40 :
吾輩は名無しである:
小林秀雄の自宅の音響装置は、五味康祐がセッティングしていたみたいだね。
はじめて小林邸を訪ねた際、五味は
「よくもまあこんな汚らしい音で、あそこまで繊細なモーツァルト論が書けたものだ」
という意味の言葉を投げかけたらしい(^^;
五味は「小林先生」と呼んで兄事していたし、
小林も五味に好意を寄せ、才能も買っていたらしいが、
五味に音楽論をふりかざされそうになると、青くなって逃げまわっていたそうだ。
当時の五味の文壇活動を後押ししていたのは、先年亡くなった「新潮社の天皇」、
当時の『新潮』編集長・斉藤十一氏だったからね。
新人とはいえ、あの人柄とあいまって、文壇では相当畏怖されていたそうだ。
#五味の音楽関連のエッセイで、放浪時代の回顧から頻出する「S氏」は斉藤十一氏のこと。
#出版界の怪物と化した晩年の斉藤氏とはまた別の、一途な文学青年らしい面影が偲ばれておもしろく読める。
41 :
吾輩は名無しである:02/04/07 00:15
>>40 斉藤十一氏は、立原正秋のエッセイにも出てきた。
雑誌連載を勧める氏に、立原が今しばらく純文学を書きたいと言うと
「純文学と娯楽小説を使い分けられないのですか・・・では・・」と斉藤氏が
不気味に笑うのに(使い分けられなくて潰された作家がいたのであろう。私には
潰されない自信があった。)と立原は承諾したとの事。
そのことを書いたエッセイが出た頃かどうかは今定かではないが、晩年の五味の
自伝的な作品に立原が「剣ヶ崎」で主人公の兄に言わせたセリフ「信じられるものは
”美”しかない」というセリフが出てきたので、もしかしたら斉藤氏つながりで五味も
立原のことを意識していたのかも知れない、と個人的に思っている。
斉藤はまた、坂口安吾の「堕落論」を世に出した編集者でもなかったっけ?
(間違ってたらスマソ)
42 :
吾輩は名無しである:02/04/07 00:24
「五味康祐」と「青山二郎」は、小林番の編集者にとって一時禁句だったとか(笑)
43 :
吾輩は名無しである:02/04/07 00:41
>>41 その通り。
紙の不足した当時、
安吾が手すさびに無名誌にでも掲載しようと書いた『堕落論』を
『新潮』にプッシュしたのが斉藤氏。
その後の「安吾ブーム」の仕掛け人ともされている。
「美…」については、
「美しくあるためには破り得ぬどのような法則も存在しない」
というベートーヴェンの箴言が斉藤氏の愛唱句で、
立原も五味もその影響があったのかと思われ。
(五味については、まちがいなく斉藤からの影響)
斉藤十一はまさにその愛唱句通りの人生を歩んだんだなあ。
編集者としては幸せだったにちがいない。
44 :
吾輩は名無しである:02/04/07 00:48
> 「純文学と娯楽小説を使い分けられないのですか・・・では・・」と斉藤氏が
不気味に笑うのに
コ、コワ...
このひと、瀬戸内寂聴のエッセイにも出てきますね。
新潮社から発刊された作品が少ないことの理由として
新人時代の瀬戸内が、新潮社の玄関前で斉藤十一氏の門前払いを喰ったエピソードが書かれてました。
前後が評論家への恨み節なのに、斉藤氏への一節だけは殊勝に自分の甘さを反省していた。
(エッセイ発行時まだ存命だった斉藤氏に遠慮したのかも)
45 :
吾輩は名無しである:02/04/07 01:23
斉藤十一スレになりつつありますね。
「新潮の斉藤」とか「文藝春秋の池島」とか、
決して表には出てこないけどなにかこう、作家の背後で
強烈に読者の意識を惹く編集者っていうのがいたんだろうなあ。昔は。
今、文芸畑でこうした強烈なオーラを発する編集さんっているんだろうか。
「いちおう三作目まではめんどうみますよ。いちおうね」とか、
そんなのばかり…。
坂口安吾も五味康祐も、今なら
「無職だけど読書家の、気難しい変わりもののオッサン」
で世に埋もれるんだろうなあ。
46 :
吾輩は名無しである:02/04/08 12:07
齋藤十一については筒井康隆も新人時代に苦渋を飲まされたと書いていたな。
>>46 てことは筒井の「大いなる助走」(直”井”賞を受賞しそこなった作家が
選考委員を殺しに行く作品)に出てくる、誰もが沈黙してしまう文壇の
謎の黒幕「フーマンチュー」というのは・・・もしかしてS氏がモデルか?
関係ないのでsage