830 :
吾輩は名無しである:04/02/03 00:02
いまアンナ・カレーニナを夢中で読んでいます。
こんな面白い本だとは知らなかった!
いままで『人生論』と『光あるうちに…』を読んで「トルストイは
説教臭くてウゼー」とか思っていました。
この本はどこを切っても面白いけど、
さしあたり今まで読んだなかで印象的だったシーン↓
ヴロンスキーの競馬のシーン(燃えた)
リョーヴィンが出てくるところ全部(萌えた)
カレーニンの赦し(震えた)
ニコライの死(うんざりした)
トルストイって、扱っている題材はドロドロしているのに
文章自体はとてもクリアーなんですね。さあ下巻に突入だ!
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \
( ,' i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7 ←ジョイス&カフカ&プルースト
`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー''"
! '、:::::::::::::::::::i
'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
\_/ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ
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|ヽ
,ヘノ:::::ヽ
/:::::::::::::::::ヽ
/| /::::::::::::::::::::::::::ゝ
/::::|/:::::::::::::::::::::::::::::::::::〉/!
|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::://|
|::::::::::::::;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| ←トルストイ
|\:::::::::/ `、::::::::/ ヽ:::::::::::::::|/
ヽ:::::::::/ !::::/ !:::::::::::/
\::::::::> V <:_::/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ「`|〒=。,_ ;'=。ア´|. i /おい!汚いから片付けておけよ!
‐ゝ、!  ̄ ",  ̄ !ノ < そのボロクズを!
`∧ ,_ヽ _,、 ∧´ \____________
―┬─┬―i⌒/ \.  ̄ / ヽ⌒i―┬─┬─┬―
! ! | | |. ハ`ー-'´ハ | | | ! ! !
すげーな、大作家たちをネタにして、こんな展開がなされるなんて想像もつかなかったよ。
読み終わりますた。
下巻はちとタルかったです。
つぎは何を読もうかなあ。
834 :
吾輩は名無しである:04/02/12 21:47
>>802 >「戦争と平和」を読了したときは、「死ぬ前に読んで本当によかった!」
と感じました。
そうなんだよね。そんな作品(別に小説とは限らない)って
滅多にないものね。ちょっと落ちるけど「デイビット・コパーフィールド」
(ディケンズ)も推薦しときます。
835 :
ともまにあ:04/02/15 12:46
アンナ>罪とばつ>>>>>>>その他の全ての文学作品
836 :
我輩は名無しである。:04/02/17 20:24
新潮文庫の戦争と平和読んでます。
今、1冊目の半分よんだとこなんですけど、
これっておもしろいのかな? なにがなんだか
わからんのですけど。どうも貴族のパーティ
のシーンみたいのがだらだら続くだけ。
なんだこりゃ?ま、とりあえず読み続けます。
新潮で読んでます。
1、2巻は秀逸かと・・・
しかし3巻冒頭からなんども繰り返されるトルストイの歴史観、説教、
エピローグまでだらだら続きます。これがどうしても納得いかない。
はっきりいってトルストイって構成やら小説家としては素晴らしいと思うけど
思想家としては三流かと・・・つまりあんまり頭がよろしくないような気が・・・
自分の思想に悦に入ってなんども繰り返す様は
若いころに書いたんだろうけども、新潮文庫表紙のトルストイの顔写真
と相俟って 呆け老人の 繰言 を思い出しました。
せっかく人物描写や心理描写なんかはいいのに
ぐちぐち繰り返される思想表明にうんざり
思想が流れなくて淀んで腐ってる感じがしました。
楽しみ方を教えて下さい。
「復活」だともっと露骨に感じるかもね。
青臭い共産趣味だし・・・。
842 :
吾輩は名無しである:04/02/20 11:58
アンナカレーニナを読んだ直後にドスの『罪と×』を
読み始めました。
トルストイの明朗な文体・世界に浸ったあとだと
ドロドロ・暗くてやってられません。
↑
ぷ!
ドスト読んだ後トルストイ読むと、トルストイの程度の低さにあくびがでちゃうよ。
トルストイの登場人物は、つまらない。
844 :
吾輩は名無しである:04/02/20 23:24
トルストイはどうも思想的にくだらない。清明というより単純。
純粋というより低脳。とおもってしまう私がバカなんでしょうけど。
どうして戦争と平和が世界最高峰の名作なのか私の読解力ではわかりかねます。
アンナは小説として面白く読めました。
小説・劇作を作るトルストイと、思想を語るトルストイの中の人は違うらしい。
私の方が上よ。
今時トルストイなんてバカじゃないの?
時代錯誤もいいとこよ。
>>846 りさ、上がいいのかい?(;´Д`)ハァハァ
848 :
吾輩は名無しである:04/02/21 12:27
詳しくもないのに語るのはアレですが、
ドスト氏の小説は登場人物じたいがそもそも特殊な性格な
ひとばかりなので、ある意味書き分けるのは難しくないとおもう。
トルストイの方は、登場人物がそれぞれ平凡であるにもかかわらず、判明に書き分けられている。
僕などはそこに感心するわけです。
また男女関係の倦怠感などの描写も鋭いなあ、と思いましたのです。
>848
俺もそう思うね。
俺は、ドストの4部作の白痴以外読んでからトルスト読み出したけど、
人物描写・特に心理的な細部なんかは、ドストなんかとは比較にならんと思った。
あと自然や社会に対する描写・視点の当て方なんてのは、他の追随を
許さないほど繊細にして偉大だと思います。
確かにドストの思想的な感覚・無意識的な心理の描写などは凄いと思いますが、
その特殊さを過剰に評価しすぎるきらいはありますね。
全般的な表現力という意味では、トルストの方が遥かに偉大なんではないでしょうか。
トルストイって、世界がキレイ過ぎる印象あって、つまらなそうで
読んでないんだよなぁ。だけど、彼も聖人どこの話ではなかったら
しいな。カミュの『手帖』でしか知らないが。
ドスト好きでもトルストイは楽しめると思う。
俺は、ドストからトルストイに入って、そのままトルストイに嵌った人間。
ベルジャーエフ著『ドストエフスキーの世界観』(斎藤栄治訳。ベルジャーエフ著作集の第2巻。白水社1960年初版。)より。 P37〜p38。
ドストエフスキーの知性は驚嘆すべきものだ。その知性のなんという異常な鋭さ。彼は世界文学で最もかしこい作家のひとりである。
彼の知性は、その作家的才能の強大さに相当するどころか、おそらくはさらにその上をゆく。この点で彼ははっきりとレフ・トルストイとちがっている。
トルストイは無器用で直線的で、その知性はむしろあきれるばかり浅いといってもいい。彼の知性は彼の天才的な作家的才能の頂きに立つことはできない。
偉大な思想家はといえば、むろんそれはトルストイではなくてドストエフスキーであった。
ドストエフスキーの作品は、知性の、真珠のように光る戦慄的な啓示のおどろくべき輝きである。
大作家中、知性の強さと鋭さとにおいてドストエフスキーに匹敵し得るものは、偉大なルネサンス人シェイクスピアひとりあるのみ。
文豪中の最大の文豪ともいうべきゲーテの知性でさえ、ドストエフスキーの知性のような鋭さと弁証法的深さとを持ってはいなかった。
そしてこのことは、ドストエフスキーが、ディオニソス的(=激情的、動的)・躁宴的(そうえん=騒々しく騒ぎたてるさま)要素のなかを動いているだけに、いっそう驚嘆すべきことである。
こうした要素が人間全体をつかむとき、普通それは知性の鋭さや視力に利益をもたらさず、知性を濁らすものである。ところがドストエフスキーにおいては、思想そのものの躁宴、思想の恍惚(こうこつ)状態が見られる。
観念の弁証法でさえ彼においてはディオニソス的である。ドストエフスキーは思想に陶酔し、思想の火炎旋風にまきこまれる。ドストエフスキーの概念弁証法は酔わせるものであるが、
しかしこの陶酔において思想の鋭さは消えず、思想はその究極の鋭さにまで達する。
>>852 はいはい、ドストのほうがずっと上ですよw
>>850は結婚生活の上手くいかなかった夫人の日記からの引用
だった。普通に悪く言われているだけかな? カミュも女房は
ノイローゼ気味だったんで、身につまされて書き写したかw
ドストエフスキーは悪文家って、普通に言われてるのは確か。
>>852 こういうのを一生懸命引用してる
ドストファンというのが俺は本当に苦手だ。
悪いけど。俗物根性のかたまりだね。
日本の純文ファンの大半は俗物根性だよ・・・
トルストイは己の理想とする理念的な善の世界を達成する為に、誰がなんといおうと
努力したんだよ。しかし現実はいかんともしがたく、苦悶の末、駅頭で野垂れ死んだんだよ。
ドストエフスキーがヂュオニュソスかなんか知らんけど、そんなもん20歳以下なら
誰でも毎日発散してるよ。ニーチェにしたって子供受けしそうな哲学屋だしな。
若い頃は、ドスト凄げー、ニーチェ凄げー、ってな発想になるけど、いい大人にも
なればトルストイの世の中の吸いも甘いも組み尽くした上で、なおかつ理想的で
あろうとする姿勢に感嘆するもんなんだよ。
反世間的な姿勢・視点で、人間は糞だっていうのを思想的に展開しただけで
最高とされる作家に感動はしないんだよ。その姿勢に対して驚きはあるけどね。
人間としての可能性を追ったトルストイの姿勢に俺は感動した。
野たれ死ぬのもいいしな。
858 :
吾輩は名無しである:04/02/22 21:46
戦争と平和で何度も歴史は個人により創られる、英雄というのはいないみたいなのを
3巻冒頭から4巻終わりまで何度も繰り返される。歴史家が提示する歴史観を否定したいのは
わかるけどしつこすぎ。アンドレイ、ピエール、ナターシャなどの人物描写、心理描写はすごくいいだけに
戦争観、歴史観の繰り返しにはうんざりします。あれだけくりかえさずにまとめてくれたらいいのに。まとめてくれたら3巻ぐらいになるのではないでしょうか?
あたしはドストももちろん大好きだけど、どっちが優れてるかなんてどうでもいいです。
859 :
吾輩は名無しである:04/02/22 22:24
>>852 その引用文の中にドストエフスキーの知性がいかに優れているかについての
具体的説明がまったく無いことに驚嘆する。
その文章を要約すると「ドストすげぇ、天才、マンセー」で充分であり
本文全体が無意味であるばかりか著者の知性についても疑わざるを得ない。
>>834 レスが遅れてすみません。僕にとって「戦争と平和」を読まなかった人生は考えられません。
それくらい感動しました。ちょうどその本には前から興味を持っていたので、今度読んでみます。
>>858 僕は、登場人物の描写が素晴らしいからこそ、トルストイの歴史観、戦争観の繰り返しに耐えられました。
むしろ楽しめました。というのも、あの戦争観、歴史観だけを主張されても、「ポカーン」ですけど、
「戦争と平和」の描写が、それらの論の根拠になっているのだと感じたからです。
トルストイが何故あのような歴史観を持つようになったのかということを追体験できるのもこの小説の魅力ではないでしょうか?
繰り返しが多すぎるのは、確かですけど。
>>859 激しく同意w
誰もそこをつっこまないのが不思議でした。
>>859 上の文章は一部の抜粋だよね。それ以外の部分(引用されなかった部分)に具体的説明があるかもしれないという
考えは君には浮かばないようだね。一部をみて著者の知性を無いと断じる君の知性に僕は
疑問を感じる。ぜひ引用された本を読んでからそういうことはいいたまへ。
>>861 君が不思議なのも無理はないよ。君も859のように想像力が欠如しているのだよ。
誰もそんな馬鹿なつっこみはしないのだよ。激しく同意してるのは君が859と同じ知性の
持ち主だからだよ。匿名の発言でよかったねw。
お互い、会ったことはなかったが、小説は読みあっていたようだね。
トルストイが死ぬ前に読んでいたのがカラマーゾフだったようだけど。
違うに決まってるじゃないか。
852のようにベルジャーエフの意見に重きをおいてはいないし、
そもそもドストとトルストイどちらが優れているかという議論にも興味
はないね。ただベルジャーエフを知性がないという859の尊大さに驚いただけだよ。
866 :
吾輩は名無しである:04/02/23 18:08
トルストイの『人生論』ほどに難しい本に邂ったことないよ
867 :
吾輩は名無しである:04/02/23 18:44
難しいのではないよ。狂信者の戯言と思って読めばまあまあ納得がいく。
出版社の思惑で裏表紙にはたいそうな文句が踊っているが惑わされないように。
868 :
吾輩は名無しである:04/02/23 20:38
なんか、
>>857がとても良いことを言っているような気がする。
>>864 ドストはトルストイが小説を書き始めたときから、
(つまりトルストイの『幼年時代』から)彼のことを崇拝してた。
しかし、トルストイはドストの小説を余り高くは評価していない。
また、ドストは『アンナカレーニナ』を小説としては絶賛したが
その中で主張されるトルストイの反民族主義思想に反発した。
これは『作家の日記』で読めるが、そこ読むと、
ドストエフスキーって、分かりやすいナショナリストだよ。
ドスト好きはこの点をどう考えているのか、聞いてみたい。
トルストイ「ドストエフスキーは、私にとって、常に貴重な人だった。
彼はおそらく、私が多くのことをたずねることのでき、また多くのことに答えることのできたただ一人の人であったろう。
(途中、略) 彼は真にキリスト教的な精神にあふれた人だった。」(1885年のドスト氏の未亡人アンナとの会話より。)
ドストエフスキー「世界を救うのは、道徳でもキリストの教えでもない。<ことば>は肉体なり、と信じる、その信仰だけが救えるのです。」
(トルストイの『わが懺悔』を読んで聞かせたトルストイ夫人に向けて、ドスト氏が言った言葉より。)
トルストイ「ドストエフスキーは孔子か、さもなくば仏教徒の教えを知ったらよかったのだ。
そうすればかれは気持ちが安らぎ落ち着いたことだろう。これは大事な点で、みんなこのことを知るべきだ。
ドストエフスキーは自分では制御できない肉体をもっていた人だ。かれはあまりにたくさんのことを感じすぎたのだ。
しかしかれは、考えることにかけてはだめだった。ドストエフスキーはこんなに読まれているけれども、
みんな彼を理解していない。」(ゴーリキーが聞いたトルストイの言葉。ゴーリキー『レフ・トルストイ』より。)
ドスト氏の蔵書として、1874年にペテルブルグで刊行されているA‐クーゼフ著『仏教の精神的理想』があったことが、
グロスマン編『ドストエフスキー蔵書目録』で報告されていて、ドスト氏は、その本を読み仏教思想の一端に触れていた可能性はあり、
また、ドスト氏の晩年に親交のあった思想家ソロヴィヨフは、東洋に関する教養や見解も持っていて、ドスト氏は、ソロヴィヨフとの対話を通して、
東洋や東洋の思想に触れていた可能性を指摘する研究家もいる。
ベルジャーエフ「トルストイは無器用で直線的で、その知性はむしろあきれるばかり浅いといってもいい。」
870 :
吾輩は名無しである:04/02/24 03:05
>>852=
>>869が出てきて、スレが急激にくだらなくなっている。
別にトルストイが批判されているせいではなく、
引用の質があまりに劣悪で、それに感じ入っているらしい
こいつの感性に寒気をもよおすからだろう。
ドストは、仏教の概説書を読んでいたかもしれんが、
仏典は読んでいないわけだろ?
それじゃあ、本当に読んでいるとはいえんよな。
それと、今時、ベルジャーエフもないだろうよ(w
あと、あんたは、
>>868の質問に答えなよ。
っていっても、アフォな引用は勘弁。
自分の意見を言ってくれよ。
871 :
吾輩は名無しである:04/02/24 04:05
戦争と平和みる限りトルストイは街宣車乗ってそうなぐらい
ナショナリストだと思いますが…つまりドストのナショナリストと
トルストイのそれとは質が違う
ドストは露西亜国民の本質を描いたつもりで実は人間の深奥を意図せずして
描いた。それはドストの人間理解が誤った方向に向いたのではなく鋭敏すぎた
からでしょう。つまり彼はナショナリストであろうとしたのですが、実はヒューマニスト
であったわけです。
トルストイはいわゆる本物のナショナリストであり、ヒューマニストでもある。
トルストイはある観念に捕らわれるとそれから逃れることのできない。その意味で
かれがナショナリストであるときは徹底的なナショナリスト、ヒューマニスト、宗教家
であるときは徹底してそれであるというのはトルストイの思想の融通のなさを
示しているように思う。ドストと対照してみるにナショナリストであることが
その環を出ないのがトルストイ、その環を逸脱して普遍に繋がりうるのがドストエフスキー
であるかと思います。
872 :
吾輩は名無しである:04/02/24 04:07
あ、ヒューマニスト(宗教家)という意味ね
873 :
吾輩は名無しである:04/02/24 08:20
870さん、あなたこそ868さんの言葉を引用しているんじゃないですか。
ドストエフスキーはリアリストですよ。
放置されていたロシアの事実を描いた人ですからね。
う〜むみんな長文書いてるなぁ。読む気が(ry
>>862 だから引用文の中にってちゃんと書いてるだろ、頭の弱い奴だな。
>>852があえてそこしか引用しないから著者が馬鹿に見えると言ったんだよ。
疑わざるを得ないと言っただけで知性が無いなんて一言も断じてない。
君のその程度の読解能力じゃ、トルストイもドストも読むだけ無駄だよ。無駄無駄。
小学校の国語の教科書からやり直してきたまえ。
う〜むみんな長文書いてるなぁ。読む気が(ry
>>862 だから引用文の中にってちゃんと書いてるだろ、頭の弱い奴だな。
>>852があえてそこしか引用しないから著者が馬鹿に見えると言ったんだよ。
疑わざるを得ないと言っただけで知性が無いなんて一言も断じてない。
君のその程度の読解能力じゃ、トルストイもドストも読むだけ無駄だよ。無駄無駄。
小学校の国語の教科書からやり直してきたまえ。
お前等どうせおっさんなんだろ
何言ってもおっさん
877 :
吾輩は名無しである:04/02/24 14:26
いまどき長編なんてはやらねーよ。
二重カキコスマソ
二十歳ですが。