それに対して後者のテクストは、
いわゆる器官なき身体とのからみで考えた方がいいと思う。
『84』所収のテクストが器官なき身体についてのもので有名だが、
あれが書かれたのが1947年なので、
『芸術と死』と結びつけるよりこの方が自然だと思う。
彼は器官なき身体(はっきりと概念化してはいないと思うが)ということで、
性器という器官がいわば非自我として自我の妨げになることを批判しているのだろう。
したがって先のテクストのように去勢によって機能が失われるというのではなく、
去勢によって失われる機能自体(真の男は)もっていないといっているのだから、
やはり二つのテクストを一緒くたにはできないだろう。
ちなみに170さんに倣って「真の男は」とかいたが、
これって男って意味なんでしょうか?
フランス語のできない私はむしろ人間という意味ではないかと思ったのですが。
というのは、男とか女とかの区別も、
正にここで批判されているだろう機能の差異化によって
作られるものでしょうから。
いずれにせよ引用もとを明らかにしてくれるとありがたいのですが。
ところでGさんって誰ですか?
いちばん弱い力、重力。
197 :
吾輩は名無しである:03/10/29 18:08
>175
◆OQomYzRHWk氏の一連の発言は、アルトーの1933-4年の『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』
を念頭において書かれたものと推測されます。これは、歴史小説というよりは、哲学といった方が
良い作品かもしれませんが、ドゥ・マゴ賞の候補作にあげられているのだから、「小説」と呼んで
さしつかえないと思います。この作品は、アルトーが初期の作品で登場させた、アベラールやウッチェロ
と同じように、アルトー自身の「分身」ともいうべき歴史上の実在人物をとりあげた作品ですが、
アルトーは、演劇者としての自らと同じく「アナーキー」という言葉をヘリオガバルスに関して使っています。
さらに、この作品のIII章「アナーキー」において、アルトーは「去勢」と「男色」、「両性具有」について、
迫力ある記述をしていますが、>175さんは、この点に関してはどう考えられますか?
「真の男」という言葉もアルトー自身が使っていますね。
198 :
吾輩は名無しである:03/10/29 19:29
>>194=175
>170さんが挙げているテクストは1928年の『芸術と死』所収のものと
>1948年のテクストなので、
>おそらくアルトーの全生涯を通じて一貫したヴィジョンをもっているのだろう。
アルトーは1737年9月、フランスへ強制送還される船上で発作を起こし、以後数年間、
病院を点々とする悲惨な監禁生活を送るが(例の非人間的電気ショック療法を含む)、
1746年にはパリへ「帰還」。1747年1月にオランジュリーでヴァン・ゴッホ展を見た
ことをきっかけに、『ヴァン・ゴッホ ―社会による自殺者』を一気に書き上げる。
この作品は、『ヘリオガバルス』とは対極をなす作品であると思うが、この作品に
至るアルトーの心境の激越な変化を無視して、「全生涯を通じて一貫したヴィジョン」
と175氏が言及するのは、あまりにも軽薄であるという印象を持った。
>198
そうですね。アベル・ガンスの「ナポレオン」は、発病前の1927年の映画だから、◆OQomYzRHWk氏が
>>171で挙げてくれた「澄みきったアベラール」の構想が、すでに念頭にあった時期でしょうかね。
1933年の「ヘリオガバルス」の資料もすでに集め始めていたかもしれない。それを考え合わせると、
◆OQomYzRHWk氏が言うように、この頃のアルトーが、「去勢」という概念にとりつかれていた(?)
という感じがしないでもないです。「真の男は性器を持たない」という1948年の詩を「飛躍」とみるか、
何らかの関連性をみるかはともかくとして、闘病経験が、アルトーの作品に影響を及ぼしていることは
異論の余地のないことだと思います。そのあたりを「一貫したヴィジョン」としてしまうのは、やはり、
読みが甘いと思いますがね。175氏には、その論拠を示してほしいところです。
◆OQomYzRHWkがアルトーに対して、全生涯を通じて一貫したヴィジョン
を持っているってことでしょ?
なんでそんなことも読めないの?
ごめんなさい。
さし当たり軽い返事を。
まず一貫したヴィジョンを云々の条りは、
170さんがかなり年代的に開きのある引用を並べたので、
170さんが一貫したヴィジョンをもっているのだろうなと考えました。
そのあとで言っているようにそのように一緒くたにするのはどうかというお伺いを
170さんに立てました。
(「もっているのだろう」の主語は170さんです。)
「真の男」って原文ではどういうものですか?
1948年のテクストで、
l'homme vrai n'a aucun sexe (170の引用から想像)
とかいう文章であれば、hommeは「人間」じゃないかと思うんですが。
>200は煽りですかね。175氏みたいにも思えるけれど。「ヴィジョン」という言葉の使い方が(以下略。
>201
私は、◆OQomYzRHWk氏のレスから、「一貫したヴィジョン」を持っているという印象は受けませんでしたがね。
書かれた文章をどう受け取るかは読み手それぞれだと思いますが、若い頃(発病前)に書かれた作品と、
9年にも及ぶ長い闘病生活の末の1948年の作品と、アルトーの「ヴィジョン」が明らかに異なっていると
思われる時期に書かれた2つの作品に、「去勢された男」、「性器を持たない」という似通ったキーワードがある、
そのことについてどう思うか、という話題の呈示であったように、私は思いますよ。アルトーは、1936年に
セシル・シュラムとの婚約解消事件もおこしていますからね。その謎と、男女の恋愛(性)についての
アルトーの心境の変化についても話し合ってみたいものです。発病と無関係とも思えないので。
とにかく、175氏は、「アルトーをよくしらない」と、だから◆OQomYzRHWk氏が「アルトーの全生涯を
通じて一貫したヴィジョンを持っている」と感じたということですね。
ついでながら、発病直前の「アイルランド旅行」と「聖パトリックの杖」に関連づけて、巌谷國士氏あたりも、
「もうひとつの奇妙な『剣』(去勢願望にも対応するだろうか?)」というようなこと、書いていますがね。
「去勢願望」という言葉は、別に◆OQomYzRHWk氏の専売特許ではないと思いますよ。
200だけど175と別人だよ
「ヴィジョン」はコピペです
ふつうにスレ読んでれば199みたいなレスありえないだろうと思った
んだけど、もうどうでもいいか
>>203 同意・・・普通に、
>>170に書かれてた
ような意見もある、ってことだし・・・
この話は・・・もう、いいんじゃないかな?
>>203-204 「ヴィジョン」云々はもういい、という点は同意しますが、お二人の言う「ふつう」「普通」って、いったい?
何が「普通」の基準になっているのか、さっぱりわからんです。お二人揃って「文学」を語るのに
厨房めいた「普通」という表現では、なさけないですね。
少なくても198氏に賛同した私の意見が199だったわけですから、「ありえない」とまで言われることはないと思いますがね。
文学板に長文レスするくらいの人なら
ここまで読解力がないなんて「普通」ありえない、
ってことなんですが…
192さんはちょっと「普通」じゃないのかもね。
と煽ってみるテスト
175みたいな電波レスを擁護するなんて、普通ありえな〜い、と言ってみるテスト
あと、エスパーかも? いつのまにか
霊視なんか、されちゃってるかもよw
・・・言っておくが、霊感は存在する!
一つ一つ釈明させていただきます。
>>202 似通ったキーワード云々ですが、私はそれには答えていると思います。
性器をもたない、ということと、去勢されたということは違うのではないでしょうか。
それを結びつけてしまったということに、170さんは
192さんが仰る諸々の出来事を無視してしまっているのではないかと感じたのです。
その点については192さんはいかがお考えでしょうか。
>>207 電波レスで申し訳ないです。
でも一応理由はありまして、たとえば晩年にアルトーは
同性愛を批判あるいは軽蔑しているところがあったと思いますが、
それは性的だからです。
晩年には特に性的なものを嫌悪していましたが、
その一つのありようとして彼は同性愛を批判していたと思います。
そのことがあったので、
(アルトーにおいて)去勢の果てに男色があるとはとても思えなかったので、
あんなレスをしてしまいました。
申し訳ないです。
>209
考えてみると、エスパーが2ちゃんをやってたら、ホント怖いっすねw
匿名の意味がなくなっちゃうばかりか、ネットを通じて部屋の中を
覗かれてたりしてても、こっちからはわからないし、何も証拠が
残らないわけだから・・・ある意味、ハッカーよりも怖いよぉ!
>211
スレ荒らしたり、煽ったり、騙ったり、根拠もなく他人を誹謗中傷する「悪い人」しか
「霊視」できないから、「普通の人」は心配しなくてもいいよ。
>212
エスパーさん。そろそろ真面目にやりません?
彼ならもう大丈夫でしょう。
それに前のほうでレスを入れていた人が
遠くないうちに帰ってくると思いますよ。
それから、名無しさんへの提案なのですが
臨時にでも番号かネームをつけませんか?
そのほうがROMしやすいのです。
>210=175
>>197の質問は無視ですか?
◆OQomYzRHWkへの反論にばかり夢中になっていないで、会話を先へ進めてください。
しかし、◆OQomYzRHWkさんは「去勢の果てに男色がある」なんて言っていないと思いますよ。
他人のレス内容を次々に言い換えて、話を複雑にしているのは、175さんの方でしょう?
一般的に、去勢して「女」になる人を男色者と考えますが(もちろん去勢しない男色者もいます)、
アルトーは、去勢することで、「真の男」になると考えています。アルトーがなりたかったのは
「去勢した真の男」であって、「去勢した男色者」ではない。彼の「去勢願望」は、「女」に
なりたいのではなく、「女」という「性」を徹底的に否定するところにあるのです。
アルトーには、透徹した男性賛美・女性蔑視の思想があります。「女」に化けた「男色者」が、
女性以下の存在であることは言うまでもありません。まして、女性同士の同性愛者などは、
論外ということでしょう。同性愛者が、アルトーにとって批判・軽蔑の対象であったことも頷けます。
(差別発言ですが、アルトーは相当な電波ですから、仕方ありません)
だから、「真の男」は女性を含む「人間」ではなく、男性のみをさしていると解釈します。
思春期の男性の憧憬・性的興味の対象が、女性ではなく、男性である。アルトーにはその傾向がある。
そのあたりのことを、◆OQomYzRHWkさんは、「早熟な男色傾向」と言ったのではないでしょうか?
「男色傾向」は「男色」そのものをさしてはいないと、自分は受け取りました。
少なくても、アルトーは、「生まれつきの男色者」ヘリオガバルスと、「真の男」(アベラール)を
対比させています。アルトーが、どちらになりたいと欲したかは歴然としています。
>213 マダムAさん、はじめまして。
前述のことを補足する意味で、アルトー自身の記述をいくつか抜粋しておきます。
『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』(多田智満子訳 白水ブックス)より
「この史家は、ヘリオガバルスが女と寝て、正常に女とまじわることができたことに驚いている。
生まれつきの男色者にとっては奇妙な矛盾した所行でもあり、男色に対する一種の肉体的
裏切りとも考えられるこの行為は、ヘリオガバルスの宗教的で早熟な男色が結局観念的思想的な
ものであったことを証明している。」
「しかしながら、このように回転するイメージの中、ウェヌスの化身の血をひく魅惑的な二重の
天性の中、そして精神の最も厳密な論理のイメージそのものである驚くべき性的矛盾の中に、
両性具有的性格以上に歴然と現れているもの、それはアナーキーの観念である。」
「キュベレの祭司が自分の男根を切取り、女の衣装を投げかけられる時、その儀式の中には、
ある種の矛盾にけりをつけ、ひとおもいに男と女を結びつけ、両者を組み合わせ、一つに融合させ、
男性によって男性の中へ両者を融合させてしまおうとする欲望がみてとれる。男性が秘儀の導師
なのである。」
(つづき)ヘリオガバルスは「太陽」の祭司であった。
彼の信奉する「太陽神」「太陽信仰」に関して、アルトーは興味ある記述を残しています。
「アポロンが太陽である如くサトゥルヌスが太陽であること、そのことは、下降する神が行為の形に
応じて己が姿と権能とを変えることを我々が承知していれば、何も驚くには当たるまい。」
「アポロンAPOLLON これは太陽の活動力。その名を失うことなしに、一種の渾名としての影を分身とし、
影にたえずつきまとわれている。」
「ヘリオガバルス、それは男であり、女である。
また太陽信仰は男の宗教であるが、男の姿を反映する女という男の模倣がなければ、それは無きに等しい。
活動するために二つに切断されて二者となる唯一者の宗教。
存在するため。
唯一者を冒頭から分断した宗教。
唯一者と二者とは両性具有者(アンドロギュヌス)において結ばれる。
両性具有者とは男。
そして女。
同時に。
唯一者において一体となる。」
217 :
吾輩は名無しである:03/10/30 23:23
いくらなんでもひどすぎる
197と175は同一人物か。
>218
頼むから、猿と一緒にだけはしないでくれ!
2ch心得の「出されたおかずは残らず食べる」というのが、結構、気に入っていたんで、根気よく
レスし続けていたが、「出されたおかず」が猿の脳味噌ばかりじゃぁ、いいかげん嫌になるぜ。
中国では、これも珍味の一つだったらしいが、こんな不味いものが世の中にあったとは・・・。
218も一度食べてみたらいい。反吐が出るぜ。ぺっ!
>>214 レスが遅れて申し訳ありません。
言葉の定義の問題はおそらく話を複雑にしてしまうだけでしょうから、
手短にしますが、去勢して「女」になることが「一般的に」男色者となるということを私は知りません。
でもまあいいでしょう。
『ヘリオガバルス』は私にとって非常に困難なテクストではあるのですが、
それはもしかしたらアベラールやウッチェロについてのテクストにも言えるかもしれません。
というのは、アルトーは言語と自我とのある種のズレを長い間訴え続けたということを
多くの皆さんがご存じなのに、
これらのテクストについてあまりにもナイーヴに対象との同一化が言われてしまうからです。
同一化の願望と言ってもいいでしょう。
しかし、リヴィエールとの往復書簡を読めば、
問題なのはむしろそのような同一化ができないということだということがわかるはずです。
仮に何らかの願望があったとして、その願望を言語を媒体として伝えることのできない困難がアルトーにはあったはずです。
私は『ヘリオガバルス』を書いていた時代だけこのようなある種の病が突然治ってしまったとは思えません。
去勢とは、アルトーにとっては、もちろんアベラールにとっても、
責め苦であり、拷問でさえあります。もちろんそれは苦痛を惹き起こします。
(おそらく)われわれの思いもおよばないほどの身体手苦痛を味わっていたアルトーが、
「苦痛を望む」などとはとうてい信じられません。
ではなぜそのようなものを描くのか、
おそらくそれは現実だからです。
われわれは苦痛を避けようとも不可避的な必然性やあるいは重力の力によって
あらがうこともできずに苦痛に苛まれてしまいます。
アルトーが演劇の領域で残酷という概念を作りだしたのは、
まさにこのようなことを踏まえてのことだと思います。
アベラールは正にこの残酷を体現した一人だったのではないでしょうか。
ヘリオガバルスもまたその一人だとすると(私はそう思いますが)、
一つの問題が起こってきます。
つまりヘリオガバルスの放蕩は自らの意志によってなされたのか? ということです。
おそらくアルトーはこの問いに否定的な答えを用意したのではないでしょうか。
この時期彼はまだ演劇の活動をしていましたが、
演劇とは、あらゆる意味で「自らの意志」がそれそのものとしてあらわれ得ない場です。
そして「真の男」の問題ですが、引用元を見つけました。
ちなみに執筆年は1948年ではなく1947年でした。
car un homme n'est pas un etre
un homme vrai n'a pas de sexe
il ignore cette hideur
et ce stupefiant peche
mais il connait le parachevement
que l'etre
par definition
ne connaitra jamais
もちろんこの引用が問題になっているかはわかりませんが、
これはどう考えても「人間」について語っています。
最後に質問させてください。
197さんはアルトーにおける去勢願望や男色願望というものが、
『ヘリオガバルス』が書かれた時代、あるいはその前後を越えて、
初期から、そして晩年間であり続けたとお考えですか?
もしあったとすれば、具体的にどのような個所においてでしょうか。
おまえらアルトーよりキてるなw
223 :
吾輩は名無しである:03/11/01 19:07
煽りはあげて書こうよ
197さんはもう相手してくれないのかな…
もう猿を相手にするのも疲れたのか…
あと170さんもどうしたんだろう…
このスレと田口スレと文壇BARとニーチェスレがトップ4って、
文学板ってほんとデムパだな。
横レス失礼。電波は電波にしても興味深くもある‥。
ここでは猿とか豚とかいうアニマルネームはやめましょう。
それよりも有名な固定ハンドルネームのほうが(略
それから煽りでも賛同でも自作自演はやめましょう。
去勢という性的主題をめぐっての対話のようですが
少し停滞してるようなのでお二人に質問を。
>>197氏へ
ちょっと言葉がラフに流れる傾向にありますが、
自分なりの言葉で語っている点は良いでしょう。
さて、両性具有的な天使的存在になることと
演劇的舞台において男が女を演じることとは
何か関係があるとお考えでしょうか?
(
>>216:両性的なヘリオガバルス論を参照すべき?)
>>175氏へ
ちょっと教科書的で堅い言葉ですが
厳密に語ろうとしている点は良いでしょう。
さて、器官なき身体と分裂した自我との関係、
また演劇的舞台において多重人格的になることとは
何か関係があるとお考えでしょうか?
(
>>195:去勢ではない無性的なものを参照すべき?)
227 :
吾輩は名無しである:03/11/03 21:24
>226新参者さんは、169、186、189、190と同じ方ですか?
そうだとしたら、少しがっかりしました。(理由は言えませんが・・・)
>>221 (175)
横レス失礼。引用された仏文の"homme"に関して。
un homme vrai n'a pas de sexe
>これはどう考えても「人間」について語っています。
上記のように考えられた根拠は何ですか?
"homme" は、「人間・人類」を表す場合は、定冠詞がついて、"l'homme" となり、
"un homme" の場合は「男・男性」を指すことが多いように思いますが、どうでしょうか?
また、この場合、真の男(un homme vrai)は、「人間一般」ではなく、アルトーの言う
「唯一者」をさしているのではないかと思いますが、その点はどう考えられますか?
228 :
吾輩は名無しである:03/11/03 21:26
スレタイが一瞬「アナル・カント」に見えたのは俺だけではないはず!!
>>228 また正体を現したのか?
バカは死んでも治らないな。
もうここは終了する。
アナル・カントとか言っても
知ってる奴なんていないよ
(これからROMされる人へ)
この板には自分への反論や煽りなども盛り込む巧妙な手口で自演する人物がいる。
急にレスが連なっていたりした時は怪しんだほうがいい。
この人物は文学板で有名なコテハンであるが、ある程度のIQの高さは窺われるものの
やはり猿の脳味噌であり、猿真似しかできないネット中毒症患者である。
どこかから借りてきた付け焼刃のレス内容は、メスを入れていけばボロは出るが
こういう人物に対してまともに相手をしないほうがいい。
適当にアメとムチを使って泳がせておくか、スルーするか、適当なとこで一発か、である。
碩学を装っていても、この人物の正体は所詮228=231なのだから。
何故、急に誰もいなくなってしまったんだろう・・・?
>175 「真の男」の問題はどうなりましたか?
>230 どうして終了? もしかして>1ですか?
返事が遅れて申し訳ありません。
>>233 繰り返しになりますがもう一度いいます。
私の判断材料はこうです。
1、書かれたテクストの年代的な相違。
2、性差は性器を根拠としうるということ。
たぶんこのことはすでにいったと思います。
まず、年代的な相違ですが、このテクストが書かれた最晩年には去勢について語っている
ところはあまりないように思えるし、このテクストが書かれた84にも去勢について語っ
ていたところはなかったと記憶しています。少なくとも『芸術と死』とかで語ったような
やり方では語っていないように思います。これもすでに述べましたが、去勢されること
と、性器がないということは違います。私は去勢とはある種の残酷さとして捉えるべきだ
と思います。しかし晩年に彼が性器がないというとき、むしろ本来的な人間の身体がその
ようなorganismeを必要としていないという議論だったと思います。ちなみに同じ頃に
書かれた残酷演劇というテクストには次のようにあります。
Le corps humain a besoin de manger,
mais qui a jamais essaye autrement que sur le plan de la vie sexuelle les capacite incommensurables des appetits ?
ここでは食べるという器官の運動を性と結びつけていると思われますが、このcorps
humainは人間の身体ということですよね? ここら辺のテクストではcorps humainと
いう表現は頻出しますが、これはl'homme vraiと関連していると思います。
そもそも
>>227さんの質問がよくわかりません。なぜ「唯一者」という意味だと男性を指
すということになるのでしょうか? 私が問題にしているのは、hommeという表現に性
差を導入することの意義です。アルトーはそういう性差、つまりsexualiteを問題にして
いるのだから、これを男性というのはちょっと安易だと思います。もちろん、アルトーは
男性だし、女性差別をしていたかもしれない。しかしそれは別問題です。
ちなみに、170さんはたぶんデリダの『エクリチュールと差異』に引用されていたのをそ
のまま載せたのでしょう。翻訳を見てないのでわかりませんが、そこで「真の男は」とか
訳されていたのかもしれません。原文には「詩編」なんてタイトルはないので、たぶん
どっかの訳を見たのだと思います。
何か私の質問がことごとく無視されているので、また質問させていただきますが、227さ
んが「唯一者」と「男性」を結びつける根拠はなんですか?
>175
馬鹿馬鹿しいので、スルーさせていただきます。
フランス語の le と un の用法について、もう一度、勉強し直してください。
>232のアドバイスに従うべきでした。
猿の脳味噌は、ほんとに・・・不味い・・・。んじゃ。
失礼しました。
フランス語ができないことは申し訳ないです。
ただ、冠詞が意味を完全に規定するとはあまり思いません。
je ne suis qu'un homme
という表現はロワイヤルにのっていますが、
私は一人の人間いすぎないという意味らしいです。
定冠詞と不定冠詞の区別は概念が定まっているか
定まっていないかを規定するものであって、
意味を規定するものではないと思うのですが。
「男」と「人間」というのは意味の違いです。
そもそもなんでこの文が文脈を無視して
文法事項だけで判断できるのかわかりません。
適当なとこで仕切りなおして
有志の方は再開してくださっていいですよ
といってもアルトーの読者はかなり少ないと思うけど
239 :
アルトー復刊なるか:03/11/30 18:04
240 :
吾輩は名無しである:03/12/01 12:35
>>239 なるほどね。
しかし、
「私は昨日知ったのである
これはアメリカの公立学校で公けに行われている中でも一番驚くべきことで
たぶんそれが理由でこの国は進歩の頂点に立っていると思い込んでいる。
公立学校に新しく入ってくる子供に受けさせる試験や検査のなかには、いわゆる精水あるいは精液の検査があるようである、
これは、新入生たちから少量の精液をとり、それを貯蔵瓶に入れ
やがて行われる人工受精のあらゆる実験に備えようというのだ。
なぜなら、アメリカ人たちは、人手や子種が、ますます不足していると感じている、
つまり労働者ではなく
兵士が不足しているので
きたるべきあらゆる世界戦争を予想して
全力をあげ、手段をえらばず、兵士を作り、製造しようとしているのだ」
この感動的な電波部分を省いてたらチキンだな
巛彡彡ミミミミミ彡彡
巛巛巛巛巛巛巛彡彡
r、r.r 、|::::: |
r |_,|_,|_,||:::::: /' '\ |
|_,|_,|_,|/⌒ (・ ) (・ )| ハァ?
|_,|_,|_人そ(^i ⌒ ) ・・)'⌒ヽ
| ) ヽノ |. ┏━━━┓|
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人 入_ノ´ ┃ヽニニノ┃ノ\
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/ | Y | |
242 :
吾輩は名無しである:04/01/08 21:26
ヴァン・ゴッホ
雑誌「肉体言語」のアルトー特集持ってます。
『貝殻と僧侶』がミテミタイヨー