断穀から胎息(たいそく)へ
『太清(たいせい)中黄真経(ちゅうこうしんきょう)』では、こうして断穀・服気すること百日にして、
やっと自己のなかに生じた気を食べるという次のステップに進む。
穀気を除くことは、「解結」と同様、穀物の滓も「穀実の精華」もなかった先天的な胎児の状態へ回帰することを意味する。
我々のだれしもが羊水の中で行っていたはずの胎児の呼吸ができれば、
自己の中の気を食べることも可能になるにちがいないと、修業者たちは考えた。
胎児が養育される時、臍帯(さいたい)だけで母親の胞衣(えな)とつながっている。
臍帯(さいたい)はなかが空洞で管のようになっており、そこから気が送り込まれて、胎児がしだいに形成されていく。
長生しようと思う者は、人に根本を修めなくてはいけない。
ちょうど樹木がしげるには、その根を固めなくてはならないのと同じように。(『雲笈七籤』巻五十八「服元気法」)
胎児は母親の臍の下に位置する「気海(きかい)」(あるいは「丹田」)にたたえられる「元気」によって育まれる。
この元気を服することが、人の生命の根本であるといえるだろう。
胎児を作り出せるほどの根源的な気は、なにも女性ばかりのものではない。
男性にもそういう優れた気が具わっているはずだと、男たちは信じた。その自己の内なる元気を湧き水のように復活させ、
自分自身が自分の孕(はら)む胎児となってそれを吸い込み、不滅のエネルギーを摂取する
−これがすなわち「胎息(たいそく)」の技法である。
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胎食のステップ@
ここで「斎(さい)」と呼ばれる道教の儀礼における九段階の食のステップを紹介しよう。
というのも、ここに「胎食」と「服胎気」が、究極の「食」として登場するからである。
左段は食の名称、中段は食の内容、右段はその効能を示す。
@?食(そし) 麻・麦 楽しみに耽ることがなくなる。
A蔬食(そしょく) 精進 贅沢な肉料理を食べなくなる。
B筋食 中食(ちゅうじき)(斎食(さいじき)) 煩(はん)濁(だく)を除く。
C服精 符水(ふすい)・丹英(たんえい) 体内神が宿り、英帯(えいたい)を作る。
D服牙(が) 五方の雲牙(うんが) 牙と化す。
E服光 日・月・七星の光 光と化す。
F服気 六覚の気・太和四方の妙気 六気と化し、十方を周遊する。
G服元気 太虚(たいきょ)にある三元の気・太和の精 元気と化し、天地と合体する。
H胎食(服胎気) 自身から得られる元精の和・胞胎の元 嬰童(えいどう)に返って道と一つに合する。
運(めぐ)り転じて変化し、身を捨てずにさらにまた身を授かり、
生死を往来する。
(『斎戒録(さいかいろく)』所引『玄門大論(げんもんたいろん)』)
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胎食のステップA
普通の者にとっては食べ物のカテゴリーに入らないものが挙げられている。
順番が後になるにつれて、食のランクが高くなっていく。そして最後が問題の「胎食」である。
これは「服胎気(胎気を服す)」ともいい換えられている。この「胎気」は、自己の体内から得られる「元精の和」であり、
また「胞胎の元」であると説明されている。
食されるものが「気」なのか「精」なのか「液」なのか、はっきりとは定め難いが、いずれにしても、ここにいう「胎食」とは、
自己の体内に何か根源的な生命の泉のようなものを探り当て、それをまた自分が食べるということであろう。
最も貴重な食は、深山や離島にではなく、自己の体内に探し求めることが出来るのだ。
しかし、自己の体内のものを自分自身が食べるというのは、いったいどういうことであろうか。
ここで注目したいのが「胎」という表現である。改めて「胎食」の項を見てみると、その効能は、「嬰童に返る」ことであるという。
この「嬰童」を胎児と同義に解釈してよいのなら、これは自分が再び胎児に戻って、自分自身の細胞中に生まれ変わる、
つまり自分が新たに自分自身を身ごもるということであろう。その結果、「身を捨てずにさらにまた身を授かる」、
つまり現在の身体を死なせることなく再生することができるというのである。
「胎食」で食されるものは、胎児に食べさせる、より根源的なものに相当するから、「胞胎の元」「胎気」などと呼ばれるのであろう。
そして「生死を往来する」というのであるから、生まれ変わった自分は、むろん今までの自分とは異なる、
永遠不死の生命を手に入れていることになる。
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胎食のステップB
「本書のはじめに筆者は、道教徒たちが「驚くべき」「不思議な」世界を展開していくと書いた。
確かに、そこに広がる世界は、多くの現代人の目には奇異なものとして映るだろう。
しかし、よく目を凝らして見てみると、彼らは何もとっぴなことを行っていたわけでなく、
交接・懐胎・出産という、あらゆる生命体がごく自然に行ってきた営みの枠組みから、すこしも外へは踏み出していないことがわかる。
人間が生命の神秘に迫れば迫るほど、そこに見えてくるのは、そのような偉大なる自然の営みであった。
人々はそれを「道」と呼んで、その懐へ帰ろうとしたのである。」 (おわり)