甲田式で野菜ジュースのみの食生活を目指す8

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204たま【レス代行】
 ブラバツキー夫人に会っていたガンジー

話が進みすぎたが、ガンジーはブラバツキー夫人本人とも会っている。
初めて会ったのは1889年11月のことで、夫人が亡くなる2年前である。
彼は二人の友人とともに夫人のいるロッジを訪問したのだ。そのロッジには広い庭があった。
ブラバツキー夫人はその庭に囲まれた建物のなかの一室で、熱心な会員たちに秘教の奥義を授けていた。
その部屋は小さなもので、床はタイル張り、天井は色ガラスであった。

当時60歳であったブラバツキー夫人の容姿は、老いたとはいえ強烈な印象を与えるものであった。
水腫のために肥満していたが、背が高く、その大きな眼は不思議な輝きをたたえており、
人を魅きつけずにはおかなかった。ウェーブのかかった髪はグレーで、髪のまわりに優しく波打っていた。

22歳だったガンジーが、カリスマ性をもった夫人とどんな会話を交わしたのか、そしてどんな印象を持ったのかは、
彼自身が書き記していないのでわからない。ただ、彼は神智学協会の会員にはならなかった。
それが夫人や神智学に否定的印象を持ったためではないことは、その後も会員たちと親しく交際し、
ともに菜食主義を広めるための活動をしていることから推測できる。

かなり後になって、ガンジーは神智学についてこう述べている。
「私がその協会に加入するのに障害となったのは、それの秘教的な側面、つまりその密教主義である。
それが私の心に訴えかけたことは一度もない」(『若き日のガーンディー』チャンドラン・デェヴァネッセン、未来社)
確かにその後のガンジーの活動をみる時、神智学というレッテルを貼られていないほうが動きやすかっただろう。
これも運命の正しき導きだったと思われる。
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