甲田式で野菜ジュースのみの食生活を目指す7

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368たま【レス代行】
「列仙伝・神仙伝」

・赤将子輿(せきしょうしよ)

赤将子輿は黄帝のころの人であった。五穀は食せず、たださまざまな草の花を食すだけであった。
帝堯(ていぎょう)の時代になって木正(官職)となり、よく風雨につれて上下することができた。
時おりは市中でしゃく(鳥を射て捕らえるために矢に結びつける糸)を売ることがあったので、
またこれをしゃく父(しゃくほ)――糸売り爺さんとよんだともいわれる。

・赤須子(せきしゅし)

赤須子は豊の人であった。豊の地方では幾代も前から姿を見かけ、秦の穆公(ぼくこう)の時代に
漁業の取締官だったともいわれていた。しばしば豊の地方の災害や洪水・旱魃などを預言し、
十に一も外れたことはなかった。彼に心服したある家臣が、迎えてこれを師事し、ついて伝授を受けた。
そして何が得意であるかを問うと、好んで松の実や天門冬や石脂を食し、歯が抜けてもまた生え替わり、
髪が抜けてもまた生える、霞を食い五穀を断つ、とのことであった。
その後、ついに呉山の麓にいってしまって、十余年もたつと行方が知れなくなった。