甲田式で野菜ジュースのみの食生活を目指す8

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206たま【レス代行】
 菜食主義を通してトルストイと交流

さて、ガンジーについて述べてきたが、彼と交流のあった菜食主義者としてもう一人あげておきたいのが、
トルストイ(1828〜1910)である。『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』『復活』などの名作を書いた
ロシアの大作家である。トルストイの菜食主義については次に詳しく述べるつもりだが、
この二人は文通によって交流していた。

1909年、ガンジーはロンドンからトルストイに手紙を出した。この時、トルストイは81歳である。
そして翌年の11月に、ロシアの片田舎・アスターポヴォ駅の駅長室で亡くなるのだが、
この短い期間に何度か手紙をやりとりしている。
非暴力と自然への回帰というガンジーの考え方には、トルストイの影響が大きくあったし、
無抵抗の抵抗というかたちの政治活動の持つ世界史的意義は大きいというトルストイからの手紙は、
後のガンジーの活動に多大な示唆を与えている。

類は友を呼ぶということわざどおり、世界的な仕事を成し遂げた人たちが、菜食という一点で
このような横のつながりを持っていて、互いに影響を与え合い、歴史を作っている。

では次に、自身の主義と行動を一致させようと必死の努力を払ったトルストイをみていこう。
彼が菜食主義になったのは中年を過ぎてからであるが、その変化は魂の問題と密接に関係している。