「あなたは病気を食べている」日野厚 著
医者に見放された私は・・・ P56〜
私は京都で、キリスト教の家庭に生まれました。11人兄弟の末から2番目でした。
父は30歳前にすでに同志社大学の学長代理を務めたということで、私が中学卒業するころまでは
クリスチャンでない人とは口をきいた覚えもないほどの育ち方をしました。
いわゆる近代文化食の悪い面が影響したためか、兄弟のうちで末にいくほど胃腸が弱くて、
私の弟は満1歳の時、腸出血で死亡しております。
そんなわけで、私は生来下痢をしやすかったらしく、これでは育つまいと言われたほどでした。
京都一中に学んでいましたが、その一年生の夏休みに入ってから特に下痢をしやすくなり、
ことに精神が緊張したような時に増悪しました。慢性大腸カタルと診断されております。
食事・薬物療法など医師の指示は忠実に守りましたが、病状はしだいに悪化していきました。
その間、絶食したり食べたとしても葛湯、おまじりなどが大半で、医師は種々の下痢止めを
ずいぶん苦心して処方してくれました。
しかし、しだいにそれら普通の薬剤ではいかんともしがたく、やむを得ず阿片が処方されるようになりました。
夏でも毛の厚い腹巻に懐炉2個を入れて、腹を冷やさないようにしていました。
通学の途中で倒れることもしばしばありましたが、寒稽古は休まず、学級委員も続け、猛勉強を続けました。
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しかしながら中学四年生の時、ついに病状悪化のため休学することになりました。
当時は過敏性大腸症候群という病名が医学会において用いられておらず、家庭歴では結核の素因があり、
胸部にラッセルも聞こえるので、腸結核と診断されていました。
3年半休学しましたが、その間、医者も感心するほど忠実に、その指導を守り療養生活を送りました。
それにもかかわらず、しだいに衰弱、悪化していきました。
何をやっても下痢が止まらず、万策つきて約2年間毎日三度三度阿片を服用していました。
ところが一度飲み忘れると、飲み忘れたことも忘れているのに、半日に20回ぐらい下痢をしました。
それでなぜだろうかとしばらく考えていて、「あ!薬を飲み忘れていた」と気づくような始末でした。
ですから、いわゆる「神経症」的な下痢というだけでは簡単に片づけられるものではないように思いました。
3年以上寝たきりで、寝返りをうつのもやっとのことで、
見舞いの人に受け答えしようにも口を動かす力もないというまでに衰弱しました。
また、便通時には激しい腹痛のために冷や汗が出て苦しむようなことが続きました。
数年間に全粥を食べたのは延べ数か月にすぎず、それ以外は絶食、流動食、3分〜7分粥の程度で、
ごはんは一度も食べていないというひどい状態でした。
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死ぬことはもう逃れようもないので、精神的にいかに処していくかということばかり常に考えていました。
まさに生死の間をさまよっていたわけです。そのころ、いろいろな人が、種々の治療法をすすめに来てくれました。
もうだれの目にも、その時代の正規の医学的治療法では見込みがないと思えたのでしょう。
そして私自身、もはや肉体の回復は望むべくもないと感じており、精神的にも苦悩の極に達しておりました。
そこで私が選んだのが、ほとんどいずれの宗教でも古来より修行法として行われている断食でした。
それによって助かろうというよりも、それによって心の安らぎを少しでも得て、死を迎えたいという気持ちでした。
そして、『実際的看護の秘訣』(「赤本」として有名)の著者である築田多吉氏と文通したところ、
断食をする前に石塚式食養法をするようにすすめられました。
これは、半つき米を主食とし、動物性のものは小魚、白身の魚にとどめ、根菜・海藻類を重用し、植物性油を用い、
ごまを常食し、一口60回ぐらい咀嚼し、甘味品を避けるなどの内容でした。
石塚式食養生を数か月実行してみると、体力がかなり回復してきました。
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