中世後期の苦行者と神秘家
十二世紀以後には、多くの女性が霊的生活に参加するようになっただけではなく、聖女の数も非常に増加した。
長期間の断食は、しばしば彼女らの敬神の様式の重要部分となっていた。
おそらくこれら激しい苦行が理由となって、中世後期の神学者たちは、身体的な禁断ではなしに、
霊的なことについて論じた。
つまり、人びとが罪悪を控えるほどに、食物を控えるべきではないというのである。
一部のひとは極端な断食に入ったが、それはまさにこのような傾向に抵抗したからだった。
ちょうど中世の聖人に苦行生活の着想を与えた荒野の神父たちのように、長期にわたる断食は、
弛緩した教義を持つ「世俗的な」教会への、ある意味での反応だった。
彼らにとって、悪い影響力を持った身体を拘束し懲らしめ、十字架上のキリストの受難を
分かちたいという願いのなかでは、どんなこともたいして苦痛ではなかった。
何人かの聖人は、激しい断食と同時に、何時間も鞭で打ったり、
とがった釘のついた靴を履いたり、舌、頬、その他を鉄のピンで突き通したり、
荊(いばら)か尖った鉄の棘のついたベッドに寝るというような激しい苦行を行なった。
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