しかし、その能力たるや驚くべきものがあった。彼女はとくに病気治癒や物理現象に際立った力を表したようだが、
何よりも特筆すべきは、その食生活である。
浅野は、大正12年(1923年)6月22日、年恵の実弟・長南雄吉に面会し、親しく同女の詳しい実話を聞いたり、
秘蔵の資料や証拠物件を閲覧する機会を得た。こうした経緯でまとめたのが、『長南年恵物語』(1930年、心霊科学研究会)である。
浅野はその「はしがき」で、次のように書いている。
「長南年恵は明治時代の日本が生んだ稀代の大霊媒であり、同時に又珍無類の標本でもありました。
彼女は文字通り絶飲絶食の状態を十四ヶ年もつづけました。彼女には大小便などの生理作用は全くなく、
又その生涯にただの一度の月経もありませんでした。彼女が数分間神に祈念すると、
何十本もの壜の中に一時に霊水が充満するのでした。
彼女は50歳(44歳の誤りか)で死にましたが、その時尚ほ20歳位の若々しい容貌の所有者でした。
彼女は何の教養もないのに、一たん入神状態に入ると、書に画に非凡の手腕を発揮しました。
彼女は詐術の嫌疑で何度か投獄されましたが、奇跡的現象は監獄の内部でも依然として続出しました。
又裁判官の眼前で壜の中に霊薬を引き寄せたこともありました」(中略)
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