いいとこ取り健康法(宗教、オカルトを含む考察)

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387たま【レス代行】
「私が長南家に居りましたのは明治30年から同34年までですが、その間近郷近在の難病者で救いを求むるものは随分沢山参り、
母人はその応対にいつも忙殺されていました。病人が来ると、年恵様の身体には病人の病苦そのままの苦痛が起こりましたので、
実に並大抵の苦労ではなかったのです。また物忌みがきびしく、年恵様はこれにも絶えず苦しまれました。
心なき人たちが汚れた身体でお願いに来ると、その咎を年恵様が引き受けてしまうのです。
それでも一心に助けを乞う人たちを不憫に思われ、嫌な顔ひとつせず、神様に願ってあげるので、いつとはなしに依頼者が集まり、
少なき時も数人、多い時は2、30人に及ぶことがありました」

「私は14歳の頃、胃腸が悪く、母はいろいろと手当てをしてくれましたが治りません。当時私どもは酒田に住んでいましたが、
ふと年恵様の話を聞き、母は身を浄め、物忌を厳守して鶴岡八日町の長南家に参り、例の神授の薬水を戴いて帰りました。
これが私どもと年恵様との関係の始まりです。数回これを服用しているうちに、慢性の胃病がすっかり全快してしまいました。
右の神授の薬水というのは、御承知の通り、こちらから瓶を持参し、栓のまま年恵様にお渡しするのです。
すると年恵様は10本でも20本でも、神前にそれらを並べてしばらく御祈願をすると、一度に御神水が瓶の中に出現するので、
薬水の色が患者ごとに皆違います。私の持参した瓶は約3合入りのもので、私自信戴きに上がったこともありました。
年恵様は一人ずつ患者を呼んで瓶を渡し、心得などについて詳しくお話し下さるのでした。
心掛けの悪しき者は神水が下りませんでした」
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