それにもかかわらず、中世後期には、もっとも知られた断食者でも容易に畏敬を受けなかった。
大多数の者、特に女性は十分な尊敬とカリスマを得なかったし、一部の同時代人の懐疑に打ち勝てるような
有力の関係もなかった。
公布されているより激しく断食した人――つまり断食に関する教会の規則以上に行動した人――は、
聖職の当局者と対立することがよくあった。
俗人、そして修道士も、心身の健康を損なうほどに極端な断食をしようとしなかった。
例えばシエナのカタリーナは、ある聖職者から食べるように神に祈れと主張され、
1373年あるいは1374年につぎのような手紙で答えている。
神父様、私は申し上げますが、そしてこれを神の面前で申し上げますが、私はできる限りのあらゆる仕方で、
いつも一日に一回か二回食事をとることを自分に強いています。そして私は絶えず祈りました。
私は神にこう祈りますし、祈るつもりです。もしそれが神のみこころなら、私が他の被造物と同じく
生きられるよう、食べることに神が恩寵を与えてくれますようにと・・・
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この聖職者の態度はどう解釈したらよいだろう。なぜ宗教的断食が自己否定のもっとも優れた形式として、
賞賛されるとは限らないのだろう。第一に、常識を越えた断食は神学的根拠から拒否された。
神が創造したすべてのものは良いもので、喜びを与えられていた。この理由によって、長期間の断食は
神から創られた者の本質的な完璧さの否定を意味し、それゆえ危ういほど異端の宗派の教義に近いとされた。
イエス自身は使徒たちに、汝のまえにあるものを飲食せよと指摘している。
彼は食物あるいは「汚れた」手で食べることによる汚れを、明らかに否定して言っている。
すべて口に入るものは、心に触れることはなく、腹にゆき、ついに厠に捨てられる。
もしすべての食物がイエスの言うように清浄であるとすれば、
布告された断食日以外に食物を断つことを、死すべき常人に吹き込んだのは何だろう。
また、激しい断食は、キリストが唱えた断固とした判断にも反している。
断食はパリサイ人の演技的なそれとはまったく対照的に、こっそり秘密裡に行うべきものだった。
イエスは、断食の義務を満たすことについて、「公衆の前のショウ」ではなく、自己否定を期待した。
それゆえ、長期にわたる断食は単に履き違えられた自己賛美の一形式である、と教会当局者から解釈された。
つまり真に敬虔なキリスト教徒は、他者の注目を求めようとせず、
慎み深く現行の規則と儀礼に従えというのである。
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