Bアドルフ・ヒトラー
1907年には母を亡くしたが、ウィーンでの生活は両親の遺産や自作の絵葉書の売り上げなどによって比較的安定していた。
このころのヒトラーは独身者むけの公営寄宿舎に住み、食費を切り詰めてでも歌劇場に通うほどリヒャルト・ワーグナーに心酔した。
彼は毎日図書館から多くの本を借りては独学する勉強家だったと言われ、偏ってはいるものの歴史や哲学・美術などに関する
豊富な知識と、アルテュール・ド・ゴビノーやヒューストン・チェンバレンらが提起した人種理論や反ユダヤ主義などを身につけた。
また、キリスト教社会党を指導していたカール・ルエガー(後にウィーン市長)や汎ゲルマン主義に基づく
民族主義政治運動を率いていたゲオルク・フォン・シェーネラーなどにも影響を受け、彼らが往々に唱えていた
民族主義・社会思想・反ユダヤ主義も後のヒトラーの政治思想に影響を与えた。
独の哲学者、ニーチェの著作である『権力への意志』の影響が強く見られ、 ヒトラーの超人的思想に見る
完全支配のような考えを、「力こそがすべて」という本書から誤読、もしくは自分なりに解釈し直しているのではないかと指摘される。
また日本でも、日本人関連の記述を除いた翻訳版が出版された。
ナチス政権時の発行数からは「ナチス公認の最重要文献」として扱われていたことがうかがえる。
しかしヒトラーは後に「わが闘争は古い本だ。私はあんな昔から多くのことを決め付けすぎていた」と語っている[22]。
溺愛した姪のゲリの自殺後は菜食主義者となったとされるが、実際にはレバーのダンプリングを食べることもあった。
伝記作家のロバート・ペインによると、特にソーセージは好物であり、
ヒトラーが厳格な菜食主義者であったとする神話は、 ゲッペルスによる印象操作であるとしている[30]。
戦時中には菜食主義者団体を弾圧したという説があったが、
アメリカベジタリアン協会の歴史アドバイザーである リン・ベリー(en:Rynn Berry)等に否定されている[31]。
Cリヒャルト・ワーグナー
「人物」
人格にはかなり問題があり、自己中心的でわがまま、平気で嘘もついたという。
ニーチェはワーグナーと決裂した後に、彼について記した自著の中で「彼は人間ではない、病だ」と表現している。
トーマス・マンも彼の性格は「いかがわしい」と嫌悪した。
亡命中、自分を保護してくれたリストを音楽的にも深く尊敬しており、唯我独尊とされる彼が唯一無条件で従う人物とされる。
当時、ブラームス派とワーグナー派と二派に別れた際、リストが自分についてきてくれたことに感激し、自信を更に深めた。
若いときは偽名を使って自分の作品を絶賛する手紙を新聞社に送ったりし、パーティーで出会った貴族や起業家に
「貴方に私の楽劇に出資する名誉を与えよう」と手紙を送ったりした(融資ではなく出資である)。
これに対し拒否する旨の返事が届くと「信じられない。作曲家に出資する以上のお金の使い方など何があるというのか」と
攻撃的な返事を返したという。
夜中に作曲しているときには周囲の迷惑も考えずメロディーを歌ったりする反面、
自らが寝るときは昼寝でも周りがうるさくすることを許さなかったという。
常軌を逸する浪費癖の持ち主で、若い頃から贅沢をしながら支援者から多額の借金をしながら踏み倒したり、
自らの専用列車を仕立てたり、当時の高所得者の年収5年分に当たる額を1ヶ月で使い果たしたこともあった。
リガからパリへの移住も、借金を踏み倒し夜逃げ同然の逃亡であった。
過剰なほどの自信家で、自分は音楽史上まれに見る天才で、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ、と公言して憚らなかった。
このような態度は現代の作曲家のシュトックハウゼンらと共通部分が非常に多く、
多くの信奉者を出すと同時に敵や反対者も出す結果となっている。
ドイツ音楽雑誌の新音楽時報に匿名で『音楽におけるユダヤ性』と題した反ユダヤ主義の論文を発表。
音楽に対するユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく弾劾した。後にナチスにこれが利用されることともなった。
現在でもイスラエルではワーグナーの作品を演奏することはタブーに近い。
欧米でもワーグナーの「音楽」を賞賛することは許されてもワーグナーの「人物」を賞賛することはユダヤ人差別として
非難の対象となる。
哲学者フリードリヒ・ニーチェとの親交があり、ニーチェによるワーグナー評論は何篇かあるが、
中でも第1作『悲劇の誕生』はワーグナーが重要なテーマ課題となっていたことで有名である。しかし後に両者は決裂する。
Dワグネリアン
ワーグナーには熱狂的なファンが多数存在する。
無論、他の人物にもそうしたことはあるわけだが、彼らのワーグナーへの傾倒ぶりは、信仰に近いものがあるという。
ワーグナーを聴くためにバイロイト祝祭劇場に行くことを、しばしば「バイロイト詣で」と呼ぶのがひとつの証左である
(もっとも、「パルジファル」は初演後長らく、ここ以外での演奏を禁止されていたため、
多くの者がバイロイトへの旅を余儀なくされた)。
彼らはワグネリアン(ヴァグネリアン 英:Wagnerian、独:Wagnerianer)と呼ばれている。
一般的な英和辞典にも掲載されている(例として、『EXCEED英和辞典』)。
ワグネリアンという言葉がネガティブな意味合いを持つに至った理由のひとつに反ユダヤ主義がある。
ワーグナー自身生前からその傾向を知られており、さらにはヒトラーがワグネリアンを自称しナチスにおおいに利用された。
特にナチスのニュルンベルク党大会でワーグナーのマイスタージンガー序曲が演奏されたり、
宣伝トーキー映画でワーグナーの曲が多く使用されるなどしていたため、イスラエルでは建国以来、
長らく演奏や鑑賞がタブー視されてきた。
但し、ワーグナー自身に対する評価としては、上記人物評にある通りワーグナーの人間的欠陥と作品の良否は別と考える者、
人間的欠陥故に数々の作品を生み出したと考える者など、ワグネリアンにおいても数々の解釈があり、
その一筋縄で理解しがたい点がワーグナーの魅力でもあり、
イスラエルでのワーグナーの再考と議論は芸術の限界や可能性を表している。