私が私を知るためにもっともてっとり早い方法は、私以外の異物と出会う
ことなのだと思う。それを、壮大なスケールで寺山さんは仕掛けていた。もしかし
たら、それが芸術家の役目なのかもしれないと、ふと思う。
 寺山修司は、すこぶる面倒見のよい人だった。寺山さんを知る人は皆そう言う。
「人の才能を見抜くのがうまかった」「ほめ上手だった」と。
 そのくせ、津具の瞬間にはもう相手の事を忘れていたりする。今を生きているか
ら、目の前にいる人には真剣だが、サヨナラしたとたんに相手は消える。
 私のような田舎娘は、一度優しくしてもらうとそれが永遠に続くように錯覚す
る。だから、次に会った時は冷たくされたと感じて、一人でめそめそ傷ついたりし
ていた。優しくされるともう一度声をかけてもらいたくて、ほめてもらいたくて、
寺山さんに執着していた。
 そのような執着こそが、自分を生きるための邪魔になるのに、若かった私にはそ
れが理解できなかった。次第に傷つくことが多くなって、いつしか私は寺山修司か
ら離れた。イソップ物語のキツネのように「あのブドウはすっぱい」と思うことに
したのだ。
701検討用資料:02/08/14 23:26
>>700続き
 それでも寺山さんはマメな人で、直筆の年賀状はくれたし、「友人五〇人に送る
ニュースレター」という近況報告の手紙を定期的に送ってくれた。その手紙の末尾
に「今度、あなたのことを猫の本に書きました」と書いてある。意味不明だった。
本に書いてくれたのなら、書名と出版社を教えてくれればいいではないか。でも、
そういう事に気が回らない人だった。
 本屋に行くたび、寺山さんの新刊が出ていないか、それは猫の本ではないか……と探したが、そんな本は並んでいない。がっくりするのにも疲れ果て、いつしか忘
れていた。

 それから二〇年があっという間に過ぎて、とうに寺山修司もこの世を去った。

 私は三六歳の頃から、本格的に文筆業への道を歩み出した。遅いスタートだっ
た。その頃に、実家の押し入れを整理していたら、かつて寺山さんからもらった
ニュースレターの束が出てきた。そういえば私は、あの当時の寺山さんと同じ年に
なったのだなあと思った。
 およそ二〇年ぶりに、寺山さんからの手紙を読むと、そこには海外公演での苦労
や、体調がおもわしくなく苦しいことなど、寺山さんの当時の心情が書かれてい
る。びっくりした。十代だった私は、この手紙をまったく理解していなかったの
だ。文面からあふれる三六歳当時の寺山修司の気持ちをこれっぽっちも感じていな
かった。十代の世界観はこの程度だったのか、とあきれ果てた。だとしたらよくも
こんな鈍感な私の相手をしてくださったなあ、とため息がこぼれた。
702検討用資料:02/08/14 23:28
>>701続き

 ところで、寺山さんが手紙に書いてきた「猫の本」を、私はひょんなことから手
に入れた。
 友人のフリーライターが猫の本の収集家で、私の話を聞いて「もしかして、これ
じゃないかしら」と持って来てくれたのだ。
 それは猫の絵はがきを集めた画集で、その巻末に寺山さん作の短い物語が載って
いる。
 探偵寺山修司と十八歳の少女が、文学の中に消えた「煙」という名の猫を探しに
行く、という妙な物語であり、その少女の名前は私の実名だった。しゃべり方とい
い、落ち着きのない仕草といい、描かれているのは間違いなく十八歳の私だった。
 私はそれを読んでおいおい泣いた。私の未来に、こんなプレゼントを残してくれ
た寺山修司さんのお葬式にすら行かなかった。私は長いこと寺山さんを疑ってい
た。それは自分の才能を疑うこととイコールだった。
 本と言う次元を超えて現われた「人生の指針」を信じられないほど、私は弱い人
間だった。