甲田式で野菜ジュースのみの食生活を目指す7

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142たま【レス代行】
真の隠者は、実質的な生徒をほとんどもたず、まったく弟子をとらない人たちもいるが、
自称隠者は弟子を幾ら集めても満足しない。

後者は、弟子と接するときには込み入ったセレモニーや恭々しい礼拝を求める。
彼らは外面的な敬意によって自分の権威と尊厳を強調しようとするのだ。
だが、真の隠者は不自然なものをことごとく軽視し、それでいて尊厳さは失われることはない。
そこには、外見ではなくありのままの自分に注意を向ける真の偉人のもつ尊厳さが認められる。

「英雄も近侍にはただの人」という格言があるが、この言葉の暗示する人間の偉大さは、実につまらないものだ。
実生活の小さな事柄の中で真のチベット人隠者の姿を知れば知るほど、彼らへの敬意はますます深まってくる。
それは外から求められるものではなく、内から込み上げてくる種類の尊敬の念である。
偽隠者の権威は念入りに保たれている。彼らは何事も計算ずくで行動するのだ。真の隠者はこんなことはしない。(中略)

「友よ、自分を善人だと考えている人間には注意することだ。自分が善いと思い込んでいるときこそ
最悪なことが多いものなのだ」
わたしは、残虐な理想主義者たちと宗教戦争のことを思わずにいられなかった。
過去何世紀にもわたり人を助け向上させるための制度が沢山設けられてきたにもかかわらず、世界は愚かさと苦しみに
彩られた狂気の収容所と、それほど変わるところがないように思える。(中略)

われわれは自分自身の中に潜む利己主義と不完全さと戦うべきなのであり、他者のそれと戦うべきではない。
思いにおいて、言葉、行動において他を裁くことに使うエネルギーの十分の一でも自分を裁くことに使えば、
世界は今よりはるかによくなり、人間らしいものとなるだろう。(おわり)