ある気高い女性は、時折ごくわずかな食べ物だけを食べることを自分で認めた。
十三世紀のシュレージェンの聖女ヘドヴィヒの例を挙げると、彼女は週に三日間、少しのミルクと魚を食べ、
二日間は水とパンだけをとり、残りの二日間は少しばかりの野菜あるいは干した食物を食べることを自分に許した。
別の者は、このような質素な暮らし方でさえ、身体的欲求の放縦さを立証するものと考えた。
彼女らは聖体拝領のときだけ厳格な断食を中断した。これは彼女らの人生の目標であるキリストの模倣、
(イミタチオ・クリスティ)つまりキリストの受難に加わることを象徴した。
多くの断食聖女たちが示したキリストの傷、聖痕はその当然の一部だった。
これらのきわめて宗教的な女性は、情熱的に聖体拝領を渇望した。このことは驚くに当たらない。
聖体拝領は断食の苦痛を耐え忍び、印象的な偉業を達成する強さの重要な源だったからである。
このような女性の霊性の無数の実例が、中世後期のヨーロッパの幾つかの地域で見いだされる。
例えばトーマス・ネッターはロラード派(十四世紀のオランダの異端的セクト)に反対する論文のなかで、
ノーフォークの信心ぶかいキリスト教徒の少女に触れている。
彼女は「俗語で食事しない(ミートレス)ジョアンと呼ばれていた。
それは十五年間にわたって飲食しなかったことが証明されていたからである。彼女は毎日曜日に、
主の聖体の秘蹟による最大の喜びを与えられていただけだった」。
これらの宗教的霊感を受けた断食者の多くは、あらゆる食物を拒むだけでなく、聖別された聖体以外には
まったく何も呑み込むことができなかったようである。
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