「チベット永遠の書」 T.イリオン著 林陽訳 P120〜
光と闇がどれほど交錯していることか。外見という幻覚を通して実質をみることが、どれほど難しいことだろう。
断食、禁欲、親切など、行為そのものは同じでも、もっとも大切な物、つまり「動機」はまったく違うのかもしれないのだ。
この点からみれば、罪深い行為も聖人ぶった行為もまったく同じものである場合があまりにも多い。
それでも、「霊的」であると自称する多くの者は、他人の行為を平然と裁く。
真のチベットの隠者は他を裁くということがないが、偽聖者は機会あるごとに人を裁こうとする。
本物と偽者とを見分ける格好の試金石が、まさにここにある。
「霊的」であると称する人間の中で、この試験をパスできる者がはたして何人いるだろうか?
頻繁に読まれながらも、ほとんど実生活のささいなことでは活かされずにいるある書物の中に、
「他を裁いてはならない」(※新約聖書「マタイ福音書」第7章第1節)と書かれている。
われわれは、他人のとる行為はみることができても、その背後に隠れた一番大切なもの――動機――まではみることができない。
であれば、人を裁かず、むしろ自分を裁かなければならない。
自分の動機が何であるかは自分が一番よく知っているからだ。これはとても大切かつ有用である。
(中略)
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