母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした
( 'A`) J('A` )し
.(_ _) ( ) .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。
||||\ ('Д`;) ベンキョウ ベンキョウ
──┐ヽ( )
│くく□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
954 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 03:07:21 ID:r1p+NhVp
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
[大]_
('∀`) J('ー`)し
( ) (人)
|| ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
955 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 03:07:54 ID:r1p+NhVp
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
('A` )
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
956 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 03:08:27 ID:r1p+NhVp
俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった
('ー`;;)
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
>>917 俺も大腸型、今のところ小腸にも炎症はあると思うけど
狭窄は大腸程酷くないようだ
何か良い薬が出るといいんだけど
規制板への報告はややこしいのと、量が多すぎなのとで
今日は無理でした報告済み質問されてた方乙です。
がんばりましょう。
961 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 09:36:49 ID:Yrqow/Ts
3月末にレミやってから体調よかったけど
肉類食べたり、睡眠不足で疲れたりすると
クローンが暴れ出しやがる。。
俺はこのスレに執着するつもりはないが機能しなくなるのは残念だと思う。
このスレでいろんなことを学んだ。
このスレがなかったら一生一人で病気を抱えて闘病していたと思う。
この病気は個人差が大きく主治医もよく分からない事が多く、患者が普段何を食べているかなどを聞いてくることはほとんどない。
症状が出なくても狭窄が進むこと等はこのスレで初めて知った。
脂質の種類、レミケード、エレンタールのフレーバー、鼻注の管の種類についてもこのスレで知った。
また栄養療法や食事の制限が病気の進行を抑えるということも今では当たり前のことだがこのスレが無かったら確信を持てなかったと思う。
なぜなら俺が行っている病院の患者には栄養療法や食事の制限が病気自体と関係していないと思ってる人が少なからずいるから。
もし何も知らなかったら俺も普通に食べていたかも知れない。
永遠なんてないしいつか2ちゃん自体も無くなる日が来るんだろうが、病気の初期にこのスレでいろいろ学べた俺は幸運だった。
新人がこういうところで情報を得られなくなることはすごくもったいないなと思う。
>>963 確かに確かに
2ちゃんがなくなるならまだ分かるが
荒されて廃れるってのは悲しいな
荒らしてる奴はまた変なスレ立てたし
規制板の質問のやりとり朝見てたが
削除人もすぐ動かないしな
結局このスレ半分くらい嵐・・・('A`)
薬でも飲むか
昔弟が子猫を(勝手に)貰ってきたんだけど、母は割と動物嫌い。
でも「ちゃんと世話する」って説得して家で飼ってました。
時々勝手に家を出て外で遊んでたりすることもあったから(家の前の空き地で見たり)、
猫が家にいない時も気にとめたりしませんでした。
が、このまえ母が「お母さんどうしても嫌だったから、まだ帰巣本能とかなさそうな
子猫のうちに何回かNスーパーの横の空き地(家から歩いて3分くらい)に捨てに行った
ことあるの」と。
何すんじゃゴルァ(゚Д゚)!!!
母曰く「後で見に行ったら、置いてきた場所にそのままじーっと座ってたから
可哀想になった」「でも、またそのまま置いてきた」って。オイ(゚Д゚)
結局何回か見に行って、夜になってもじーっと待ってたのでつれて帰ってきたそう。
知らなかった、知らなかったよ。
そのじーっと待ってる様子を想像すると胸がキュッと痛くなります。
ちなみにその後はお母さんに一番なついてたな(w
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
兄が自閉症だと母親から教えられた時は切なかった。
薄っすらと、彼が他の同級生達との扱われ方が違う事に疑問を持ち始めていた頃だったけど。
学校へ行くたびに「○○の弟」と上級生から囃し立てられていたのはこういう理由からかと
全てが頭の中でつながった。そして少し暗い気持ちになった。
兄が幼い頃の父親は固い頭で、偏ってて、仕事最優先で、理解できない息子に対して
「可愛い」とか微塵も思わなかったらしい。いつも怒ってたとか。
最近人間的に余裕が出てきたから今まで冷たくした償いのように兄に対して優しくなったけど、
向こうは小さい頃に怒鳴られまくった記憶が強く残ってるからあまり父と話したがらない。
彼らのやり取りを毎日見ている、そのたびに切なくなる。
んで、兄弟の俺ともコミュニケーションがうまく取れない。というか嫌われている。
昨日も顔引っ掻かれた。近くに座っただけなのに。切ない。
968 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 16:50:06 ID:r1p+NhVp
969 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 16:53:26 ID:r1p+NhVp
不倫していた。
4年間も妻を裏切り続けていた。
ネットで出会った彼女。
最初は軽い気持ちで逢い、次第にお互いの身体に溺れていった。
幸い、ずる賢く立ち回ったこともあり、妻には全くばれなかった。
彼女と関係を持った夜、遅く帰っても、ただにっこりと迎えてくれる女だった。
しかし、そんな関係がずっと続くわけはなく。
最近、彼女から別れを告げられた。
新しく好きな人が出来たとのこと。
まあ、よくある話し。
独身の彼女にそう言われれば、責めることも出来ない立場であって。
ただ「よかったな」と強がりを言い残して別れた。
4年も付き合っていた女と別れるというのは、想像以上に辛いものだった。
心の中にポッカリと開いた穴は、容易に埋められるものではなかった。
その寂しさを紛らわすため、これまで全くかまってやれなかった妻に、白々しく優しくしたり、遅くまで思い出話をしたりなんかして。
妻も、結婚後久しく見せなかった笑顔で、俺の話しに付き合ってくれた。
971 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 16:57:17 ID:r1p+NhVp
機械音痴な妻に、携帯メールを教え込んだ。
彼女からパッタリと来なくなったメールの寂しさを紛らわすため。
我ながら、その動機の不純さにあきれながらも、あまり期待もせず妻からのメールを待った。
ある日のお昼前、携帯にメールの着信音が響いた。
妻からの初メールだった。
何げに開いてみた。
涙が出た。止め処もなく涙が出た。
「初めてメエルします 線が引けない もつとちやんと、習ておけばよかた でも今はすごく幸せて感じかな」
こんな不器用なメール、見たことねぇよ。
俺は今まで、何やってたんだろう。
自分の不甲斐なさや汚さ、妻に対する愛おしさがごちゃ混ぜになって、とにかく涙が出た。
こいつを一生大切にしてやろうと思った。
長文スマソ。なんか俺だけが泣ける話しだな。読んでくれた人、ごめん。
>>961 俺も同じころ初レミケードやったけど
全然体調よくなった気がしない(´・ω・`)
またか・・・
息子の学校へ忘れ物を届けに行ったとき、
学校は中休みで、子供達は校庭で遊んでいた。
正面玄関を抜けた所にある花壇で、軽い障害のある子が、
上級生に囲まれて泣いていた。その中のリーダー格の一人が
「やれよ、時間がねえんだよ。やんなきゃ殺すぞ。」と凄んでいた。
頭にヘッドギアをつけた、おそらくは肢体不自由の他に知的障害もあるであろう、
特殊学級の男の子が、しくしく泣いているその姿に勝ち誇るかのように、
そう言い放っていたのは、俺の息子だった。
>>972 なんか被った
973は972へ言ったわけじゃないんで、ごめん
レミやっても体調悪いまま?
俺は背後から息子の髪を掴んで地面に叩きつけた。
まさかここにいるわけのない父親の顔を見て、信じられない表情の息子の
胸ぐらを掴んで立たせて、顔面を殴った。
生まれて初めて親父に殴られた恐怖に、顔をこわばらせる息子に、
「時間がねえんなら、てめえがやれや。」と俺は言った。
俺は息子をてめえなんて呼んだことはないし、ましてや殴ったこともなかった。
小さいときから、情操教育に気を使い、人に優しくあれと教えてきた。
小さい子、弱い者を守ることの美徳を教えてきたつもりなのに。
こんな陰湿ないじめをするようなガキに育ったのは、俺の責任だ、
そう思ったら、くやしくて、情けなくて、また息子を殴った。
鼻血を出してうずくまる息子を見下ろして仁王立ちになった俺を、
職員室から飛び出して来た担任が止めた。
もうこの先は書きたくないから書かないが、
帰り道で涙が止まらなかった。
全部俺の責任なんだ、そう思うといたたまれなくなった。
小学校の高学年から高校までいじめられていた俺の、
よりによってその息子が、あんなことをしていたなんて。
おれが8歳だったころ、日曜日に父がおれを、買ったばかりの白いコロナで買い物に
連れて行ってくれた。おれは野球板を買ってもらって(年がばれる・・・)大喜びして
いたんだけど、父にはもうひとつの目的があった。
その年、おれの両親は結婚10周年を迎えていたんだ。父はいわゆる猛烈サラリーマンで、
あまり家にいなかったから、おれはむしろ、母との結びつきを強く感じながら育った。
だからその日も、車の助手席に乗っていてなんだかちょっとだけ居心地が悪かった
印象がある。
父は、ケーキを作るための材料をたくさん買った。そして家に帰って、本を読みながら、
父とおれは二人で一生懸命ケーキを作った。何回やってもダマダマになってしまって、
どうやっても母が作るみたいなおいしいケーキはできなかった
ようやくできたケーキをコロナの後部座席に乗せる。父はアクセルもブレーキも静かに静かに踏んで、
病院に向かう。母はそのとき、おれの妹になるはずだった子供を流産した後の経過が悪く、
入院していたんだ。
病室の母にケーキを届けると、母はとても喜んでくれた。すごく嬉しい。こんなにたくさん、
とても一度に食べきれないよ。だから、今、一緒に食べよう。でもね、隣のベッドの患者さんは、
誰も身寄りがない人なの(そのときはちょうどいなかった)。だから、三人で車のなかで
食べようよ。
最初は父が助手席に座って、母とおれは後部座席に座った。だけど、お父さんだけ前じゃ
寂しいよって母が言って、おれたちは後ろの座席に三人並んでケーキを食べた。肘が当たったりして
窮屈だったけど、父も母もおれもいっぱい笑って、すごく楽しかったんだ。
母の病状は、それからしばらくして回復した。
それから13年後、おれの家にはまだそのコロナがあった。あの日以来、父は家族三人をたくさん
ドライブに連れて行ってくれるようになった。免許を取ったおれが初めて運転したのもそのコロナ
だった。
17万キロを走ったコロナは、駐車場が露天だったせいもあって錆がひどく、室内の雨漏りも
するようになっていたので、父も買い替えを決断した。
新しい車が来る日、おれが昼近くになって起きると、台所で父と母が二人で何か作っていた。
寝ぼけ眼のおれだったが、すでにだいぶ前から、家族の中で一番力が強いのはおれになって
いたから、母は迷うことなくおれに泡立て器を持たせた。
そして、あの日と同じように、三人でコロナの後部座席に並んで座って、ケーキを食べた。
ケーキを口にした瞬間、いろんな思い出が走馬灯のようにおれの脳裏をよぎって、涙があふれた。
母は子供みたいに声を出して泣いた。父はずっと窓の外ばかり見ていた
大学4年の秋、友達からタダでもらった車。
就職も卒業も決まってて、車検が翌年の4月。
ボディーもベコベコ、オイル上がりで白煙吹いてる、10年落ちの不人気車。
最初から半年だけとわかっていた。
半年間、ろくに洗車もせず、ただひたすら足として、MTの練習用にこき使った。
4気筒の1発死んでる状態で富士山に登ったりもした。
就職先の寮への引っ越しもそいつでやった。
で、予定通りの最後の日、自分で解体屋に持っていった。
書類と見慣れたナンバープレートをもらって、陸運に行った。特に何も感じなかった。
廃車手続を終え、何気なく解体屋をのぞいたら、元愛車は横倒しになっていた。
取り外せるモノは取り外し、あとは潰すだけの鉄くずになっていた。
たばこで焦がしたシートが、その横で雨に濡れていた。
涙がこぼれた。止まらなかった。
わかっていたはずなのに。予定どおりの廃車なのに。
私が免許を取って、初めて乗った車は父の使っていた車だった。
緑っぽいメタリックな色でゴツくて大きいMT車。
この車の外見のおかげで若葉マークを付けた女が乗っていても
あまり煽られたりしなかった。
父は、もうその頃は糖尿病で体も視力も弱くなっていたので
私だけが使っていた車だった。
高校生の時は毎朝、運転席に父、助手席に私が座っていた。
父を病院まで送り迎えする時に、運転席に私が、助手席に父が座っているのが
なんだか変な気持ちだった。
父が死んで1年も経たない内に車を買い替える事になった。
ひとまわり小さな新しい車がうちの車庫に入れられ、
緑色の大きなあの車がうちから去って行くのを見送りながら
とても寂しくなった。
あの大きくて無骨な車は私にとって父そのものなんだ、
と思ったら、たまらなくなった。
泣きそうになりながら見えなくなるまであの車を見送った。
中1の時、仲の良い友達4人で富士山に登った。中学生同志で富士山に登るなんて、
今考えたら変な話だが、休み時間に『やっぱ日本一には登らんと』というよくわからん理由で
夏休みに登りにいった。俺を含め3人は普段運動が得意で頭が弱い典型的なスポーツ馬鹿だったが、
あとの一人はどちらかというと運動オンチで体も弱く、俺達はそいつには行くのを辞めるように勧めた。
そいつも『足手まといになるのは嫌だな』と言いながら、ちょっと悲しい顔をした。
その日の夜、そいつの(分かりにくいからイニシャルでS)の母親から電話があって、
『一緒に登らせてやれないかな?』と言われ、俺はちょっと躊躇したが他の2人を説得するのを約束して電話を切った。
次の日の朝、Sは『昨日おかんが変な電話したらしいけど、ゴメンな』と申し訳なさそうな顔で俺に話し掛けてきた。
『ええやん 一緒に登ろうや!』と言うと、『ほんまに?』と満面の笑みで喜んだ。
待望の夏休みになり、4人で富士山の五号目まで行くバスに乗って、富士山を目指した。4人ともやけに興奮していて
しゃべり続けていた。特に普段4人のツッコミ役でボソボソとしかしゃべらないSが一番大きな声でしゃべっていた。
5号目〜6号目〜7号目までは登山とはいえ、まだ緩やかな坂道でS君も息を切らせながらもなんとか登っていたが、
7号目〜8号目になると斜面もきつくなり、みんなでSのペースに合わせながら一緒に登った。
8号目につくと今日の寝床がある。8号目の宿だ。そこで夕飯をとる、といってもレトルトのカレーだったが、
うまいうまいといいながら、みんなでほうばった。飯を食った後、砂まじりの布団に潜り込み、『明日は晴れて
ご来光が見れるとええな!』などとはしゃいでいた。俺はちょっと青白い顔をしていたSが心配になり、『大丈夫か?』
と聞くと、『大丈夫や!』と青白い顔をしてSは答えた。
S君に起こされ、夜中に宿を出る。夜が明けるまでに頂上にたどりつくためには、夜中に出ないと間に合わない。
9号目に差し掛かったところでSがうずくまって歩けなくなった。どうやら酸欠状態になったらしく、俺は8号目の宿まで
酸素の缶スプレー(名前は知らない)を走って買いに戻った。S君は苦しそうにしていたが、大分マシになり、
再び頂上を目指し始めた。そしてようやく頂上についた。
頂上ではご来光を拝むための人だかりができていて、俺達もそのなかに混ざった。
数分後、空が白みはじめると、雲の中から太陽が姿をあらわした。
『スゴイな』と俺が言うとSは嬉しそうに『うん』と言った。
その時の喜びは今まで生きてきた中でも最高だ。
頂上ではご来光を拝むための人だかりができていて、俺達もそのなかに混ざった。
数分後、空が白みはじめると、雲の中から太陽が姿をあらわした。
『スゴイな』と俺が言うとSは嬉しそうに『うん』と言った。
その時の喜びは今まで生きてきた中でも最高だ。
高校になると、4人ともバラバラになり、Sは親の都合で東京に引っ越した。
でも高校に入ってからも、他の3人とはちょくちょく会い、Sとはたまに電話で近況報告をしたりしていた。
Sはいつも自分の近況報告はせず、富士山の時の思い出話をすることが多かった。
その後、俺は浪人生で受験の真っ只中、Sに連絡することも忘れていた時にSの母親から連絡があった。
985 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 17:51:32 ID:i+ozo5E5
>972
レミはまだやった事ないな、まぁ狭窄あるから出来ないだろうなぁ
『今日息をひきとってな。。。あの子、いつも富士山の時の話ばっかりしてたわ ありがとうな ありがとうな・・・・』
と泣きながら俺に礼を言っていた。俺が『死んだってどういうことですか!? 』
というとSの母親は本当のことを話してくれた。
Sはすでに高1の終わりに、病気で高校に行かなくなり、ずっと家で静養していて、
ここ数ヶ月はずっと状態が悪く、 今日息を引き取ったということだった。
電話を切った後、不思議と涙は出なかった。というより、急過ぎてなにが起こったのかわからなかった。
数日立ってから、富士登山の時の写真をみたときに涙があふれてきて、涙が止まらくなった。
Sが『うん』といったあの時の嬉しそうな顔は今でもあの時のまま、俺の記憶に焼き付いている。
長々とゴメン
上でいい話を聞いたので、Sのことを書きたくなって、書いてみたら長くなりすぎた。
文中にも書いてあるけど、スポーツ馬鹿なので許してくれ
989 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:06:09 ID:r1p+NhVp
| ジサクジエン中です |
\____ ___/
∨
∧∧ ∩_∩ ∧∧
(´曲`)( ・σ・ (´⊇`) モヒャ
ι J ( つつ
∪∪| | |∪∪
ッテナー (__)_)
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃┏━━━━━━━━━━┓┃
┃┃ ┃┃
┃┃ J('ー`)し ┃┃
┃┃ ( )\('∀`). .┃┃
┃┃ │| (_ _)ヾ ┃┃
┃┗━━━━━━━━━━┛┃
┗━━━━━━━━━━━━┛
初めて動物園に行った時の写真だ。
母はそれを肌身離さずいつも持っていた。
991 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:09:22 ID:r1p+NhVp
せ・先生、あらもう診察の時間?
|
| /J( ゚∀゚)し ('ー` ;) カ・カーチャンオレダヨ
| | ( /⌒⌒⌒ヽ ( ) タケシダヨ・・・
| |/ / /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
992 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:10:01 ID:r1p+NhVp
きゃはは 先生ったら冗談ばっかり!
|
| /J( ゚∀゚)し ('ー` ;) ・・・・・・・
| | ( /⌒⌒⌒ヽ ( ) ・・・・・・・・
| |/ / /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
993 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:10:57 ID:r1p+NhVp
ねえねえ 先生!これ見て見て
うちの息子のタケシなのかわいいでしょ
| ◇
| /J( ゚∀゚)/ ヾ('ー` ;)
| | ( /⌒⌒⌒ヽ ( )
| |/ / /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
995 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:11:49 ID:1F6KNZmA
996 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:11:53 ID:1F6KNZmA
997 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:11:57 ID:1F6KNZmA
998 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:12:04 ID:1F6KNZmA
999 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:12:09 ID:1F6KNZmA
1000 :
病弱名無しさん:2007/04/17(火) 18:12:12 ID:1F6KNZmA
1001 :
1001:
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