人類最高の短編小説家、チェーホフのスレがなんでないのですか。
(過去ログにはあるかも)
日本の現代糞(失礼)小説に厭きたら、チェーホフを読んでください。
決して、損はさせません。チェーホフは21世紀も現役です。
チェーホフはすばらしいと思う同志よ、そのすばらしさ、語ってください。
ぜひ、お願いします。
2 :
吾輩は名無しである:02/02/10 08:29
「犬を連れたマダム」は読んだ。
アンナ夫人に萌えた。
3 :
吾輩は名無しである:02/02/10 09:45
みすず書房の〈大人の本棚〉シリーズで、「短編と手紙」が出たね。
久々に読み返したけど、やはり素晴らしい。
「人類最高の短編小説家」に禿同!
4 :
吾輩は名無しである:02/02/10 12:39
>みすず書房の〈大人の本棚〉シリーズで、「短編と手紙」が出たね。
大人の本棚か、確かにチェーホフの本は大人の本棚にあるのがふさわしい。
まだ厨房だったのか、高校生の頃に初めて読んだときにはあまりピンとこなかったけど、
大人になってその作品を読み返してみたら、そのすばらしさに言葉を失ってしまった。
まったく派手さはないんだけど、その淡々とした静かな描写のなかに、おいおいまじかよ
と思わずつぶやいてしまうような、恐ろしいほどの透明な認識があるよね。
これこそ文学だなと。ドストエフスキーとはまた違った意味で、最高の文学者、いや小説家
といったほうがいいのかな。とにかくすごいよ。
チェーホフを喩える俺の文は拙いけど、チェーホフはすばらしい。ほんと、お勧め。
チェーホフの本は日本ではあまり出てないけど、「短編と手紙」読んでみようかな。
5 :
吾輩は名無しである:02/02/10 13:41
チェーホフは実はまだ読んだ事がありません。
宜しかったら、何から読み始めるべきか教えて頂けますか?
過去スレの在り処がわかりませんので……。
6 :
吾輩は名無しである:02/02/10 14:10
「桜の園」とかどうかな?
「桜の園」
>>7は気にしないで下さい……ごめんなさい。
「桜の園」ですか。新潮から桜の園と三人姉妹のセットが文庫で出ているみたいですね。
読んでみようと思います。
9 :
吾輩は名無しである:02/02/10 14:27
『桜の園』、『かもめ』、『ワーニャ叔父さん』、『三人姉妹』
は文句なくいいよね。
短編では「退屈な話」が好き。
あの救いのなさにしびれる。
ああ、あと映画『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』(だっ
たっけ?長い題名なので、よく覚えていない。コンチャロフスキー
が監督をしていたと思うけど、これも記憶があやしい)はチェーホフ
原作だよね。
あれもよかった。
10 :
吾輩は名無しである:02/02/10 14:28
『機械仕掛けのピアノ・・・』はコンチャロフスキーではなく
ニキタ・ミハルコフのような気がしてきた。
好きだったのに・・・
人間の記憶っていいかげんなものだ。
11 :
吾輩は名無しである:02/02/10 14:55
「退屈な話」は、まだ作家となる以前の坂口安吾も繰り返し熟読したと、
言われているね。
安吾の「文学のふるさと」という作品とも共通した何かを感じるし、ここから
文学を始めたというところでも共通している。
安吾好きには読むことをお勧めするよ。でも、チェーホフがこれを書いたのは
確か20代後半、だいたい新人作家の年齢、芥川賞候補作にこの小説が入っていたとしたら。
チェーホフのような新人作家を持てない、現代の日本の読者は幸福なのだろうか。
高校生のとき、「大学生」に感動し、作家志望の
友人に話したら、鼻であしらわれた。
>二キータ・ミハルコフ・コンチャロフスキーでは?
兄はアンドレイなんとかコンチャロフスキー(暴走機関車)?
↑
その作家志望の青年は作家に成れたの。
14 :
吾輩は名無しである:02/02/10 15:21
>>12 あのふたりって兄弟だったの?
し、知らなかった。
「犬を連れた奥さん」(上の方で「犬を連れたマダム」とあった
けど、新訳ではそうなってるの?)をもとにした『黒い瞳』とか
いう映画もあったと思うが、あれもコンチャロフスキー兄弟のどっ
ちかが監督だっけ?
あと、『ワーニャ叔父さん』はアラン・レネが映画化してたんだっ
け?それともルイ・マル?
どんどん記憶が減退している。スマン。
>13
ただの女たらしをやってます(w
いい女ばっかしです(泣
16 :
吾輩は名無しである:02/02/10 15:36
>>12 「大学生」は読んでないけど。
高校生のとき何を言ってるのかわからなかった。
大学生のとき思想哲学にかぶれていて、鼻であざ笑っていた。
大学を卒業していいところもあるが大したことないなと思った。
色々な体験をした後でふとまた読んだ。
こんなこと書いてあったっけという言葉に出会った。前といいと思うところが違う。
恐ろしい奴だと思った。
淡々と書いてあるから、言葉を見落とす率が他の作家より高い。
そういう意図が込められていたのかと読み直してみて驚くことがある。
>>15 そうか・・・・
本人が女たらしをやってることに満足ならそれもいい。
きみを好きになる女のほうがいい女だと思うが。
まあこれは価値観の問題で何が正しいとかはないですね。
たらさないで愛し愛されてください(キャ、恥ずかしい、何てこと書いてんでしょう)
>17
皮肉なことに、彼を好きになる女の方がいい女なのです。
それも一歩ひいた、羞じらいのある女なのです。
捨てられても、平常心を保とうと必死な姿を……。
「かもめ」・・でした。
19 :
吾輩は名無しである:02/02/10 18:32
世界初の女性宇宙飛行士テレシコワが宇宙遊泳をしながら「わたしは
カモメ」と言ったことにヒントを得てチェーホフが書いたのが『かも
め』。
ごめんよー。一度言ってみたかったんだー。
20 :
吾輩は名無しである:02/02/10 18:36
「退屈な話」は作家志望者は身につまされるよね。お、俺は違う、けど。
喜劇は現代でも充分笑えるし。
21 :
吾輩は名無しである:02/02/10 19:48
>>20 ち、違うならなぜどもる?
でも「退屈な話」の主人公は作家ではなく大学教授じゃなかったっけ?
22 :
吾輩は名無しである:02/02/10 23:04
age
23 :
吾輩は名無しである:02/02/11 00:32
『小役人の死』死にオチ
24 :
吾輩は名無しである:02/02/11 14:58
>>20 もうひとりの半女優女が身につまされるの。
芸術家というか、芸術家やスノッブを気取って、現実から逃げてるような人間に対して
チーェホフは残酷だよね。
癒しだとか、勇気を与えるとか、感動をありがとうとか、言うような視点に比べると、
チェーホフは何に対しても残酷だけど。
それとも最後に主人公が達する認識が身につまされるの。聞いてみたい。
でも、退屈な話、読んでる人も案外いるのがうれしいな。
25 :
吾輩は名無しである:02/02/11 15:20
講談社よ、退屈な話の文芸文庫増刷したら。
なかなか、評判いいぞ。
26 :
吾輩は名無しである:02/02/11 17:51
>>24 なるほど、女優(主人公の大学教授の遠縁でしたっけ?)の方に感情
移入しましたか。
「ふりむかなかった女」ですね。
主人公は最後に自分の人生には欠けていたものがあると認識するわけだ
けど、その欠けているものについて、新潮文庫と岩波文庫の訳が違った
ので、「あれ?」と思ったことがあります。
27 :
吾輩は名無しである:02/02/11 20:08
チェーホフ短編全集を文庫でいいからどこかの出版社に出して欲しい。
昔のならあるけど、手に入りづらいし。
まとまった数の短編を新訳で読んでみたいよ
28 :
吾輩は名無しである:02/02/11 20:11
>>14 ルイ・マルと思う。「42丁目のワーニャ」。
あっという間に打ちきられた記憶がある。
退屈な映画でした。
あと、たしかコンチャロフスキもワーニャおじさん撮ってる。
ミハルコフ一家は、ロシアきっての名家だそうですな。
>>28 おおルイ・マルの方でしたか。ありがとうございます。
「退屈な話」は評価が高いようですが、「42丁目のワーニャ」は
「退屈な映画」でしたか。
ルイ・マルは「ブラック・ムーン」がいい!!
31 :
吾輩は名無しである:02/02/12 03:34
退屈な話、私は「ふりむかなかった女」の方にも主人公の方にも感情移入してしまうと
いうか、そこに、自分の姿を見てしまいますね。ナルシズムやセンチメンタルな
感情からではないですが。
あの女優は甘えていると、私の中の教授は思うのですが、あの女が自分の中にいないというと
うそになるし。自分で自分を認めることのできない苦痛には共感しますし、だからこそ、
他者の愛を求めてるんでしょうしね。
普通の小説家なら女優か教授の視点に無自覚に寄り添って、彼らを肯定する話を書くのだろうけど、
チェーホフは関係として二人の登場人物を描いてるところがすばらしいと個人的には思います。
教授の最後の認識を関係の形で表現してるとも言えるし。
私にはうまく表現できないのですが、ラストの場面のあの美しさはなんなんでしょうかね。
センチメンタルも、抒情も、詠嘆も、幻滅もないところで成立する。突き放されるような
美しさというか。感傷を超えた真の感動というか真の感傷というか。
自分と他人の関係としてもものすごくリアルなものをあそこから感じます。
32 :
吾輩は名無しである:02/02/12 11:05
>>31 私は女優の方には感情移入はしませんでしたが、基本的に同感です。
チェーホフの作品は多くの場合、もうだめになってしまった人間が登場
しますよね。
四大劇も「退屈な話」もその点は同じ。
大学教授が最後に、自分たちはだめになった人間だ、自分はもう死ぬが
この娘はこれからの日々をだめになったまま生きていかねばならないと
思う。
「ぼくの葬式には来てくれないんだね」と言いたいけれど、口にはだせ
ない。
彼女はあの角でふりむくだろう。そして・・・
というあのラストは残酷といえば実に残酷なのですが、美しいですね。
33 :
吾輩は名無しである:02/02/14 17:14
いいスレだが住民が少ないな、ひどい過疎のスレだ
生きているか。
チェーホフは分析しても批評しても面白くないのだ
そうゆう作家ではない。
論理よりも感覚、センスの作家なのだ
作品も読者の資質によって変化する
35 :
吾輩は名無しである:02/02/14 22:52
ロシア語の授業で、「中二階のある家」を読んだ。
ロシア語は、さぱーりわからんかったが、和訳を読んで、
ラストの2パラグラフに激しく感動。
むちゃくちゃ好き。
チェーホフ、片っ端から読んでいきたいのだが、あの時の感動が
もし幻想のものにすぎなかったらと思うと、次の一作に何を読めば
いいのかわからない。
こんな私にお薦め、ありますか?
意味がとりにくい文章になってしまった。
要は、「中二階のある家」で得た感動を維持し、そしてまた、
それとは違った感動を抱かせる作品を読みたいということです。
チェ−ホフが好きで、また期待するからこそ、幻滅したくないのです。
37 :
吾輩は名無しである:02/02/14 23:03
ミシェス、きみはいまどこにいるのか。
「中二階のある家」いいですねえ。
高校生のときに読んではまりました。
勢いあまって、セミプロの劇団が上演していた翻案劇もみにいき
ました。
芝居そのものは大したことはなかったですが・・・
他に短編を読むなら、私は「退屈な話」と「犬を連れた奥さん」を
すすめます。
坂口安吾「堕落論」、尾崎翠の「第七官界彷徨」、林芙美子の「放浪記」
立て続けに読んで全部凄い好きで。「チェーホフ好き」というのが彼らの
共通点だった。
チェーホフはね、短編小説家の仮の姿をとった
聖者なんだ。こんな人、どこにもいないよ。
40 :
吾輩は名無しである:02/02/15 13:27
身長2メートル越えてたんだっけ
41 :
吾輩は名無しである:02/02/15 16:05
奥さんは女優だというのはホント?
1のコテハンはいかにもチェーホフらしいキャラの名だからいいね。
人類最初のポストモダン作家ともいえる。主題的にだよ。
42 :
吾輩は名無しである:02/02/15 16:12
>>38 坂口安吾と翠が好きだなんていい趣味してるな。
えらくストライクゾーンが広い。選球眼がいい。どちらかマンセの人は多いいけど。
そんなあなたには退屈な話がおすすめ。
もう読んでるかな。
43 :
吾輩は名無しである:02/02/15 16:16
正宗白鳥「人類最高の小説家はモーパッサンだよ」
小林秀雄「いや、チェーホフだよ、人間的にも上だよ」
44 :
吾輩は名無しである:02/02/15 16:20
↑やはり小林秀雄。只者ではない。
安吾も小林も好きだなんて、いったいチェーホフって・・・
冬でも晴れれば、日はさんさんと降り注ぐが、
私の胸の内は、暗い。
46 :
吾輩は名無しである:02/02/15 18:36
「人間的に上」と言われてしまうと身も蓋もない。
47 :
吾輩は名無しである:02/02/15 18:42
「身長2メートル」が本当なら、「身長的に上」というべきだろう。
でもほんとうに2メートルもあったの?
アントン(アントニオ)ならぬジャイアントだね。
48 :
吾輩は名無しである:02/02/15 23:50
良スレ、保全age
49 :
吾輩は名無しである:02/02/16 07:07
チェーホフってどんな人だったの。
二メートルとか奥さんは女優とか。とてもおもしろいレスだけど。
あれほどの短編を書く人がどんな人生を生きたのかすごく興味が湧く。
一流の作家たちに尊敬され、人間的にも上とまで言われる、大チェーホフって何者。
劇作家であり、短編小説の名手(人類最高)、ロシアの人。それぐらいしか私は知らない。
同時代の作家って誰なのかな、詳しい経歴知ってる方いらっしゃいます?
50 :
吾輩は名無しである:02/02/16 12:25
ありがとう。50さん。なんとも味のあるページですね。
感謝します。
52 :
吾輩は名無しである:02/02/17 15:24
上げてみよう
53 :
吾輩は名無しである:02/02/17 16:13
トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。
トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。
トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。
トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。トートト。
中公文庫の古臭い訳はどーにかならんのか。
(⌒⌒) ∩=∩
/// | | //
∧_∧ | |// / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(#´Д`)// < 会話の意味がワガンネェンダヨ、チェホフサンヨー
/ / \_______________
/ /| /
| | .| |
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| |
55 :
吾輩は名無しである:02/02/17 16:24
文芸文庫で読んでください。
新訳ですよ。
57 :
吾輩は名無しである:02/02/17 18:22
だから新訳全集出してよどこか。
ナボコフみたいにさ。
ナボコフよりは売れないかな。微妙
58 :
プラトーノフ:02/02/17 18:22
映画「時計仕掛けのピアノのための未完成の戯曲」
に胸を灼かれて。
ユーリ・ノルシュテインのアニメーション
「青鶴と鷺」に泣いて笑って呆然として。
どれもチェーホフの世界だった。
そこからチェーホフとの出合いが始まった。
ロシアの空気の深さを感じる。
59 :
吾輩は名無しである:02/02/17 21:13
>58
最後にコートの裾を翻して駈けてゆくんだよね…
あの切なさ寂しさはいったいなんだろね…
60 :
名無しラモーン:02/02/17 23:37
チェーホフってある程度社会経験のある人にしか
理解できないんじゃないかな?頭でっかちの学生
なんかが「チェーホフ好きです」といっても信用
できない。
自分は映画や演劇はそれほど詳しくないけど、ヨ
ーロッパ映画によくある「日常性の中にあるドラマ
(自分でもダサい表現だと思う)」を始めて作品に
したのは人類史上チェーホフが最初なんじゃない
かな? この手の作品は「大きな物語の終焉した第
一次大戦後の西欧(自分でも書いてて恥ずかしいです)」
では主流になるけど、それが後進国ロシア、それも19
世紀末の作家によって書かれたというのは面白いと思う。
あと、チェーホフファンにはフランスの現代作家ロジェ・
グルニエが絶対お勧めです。みすず書房「チェーホフ短
編と手紙」の監修者、山田稔氏が訳しています。
61 :
吾輩は名無しである:02/02/17 23:46
トートト。
>>60 ボードレールが「現代生活の英雄」といった
絵画史(恥ずかしげもなく)におけるマネのような役割を、
文学においてチェーホフが果したと考えてよいのですか?
63 :
名無しラモーン:02/02/18 00:16
>>60 >>ボードレールが「現代生活の英雄」といった
>>絵画史(恥ずかしげもなく)におけるマネのような役割を、
>>文学においてチェーホフが果したと考えてよいのですか?
スマソ。
当該のボードレールの文章を読んでないからなんともいえません。
でも多分違うような…。漏れの言ってるのは別に難しいことじゃ
なくてシェークスピア読んだあとにチェーホフ読めばわかること
ですが…。
しかしマネが現代生活における英雄ってのはそこだけ聞くと
なんか恥ずかしいっす。まあ、筑摩文庫の「ボードレール
芸術論集」多分もう絶版だからなんとも胃炎が。
64 :
かわいい女と言われたい。:02/02/18 02:27
>42 「退屈な話」もちろん読みました。ハードカバーの全集を古本屋で
2万円で見つけて買ったんです。
「イオーヌイチ」好き。せつない。
尾崎翠は「花束」が凄くチェーホフっぽいと思う。ヒロインがイオーヌイチの
女版みたいで。
林芙美子が「放浪記」で「チェーホフは私の心の故郷だ。」と書いていて、
彼の作品に憧れてどん底の生活の中創作活動に励んでいる姿は、
じーんとする。
太宰治も、いいなあと思う作品(精神的に落ち着いてた頃に
書かれたもの)は、なんかチェーホフっぽいと思っていたら、
やっぱり好きだったらしいですね。
外人作家では、サマセット・モームもトルーマン・カポーティも
チェーホフ好きだと最近知ってまたまた感動。この二人とも好きなので。
カポーティは人間の孤独感の浮かび上がらせ方がそこはかとなく
チェーホフ。
>>64 そうですか、やはり読んでいましたか。私は全集は持っていないので正直すごくうらやましいです。
古本屋でバイトをしていたことがあるのですが、チェーホフ全集はなかなか持ち込まれないんですよね。
手に入れられた方は、死ぬまで大事にされる方が大多数なのかもしれません。
社会経験を積んでないと、チェーホフは理解できないと言っている方がいらっしゃいましたが、
私も高校の時に読んだチェーホフと、大学の時、社会人の時のチェーホフは違いました。
どんどんと輝きが増してきますし、幼い時には気づかなかったすばらしさが必ずそこにあ
ります。
いろんな経験や生活を経た後で、その見え方が変わり、ときどき自分と向き合うために帰る
場所。林芙美子が言うように、チェーホフとは生きる人間の心の故郷なのかもしれませんね。
かわいい女さんが、素敵な女や、楽しい女や、美しい女になったときに繰り返し読める。
本当にうらやましいな。
私は文芸文庫で読んだのですが、退屈な話、ラストの教授の認識は、訳によって少し解釈が
異なると前レスで誰かが書かれていました。文芸文庫では「生きる人間の神がないのだ」
と書いてあったような・・・・・安吾は生きよ、堕ちよと言ってましたね。
あらゆる外界の影響よりも高く力強い、自分なりの神をあみだし、自分を発見し、自分自身
を救うことが作家の書く動機なら、チェーホフはそのような作家の故郷なんでしょうね。
(すいません幼い解釈を長々と失礼しました。私もまた読みます)
このスレの存在をはじめて知って、一通り読んだが、
何気に良スレだな。
また、身びいきかもしれんが、どのレスも微妙に
いい味出している名文(?)ばかりな気がするのは気のせいか。
67 :
吾輩は名無しである:02/02/19 03:01
チェーホフ研究というか評伝のような本で
信頼がおけるものって出てるのかな。
68 :
吾輩は名無しである:02/02/19 11:52
チェーホフは最近、保坂和志もホームページ上で取り上げてたね。
保坂の本は読んだことないから何ともいえないけど、現役作家も
チェーホフ好きは案外たくさんいるのかもしれないね。
69 :
吾輩は名無しである:02/02/19 12:10
チェーホフって日本人好みというか、日本で受け入れられやすいタイプの
作家のような気がします。
『桜の園』だって、『三人姉妹』だって、舞台を日本に移しても、それほ
ど違和感はないし、事実そういう設定で上演されたことも何度かあるよう
に思います。
そういえば『安城家の舞踏会』のもとは『桜の園』でしたっけ?
かなり以前にみたので記憶が薄れていますが・・・
70 :
吾輩は名無しである:02/02/19 12:25
チェーホフなんていまさら・・。
これからはリムスキー=コルサコフの時代だ。
実篤で一番有名な句って何?
72 :
吾輩は名無しである:02/02/19 17:56
>>69 例えば太宰治の「斜陽」は「桜の園」からヒントを得たというか、舞台を日本の戦後に移した
ような作品ですよね。
作風の違いで、どちらが優れているということではないのだけど、個人的には、太宰化され
た時にチェーホフの持つすばらしさのある部分が無くなってしまってるような気がしました。
没落貴族の側の哀しみだけ描いて、貴族を没落させる側の視点や立場が単純化されてるところに
現実のリアリティを感じなかったんです。もう、ずいぶんと前に読んだので記憶が曖昧ですが・・・
チェーホフの哀しみは日本で受け入れられやすいと私も思います。
だけど、チェーホフの多視、多声的で、判断不能な状態に読者を向き合わせるところが、
私は好きなんですが、日本の多くの人は嫌いなんじゃないかと、個人的には感じています。
舞台をたくさんご覧になっているようですね。舞台では、どのように描いてあるのかな。
田舎で生まれ育ったので残念ながらチェーホフの舞台観たことないんですよね。
いいなあ。
大きな物語が終わったあとの作家、初のポストモダン作家と、カキコされてる方がいらしたけど、
そこらへんからだと、現代も読む価値のある作家じゃないかなと感じてます。
短編には現代にもつうじるテーマがあるし、誤読を誘うところが好きなんです。
あ、なんか否定ぽくとられたくないので追記。
もちろん太宰治も好きです。
>>72 芝居は好きですが、残念ながらそれほどたくさん見ているわけではありま
せん。
私も地方在住ですし・・・
チェーホフでいうなら、栗原小巻主演の『桜の園』と風吹じゅん主演の
『三人姉妹』くらいしかみていません。
(風吹じゅんの『三人姉妹』は舞台を北海道に移していたと記憶していま
す。)
チェーホフに「大」をつけて、「大チェーホフ」とする見方もあるようで
すが、個人的にはチェーホフは小品・佳作の作家のような気がする、とい
うよりそうであって欲しいような気持ちがどこかにあります。
チェーホフはドストエフスキーにもトルストイにもなれなかったけれど、
チェーホフたりえたのは彼しかいなかったというそんな存在・・・それが
チェーホフではないのかと思うのです。
75 :
吾輩は名無しである:02/02/20 06:50
読む人や、年齢や、性別や、ある人生経験の有無で、マイチェーホフにも大チェーホフにもなる。
それがチェーホフの奥深さ。
どちらさんも正しい。そして大人だな。良スレ上げ
梶井基次郎もチェーホフ好きですね。
私の好きな作家ほんとにチェーホフ好きが多いです。
梶井や翠やモームやカポーティの短編も安吾の「堕落論」も
私にとってはどこか同じ匂いがするんですね。
作風も国籍もまるで異なっていても
同じことを表現してるなって思うんです。
時代も国境も越えて抽出されてるチェーホフのエッセンス?
時代も国境も関係なく人間の底にあるもの。
77 :
吾輩は名無しである:02/02/20 13:42
「6号室」。これはいいです。最近日本にも増えてきた人間にショックを与える作品でしょう。
78 :
吾輩は名無しである:02/02/20 14:14
「殻にはいった男」も最近日本に増えてきた。
79 :
吾輩は名無しである:02/02/20 15:39
本音と建前とはまた違うのだけれど、作家(人間)には、表の言葉と裏の言葉があるというか、
作家が、このように自分を読者(他人)に見せたいイメージの自己像と、
他人からみたときに透けて見えるそのひとの本音というかある種の姿。
そんなところにチェーホフのような作家とそうでない作家のちがいを感じる。
表現が洗練されてて、文学や映画や哲学に対する教養があって、高度に批評的な文章を
書いていても。
本音は他人からすごい人だと言われたいだけだったり、自分のセンスのよさを誇るだけだったり、
みんなが夢中になる作家像を作って自分を特別な場所に置いておきたいだけのような。
書かれたものが本音の処世術のための屁理屈というか、美文だけど名文で無いというか、
そのようなタイプ(処世術)の人々の族議員というか、有能なスポークスマンというか。
それは誰にでもあるのだけれど、そのことに対して鈍感というか。
作られたものや言葉の、かたちや見栄えがよくても、なんかくさい臭いがするというか。
>チェーホフのエッセンス? にはそんな臭いがない。
無色にちかいのだけど透明なある匂いがする。このちがいってなんなんですかね。
いったい「というか」が何回出てくるんだ。抽象的すぎるな。
スレ汚しすいません・・・鬱だ
>79
スレ汚しだなんて。面白いですよ。
チェーホフ的な作家とそうでない作家の違い、ねえ。
安吾「堕落論」翠「花束」カポーティ「夜の樹」梶井「冬の日」
これらの作品の共通点は、くさい言葉になりますが
人間の孤独を見つめてるってこと。
意識的か無意識的かはわかんないけど
自分の孤独にも他人の孤独にも異様に敏感な性質を
ホワーッと作品に滲ませてしまう人を
私は「なんかチェーホフっぽいな。」と感じることが多いです。
しかも孤独を描いてるのにそれべったりって感じではなく
笑いや洗練を忘れてない人。
このスレに感化されて、今日紀伊国屋で文芸文庫のチェーホフ買ってきたべさ。
これから読むんだけど、とっても楽しみなんだべさ。
遅レスですが、
>>37さま、お薦めありがとうございました。
日本人の作家との関連での書き込みが多いようですが、
辻邦生がチェーホフの「中二階のある家」を時折読み返して、
文学的なインスピレーションを得ると書いてあるのを
読んだことがあります(かなり昔のリテレール)。
>>68さま
保坂和志も、同じく「中二階のある家」のラストから
2パラグラフめ、主人公が相手を想い返す時、相手にも
それが伝わって、相手も同じように想い出してくれるような
気がしてくるというところを、時と場所を越えて人間の想いと
いうのは伝わるのだというようなテーマで、ずっとそれを
考えていたと書いていたのを、うろおぼえですけど、
読んだことがあります。
>>42さま
私は、中公のチェーホフ全集16巻、古本屋に並んでるのを
全く別々に二度見たことがあります。
そんなに稀少だったのですか。。。
欲しかったんですが、あまり綺麗じゃなく、そこそこ値が張って
いたので、あきらめたのですが。
あー、残念なことをしました。
>欲しかったんですが、あまり綺麗じゃなく、そこそこ値が張って
いたので、あきらめたのですが。
あー、残念なことをしました。
あまり綺麗じゃないのに、そこそこ値が張るというのは、価値のある本の証です。
それでも、買う人がいるということですから。いっぱい入る本は汚かったら買い取り不可ですし、
また店のイメージというか、信頼というか、置いておきたい本というのはあるものです。
東京クラスの町の古本屋じゃないと一度逃してすぐ手に入るということは無いでしょうね。
でも、もうインターネット古書検索があるし、微妙ですね。日本のどこかにはあるわけですから。
手にとって判断ができないという問題がありますが。
古本屋が古本屋から買って、お客様に売るというのもあったような。
10万前後からの全集だと、1・2割安い優良な地方の古本屋から業者割引一割で
買って、売るんですよね。
10万円の本を、8万円で買って、10万円で売る。
2万円の利益にしかならないけど一日の売上が20万ぐらいの古本屋で、相手が
お得意様なら、損ではない。(お得意様以外にはやらないかもしれないけど)
5万の本だと、一割引、送料を考えたら、利益がでないからほとんど絶対
しないとおもいます。(超無理を言える関係なら別ですが)
そこらへんの価格の本はその店にあるだけで、政令指定都市規模の店だったら、年間に何回も
持ち込まれないでしょうから、神田のような古本街が無い町の方は貴重な出会い
かもしれませんね。
結婚と同じで、したすぐ後に、すばらしい異性に出会う可能性も無いとは言い切れないですが・・・・
浮気などせずに、手元にあるチェーホフ全集を長ーく愛してください。
ネット古書購入だと、昔のお見合い結婚みたいですね。してみないとわからない・・・
すれ違い申し訳ありません、下げさげで。
85 :
吾輩は名無しである:02/02/21 12:34
スノッビシュナな文学センス主義はないと思うのだけれど、センスを要求する作家なのかな。
臭いとか、匂いとか、そこにほわーとか滲むとか、全部目には見えないものだから。
言葉だけではなく、行間が読め、目には見えないものが感じとれないと、その良さがわから
ない作家なのかな。他の人の意見を読んで、自分の解釈に自身がなくなりました。これから
短編どんどん読んでみたいけど、ちょっと怖い。
関係だの心理だの人間に関わる、目には見えないのだがやはりあるといえるものを感じと
ることを要求されるわけだから。
言葉というか文学の優位性というのもそこにある気がするし、作文ではなく批評家受けで
もなく文学を目指すのなら。
幸運なことに、このスレは文学センス選民意識によるエラそうさや、経験したことの無い他
人に対する見下しがないので、いいなあと思うのですが・・・・・贔屓目かもしれませんが。
小林秀雄が人間としても上と言ったのは、読むという行為が、文学ではなく人間としてのセ
ンスが研ぎ澄まされることを要求するからなのでしょうかね、チェーホフは。
自分の孤独にも他人の孤独にも異様に敏感な性質は、動物ではなく人間であろうとする人
しか持ち得ない性質ですからね。
スレ名が短いよ(藁
路地裏の隠れ家という感じだ。
住人は五人ぐらいかな?
86さんと私の他にもうこのスレは誰もいないのでしょうか・・・・・
カキコされてたかたもいないし・・・・
スノビッシュ云々では、萎えるわな。
90 :
吾輩は名無しである:02/02/23 21:36
↑良スレではなく糞スレだったということですか。
85がたいしたこといわない厨房電波だったので熱が冷めたと・・・・
ご免上げちゃた。厨房レスを
92 :
吾輩は名無しである:02/02/23 22:31
>>89 うーん。そうかもしれんけど・・・
スノビズム(上品ぶったり教養の有るふりをしたりする態度)や
例えば金井美恵子?(その読者か?)のような態度をとる人間、
(態度をとるほかにはない人間か?)は、
チェーホフの短編では、中心的なモチーフのひとつだからな・・・・
>92
金井美恵子 誰?
チェーホフに比肩しうる作家なのか?
94 :
吾輩は名無しである:02/02/26 14:20
新国立劇場のチェーホフ・シリーズは必見。
大学生時代、チェーホフの芝居は苦痛でしたが、
これでチェーホフの面白さを発見しました。
是非どうぞ。
95 :
吾輩は名無しである:02/02/26 14:48
96 :
吾輩は名無しである:02/02/26 18:09
昨日読んだ高橋和己の短編「退屈に就いて」に「退屈な話」のことが書いてあった。
97 :
吾輩は名無しである:02/02/26 19:37
↑なんて書いてあったの
98 :
吾輩は名無しである:02/02/26 19:51
>97
退屈だ、と。
99 :
吾輩は名無しである:02/02/26 20:05
>>98 記録はここで終わる。そして読者は不思議な事を経験する。それは殆ど魔力
と云っていい。今迄、厳然としてあり、どうしても動かせなかった単調な生活の
リズムとあらゆる愚劣を忘れてしまっているのである。少なくとも夢中になって読んで
いる時はそうである。そして、感動の余波に身を漂わせている間、あの退屈は何処
にも見当たらない。退屈は一体何処へ行って終ったのか。人々はここであっと声を
立てるのである。
「退屈に就いて」より
「退屈な話」を読んでいる時は全然退屈しないのに、読み終えてしばらくして後、
「退屈」なのは現実であるということに気付く、というようなこと。つまりは大絶賛。
101 :
吾輩は名無しである:02/02/26 22:08
チェーホフ好きは、キリ番など気にしない。
100=101
104 :
ナポレオン:02/02/27 20:04
世界史板住人です。
文学には素養がありませんが、『桜の園』が好きで、
もう5種類くらい邦訳を集めています。
一番新しい小野理子の訳が(神西清のリライトぽいけど)一番好きです。
湯浅芳子のが一番「…」でした。
やはり外国文学は翻訳によりけりですね。
『中二階のある家』も好きです。
私が読んだのは確か木村浩訳で、最後の一文は
「ミシューシ、きみはいまどこにいるの?」
だったような気がします。
105 :
吾輩は名無しである:02/02/28 15:57
94です。
95さんレスをありがとう。
確かに新国の「かもめ」は役者が特に田中美里が最悪でしたね。
三田和代一人勝ちといった印象でした。
上手でばっかり芝居しやがって。何も見えなかったぞ。(当日Z席にて観劇)
けれども何故か戯曲がめちゃくちゃ面白いと思ってしまったのです。
小田島雄志のマイケル・フレイン版の重訳『かもめ』(白水社)以下
『三人姉妹』『ワーニャ伯父さん』『桜の園』を一気に読んでしまいました。
で、みなさんにお伺いしたいのですが、2/28より新国で上演している
マイケル・フレイン『くしゃみ』の原書を入手したいのですが、
アマゾンで検索してもどの本に収録されているのかよく分かりません。
どなたか教えて下さいませ。
また既にこの芝居をご覧になった方、感想も教えて下さいませ。
106 :
吾輩は名無しである:02/03/02 00:54
ハ、ハックション。
すいません。どうしてもアゲたかったもので。
>105
幕が上がる前のセットの清潔さとか、小川のせせらぎとか、
わりと期待したんですがね…。
熟練の演技者で占めればよかったのに。たしかに、美里はないだろうとおもった。
ついでに告白します。
「わーにゃおじさん」の、最後の一連の神にまつわる台詞
(神様が、まあかわいそうに!と思ってくださる)
で大号泣してしまう私はチェホフのカモ。
あ、くしゃみは見れませんが、三人姉妹を追放されし〜は観にいきますよ。
『退屈な話』読了
あの恐るべきユーモアは
見習わなければ
チェーホフの影響受けてる現代作家って
無数にいるんだなあ。
いろんな作家の顔が思い浮かんだ。
110 :
吾輩は名無しである :02/03/07 23:06
かもめはどうですか?
今読んでるんですけど、皆さんの感想聞きたいです
111 :
吾輩は名無しである:02/03/08 14:39
>かもめ
ラストでワラタ
112 :
吾輩は名無しである:02/03/08 14:45
もはや初期の住人はここをさったのだろうか
113 :
吾輩は名無しである:02/03/08 15:27
かもめは劇中劇の科白、
昔みた映画では、ロシア語で聴いた
ドゥーイシカ、ヴゥーリシム…って
女優が苦しそうに吐き出すんだ、エエデ
舞台にする奴の気持ちわかるワ
114 :
吾輩は名無しである:02/03/08 17:25
正直、この台本みたいな書き方は読みづらい
115 :
吾輩は名無しである:02/03/08 19:31
むかし、どこかのHPか掲示板で「ちくまの全集は止めたほうがいい」(読まないほうがいい)なる意見を目にしたのですが、どなたか詳しくご存知の方いません?
116 :
吾輩は名無しである:02/03/09 02:53
>115
まじで?
このスレ読んでて全集読みた〜い→ハードカバーたか〜い→ちくまだろう。
と思っていたのに…ではどの訳がよいのでしょうか。
117 :
115です。:02/03/09 18:16
いま、googleやらlycosの検索サイトを用いて、その発言のあったHPを探したのですが見つかりませんでした。
私もちくま文庫の全集を買おうとしているのですが(近所の古本屋に数千円の値がついて出ているのをチェックしています)、前記発言がちょっと気になって買い控えております。
このスレには露西亜語に堪能な方々もいらっしゃるでしょうから、その人たちにお聞きしたいのですが、ちくまの松下訳についてどのような感想をお持ちでしょうか?
118 :
吾輩は名無しである:02/03/11 22:51
ちくまはどうなった?
119 :
吾輩は名無しである:02/03/21 11:04
春分に
紅茶のかほりと
チェホフ哉
120 :
吾輩は名無しである:02/03/31 00:14
倉庫行き防止age
スレと殆ど関係ないが、このまえ映画館に「パトレイバー3」を観にいったら
劇中で「桜の園」がでてたなぁ。
122 :
吾輩は名無しである:02/04/04 06:29
観た人は居ないだろうが、3月22ー24日に俳優座でやった
研究生の無料公演「かもめ」はめっちゃ良かった。
新国とは大違い、私以外に観た人居ない?
1ですが寂れきっておりますな。
124 :
吾輩は名無しである:02/04/08 11:17
講談社文芸文庫、買ってきた。「たいくつな話」、傑作!
確かにこりゃすごいや。クライマックスのような、アンチクライマックスのような
ラストも素晴らしい。
しかし、解説の浦正春って人が、「チェーホフ全集は中公とちくま文庫の2つあって
中公がオススメだが、古本屋でしか買えない」みたいなことを書いてた。
これって、どうしても「ちくまのは良くないから読むな」と言ってると思うんだけど…
125 :
吾輩は名無しである:02/04/08 11:45
>124
ひさびさに有効なレスだ。。。さんくす。
126 :
吾輩は名無しである:02/04/08 17:24
チェーホフ好きの作家とかでは、舞台のチェーホフ劇には何か物足りなさを感じる
と書いている人もいると聞きました。
短編作家チェーホフと劇作家チェーホフの作品の違いと共通点とはいったいどのような
ものなのでしょう。
確か「退屈な話」は20代後半で劇は主に晩年ですよね、(晩年といっても40代でしたっけ)
「退屈な話」などの短編は、私もすばらしいと思いますが、劇はやはり役者や演出家の理解
にもゆだねられているわけで、そこらへんによるものなのでしょうか。「桜の園」はやはり
これぞチェーホフ作品だと思うのですが・・・・・
「中二階」や「かわいいおんな」を読むべきなのかな
みなさんのお考えをよろしかったらお聞かせください。
戯曲には戯曲の読み方があると思われ。
戯曲は読まれる以前に、上演されるため、すなわち役者により
「話され」「演じられ」、演出家に「演出され」るために書かれている。
小説は「読まれるため」にしか書かれていない。
多くの人は小説を読むように戯曲を読んでしまうんでは?
だから古典文学としてのシェイクスピアやチェーホフの戯曲は意外に
読まれない。読まれても、人気がない。
特に、チェーホフの戯曲のせりふはあまりにも奥ゆかしいので、
つまりシェイクスピアのようなケレン味が稀薄なので、
小説として読んでも今ひとつ面白みに欠ける、と見られるかも知れない。
根拠はなく、あくまでそんな気がするだけだが。
128 :
吾輩は名無しである:02/04/08 20:23
>戯曲は読まれる以前に、上演されるため、すなわち役者により
>「話され」「演じられ」、演出家に「演出され」るために書かれている。
>小説は「読まれるため」にしか書かれていない。
前レスにも書いてあったことなのですが、
>チェーホフってある程度社会経験のある人にしか
>理解できないんじゃないかな?頭でっかちの学生
>なんかが「チェーホフ好きです」といっても信用
>できない。
チェーホフの戯曲はシンプルだが、そのセリフは計算し尽くされていて、とてつもない言葉が
ごく奥ゆかしく無造作に投げ出されている。これを感じ取って「話し」「演じ」「演出する」
ことは、大変なことだと思うのです。
それゆえ常に挑戦されつづけ、新しい演出家の誤読を誘発し、見るものに感動と、物足りなさを与えるのですが・・・
「退屈な話」からなにをチェーホフは書こうとし続けたのかが、
あえて、戯曲(人にゆだねた作家の世界と意思)を短編(自らが構築した世界と意思)を
とおしてみること(またその逆でも)によって何か見えてこないでしょうか。
そんな誤読をあえてしてみませんか。
129 :
吾輩は名無しである:02/04/09 00:10
シェークスピアは、いくらでも演出の仕方があるように思うけど、
チェーホフは、いじりようがないというか、どういじってもチェーホフ
でしかありえないという気がします。
だから「なんだ、台本通りじゃん」と思ってしまう。
蜷川演出のシェークスピアのイメージがあるからそう思うだけかもしれな
いけど。
130 :
吾輩は名無しである:02/04/09 11:34
>チェーホフってある程度社会経験のある人にしか
>理解できないんじゃないかな?頭でっかちの学生
>なんかが「チェーホフ好きです」といっても信用
>できない。
こういうのは大人の驕慢だと思うな。
俺は高校生のころから好きだし、加齢とともに”好き”具合が深まりつつある。
凡庸な言い方だけど、年齢によって様々に読むことが可能な世界なのだと思う。
最近何かの演劇誌で読んだけど、
チェーホフを演じられる役者が少なくなったと演出家が嘆いていた。
やはり行間が「読めない」んだそうな。
さらにはプレミアって映画雑誌で、アメリカのアイドル女優が母親とチェーホフの芝居を見に行き、
退屈で退屈で仕方なかった、と述懐、自分がMTV世代だということを痛感したという。
行間を読む、という観客と作り手が共同で作品を作り上げる作業。
これは戯曲でも小説でも映画でも次第に失われつつあるような気がする。
なーんて偉そうに言っても仕方ないけど、
チェーホフの戯曲を読む快楽は、やはりマターリじっくり自分なりの人物像を作り上げながら、
時間をかけて読み進める内にある、というのが個人的見解。
ドストエフスキーの過剰な概念の過激さとは正反対だけど、
チェーホフは戯曲において、普遍、とか永遠、或いはズバリ「神」という主題を
徹底的に追及してると思う。
ただし、主題が余りにも巨大なんで、おまけに精緻に隠されているんで、
いかようにも脚色、解釈の余地はあると思われ。
131 :
吾輩は名無しである:02/04/09 15:57
チェーホフってめちゃめちゃ行間を読むことを要求される作家ですよね。
えらそうで大げさな言い方になるかも知れないけど、人生「現実、世の中」
か?あるいは「普遍、永遠」といったほうがいいのかな、に突き放されてはじめて
見えてくる自分の前にある世界(それは「神」という主題とはすばらしい表現ですね)を
描いているように感じます。
やっぱり「退屈な話」から主題が深化し、うまく言葉に言い表しにくいものを、
でも、やはりそこにあると言えるものを、追求しつづけた結果が、後期短編と戯曲
なのかも知れないですね。
別に懐古主義者ではないのですが、最近の日本の小説は、これが描けていないのではないでしょうか。
>チェーホフを演じられる役者が少なくなったと演出家が嘆いていた。
>やはり行間が「読めない」んだそうな。
とも言われているように、最近はどうも当節流行の言説を理解したり、流行を上手に作品に
自分に盛り込むことには長けているが、何か普遍的なものが読めない、自分なりに見つけられない、
表現者ばかりのような気がします。
知的趣味的貴族サークルの限定されたの共同体の内部での、センスのいい作品。
また最新文学理論を追いかけていこうとする態度が、文学が悪い意味で和歌になり、
いかにも高名な文学批評家、映画評論家、哲学者という上級貴族がすばらしい歌
だと誉めてくれそうなものを書く、歌会になっているような気がします。
すこし話が横道にそれてしまいましたが、作家は、突き放された中で普遍と向き合う孤独な「書き手」
であって、巨大なサークル内で一目置かれる歌人、一番弟子タイプではいけないのでは
ないでしょうか。
そういった最近の日本文学流れ(私個人の感じている流れですが)を括弧に括るための
仮定線としてもチェーホフは有効だと思うのです。サークル内のセンスのいい発言ではなく、
誤読の発言を重ね合わせることに、何かあるような気がするのです。
どうもそこらへんが、いまチェーホフに拘ってしまう理由のひとつでもあります。
長文失礼
132 :
0.001ppm中国人:02/04/09 16:03
議論しあっても仕方ないから、結論を
yes or no
俺ってバカか
133 :
吾輩は名無しである:02/04/09 20:10
現代作家の根底には、共通して「普遍的なものは、ない」という認識があるような。
神でも永遠でもいいけど、単にそうした絶対的な観念を追求したのではなく、
あくまで人間通の作家として、日常に即したドラマとしてそれをさりげなく描き探究した、
そこにチェーホフの偉大さがあると思われ。
神、なんてテーマは今の読み手には興味ないのかも。時代の趨勢といやそれまでなんだが。
私は「神」というのはあくまでも130さんの喩え方であって、
133さんと案外同じもの、それを日常とたとえるか、また現実と神とたとえるかは
自由だけれども、同じことを言っているのではと思います。
>日常に即したドラマとしてそれをさりげなく描き探究した、
>そこにチェーホフの偉大さがあると思われ。
本当におっしゃるとおりです。そこは私も完全に同意です。
また、私が言いたいのは、チェーホフの時代の日常に即したドラマと私たちの時代の日常に
即したドラマは表面的には異なりますが、人間の日常ドラマの底には、
普遍的な観念は私も存在しないと思いますが、普遍的なものは存在し、
だからこそ、感動するということが可能なのではないでしょうか。
とてもくさい言い方になりますが、生きていることそのもの、突き放されて生きること、
それがチェーホフの作品の基調音というか匂いというか、目には見えないのだけれど
あるといえるもの、それが描かれてると思うのですよね。
わたしは、それを現実というか普遍、永遠と言う意味でここでは使っています。
もちろん今の読み手は私の131の文脈に沿うなら、自分の村社会での序列や、
その中でいかにイケてるか、自分の日常をセンスよく表現してあるか、自分を肯定してくれるか、
ということにしか日常ドラマ(小説)に求めていないのかもしれませんが。
だから私はまるで平安貴族のようだと揶揄したのです。
133さんが時代の違う作家に偉大さを感じるのだとしたら、人間として生きているうえで、
何か直面してしまう普遍的なものをそこに感じ取るからではないでしょうか。
135 :
130=133:02/04/09 21:42
>私は「神」というのはあくまでも130さんの喩え方であって、
>133さんと案外同じもの、それを日常とたとえるか、また現実と神とたとえるかは
>自由だけれども、同じことを言っているのではと思います。
ごめん、どちらも俺(笑)。
要するに、ドストエフスキーみたく前面に「神」を押し出すんでなく、
ひそかに追求しているという、まあ、ドストエフスキーに対しては言い方が悪いけど、
”品”がある作家ということです。
たとえば「ワーニャ伯父」さんにでてくる、木を保護しようとする医者とか、
ラストで決め決めに放たれる「神さま」ということば、ああいう観念は必要なものであるにも
かかわらず、現代文学ではあまり重視されてない気がする、と。
気がする、というのは俺あまり読んでないからワカランのです。
だからあんま偉そうな事いえないけど、131さんが繰り返すチェーホフ劇の
「突き放されて生きること」という受け止め方はじつにまっとうだと思いますよ。
神やら絶対的なものに対して関心があるひとなら、一度はその「突き放される」きびしさ、
さびしさに触れてしまったことがあると思う。
ややこしい概念や観念ではない、永遠や神に関するひとつの実感、
と言えばいいのか、そのような「真理」を味わいたくてチェーホフを手にとる、
そういう人も多いんじゃないかな。
チェーホフにおいては宗教がかならずしも救いや答えにならない点も、
モダンと言えばモダンだし、昔の日本人に馴染みやすいことの原因のような気もします。
こんなスレがあったのか。
私は高校生の頃に図書館でチェーホフ選集を読んで夢中になり、
大学は文学部に進み教養ではロシア語を選択し、ナウカで
「ダーマ・ス・サバーチカイ」を買って読み始めたが、
何度挑戦しても原書だと途中で寝てしまうので結局ロシア語は
あきらめ、ついでに文学をやるのもあきらめた。
それでも尊敬するチェーホフの真似をしようと思って
今度は医学部に入りなおした。そいで現在は医者。
でも苦労が多く、気晴らしに今でも時々チェーホフを読む。
またロシア語は最近またやり始め、今度は「ドゥーシェチカ」から
読んでいるが、20歳で挫折したはずのロシア語がなぜか眠くもならずに
読めるようになったのは、長年チェーホフのファンを続けてきた御利益か。
夢はモスクワ(だったっけ?)の文豪の墓に献花に行くことだが、
仕事が忙しくて行けそうな見通しゼロ。
サハリンのチェーホフ博物館にも行きたいが、こっちも無理そう。
ネタとしては、
@スター・トレックのロシア人乗組員チェコフ(Chekhov)
の名前は、もちろん文豪チェーホフの名前から採用されている。
@若い頃の文豪は以外にも実は男前であった(肖像画が残っている)。
@「まず作品を書き上げてから、前と後ろを意図的に削り落とす」
という方法論を持っていたそうな。彼の作品に多い唐突な幕切れは
一貫した方法論に基づいているらしい。
@臨終のコトバはなぜかドイツ語で"Ich sterbe"だったそうな。
文豪は早死にだったけど、もしも長生きしてボリシェビキ革命に
遭遇していたら、一体どうなっていただろう?
亡命しなければきっと粛清されていたことだろうなあ、と
思ったりもする。
>>
134
>>
135
いまいち噛み合っていないな、
別に悪くはないが
139 :
吾輩は名無しである:02/04/10 20:40
>136
おお、本格的な方ですね…
ちなみに、
>ドイツ語で"Ich sterbe"
とは何という意味なんでしょうか?
ich sterbeは「私は死ぬ」です。
ロシア語なら、「ウミラーユ」になります。
141 :
吾輩は名無しである:02/04/12 01:02
トートト。。。
142 :
吾輩は名無しである:02/04/12 01:46
えっ、ちくまの文庫の訳はよくないのか。
ブクオフにちくまの全集が売りに出てたんだけど1冊750円だからどうしようか迷ってたんだよ。
今度からは中公の方を探す事にするよ。
143 :
吾輩は名無しである:02/04/12 11:59
>140
ありがとうございます。
しかしなぜドイツ語…。
144 :
ナポレオン:02/04/12 20:28
>>143 ドイツのバーデンバーデンで死んだからでは?
多分、ドイツ人医師とかに言ったんでしょう。
身内になら、ドイツに居てもやっぱりロシア語だったと思うのですが。
145 :
吾輩は名無しである:02/04/13 00:08
誰の訳が一番いい?
やっぱ神西さん?
神西清(・∀・)イイ!
澁澤のエッセイにちらっと出てきた。描写のされかたがまた
よかった。
えー、
>>115 と
>>117 を書いたものです。
ちくまの全集に関しては、すでに結論めいたものが出たようですが、私が目にした「ちくまはやめたほうがいい」という発言のある掲示板を発見しました。
ここ2ちゃんのロシア文学スレッド(
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/book/963672613/)でした。
一応引用しておきます。
13 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/16(日) 05:14
>5
そうかあ、チェーホフ、つまんないかあ。
あんな短編でよくここまで構築したなって、いつも読むたび舌を
まくんですけど。言葉もきれいだしなあ。もう現代には通じないのかな。
芝居もつきぬけてるよね。桜の園のビヨーンってラストの効果音で
なんだか知らないけど涙したことある。好きなんだけどな。
>1
ちくまから出てる個人翻訳全集だけは避けたほうがいいよ。
よめばすぐわかるです(涙)。
148 :
吾輩は名無しである:02/04/15 12:42
>147
さんくすです。
まあ、2ちゃんだから差し引いて考えるにしても、
これ書いてるひとがまともそうだから
信用しようかなあ。
>144
ドイツで死んだんだ。。知らなかった。
チェーホフ好きはC・ブコウスキーも好き。
僕だけかな。
ほかにもどなたかいらっしゃったら。
150 :
吾輩は名無しである:02/04/16 01:35
どうしてチェーホフとC・ブコウスキーがすきなの
151 :
吾輩は名無しである:02/04/16 01:46
チェーホフ好きは小津も好き。
なら分かる。
152 :
ナポレオン:02/04/16 02:22
全集もいいけど、ちまちま古本屋巡って、
単行本や文庫を買い集めるのもいいですよね。
特にチェーホフの場合。
153 :
吾輩は名無しである:02/04/16 03:49
チェーホフと小津は
似ているようで、まったく別物だと思うが・・・・
いや似てるかな。
うーん
155 :
吾輩は名無しである:02/04/16 05:02
ロシア人が描く貧乏って特徴があるかも。
で、武功スキーもそんな匂いがする。
ブコウスキってセリーヌ好きだったんだよな。
チェーホフは「生きてゆかなくっちゃねえ」とか言わせつつ、
自分はそんなの信じてなかったと思うんだよね。ロシア的な
貧困を身をもって体験した結果、貧しい人たちに共感をするの
じゃなくて、愚かな人や国をただただ軽べつするようになったって
感じで。
セリーヌは逆に、罵詈雑言吐きながらもまだ最下層の世界に対して
連帯感みたいなの持ってたように感じる。それがパンフレットの
ことなんかもあってちっとも世間に理解されないからさらに怒り狂う
という悪循環が、ブクのお気に召したのでわ。
だから少なくともブコウスキはチェーホフのこと好きじゃなかったの
ではなかろうかいぶつくん。
>>156 なんか説得力あり! 面白いカキコですね。
チェーホフを深く尊敬してた文学者といえば、レイモンド・カーヴァーでしょう。
自分の本の中に、チェーホフの引用をたくさん入れてるし。
カーヴァーは、短編の書き手としてのチェーホフを最大級に評価してた。
チェーホフは、最近初めて読んだばかりなんだけど、月並みだが「ニヒリスト」だと思う。
「あきらめの人」というか。カーヴァーの方が、もうちょい「希望の人」だったと思う。
157さんの言う「あきらめの人」の点で
チェーホフとブコウスキーに同じ臭いを
嗅ぐであります。カーヴァーとセリーヌ
読んでみます。セリーヌといえば村上龍
も愛読してたらしいですね。
156氏の言う「愚かな人や国をただけいべつ
するようになっ」たとの点はどうでしょうか。
チェーホフの、ともするとスケールの小ささは
「戦争と平和」「罪と罰」ら超大作に対する
プロテスト(あるいは卑屈、いじけ)のように
僕には思えます。というか、あのあと一体
何が書けたのか。僕はチェーホフのその悩みが
「退屈な読書」に詰め込まれているのではないかと
思いました。今の日本の小説家もほぼ全員が
チェーホフと同じ苦悩を感じているのだろうな、
などと想像したりするわけです。
ド素人考えで申し訳ありません。
上は「退屈な話」の誤りです。「退屈な読書」は
源氏のエッセイでした。
160 :
124=157:02/04/16 13:10
>158さんのカキコもまたまた興味深いっす。
俺はカーヴァーのことを書きましたが、ブコウスキーも大好きだし、
セリーヌも素晴らしいと思ってます。チェーホフはこれからいろいろ
読みたいと思ってます。
チェーホフの「苦悩」「いじけ」「卑屈」が現代作家のそれでもあるとの指摘、
俺は当たってると思います。しかも現代作家は、そのチェーホフさえも
古典として読まなければいけないわけで…
カーヴァーもかなり、「暗い」作家です。ちなみにカーヴァーはブコウスキーを
すごく尊敬していて、ブコウスキーをモデルにした「君は恋を知らない」(この
タイトル、ウロ憶えですが…)という長い詩を書いてます。
村上春樹のすばらしい役で、レイモンド・カーヴァー全集(中央公論新社)に入ってます。
チェーホフ、ブコウスキー、セリーヌ、カーヴァー…
なんか、面白くなってきた!
161 :
吾輩は名無しである:02/04/16 14:41
君は恋を知らない・・・チャールズ・ブコウスキー詩の朗読の夜。
ケッサク
162 :
吾輩は名無しである:02/04/16 16:12
でもブコウスキーが好きな作家は、ドストエフスキー、カフカ、ジョン・ファンテ、
あと「ツルゲーネフの短編」だそうだ。
>>162 ヘンリー・ミラーやマッカラーズも認めてますよね。
あとなんといっても『パルプ』の中には、セリーヌが登場人物として出てくるし。
チェーホフから離れすぎ? すいません。
164 :
吾輩は名無しである:02/04/24 21:09
ごめんね。倉庫行き防止age
165 :
ナポレオン:02/04/25 16:35
死んだのはバーデンバーデンじゃなくバーデンワイラーだった。訂正
166 :
吾輩は名無しである:02/05/08 23:18
いいかね、少しageさせてもらうよ。
167 :
吾輩は名無しである:02/05/09 00:35
そのときようやく、楽になれるんだわ。
168 :
吾輩は名無しである:02/05/21 03:19
チェホフ
169 :
吾輩は名無しである:02/05/25 01:52
作品としては桜の園がやっぱり代表作と言うことに
なるんだろうけど
部分だけをとってみれば
ワーニャおじさんのラストシーンが
とにかくすばらしい
つらいことがあってそれがいつ終わるやもしれないとき
ついここのところを思い出してしまう
短編小説だとやっぱり
最終作「いいなずけ」だと思う
死を予感したチェーホフが
自分の死をサーシャの死に重ねたんだろう
研究書を探してるけどほんとに少ないです
なんかいいのがあったら教えて下さい
170 :
吾輩は名無しである:02/06/05 05:54
嫁入り支度age
171 :
吾輩は名無しである:02/06/09 00:35
イオヌイーチと往診中の出来事を読んだのだけど、書きたいことはわかるが、
退屈な話ほどの衝撃がないな、少し物足りない。
細部に素晴らしい認識というか、描写はあったけど。
172 :
吾輩は名無しである:02/06/19 01:59
hosyuage
173 :
吾輩は名無しである:02/06/23 22:57
あげる時に、理由なんていらない。
174 :
美香 ◆5qBZxQnw :02/06/25 09:05
今日から読みはじめる予定age
175 :
美香 ◆5qBZxQnw :02/06/30 15:24
いまスレをぜんぶ読んだけど、これほど荒れてないスレもめずらしいかも(w
ま、たいがいの海外古典作家のスレはこんなものなのかな。
それにしてもアンチがいないのには驚いたよ・・・
わたしはゴーゴリ→ツルゲーネフ→ドストエフスキー→トルストイという長い旅程を経て、
ようやくチェーホフにたどりついたしだいです。
新潮文庫の3冊と文芸文庫の『たいくつな話』を読んだくらいで
書き込んでいいのかはわからんが、うーん、わたしにはダメでしたね。
金井美恵子は大嫌いだし、安吾も敬遠しがちなわたしだから仕方がないのかな。
過去ログを見たところ、そんな気がしたよ。
宮本輝のエッセイで知ったのだが、トルストイはチェーホフを「お嬢さん的」と
評していたらしいね。大作家と自分を同列におく気はまったくないけど、言いえて妙。
取り澄ましていて、気取り屋、ときに自分の指の美しさを30分もながめていそう。
この戯曲のながれも美しいが、じつはそれを理解できるぼくが美しいのだ。
そんなイメージがある、などと言ってもこのスレのアダルトなみなさんは、
ガキの戯言と笑いとばしてくれると信じているからこそ、そうも書けるのですが(w
たとえば『かもめ』。
『かもめ』をロシアの荒くれ農民のまえで、そう、
ちょうど『かもめ』のように野外講演をしたらば・・・と空想してみる。
まあ、とりあえず
>取り澄ましていて、気取り屋、
>ときに自分の指の美しさを30分もながめていそう
という甚だしい誤読はどうかと思うが。
チェーホフほど残酷な作家もいないよ。
177 :
美香 ◆5qBZxQnw :02/06/30 16:05
チェーホフ「これから上演をしますのでご静粛に」
農民「おう、そりゃあ楽しみだ。いやあ、えれえものを見させてもらえて嬉しいよ」
(第一幕終了・観衆はがやがやとうるさい)
農民「よくわかんねえけど、これが芸術ってやつかあ。てえしたもん・・・なのか?」
チェーホフ「……(百姓どもめ、私語はつつしめ)。」
農民「なあ、チェーホフの旦那。ウォッカを飲みながら見てもいいかい?」
チェーホフ「ご勘弁ください。村のもよおしなどとは違いますから……」
(第二幕終了・観衆のなかに昼間の肉体労働の疲れからか寝ている者も多数)
農民「女優がべっぴんさんなのはわかったけど、だからなんなんだって?」
チェーホフ「(ずりさがった眼鏡を押し上げ)けっ、愚民どもが」
農民「あ? チェーホフの旦那、いまなんか言ったかい?」
チェーホフ「いえ、べつに何も……」
(第三幕終了・観衆はだれも見ていない、勝手にウォッカを飲みはじめる者も)
農民「なーに、だらだらやってるんだ。おんなは奪いとるもんなんだよ。
だらしがねえったら、ありゃしねえ」
農民「あらあら。自殺しちまったよ。たっかがおんなの一人や二人に振られたぐらいで。
おまんま食えたらそれでいいじゃねえかよ。いい若いもんがもったいねえ」
チェーホフ、あきれて退場。
農民「金返せよ。こんなつまらないもんで、おれらの金をふんだくる気か?」
農民「チェーホフの旦那は金をもって逃げたらしいぜ」
農民、暴徒と化す。場内、混乱。役者も逃げ出す。
そこにトルストイ登場。無抵抗主義。しばらく農民のなすがままに(w
トルストイ、自作の民話集を朗読する。『人はなんで生きるか』。
農民、黙って聞き入る。
農民「この旦那の話は胸にしみいるな。いい話を聞かせてもらったよ。
さてと、夜も遅い。かあちゃんの顔でも見て寝るとするか」
農民「トルストイの旦那、ありがとよ。明日からもがんばろうという気になったよ」
――幕――
なーんてね(w
いまさらですけど、わたしがチェーホフでいちばん好きなのは『アリアドナ』。
では、さらば。これからナボコフに入りまーす。
178 :
美香 ◆5qBZxQnw :02/06/30 16:17
幕ごとに、改行していれば良かったな。
読みにくい。失敗だ。すまん。
>>176 よくさ、自分と感想がちがうと誤読というひとがいるけど、それはどうかな。
100人いればそれだけの数の感想があるはずだし、
どれが正しい読み方かなんてものはねえ・・・
受験教育の弊害かな。どれかひとつの正しい読み方があると思うのは。
【問題】チェーホフはどのような作家であるか、つぎの4つの内から答えよ。
@お嬢さん的
A残酷
B諧謔
C甘美
わたしは@〜Cのすべてが正解だと思っているからさ。
べつに176さんが誤読していると思わないのとおなじように、
自分の読み方もそれでいいのだと納得している。
それぞれの読書遍歴、人生経験がちがうのだから、それは仕方がない。
まあ、ちくりと刺しておくと安易にひとのレスに誤読と指摘するところが、
いかにーもなチェーホフファンな気がするんですけどねえ(w
ていうか、あんた、それ以前に「残酷」なんてひと言も指摘して無いじゃん。
自分の文章能力の無さを棚に上げて人を非難するなよ。
>>179 相手にすんなって(w
美香はビョーキの構ってクンだからさ、
どんなレスでも狂喜して益々のぼせ上るだけだ。虫しかないの、
こういう粘着低脳のヒッキーは(w
181 :
吾輩は名無しである:02/06/30 16:48
チェーホフ「これからオマンコしますのでご静粛に」
農民「おう、そりゃあ楽しみだ。いやあ、えれえものを見させてもらえて嬉しいよ」
(第一幕終了・観衆はがやがやとうるさい)
農民「よくわかんねえけど、これがマンコってやつかあ。てえしたもん・・・なのか?」
チェーホフ「……(百姓どもめ、チンポをひっこめろ)。」
農民「なあ、チェーホフの旦那。チンコをこすりながら見てもいいかい?」
チェーホフ「ご勘弁ください。よっちゃんの酢漬けイカ臭くなりますから……」
(第二幕終了・観衆のなかに昼間のチンポの溜まり汁からか白濁液を出している者も多数)
農民「女優がマンコがピンク色なのはわかったけど、だからなんなんだって?」
チェーホフ「(ずりさがったパンツを押し上げ)けっ、ユルマン女が」
農民「あ? チェーホフの旦那、いまなんか言ったかい?」
チェーホフ「いえ、べつに何も……」
(第三幕終了・観衆はだれも見ていない、勝手にマンコをいじりはじめる者も)
農民「なーに、だらだらやってるんだ。おんなは奪いとるもんなんだよ。
だらしがねえったら、ありゃしねえ」
農民「あらあら。潮吹いちまったよ。たっかがマンコに指の一本や二本入れられたぐらいで。
オマンコされたらほうがいいじゃねえかよ。名器なのにもったいねえ」
チェーホフ、あきれて退場。
農民「チンポ汁返せよ。こんなつまらないマンコで、おれらのチンボ汁をふんだくる気か?」
農民「チェーホフの旦那は女をもって逃げたらしいぜ」
農民、性欲の鬼と化す。場内、混乱。役者も犯される。
そこにトルストイ登場。無抵抗主義。しばらく農民のなすがままに(w
トルストイ、自分の肛門を提供する。『人に肛門はなんであるか』。
農民、黙って挿入。
農民「この旦那の肛門は肉棒にしみいるな。いい穴に入れさせてもらったよ。
さてと、夜も遅い。かあちゃんのマンコ汁でも飲んで寝るとするか」
農民「トルストイの旦那、ありがとよ。明日もやんちゃしようという気になったよ」
――幕――
基本的にどんな解釈も歓迎ですよ。
このスレで煽りあいや、自演あいをしたいだけみたいな気もしますが・・・
183 :
吾輩は名無しである:02/06/30 18:55
>>178 良くいるよな、こういう風に自分が何か失敗したときに「価値観の差」的な
ことを言い出して追求を避けようとするヤツ。
君がそう思った理由をはっきり書いたらどうだ。
書き逃げしておいて
>受験教育の弊害かな。どれかひとつの正しい読み方があると思うのは。
なんて、愉快な言い訳だな。
184 :
吾輩は名無しである:02/06/30 19:17
>>183 じゃあお前から追求してみろ
お前が誤読と思った理由からまずはっきり書くべきだよ
185 :
吾輩は名無しである:02/06/30 22:45
まあまあ、いいじゃないか。
こんな些細な諍いがあったことも、美加なんて人がいたことも、
煽る人がいたことも、
いや、こんなスレがあったことすら
100年後の人は気にもとめないんだから・・・。
186 :
吾輩は名無しである:02/06/30 23:28
>>185 そのような事をいったら…いったら…話がつづかねえ…(w;
>185
ワーニャおじさんのその場面、いつも涙がでる。
1・2週間に一回ほど保守定期ageされてるスレだけど、
ロム住人はいるんだね。
いや、こんなスレがあったことすら
文学板の人すべては気にもとめないんだから・・・。
と思っていたよ。
>>179-181 自演するならもっと時間をおけよ。
1日1回レスがついたらめずらしいようなスレなのにそれはないだろ。
あとミカだからと叩くのはやめれ。
おまえぜんぜんレスの内容を批判してないぞ。
>自分の文章能力の無さを棚に上げて人を非難するなよ。
おまえ、ほんとに自分がミカより文章がうまいと思っているの?
せいぜい3、4行のレスしか書けないようなバカが(w
ストーカーしてるとwミカってけっこう内容のあるレスをしてるのにな・・・(w
190 :
美香 ◆5qBZxQnw :02/07/01 10:00
3、4日、レスなんてつかないと思っていたら・・・
けっこうひといるんだね。
だけど、書き逃げとかいわれるのは心外ですな(w
>>181 それわたし宛のラブレターですよね? いいよ。結婚する?
>>183 誤読としつこく粘着するきみに告ぐ。
ならばきみの正しい読み方を書くべき。
以降、きみの書き込みがない場合、アオラーと認定してさしあげます。
まあ、正しい読み方なぞあったとしてもご免こうむりたいが。
わたし大江を官能小説として読んでたふしがあるし(w
開き直るようだけど、誤読がいちばんたのしい読書だと思うがねー。
団鬼六を純文学として呼んでみたりとかさ。
>>189 ストーカーこわい。コピベするのやめて。
チェーホフについて書かないで、何かをネタにして個人的な感情をやり取りするだけなら、
sageでしてみては?
語り合いたいというよりも、反応を得たいだけのような気がするが。
自己顕示欲があるのはわかるけれども、基本的にチェーホフに興味がある人のスレなんだから。
ロム人のこと考えないで、スレは書き込んだ自分のもんだと勘違いしていいませんか?
スレ他の住人にとって、有益な情報でなければsageでレスする礼儀と分別が両者に欲しい。
おねがいします。
192 :
吾輩は名無しである:02/07/01 11:19
>189
あの、176=179なんだが…。
>183は俺じゃないよ。
念のために言っとく。
相手にしない方がいいのかもしれないが、一応。
繰り返すが、美香は、
>宮本輝のエッセイで知ったのだが、トルストイはチェーホフを「お嬢さん的」と
>評していたらしいね。大作家と自分を同列におく気はまったくないけど、言いえて妙。
>取り澄ましていて、気取り屋、ときに自分の指の美しさを30分もながめていそう。
>この戯曲のながれも美しいが、じつはそれを理解できるぼくが美しいのだ。
>そんなイメージがある、
としか>175の時点で書いてない。
これのどこに、@お嬢さん的A残酷B諧謔C甘美なんてあとで言われる要素が見える?
>この戯曲のながれも美しいが、じつはそれを理解できるぼくが美しいのだ。
なーんて文をみるとき、一チェーホフファンとしては「うん、そういう読み方もあるよね」
なんてとうてい納得できない。
だからむかついて誤読だといった。
その後の農民とチェーホフの寸劇も同様。
>175が俺から見て「誤読」である理由はいくつかあるが(>178においてはその限りではない)、
今は書けん。忙しいからな。
それから、ミカオタかいうのは口が悪いから以降、無視させて貰うよ。
悪いね。
>191
ごめん、あげちゃった…。
これからは内容以外のことはあまり書かないことにします。
別に書いてもいいんじゃないんですか。下げならね、気にしないでドーぞ。
半年で200も行ってないんですから。
まあせっかくだからチェーホフについての解釈で語り合ってくださいな。
盛り上がるのはいいことですよ。
誹謗中傷合戦は勘弁ですけど・・・・
上のレスはぎりぎりセーフだと。
なんか審判みたいになってしまった・・・すいません。さげで
美香さんもよろしくね。チェーホフについてよければ聞かせてくださいな。
195 :
吾輩は名無しである:02/07/01 11:36
つぎレスがつくのは1週間後か……
このスレに関してはあげたくなる気もわからんでもない。
レス少ないもの。
で、正しい読みかたはどこに書いてあるの?
198 :
吾輩は名無しである:02/07/01 12:28
チェホフ英語で読むといいよ。翻訳は結構みんな簡単な英語だし味わいが変わってくる。
なんかどのスレも悪口ばっかりで常識がずれそうだから文学ほんとに
好きな人間は文学板来ない方がいいのかもと思った。しかもまっとう
に批判するとかじゃなくて、他板よりも圧倒的にレベル低いレスばかり
飛び交ってる気がするのは俺だけか? このスレはややまともだが。
初めて来たときは正直びびった。あまりの低質さに。
200 :
吾輩は名無しである:02/07/01 16:11
201 :
吾輩は名無しである:02/07/01 16:12
203 :
吾輩は名無しである:02/07/01 16:15
縦読みなんて単純な仕掛けじゃないよ
>などと言ってもこのスレのアダルトなみなさんは、
>ガキの戯言と笑いとばしてくれると信じているからこそ、
>そうも書けるのですが(w
と美香がちゃんと断わっているのに、
脊髄反射的に誤読と吠えるやつはまだ若いということだな。
なに、美香のレスなんてそんなに腹が立つものではない。
ちょっとピリ辛でおいらはニヤリと笑いながら読ませてもらったよ。
誤読と叫んでいるかたのレスよりよほどおもしろい。
なに? sageろって?
スレを仕切りたがるかたがいるみたいだから従っておくよ(w
199はコピベだよ(w
でも、そうだよな。悪口が多い。
206 :
吾輩は名無しである:02/07/01 16:27
べつに上げてもいいだろ。こんな過疎板で何バカ言ってんだか。
207 :
吾輩は名無しである:02/07/01 16:40
>>205 コピベって言葉流行ってるの?
それとも新しい2ちゃん語?
なんか時々見かけるんだけど…
コピペをコピベというのが流行っているのでは?
おれもよく見かける。
わたしがくるとスレが荒れると指摘されたけど、ほんとだね。
いままで良スレだったのにごめんなさい。
最後にレスしてもうこのスレからは消えますのでご勘弁を。
>>192 >だからむかついて誤読だといった。
現代作家のスレの乗りで、かるーく揶揄したつもりだったのですが、
結果的に192さんを不快な気分にさせてしまったのですね。
たしかに大好きな作家をそんなふうに貶められたら怒るのもわかります。
>この戯曲のながれも美しいが、じつはそれを理解できるぼくが美しいのだ。
どの芸術作品の鑑賞にも、わたしなどはそのような自意識が働くので、
おそらくみんなもそうだろうと思ったのです。
またチェーホフはとくにその傾向がつよいだろうと。
軽率でした。反省しています。
お忙しいなかレスをくださり、ありがとうございました。
ふう。
わたしもチェーホフのすごさをみとめてないわけはないんだよね。
やはり古典として読み継がれてきただけのことはあると。
死に直結する結核という病をわずらった人間独自のするどい観察眼。死生観。
世界でいちばん大切であるはずの自分が消失するということの意味。
自分が死んでも世界は変わりなくつづいていくというのはどういうことか。
死んだらすべてが終わりである。だとしたらばなぜ・どのように生きるべきか。
ひとは皆死ぬ。人生は不幸のほうが多く感じられる。しかし生きていくべきである。
時代は変転する。それにともなって変わるひと。一方で変われぬひとの悲哀。
これらのテーマすべてがみじかい戯曲や小説にこめられているんだから。
すごいし、感動もしましたよ。えらぶってはいるけれど。
文芸文庫の『たいくつな話』なんて1400円もしたけど、
買ってよかったとしみじみ思ったもん・・・
読んだ4冊のなかでこれがいちばん好き。『たわむれ』はうまいよね。
こんなにもみじかいのに、人生のなかで恋愛のしめる位置を見事に描写している。
――ふりかえると今まで来た道はなんとつまらないものであったか・・・
退屈で凡庸な人生・・・ だが、だけれども、ただ一度きりだが、
このわたしも恋愛という熱情を身に有したことがあったのだ。
だから生きていける。生きていていいのだ。生きていこう。
描かれる残酷な現実に切なくなりながらも、同時に胸がぽっとあたたまる。
モルトウイスキーでも口にふくみながら何度も味わいたい名作。
どとのつまり人間は変わらないのである。いつの時代も。むかしもいまも。
こんなふうに快く酔いしれることのできる短編をわたしは知らない。
『たわむれ』が好きなどというと、すごーくロマンチストっぽくて恥ずかしいね・・・
でもほんとはこういうの大好きだよん。
では、もうこのスレにくることはないのでご安心を。
いくら叩いてもいいよー。ばいばい。
ふう。
わたしもチンポのすごさをみとめてないわけはないんだよね。
やはりチンポとして使われ継がれてきただけのことはあると。
腰に直結するチンポという茎をわずらった人間独自のするどいマンコ観。マンコいじめ。
早稲田の大槻なんて真性包茎だったけど、
やられてよかったとしみじみ思ったもん・・・
前戯がうまいよね。
舌があんなにもみじかいのに、マンコのなかでクリトリスのしめる位置を見事に把握している。
入れられる剛直なチンポに切なくなりながらも、同時にケツの穴がぽっとあたたまる。
もう一本チンポを口にふくみながら何度も味わいたい快楽。
どとのつまりクリトリスは性感帯なのである。いつの時代も。むかしもいまも。
こんなふうに快く酔いしれることのできる豆をわたしは知らない。
クリ派などというと、すごーくオナニストっぽくて恥ずかしいね・・・
でもほんとはアナルセックス大好きだよん。
では、もうこの豆をこすることはないのでご安心を。
マンコを叩いてもいけるよ。あへあへ。
良スレだったのに、見るも無惨な姿に。。。
212 :
吾輩は名無しである:02/07/02 09:27
>>191 >ロム人のこと考えないで、スレは書き込んだ自分のもんだと勘違いしていいませんか?
>スレ他の住人にとって、有益な情報でなければsageでレスする礼儀と分別が両者に欲しい。
だが、残念ながらこのスレはあなたのものでもないのですよ。
半角板wwwでもないかぎり上げる下げるは各人の自由。
このスレが上がったくらいで不愉快になるようなデリケートな人は2ちゃんに来ない方が良い。
>>192 他人のレスへの非難はもう飽きたから、早く誤読ではないあなたの正読とやらをお書きなさい。
人様のレスにケチをつけておいてこのまま逃げるのはあんまりですよ。
>>209 あんたどこのスレでもうざすぎ。台風のように荒らしてその後には何も残らない。最低。
嵐のような女だ。そろそろ名無しに戻りなよ。誰からも好かれてないんだからさ。
最後のレスもうそ臭いな。「これがあんたらの言うチェーホフのただしい読み方なんだろ」
と裏ではアッカンベーと舌をだしていそう。騙されないよ。
正読きぼーん。
誤読ねえ・・・・
>209
なんかいきなりまともなレスなんで、当惑してるのだが…。
そういう風に読んだのなら最初からそういってよー、
というのが正直なところではある。
俺の読み方もほぼ↓に同じ。
>死に直結する結核という病をわずらった人間独自のするどい観察眼。死生観。
>世界でいちばん大切であるはずの自分が消失するということの意味。
>自分が死んでも世界は変わりなくつづいていくというのはどういうことか。
>死んだらすべてが終わりである。だとしたらばなぜ・どのように生きるべきか。
>ひとは皆死ぬ。人生は不幸のほうが多く感じられる。しかし生きていくべきである。
>時代は変転する。それにともなって変わるひと。一方で変われぬひとの悲哀。
付け加えれば、その背景におぼろげながら神の姿を思い描いている、
ということだと思う。
まあ、このスレが荒れた原因の半分は俺にあるわけで、
ちょっぴり悪いことしました。>1さん
あ、それから誤読はあんまりなた言い種ですた。
ごめんねー、美香嬢、212、214のみなさん。
「衰弱」というのは間違っている。古井は消費されるためだけに
そこにある言葉の、たやすく説明がつくような平明さから離れて、
ある〈自律的な連鎖〉を示す文を書き付ける。例えば「新潮」
に連作として書かれていた言葉の、この執拗ながらも取り留めの
ない、ただ言葉の魅力が立ち昇ってくるような「文」のあり方:
病室に戻ってひと息ついているとまた呼ばれて別の検査を受けに
行くことになった。呼び出されると張り切って急ぐ病人もあるが、
その日の私は、廊下の途中から湧き上がったみたいに先刻と変らぬ
足取りで歩いている。教えられた階の、病棟ではないようで閑散と
した午後の廊下に、赤や青や貴や緑や、色とりどりに引かれた道
案内の線を、背は立てたままなのでやや遠くへ見込んで進むと、線
をたよるでもないのに、足の運びはあくまでもまっすぐで、どこ
まででも行くようで、途中からまたふっと消えてしまいそうな心地
にもなったが、赤い線はやがて左へ折れた。耳たぶから血を採って
凝固を量るだけの検査だったのですぐに了えて、お大事にと送られ、
ありがとうございますと返して廊下に出ると、同じ道でも往く時と
復る時とでは眺めがまるで違う。身体の自由のいよいよ窮まって
きたせいかと驚くうちに、お大事に、ありがとう、といましがたの
やり取りがもう一度、どこぞの路地でかわされたようにくっきりと
立って、その尋常なはずの、意味がつかめなくなった。
―古井由吉「春の日」(「新潮」2001年6月号)
305 名前:ixion 投稿日:01/12/10 02:26
ここで行なわれていることを技法的に考えれば、古井は主観と客観を
(人称を介することなく)入り混じらせ、またある往復の動きの内に
言葉/観念の挿入を繰り返すことで、「尋常なはずの、意味がつかめなく
な」るまでの「歩み」を引き伸ばし、不安定なものへと転じている。
しかし、安易な批評であれば「差延と異化」とでも読んでしまいそうな
この描写は、描写自体が匂い立つような魅力を放つように仕組まれている
のであり、言葉がまるで〈自律的な連鎖〉を見せて、つまり「色とりどり
に引かれた道案内の線」を自ら辿っていくような感覚を、読者に与えるの
ではないだろうか。それこそが、言葉に「運動の欲求」を感じる古井
ならではの魅力と言えるに違いない。
誤読と喝破した相手のレスをコピペして俺もおなじですはいくらなんでも失礼だろう・・・
文学板は179みたいなバカばっか。自前の感想もないのに他人の批判だけはする。呆れ果てsage
>あ、それから誤読はあんまりなた言い種ですた。
なんだ、こいつ?
同じチェーホフファンとして恥ずかしいよ。
まあ、
>>179には独自の文学観がないのだろう。
他人の考えが自分と同じか違うかだけ。空っぽの人間。
おまえに比べたらまだ美加とやらのほうが潔い。
長文レスも書けないようなバカに誤読云々言う資格はなし。
彼女に薦められて『桜の園』を読んだのだが、
どこがおもしろいのかさっぱりわからなかった。
『三人姉妹』が激しく読みたくない。
誤読でもなんでも楽しく読めたものの勝ちだよね。
ページをめくるのが苦痛。もはや義務だ。
人がものを知るやり方にはいろいろあるが、直接にものを知るときには直観を使う。ものを考えるときは人は
いつも直観に頼るものだ。しかし、直観するためにはその前にその対象を手に入れなければいけない。しかし、神様
でもない限り、人が対象を手に入れるには、対象のほうが人の心を触発しないといけない。
この対象の触発に応じて、そのイメージを受け取る能力を感性という。つまり、感性によって人は対象を手に入れるのである。
ということは、感性のおかげで人は物を直観できるということになる。
いっぽう、手に入れた対象について考えるのは知性の仕事である。知性が理解するのである。しかし、物を考えると
いうことは、直接にしろ、あるいは何かの目印を介して間接的にしろ、結局は直観、そして人間の場合は感性のお世話になるしかない。
ほかの手段では対象は手に入らないからである。
そして、その対象が外から感性を触発した結果が感覚である。直観のうちでこの感覚を通して対象とつながっているものを、経験による
直観という。この経験による直観の対象で、まだわけの分からないものを現象という。
しかし、現象を分析してみると、その中には感覚だけでは説明できない要素も含まれている。だから、現象のうちで感覚とつながりが
あるものを、わたしは現象の素材と呼び、この乱雑ににあらわれる現象に整理をつけるものを現象の形式と呼ぶことにする。
様々に受け取った感覚に何らかの形式を与えて整理をつけるものは、感覚自身ではあり得ない。だから、現象の素材は経験
によってしか与えられないのに対して、現象の形式は心の中にその全部が先天的に用意されていないといけない。だから、現象の形式は
感覚とは区別して考えることができる。
わたしは、あらゆる概念のうちで感覚とは関係のないものを(超越的な意味で)「純粋な何々」と呼ぶことにする。すると、感性による
直観は、さまざまな現象に整理をつける純粋な形式として、先天的に心の中に見いだされることになるだろう。この感性の純粋な形式は
同様にして純粋な直観と呼ばれることになる。
例えば、物体の概念から、それについて知性が考えること、物質とか、引力とか、分割可能とか、そういうものを取り除いてみよう。
次に、感覚で捕らえられるようなこと、中身が詰まっているとか、表面が硬いとか、何かの色をしているとか、そういうものを取り除いてみよう。
こういった経験によって直観的に知ることのできる要素を取り去っても、なおも残るものがある。それは、物体の持っている大きさと形だ。
これが純粋な直観なのである。この純粋直観が働くには、感覚の対象が外部に現実に存在する必要はない。純粋直観は感性の形式として
心の中に先天的に存在するものである。
わたしはこのような経験と関係のない先天的な感性がもっている原理について研究する学問を「超越的な感性論」と呼ぶことにする。(原注)
作者がニーチェやユング、構造主義やポスト構造主義を背景に小説を書いていることはまちがいな
いが、そういう思想と正面対決することを避け、“世界の終わり=第三の回路”などという小細工を
弄して独自の虚構世界に逃避することで脱構築を表現しょうとする事自体、インチキ以外の何物で
もないのではないか?
まあ兎角、“登場人物に立体感(影)がなく、リアリティがない”と批判される作者にとって、この作品
の主人公が“影”と共に現実世界へ脱出することを最終的に拒み、“世界の終わり=第三の回路”の
壁の中の森に留まることを通して、虚構の中で獲得する“心”を伴った永遠の生を体現することは、本
人の作家人としての今後の展望を表明することでもあるのだろう。この作品が自らの手法的行き詰ま
りの中で何とか出口を見出そうとする作家個人の内面的葛藤や希望を表現している点では評価でき
るが、結局三島由紀夫の様に虚構と共に心中する覚悟のない村上春樹がこういう小説を書いたところ
で何のインパクトもなく、本来、彼の様に虚業を自らの職としていない一般人が彼のマスターベーション
に感情移入できる余地すら、どこにもないのではないか?
それに、彼の決意表明の様なものはその後成功しているのか?第一、登場人物が立体感やリアリテ
ィーを持った瞬間に作品が陳腐化し、他の小説以下の物の成り下がるのが村上小説の宿命ではなか
ったのか?
俺はこの小説を彼の最高傑作だという村上信者に逆に問いたい。
“彼が第一回路や第二回路の中で格闘するのではなく、あえて虚構的な第三回路に逃避する事によ
って表現しようとしたのは一体何なのか?”と。
答えなど無いはずである。くどい様だが、それは作家本人の作品世界やその背景となっている脳内の
虚構的フィールド以外の何物でも無いからだ。
19世紀は比較言語學が全盛だつた。言語間の親族關係を立證する事、個々の單語がどのように變化してきたか、と云ふ事が言語學の研究とされてゐた。
しかし、ヨーロッパの言語研究はもともと、「共時的」な文法研究が中心であつた。19世紀の「通時的」研究は例外的なものである。
ソシュールは、一つの言語の中で個々の語がほかの語と如何なる關係にあるかを判斷する事により、その言語の體系を構築しようとする「ソシュール言語學」を創始した。
從來の言語學は「通時態」(歴史的變遷)を扱つてゐた。それに對して、ソシュールは「共時態」(一時點に於る形態や構造)の研究を強調した。時の流れを一點で斷切り、断面を見るべきだと云ふ主張である。
文法の研究とは規範文法の研究の謂である。歴史的な一貫性を求め、「正しい」文法の確立を目指した文法研究は、「美學的」と云ふイメージが強い。ソシュールが斯かる「美學的」な研究に反對し、言語學をより「科學的」なものとしようとした、と、考へる研究者は多い。
Emanuel Swedenborg(エマニュエルスウェーデンボルグ)
(1688-1772)
この余りに偉大な存在が、まるで存在しなかったかのような扱いを受けているのでここで取り上げることにした。
在世当時、人類に許されたすべての知識をものにした、ヨーロッパ最大の科学者であり、神秘学者。20の学問
分野で150冊もの大著を書いたその内容は在世中からカントやゲーテをはじめさまざまな碩学に影響を与えて
きたし、その影響は現代にも及んでいる。
20世紀の多くのノーベル賞学者が彼の生理学、医学、物理学などの業績に舌を巻いている。また、”彼の思想
の中にはすべての思想が含有されている”として、生涯傾倒し続けたストリンドベリを始め、ドフトエフスキーなど
多くの世界的文学者、思想家が影響を受けた。
しかし、特にここで取り上げる彼の姿は、57歳以降の霊的探求にすべてを捧げ、他に例の無い独自の哲学、人
間観、思想を作り上げた神秘主義思想家の時期である。彼の思想はあまりにも広大で系統だててまとめられる
ものではないので、思い付くまま気の向くままに私の言葉で話してみようと思う。
彼が霊界について述べる時、他の霊能者や教祖が述べるようなあいまいな表現(解釈によってどうにでもとれる
表現)は微塵もない。通常の生活の中で当たり前のように霊界と現界を行き来きしていた人物は他に類を見ない。
したがって彼の霊界の描写は淡々とまるでスケッチのような肯定がつづられるのみだ。
子供のころから、片時もはなれず頭の片隅にあって、折りにふれて思い出すことがある。それは死んだらどうな
るんだろう、ということ。私はスウェーデンボルグの書籍と出会ったとたん、まるでいつか夢にみたものを現実であ
からさまにされた思いだった。スウェーデンボルグの死生観。普通、死生観というと、その人の想念だったり信念だ
ったりするが、彼は「この目でこの体での実体験なのだ。」と言いきってしまう。よく臨死体験者が語るそれとは明
らかに違う。彼は「生きたまま」、「明晰な意識があるままに」死後の世界を体験できていたのだ。
なぜ彼は「本物」なのか。
私は一体なぜこのような一見滑稽とも思えることを信用できるのだろう?きわもののオカルト商売からカルトや一般
宗教を研究してきた結果、いわゆる偽者たちの共通点が浮かび上がってきた。その特徴とは。
1.多額の金銭を要求すること。
2.奇跡や予言で信用を獲得すること。
3.癒しの技術を使って信用させること。
1.は論外だが、2.や3.は今でもよくあること。
私は2.や3.が悪いことだとは決して思わない。しかし、もしそれが必要以上の見返りを期待してのそれだとした
ら本物ではない。オカルト的なものを普段否定する人に限って、自分の理解を超えた奇跡を目の当たりにしたり、自
分や家族を癒しによって奇跡的に回復させて頂くと、あっと言う間に最強の信者になってしまう。
しかし、それはむしろその人が高慢なのであって、自らの理解を超えたものを一旦認めてしまうとそれを否定するも
のに対して敵意さえ抱いてしまう。それこそ望むと望まざるに拘わらず、その教祖の思うつぼだ。奇跡や癒しなんて
あって当たり前なんで、あなたが生まれる以前から何万回と繰り返されてきたひとつの人間の潜在力だ。悪意をもっ
てそれを利用すれば、善意の個人を醜悪な団体に見事に変身させることだってできる。むしろ、一番恐ろしいのは、教
祖自身が自分の変化に気づかぬうちに悪に取り込まれてしまった場合だ。開祖時は健全でも人が集まって崇められ、教祖
が中途半端な力しか持たない場合、番頭たちがまず腐りだす。教祖が亡くなれば後はもうその利権争奪の場でしかなくなる。
これは宗教でなくともどんな団体でもそうではないか。教祖の生前でさえ、極端に変化を起こす場合も多い。
むかし丸善でスウェーデンボルグは何処だと訊ねて
スエーデンのボルグ(テニス)の棚に連れてゆかれ
苦笑したことを思い出したよ。
教養の端として読むものだ。呑まれてどうする?
おれはこのHNこのスレでしか使ってないからね。
他のスレをコピペで荒らしているのとは別人だよ。
ふざけてこんな名前を拝借しなければ良かった。
なんで荒れてるの? 179の逆ギレ?
たしかに当分は下げたほうがいいかもね。
上げると荒らしさんから目をつけられるから。
基本的に人の感想にいちゃもんをつけるのはNGだと思っている。
人は人。自分は自分。チェーホフとトルストイは別物。
↑そうだねいかに他人のレスから書かれなかったもの、
書こうとしても書ききれなかったもの、そういう可能性をみ、情報を補い、
何を引き出してくるかが、言葉によるコミュニケーションや読書には大事。
古典などは特にその能力が問われる。誤読と言えば誤読の質が問われる。
与えられた情報をそのまま受け取るのではなくそこに含まれていない、
含まれたかもしれない情報を補って解釈し自分なりの意味を見出すことが重要。
ただ煽り貶す人は、自分は過剰に読めているのか?という意識と、
与えられた何かに意味を見出す能力の欠如を棚に上げている。
>昭島人
荒らしは俺じゃないよーん。
勝手に決め付けんな。
233 :
吾輩は名無しである:02/07/03 17:48
いいスレだったけど、179の馬鹿が美香に論破されて逆上、荒らし行為に及びスレ死亡。
234 :
吾輩は名無しである:02/07/03 17:54
Emanuel Swedenborg(エマニュエルスウェーデンボルグ)
(1688-1772)
この余りに偉大な存在が、まるで存在しなかったかのような扱いを受けているのでここで取り上げることにした。
在世当時、人類に許されたすべての知識をものにした、ヨーロッパ最大の科学者であり、神秘学者。20の学問
分野で150冊もの大著を書いたその内容は在世中からカントやゲーテをはじめさまざまな碩学に影響を与えて
きたし、その影響は現代にも及んでいる。
20世紀の多くのノーベル賞学者が彼の生理学、医学、物理学などの業績に舌を巻いている。また、”彼の思想
の中にはすべての思想が含有されている”として、生涯傾倒し続けたストリンドベリを始め、ドフトエフスキーなど
多くの世界的文学者、思想家が影響を受けた。
しかし、特にここで取り上げる彼の姿は、57歳以降の霊的探求にすべてを捧げ、他に例の無い独自の哲学、人
間観、思想を作り上げた神秘主義思想家の時期である。彼の思想はあまりにも広大で系統だててまとめられる
ものではないので、思い付くまま気の向くままに私の言葉で話してみようと思う。
彼が霊界について述べる時、他の霊能者や教祖が述べるようなあいまいな表現(解釈によってどうにでもとれる
表現)は微塵もない。通常の生活の中で当たり前のように霊界と現界を行き来きしていた人物は他に類を見ない。
したがって彼の霊界の描写は淡々とまるでスケッチのような肯定がつづられるのみだ。
子供のころから、片時もはなれず頭の片隅にあって、折りにふれて思い出すことがある。それは死んだらどうな
るんだろう、ということ。私はスウェーデンボルグの書籍と出会ったとたん、まるでいつか夢にみたものを現実であ
からさまにされた思いだった。スウェーデンボルグの死生観。普通、死生観というと、その人の想念だったり信念だ
ったりするが、彼は「この目でこの体での実体験なのだ。」と言いきってしまう。よく臨死体験者が語るそれとは明
らかに違う。彼は「生きたまま」、「明晰な意識があるままに」死後の世界を体験できていたのだ。
なぜ彼は「本物」なのか。
私は一体なぜこのような一見滑稽とも思えることを信用できるのだろう?きわもののオカルト商売からカルトや一般
宗教を研究してきた結果、いわゆる偽者たちの共通点が浮かび上がってきた。その特徴とは。
1.多額の金銭を要求すること。
2.奇跡や予言で信用を獲得すること。
3.癒しの技術を使って信用させること。
1.は論外だが、2.や3.は今でもよくあること。
私は2.や3.が悪いことだとは決して思わない。しかし、もしそれが必要以上の見返りを期待してのそれだとした
ら本物ではない。オカルト的なものを普段否定する人に限って、自分の理解を超えた奇跡を目の当たりにしたり、自
分や家族を癒しによって奇跡的に回復させて頂くと、あっと言う間に最強の信者になってしまう。
しかし、それはむしろその人が高慢なのであって、自らの理解を超えたものを一旦認めてしまうとそれを否定するも
のに対して敵意さえ抱いてしまう。それこそ望むと望まざるに拘わらず、その教祖の思うつぼだ。奇跡や癒しなんて
あって当たり前なんで、あなたが生まれる以前から何万回と繰り返されてきたひとつの人間の潜在力だ。悪意をもっ
てそれを利用すれば、善意の個人を醜悪な団体に見事に変身させることだってできる。むしろ、一番恐ろしいのは、教
祖自身が自分の変化に気づかぬうちに悪に取り込まれてしまった場合だ。開祖時は健全でも人が集まって崇められ、教祖
が中途半端な力しか持たない場合、番頭たちがまず腐りだす。教祖が亡くなれば後はもうその利権争奪の場でしかなくなる。
これは宗教でなくともどんな団体でもそうではないか。教祖の生前でさえ、極端に変化を起こす場合も多い。
235 :
吾輩は名無しである:02/07/03 17:56
作者がニーチェやユング、構造主義やポスト構造主義を背景に小説を書いていることはまちがいな
いが、そういう思想と正面対決することを避け、“世界の終わり=第三の回路”などという小細工を
弄して独自の虚構世界に逃避することで脱構築を表現しょうとする事自体、インチキ以外の何物で
もないのではないか?
まあ兎角、“登場人物に立体感(影)がなく、リアリティがない”と批判される作者にとって、この作品
の主人公が“影”と共に現実世界へ脱出することを最終的に拒み、“世界の終わり=第三の回路”の
壁の中の森に留まることを通して、虚構の中で獲得する“心”を伴った永遠の生を体現することは、本
人の作家人としての今後の展望を表明することでもあるのだろう。この作品が自らの手法的行き詰ま
りの中で何とか出口を見出そうとする作家個人の内面的葛藤や希望を表現している点では評価でき
るが、結局三島由紀夫の様に虚構と共に心中する覚悟のない村上春樹がこういう小説を書いたところ
で何のインパクトもなく、本来、彼の様に虚業を自らの職としていない一般人が彼のマスターベーション
に感情移入できる余地すら、どこにもないのではないか?
それに、彼の決意表明の様なものはその後成功しているのか?第一、登場人物が立体感やリアリテ
ィーを持った瞬間に作品が陳腐化し、他の小説以下の物の成り下がるのが村上小説の宿命ではなか
ったのか?
俺はこの小説を彼の最高傑作だという村上信者に逆に問いたい。
“彼が第一回路や第二回路の中で格闘するのではなく、あえて虚構的な第三回路に逃避する事によ
って表現しようとしたのは一体何なのか?”と。
答えなど無いはずである。くどい様だが、それは作家本人の作品世界やその背景となっている脳内の
虚構的フィールド以外の何物でも無いからだ。
179詩ね!!
何を恨みに思ったのだろ?
まあ別にいいけどね、はじめから読む気など無いから、
どんなに長文貼り付けても、
意味の無い壁のシミと同じだというのに・・・
長文レスが書けないだろとバカにされたから、長文をコピペ?
まさかそんな単純じゃないよね?
おまえら…
俺じゃないっていってるだろ!
そろそろチェーホフの正しい読み方を教えてくれよ。
昔、俺が書いた読書ノートから抜粋。
「かもめ」評
チェーホフの芸術理念が中心人物たちの口を通して語られる異色な劇
であると同時に親子の愛情やいくつもの三角関係が織糸となって展開
される複雑な心理劇だ。
チェーホフ劇は登場人物の内的リアリティを感じさせるのを特徴とするが
中年作家の自嘲的真情吐露やトレープレフの新しい芸術理念の開陳と
いった長いセリフが挿入されているばかりでなく、イプセンの「野鴨」に擬し
て、打ち落とされたかもめが劇中人物のシンボルの役割を果している一方
トレープレフ親子がハムレットと母親の関係から暗示を受けているなど
実験的要素を多分に含む難解な劇である。
ここは、あまりにもレベルが低いからもう来ません。
>ここは、あまりにもレベルが低いからもう来ません。
こういう一言が煽りというのだよ。
自分がいなくなるからといって、
荒らしを刺激するようなことを言わなくてもいいでしょ。
まったく幼稚なんだから。まだ学生なんだろうけど。
なんか下らない煽り合いで色々と荒れてるようだけど、
誤読だろうが正しい読みであろうがレベルが低かろうがなんであろうが
私はここを見てチェーホフ読んでみようと思いました。
244 :
吾輩は名無しである:02/07/11 21:24
age
245 :
吾輩は名無しである:02/07/12 14:33
「中二階のある家」が収録されている新潮の文庫のチェーホフの描写に、
何か梶井と似たものを感じるのだけれど、気のせいかな?
246 :
ばる@ ◆LlnlX5g2 :02/07/12 14:36
このスレには詩がある。詩とは感性の暴力革命、倒せ、おのれの腐ったチンポを!
>>246 その前に己れのチンポ洗ってから出直せや、くせぇぞ。あまり
のぼせて書くんじゃない。このスレのどの辺に詩があるのか、
感性の暴力革命とは何か、それが腐ったチンポとどう関わるのか、
自己満足の独りよがり言語を喚き散らすんじゃなく、
ちゃんと通じる言葉でカキコせよ。詩板のDQNじゃなかろうな?(w
見事に釣られてますな(にゃは
なぜか
>>241とともに荒らしも消えてまたいつもの停滞か。
どこまで下がったら保守あげしようかな。249さんがあげてくれる。
スレができて間もないころは、主に私が書き込みさせていただいて、
スレが活発になるようには心がけていたんですが、
やっぱ定期的に書き込んだりレスしないといけないのかな?
放置気味なんですよね。
100レスぐらいつけば、軌道にのるかなと思っていたら、停滞ですよね。
チェーホフは語り合うのは難しい作家かな。
251 :
吾輩は名無しである:02/07/23 07:25
あげ
252 :
吾輩は名無しである:02/07/30 13:58
チェホフ
あなたは何でもしつてゐる。
後家さんの涙も 肺病の少年の片意地も
町の行き倒れの男についても。
いつもその眼鏡をすこし動かして
何もかも読みとるのだ。
いろんな人の涙を 矛盾を 愚直を
深い感動で受け入れる。
254 :
吾輩は名無しである:02/08/02 00:14
ビルエバンスのワルツフォーデビーというアルバムを聞くと、
なぜかチェーホフを思い出す。
とりあえず「三人姉妹」ではマーシャ萌えだな。
256 :
吾輩は名無しである:02/08/07 22:22
そう小意気帽子age
257 :
プラトーノフ:02/08/08 01:39
今夜02:15からBSで
「時計仕掛けのピアノのための未完成の戯曲」
放送されますよ。必見!
258 :
吾輩は名無しである:02/08/12 09:28
私のチェーホフ
259 :
吾輩は名無しである:02/08/25 06:02
箱にはいった男
HR/HM板のあるスレである歌詞を考察していたところ、
その歌詞とチェーホフの『カモメ』を照らし合わせているサイトがあり解釈の一助としようと思いましたが、
恥ずかしながら私は『カモメ』の内容を知らないのです。
そこで、チェーホフスレの皆様のお力を借りたく存じます。
『カモメ』のストーリーを要約して頂けないでしょうか。宜しくお願いいたします。
262 :
吾輩は名無しである:02/08/27 18:45
コンスタンチン・ガヴリーロヴィッチ・トレープレフは、劇作家/作家志望の青年。しかし彼は、不本意な形で大学を追われ、この田舎で、することもなく暮らしています。
そこに、女優である母アルカージナと、その愛人/売れっ子作家のトリゴーリンが避暑にやってきます。
母を喜ばせようと作った芝居のみじめな失敗。愛する少女ニーナを作家にうばわれ、母の愛も自分が望むかたちでは得られないコンスタンチン。そして去っていく母と作家と少女・・・
しかし二年後、コンスタンチンは作家として、ある程度の成功をおさめ、ふたたび母、トリゴーリン、そして女優になったニーナと再会します。
どこにでもある恋と嫉妬。どこにでもある母と子の愛憎。退屈まぎれにジョークをとばしあう人々。しかし、その結果おとずれたものは・・・
>>262さんありがとう。
今報告したところです。
>262
ありがとうございます。
正直、スレで扱っている詞とのストーリー的な関連はそれほど無いようですが、
親子の関係や、愛憎などはこっちの詞の方にも適用させられそうです。
とりあえず読まないことには話になりませんが、
訳は複数出ているのでしょうか? また、出てるならばオススメの訳の版を教えて頂けないでしょうか?
>265
ありがとうございます。新潮文庫ですね。
本屋行って探してきます。
267 :
吾輩は名無しである:02/09/16 11:11
age
268 :
女子中高生とHな出会い:
わりきり出会い
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