それ以後の彼は、書くものも生活のしかたも変わり、作家というよりも予言者であり、宗教家であり、
道徳思想家であるというほうがふさわしい存在となっている。書くことの影響力も世界的なものとなり、
彼の書いた生きる指針やメッセージは道を求める人々の心をがっちりと掴んだ。
それはトルストイズム(トルストイ主義)と呼ばれて広がっていき、ひとつの宗派といっていいものになる。
そうして、ヤースナヤ・ポリャーナへの巡礼が始まるのである。
つまりこの精神的危機は、トルストイが一段上の段階に至るために起こらざるを得なかったものなのである。
それまでの自分から飛躍的に成長するための、いわば産みの苦しみのようなものである。
それまでのトルストイは確かに“聖者”を目指してはいたものの、生活のしかたや心のあり方はまだ俗人の
域を出ていなかった。“回心”以後は、性格はつつましく謙虚で温和。忍耐力も随分強くなった。
以前からそうなるよう努力していたが、それがすばらしく成就されてきたのだ。
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