755 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :
ここまで読んだところでは、このスレは3部構成という感を受ける。
第1部はイクシオン先生を中心とした「ウィリアム・フォークナー講義」。
痺れを切らした不良学生が、「先公、テメエの授業は面白くもおかしくもねぇんだよ!」
と叫び出して混乱、以後は、あたかも「イクシオン・スレ」と化していく。
混乱は、じょじょに終息へと向い、マダムBという謹厳実直な女性講師による
「ウィリアム・フォークナー講義第2部」が開始される。
彼女の退場後は、再び混乱の兆しを見せながらも現在に至る、というところかな。
このスレの流れそのものが、なんかフォークナーの世界ぽいのだ。
さて、読者の興味に答えるために、私とフォークナー作品の出会いから語ることに
しよう。
フォークナーが、ヘミングウェイ、スタインベックと並ぶアメリカの文豪であること
(当時の評価)は、早くから聞き知っていたが、未読であった期間が長かった。
僕が、フォークナー作品を初めて手にしたのは、新潮文庫「フォークナー短編集」
である。この本を読むきっかけとなったのは、ある年末の昼下がり、
月刊プレイボーイをぱらぱらと見ていたところ、今月のプレイメイト(南部出身)
の写真及びプロファイルが俺の眼に止まった。
彼女のプロファイルには、「エミリ―に薔薇を」を読んでヒロインの心情に共感、
自分も南部の女だとあらためて自覚した、といった趣旨のことが書かれていた。
「こんなデカパイのねぇちゃんが感動する本ってどんなかんなあ、あんなんかんなあ・・」
という思いと共に、今まで未読であったフォークナーを読む良い機会を得た感もあり、
(既にヘミングウェイ、スタインベックの文庫化作品はコンプリートしており、
コードウェルの「タバコ・ロード」、フィッツジェラルドの「華麗なギャツビー」、
アンダスンの「ワインズバーグ・オハイオ」とかも読んでいたと思う)
「エミリ―に薔薇を」(*中山エミリでも辺見エミリでもなく、ましてや高見エミリ―でもないことに注意されたし)が収録されている上記短編集を手にするに至ったのである。
756 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :04/02/19 19:09
一読後の感想は、正直言って「うーん?」、土着的な情念を描いた作だとは思ったが、
何がプレイメイトのねぇちゃんを熱く感動させたのかは、不明なままに終わった。
続いて、同じく新潮文庫に収録されていた「サンクチュアリ」も読んでみたが、
既にダシール・ハメット、ミッキー・スピレイン、ジェイムズ・ハドリー・チェイス等の
ハードボイルド・ミステリを読破していた俺にとっては、さしたる刺激もショックも受けない
まま読了。当時は、フォークナー作品としてはもう1冊、「八月の光」が新潮文庫に収録されていたが、未読のまま現在に至っている。
757 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :04/02/19 19:11
今回、「アブサロム、アブサロム!」を読破。
登場人物たちの意識の流れに翻弄されながらも、テクストを読み解くという「読書」の
醍醐味を堪能した感がある。
しかしながら、この「意識の流れ」という手法、、ミステリファンには馴染にくく、
抵抗感が強いものかと思う。
本格的にこの手法を用いてミステリを書くのは、まさに困難の極みと言えるし、
最もミステリに不適な手法と言っても差し支えなかろうかと思う。
本作のメーン・テーマを語る場合には、舞台となったミシシッピ州の後進性、
(全米においてという意味だけではなく、「南部」という地域においてもである)
の問題は看過出来ないものがある。
奇しくも、本作が刊行された1936年は、同じく南部(ジョージア州)を舞台にした
マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」も刊行されている。
軽率な判断(犯行予告等)をすることが多い2ちゃんねらーに限らず、
我々日本人は、同じ南部を舞台にした著名な作品が2作刊行された年という理解を
してしまいがちであるが、この理解は物事の本質を見ない軽率な判断という謗りを
免れ得ないであろう。
758 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :04/02/19 19:11
このことは、コンパクトなものとしては、「アメリカ50州を読む地図」(新潮文庫)、
大部で詳しいものとしては、「アメリカ州別文化辞典」等の参考文献により、
両作品の舞台となったジョージア州とミシシッピ州に関して調べてみれば自明である。
アラバマ州を間に挟んで並び立つ両州だが、その州として生い立ち・風土等は
大きく異なり、サウス・カロライナ州と並んで南部文化が華開いた地であるジョージア州
と比較すると、苛烈なレイシズムが日常化したディープ・サウスに属するミシシッピ州の
貧困の歴史は際立つ感がある。
サトペン家の悲劇も、この「南部の中における貧困」という観点から解釈して行く必要があろうかと思う。
このスレは、ここまで多数のレスを費やしながらも(3分の1強はイクシオン・スレだが)、
南部諸州という地域におけるフォークナー世界の把握という観点からの細かい分析が無いのが
とても残念である。
普遍性を有する「意識の流れ」という手法により、地域における後進性というテーマを
ギリシア悲劇的に描く、この手法とテーマにおける逆進性こそ、フォークナー作品の
大きな特色を示すものではないだろうか?
↑の書き込みは無視 反応するのはミス板の自作自演のみ
760 :
ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :04/02/19 21:42
てゆうか、現況の文学板住人でフォークナー作品を読解出来る者は、
ほとんどいないかと思う。
口当たりが良い作品が好きな者が多いようだしな。