甲田式で野菜ジュースのみの食生活を目指す8

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短命化の原因と飢餓の戦記

数年前、日大の大久保教授により発表された昭和一ケタ生まれの中年層の短命化がマスコミをにぎわした。
棡原の中年の短命化もまた日本の縮図としてその原因を考えたい。
東京医大の梅原教授は大東亜戦争中、ニューギニアに従軍、餓死寸前で生還した。
梅原氏と私とは同じ病院船ウラル丸で昭和19年1月、南方へ向け宇品港を出港、パラオで別れ私はラバウルに上陸した。
梅原氏は自らの尊い体験から『飢餓の戦記』(からだの科学・昭和45年)で次のような意味のことを述べている。

もしアメリカ軍、日本軍、現地土人の三者がじりじりと食を絶たれた場合、真っ先に死ぬのはアメリカ軍で、
ついで日本軍、現地土人の順だという。これは帰する処、それぞれの民族の適応力の違いを物語っていると思う。

またビルマ、フィリッピン、ソロモンなどの各戦線で餓死寸前で生き残った旧日本軍人の中に
現在糖尿病にかかっている人が少なくないようだ。
これもまた日本人が飢餓に強く、美食に弱い何よりの証拠である。
つまり日本人は古来、貧困、粗食、重労働に耐えて生き残った民族だ。
従って現在の繁栄、飽食の時代と環境には適応できない民族である。

この二点から考えれば棡原の大正、昭和一ケタ生まれの短命化の原因は自ら理解できよう。
つまりこの世代は動物性蛋白、脂肪に乏しい穀菜食で育てられ、それによく適応して来た。
ところが戦争中の食糧不足のもと青少年期を過ごし、戦後の50歳前後の時には未曾有の経済成長期にぶつかり、
高蛋白、高脂肪、高カロリーの近代食をとった。これは人体の適応力の限界を超えた負担となり、
それが裏目に出て成人病による短命化をもたらしたものと私は考える。
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