己れの身体にあれほど容赦ない戦いを行った聖人は、信じやすい同時代人の多くから畏敬をもって扱われた。
人びとの目から見て、彼らの長期の断食は、私欲にもとづいたものではなく、ある形の万人の罪への
つぐないだった。彼らはちょうどキリストのように、人類の罪を背負っていたからである。
死んだ場合には苦行期間の短縮、つまり苦行が終わってしまうことがあった。そのうえ、
断食聖人は神に選ばれた者だった。神は彼らと交流し、彼らにその意思を幻で現わし、
彼らに超自然的な力と印とを委託した。
奇跡的に長期間続く聖なる断食は、彼らのうちに神が臨場したことのあらわれだった。
そのうえ彼らは、多くの者が渇望している満腹し、良い健康状態でいることを断っていたため、
人びとの想像力を刺激した。空腹や飢餓さえ稀ではなく、多くの者が慢性の病気に悩んでいた社会では、
進んで激しい身体的剥奪を追求する男女は、畏敬の念を引き起こしたに違いない。
これらの極度の断食者の多くは無名のまま暮らしたが、一部は公衆の注目を引き、よく知られるようになった。
報道が不十分だったにもかかわらず、例えば十五世紀のスイス、フルーの聖ニコラスの名声は、
彼の住む地域をはるかに越えて広まった。ある同時代人は、ドイツではニコラスの奇跡的な断食について、
聞いたことがない者はいないだろうと指摘した。
↓