吉本隆明って

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55週間朝日4/26号
 1978年、ぼくはミシェル・フーコーに会った。彼は1926年生まれだから、
そのとき52歳、ぼくあh39歳だった。会ったといっても、文芸誌「海」での
吉本隆明との対談企画者として立会っただけの話である。この対談、後に
『世界認識の方法』(現在は中公文庫)として単行本になり、『集成』第VII巻
にも再録されている。
 この対談終了後、フーコーが吉本隆明に「往復書簡をしたい」と語った。
社交辞令とは知っていたが、編集者としては敢えて真に受け、早速、吉本
隆明に長文の手紙を頼み、出来上がった原稿を対談通訳者でもある蓮実重
彦に翻訳してもらい、フーコーに送った。内容は忘たが、道元とヘーゲル
を巡っての、五十枚ほどの原稿だった。原稿を渡す時、吉本隆明は「ぼくの
書いた内容なんて、フーコーさんなら当然知っていることばかりだけどね」
と言い、また仏訳した原稿をベルギー出身の訳者の夫人に見せると、「この
人、頭、悪いんじゃない」と言われた話など、いまでは懐かしい思い出だ。
 夫人がなぜそんな言葉を口にしたのか。欧米人らの論文は、まず結論を
先に述べ、それを論証する形で話を進めるのに対し、日本人、中でも吉本
隆明のそれは、紆余曲折しながら何となく結論に向かう書き方ゆえ、原文
に忠実に翻訳すればするほど、外国人には「頭が悪い」との印象を与えるよ
うだ。国民性の差というやつだ。
 件の手紙を出してから一年ほど経ったころだろうか、日本在住のフーコ
ーの友人を通してようやく返事がきた。しかし危惧した通り吉本隆明の論
考は意味不明、従って「返事は不能」とのことだった。またフーコーは、「吉
本さんはヘーゲルをドイツ語できちんと読んでいるのか?」とも問うたよう
だ。口先だけで国際化を論じるのは簡単だが、こうした一例を取っても、
道はまだまだ遠いのだ。