甲田式で野菜ジュースのみの食生活を目指す4

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154たま
ルドルフ・シュタイナーと人智学を語るスレ

273 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 16:01:00 0
肥だめに沈んだ人間を助けるためには、自分も肥だめに入って、
溺れた人を下から押し上げてやらなければいけない。
自分も汚れる覚悟がなければ助けられない。
服を汚すのが嫌だからと、上から覗いて棒きれでかき回すだけではどうにもならない。

自分は霊的に進歩した人間だという幻想に浸って、
そうでない人を見下し、遠ざけようとするのも間違い。
そういう人間は霊的に進歩していないし、進歩する道も自ら閉ざしていることになる。

シュタイナー『社会の未来』(P.31)から。

「今日では、私は善き人間として安住の地を得、すべての人間を愛する思想を伝えたい、
などと望むことが大切なのではありません。
私たちが社会過程の中に生きて、悪しき人類と共に悪しき人にもなれる才能を
発揮できるということが大切なのです。
悪い存在であることが良いことだからではなく、克服されるべき社会秩序がひとりひとりに
そのような生き方を強いているからなのです。
自分がどんなに善良な存在であるかという幻想を抱いて生きようとしたり、
指をしゃぶってきれいにして、他の人間よりも自分の方が清らかである、と考えたりするのではなく、
私たちが社会秩序の中にあって、幻想にふけらず、醒めていることが必要なのです。
なぜなら幻想にふけることが少なければ少ないほど、社会有機体の健全化のために協力し、
今日の人々を深く捉えている睡眠状態から目覚めようとする意気込みが強くなるでしょうから。」