いいとこ取り健康法(宗教、オカルトを含む考察)

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409たま【レス代行】
ところが皮肉にも、当の真砂本人が結核に罹ってしまうのである。おまけに父の経営していた養蚕業が破産したという知らせが入った。
あまりのショックに打ちひしがれながらも、真砂は郷里に帰り、また小さな開業医を始めたが、結核と言う病気持ちのために
患者は寄りつかなかった。やむなく再び中村医院に戻り、そこで働いて母や兄弟たちのために送金を続けながら、病魔と闘った。
そして大正元年(1912)の暮れに喀血し、数日間、意識不明の状態となる。

こうして真砂は次第に、心の内奥の面に目を向けるようになっていく。もともと哲学や禅に興味を持ち、幼い頃より座禅を
組んだりしていた真砂であったが、中村博士の勧めで高輪の泉岳寺に来ていた曹洞宗永平寺の森田悟由禅師と会った。

「人間何の為に生まれて来るのか、何故このように悶え苦しみをせねばならないのか、そして死んで何処へ行くのか、
それを知りたい」と言う真砂に、禅師は、「それは他から教えられて知ることではない。自ら悟ることだ。
是非を論ずる余裕はない。覚悟だ、死ぬ覚悟だ、死んでしまえ」と一喝する。
そして禅師は真砂の髪の中央部を切り取り、十六条の戒律を授けると、「仏の位に入った」ことを告げたのである。

翌大正2年6月末、信州に帰ってきた真砂は、衰弱しきってもはや死期を待つばかりの身体のまま、家族の反対を押し切り、
ほど近い細窪の岩穴へ一人篭もり、座禅を組んだ。
そして一週間後の7月5日、夜半から降り続く雷雨の中で死への覚悟を決めた真砂は、汚血がぐっと胸につかえて悶絶し、
苦しみもがくうちに岩穴の外に転げ出して雷雨の中をのたうちまわり、ついには大喀血をして気を失った。
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