いいとこ取り健康法(宗教、オカルトを含む考察)

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408たま【レス代行】
「日本霊能者伝」 中矢伸一 著

油井真砂(ゆいまさご)―――宗教界の惑星と呼ばれた禅門の霊覚者 P217〜

禅門の霊覚者であった油井真砂は、昭和の激動期においてその名声が知れ渡り、政治家、財界人、皇族、仏教学者など
各界の大物や著名人が大勢、同女史主宰の会合に出席し、支持を集めた人である。
当時は「宗教界の惑星」と評する向きもあったが、やはり教団志向をしなかったため、没後は次第に忘れられていき、
近代史に埋もれた形で現在に到っている。

油井真砂は、明治20年(1887)、信州の佐久に、六人兄弟の長女として生まれた。
父の熊三は、当時の自由民権運動を推進した自由党の政治家で、主に養蚕を営む事業家でもあった。

真砂は幼い頃より利発で、勘の鋭いところがあり、成長すると医学の道を志した。
明治38年(1905)、上田高等女学校を卒業して上京、東京の女子医学校に入学し、本格的に医学を学ぶ。
卒業後、郷里に戻り、佐久近くの小梅に小さな医院を開設した。当時は女医など珍しい時分だったので、
興味も手伝って患者が絶えなかったという。

地元の人々に親しまれながら陽気な田舎女医をしていた真砂であったが、小学校時代からの友人であった佐藤ますみという人が
結核に冒されて亡くなって以来、真砂は結核に対して激しい増悪を抱き、結核菌を地上から根絶するべく、医院の一室に
研究所を設けて調査研究を始めた。その後、本格的に研究を行う必要性を感じて上京し、
当時、結核の権威として知られていた上野の中村医院の中村博士を訪れ、その指導の下でさらなる研究に没頭した。
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