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ミステリ板住人 ◆hr24ALqEXE :
ここまで読んだところでは、このスレは3部構成という感を受ける。
第1部はイクシオン先生を中心とした「ウィリアム・フォークナー講義」。
痺れを切らした不良学生が、「先公、テメエの授業は面白くもおかしくもねぇんだよ!」
と叫び出して混乱、以後は、あたかも「イクシオン・スレ」と化していく。
混乱は、じょじょに終息へと向い、マダムBという謹厳実直な女性講師による
「ウィリアム・フォークナー講義第2部」が開始される。
彼女の退場後は、再び混乱の兆しを見せながらも現在に至る、というところかな。
このスレの流れそのものが、なんかフォークナーの世界ぽいのだ。
さて、読者の興味に答えるために、私とフォークナー作品の出会いから語ることに
しよう。
フォークナーが、ヘミングウェイ、スタインベックと並ぶアメリカの文豪であること
(当時の評価)は、早くから聞き知っていたが、未読であった期間が長かった。
僕が、フォークナー作品を初めて手にしたのは、新潮文庫「フォークナー短編集」
である。この本を読むきっかけとなったのは、ある年末の昼下がり、
月刊プレイボーイをぱらぱらと見ていたところ、今月のプレイメイト(南部出身)
の写真及びプロファイルが俺の眼に止まった。
彼女のプロファイルには、「エミリ―に薔薇を」を読んでヒロインの心情に共感、
自分も南部の女だとあらためて自覚した、といった趣旨のことが書かれていた。
「こんなデカパイのねぇちゃんが感動する本ってどんなかんなあ、あんなんかんなあ・・」
という思いと共に、今まで未読であったフォークナーを読む良い機会を得た感もあり、
(既にヘミングウェイ、スタインベックの文庫化作品はコンプリートしており、
コードウェルの「タバコ・ロード」、フィッツジェラルドの「華麗なギャツビー」、
アンダスンの「ワインズバーグ・オハイオ」とかも読んでいたと思う)
「エミリ―に薔薇を」(*中山エミリでも辺見エミリでもなく、ましてや高見エミリ―でもないことに注意されたし)が収録されている上記短編集を手にするに至ったのである。