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棡原中年層の危機と近代食
東北大学の近藤正二名誉教授とともに私が棡原を長寿村として発見したのは昭和43年8月のことである。
この2、3年前から各集落を歩いていると、老人たちは元気で働いているのに大正生まれの中年層が
成人病で不如意の生活を送っているのに気付いた。いったいこれはどうしたことであろうかと不思議に思っていた。
中には老父が息子の葬式をするといった光景も目撃した。
その後この異常現象はますますひどくなり、ついに昭和一ケタ生まれの働き盛りの中年層まで波及するに至った。
ひと月前のこと、私は棡原の梅久保集落の民宿で講演を行なった。
対象は大月市方面の主婦50名でスライド150枚を供覧した。
講演が終わると二22、3歳の若い女性が私の前に名乗り出た。
「私はさきほどのスライドの大庭の娘です。母はどうしてあんなに若くして死んだのでしょうか」といって涙ぐんだ。
彼女の母は9年前の早朝5時、米をとぎながら45歳の若さで脳溢血死した。
私の代用教員時代の教え子の一人である。このような例は棡原の中年層で枚挙にいとまがない。
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