いいとこ取り健康法(宗教、オカルトを含む考察)

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388たま【レス代行】
「年恵様が祈念なさる時に出現されるのは、神様と仏様の両方でした。その際上空に聞こえゆる音楽は、
天照大神は簫、古峰ヶ原金剛山様は笛、大日如来様は大きな音の鈴、弘法大師様は風鈴で、この風鈴が一番頻繁に現われました」
(※東北には〜海〔例:鉄海〕といった空海にちなんだ名の即身仏が多い。長南年恵の生家周辺はまさにそう。
凶作、飢餓、餓死も多発。)

「食事をせぬこと、便通のないことは事実ですが、ただ極めて稀に梨、林檎などを少量食べられることはありました。
しかし信者の持参したものは、あれもいけない、これもいけないで、ほとんど手をつけることはありませんでした」

これらの証言によれば、年恵は非常に純粋無垢な人で、慈悲深い性格であったようだ。その素直さは異常なほどで、
所有欲というものがなく、一言「欲しい」と言われれば、身に付けているものでも何でもあげてしまった。
しかし、絶飲絶食であるにもかかわらず、力が大変に強く、一斗(十升。つまり一升瓶十本分に相当)や二斗の水桶を軽く担いで
歩いたと伝えられる。また、よく戯れに腕相撲をしたそうだが、筋骨逞しい農夫でも到底かなわなかったという。
足の速さは、右の証言にもあったように常人を超えたもので、一緒に歩くと追いつけないほどであった。

年恵はまた、寒暖の変化をあまり感じなかったようだ。どんなに大暑であっても汗をかかず、どんなに酷寒の時であっても
凍えることがなかった。身体には常に清香が薫り、漆黒の美しい頭髪には一本の後れ毛も、一点のフケもない。
肌の色は白く清らかで、掌などはほとんど透き通るほどであった。このような“生き神様”の噂はたちまちにして広がり、
救いを求める人々が八日町に殺到したことは想像に難くない。だが、行き着くところはいつの時代でも同じである。
限りなく純真で、およそ人を疑うということを知らぬ年恵であったが、他の例に違わず、詐欺行為で告発され、
投獄されるに到るのである。(おわり)