■気は有限?それとも無限?■
エネルギー依存の法則を習ったことを覚えていますか?
この法則からいいますと宇宙にある気の総量は決まっていると思われます。
つまり一定の量の気が、常に宇宙の中に飛び回っているのです。「気の総量
が決まっているのなら、気を使う人が多くなったら、どんどん減ってしまう
のではないか」という疑問を持つ人もいると思います。しかし心配ご無用で
す。なぜなら気は物体や生物の中に入って質を変えることはあっても、常に
循環しているからです。宇宙規模の大きなサイクルから、人体の中の小さな
サイクルまでいろいろな形で循環を繰り返しているのです。
確かに内功(気功)を学ぶと大量の気を取り入れ使うことができるように
なります。しかしそれはひとつの閉鎖的な空間に気を取り込み、閉じこめて
使っているのではなく、身体の内外を貫くように利用しているのです。もし
採気(気を取り込むこと)だけに専念し、外と循環させずに自分だけで使お
うとしたらどうなるのでしょう。取り入れた気は時間とともに変質劣化し、
かえって心身を傷つけてしまうことになります。気は循環させてこそ価値が
るのであり、自分一人で独占することは不可能なのです。気の循環する量を
大きくすることによって、自分の心身は強くなり、周囲に対してその効果を
波及していくことができます。気の本質は、独占的、非排他的なものではな
く、共存共栄そして平等なものです。そして自由に飛び回っているものです
から、皆で共用していくことが当たり前です。したがってこの世から気がな
くなってしまうということもあり得ないのです。
余談ですが、気の循環という点から見ると気になることがあります。それ
は医師やマッサージ師、整体師など治療に従事している方たちのことです。
一般的に身体の悪い人の気は陰の気です。この陰の気は、必ず陽の気を求め
て働くため、治療行為の過程で治療者の身体に貼り付いてしまいます。
昔から「医者の不養生」という言葉があります。これは医者が不摂生をし
ているという意味ではなく、実は患者から陰の気をもらって身体を損ないや
すいということだと思われます。わたしの教室へも治療を職業としている人
が来ます。そのほとんどの人が、疲れていたりして一般の人より良くない
状態にあります。このような人たちが患者の病気を治し、さらに自分自身の
健康な心身を維持していくためには、常に気の循環に注意しなければなりま
せん。気の通る身体を作り、気の循環を活発にしていくことが重要なのです。
多少の邪気を受けても、それを精製純化し、清らかな気に変えていくパワー
を身につけることを修得しなけらばならないのです。
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■気とウォーキング■
日曜日、大きな公園でウォーキングの大会が行われていました。今
大流行だそうで、中高年の方がたくさん参加していました。通りかかっ
ただけのわたしにも、大会関係者がウォーキングの簡単なリーフレット
を配ってくれました。
公園のベンチに腰を下ろして、リーフレットを読みながらウォーキン
グをしている人を観察しました。ほとんどの人がリーフレットに紹介さ
れている正しいフォームを守っているようでした。しかしわたしはどう
もこのフォームは違うなと考えてしまったのです。
軽くこぶしを握って腕を振りながら早足で歩くのですが、どうも皆、
肩をいからせて歩いているように見えるのです。それはわたしが気とい
う点から考えた歩き方の基本からいえば間違っているように思えるので
す。
現代人は、大脳を偏重した生活を送っています。そのため、重心が上
にのぼってトップヘビー状態に置かれているのです。足首や膝の動きが
悪いため肩や首に力が入ってしまい身体が安定していません。身体の重
心が悪く不安定ですと、心も同じように不安定になりストレスに弱くなっ
てしまいます。身体を安定させるためには、重心を下げなければならな
いのです。
そのために必要なのは、足で歩いているという意識を持つことが第一
です。とくに足の裏でしっかりと地面をとらえているという自覚を持つ
ことが大切です。また肩の力を抜くためには、腕はダラリと垂らしてブ
ラブラさせておくことも重要です。
「沈黙の戦艦」などで主役を演じたスティーブン・セガールの歩き方
を見たことがありますか?あのような歩き方を虎歩といいますが、虎の
ように堂々とゆったり歩くことが理想的なのです。
現在行われているウォーキングのフォームでは意識はどんどん上にあ
がり、日常的な歩き方と変わりませんし、それをより強調していること
に過ぎないのです。単なる運動不足の解消には向いているのでしょうが、
心身のバランス回復には役立たないように思えます。
腕や肩の力を抜き、下半身に意識を下げてゆったりと歩いていると、
気血の循環が良くなります。できれば、それに呼吸を配合するとより効
果的です。足を踏み下ろすときに口からフーと息を吐き出します。吸う
のは吐いた分を補充するだけにしておきます。息を吐きながら歩くこと
になれてきますと歩いているうちに足の裏が暖かくなってくるのを感じ
ます。湧泉というツボを中心に気が活発に働き、それに伴って抹消の血
管や神経の働きが改善されてきた証拠です。
わたしたちは歩くとき、常に何か考えながら歩いています。一日5分
程度でいいですから、呼吸をしながら足で歩いてみましょう。何も公園
に出かける必要はありません。通勤や通学で使ういつもの道で十分です。
一度試してみて下さい。
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■邪気を抜く■
特定の人や物、あるいは場から、背筋がゾッとするような冷気を感じた
り、気分が悪くなったという経験を持っている人が少なくないようです。
またパソコンなどOA器機、家電などから知らず知らずのうちに電磁波を
浴びて、不調を訴える人もいます。今回はこうした邪気を身体から抜く方
法をご紹介します。
1.手振り
腕の力を抜き、ブラブラさせながら手先を振ってみます。振る速さ
や強さは、自分の気持ちの良い程度に調節してやってみて下さい。
2.震身
両足を肩幅くらいに開いて立ちます。全身の力を抜いて、身体に振
動を与えます。一、二分くらい続けてみてください。内蔵にも震動が
伝わりますので、二日酔いで胃の調子の悪いときにも効果があります。
3.叩打(これは過去に紹介した「e-疲労をふっとばせ!」と同じ物)
顔や頭から腕、胸、腹、脇の下から踝、内股から内踝、腰からお尻、
足の裏側の順で軽く叩いていきます。この時、両手のひらをこすり合
わせてから、手のひらで叩くようにして下さい。
この1から3を、邪気が感じた時ばかりでなく、夜寝る前に毎回行
うとそれだけでリラックスでき、心身の状態を整えることができます。
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■気と図形■
キリスト教の十字架、ユダヤ教のダビデの星、また仏教寺院のカギ十
字や曼陀羅など、宗教と図形は密接な関係を持っているようです。祈り
という形で人間の精神的なエネルギーを集め、パワーを生み出そうとす
る宗教にとって、図形は重要な意味を持っていたようです。そのため直
感的、経験的に精神エネルギー(気と言い換えることが可能)を集めや
すい図形が考案され採用されてきました。こうした宗教的な図形の特徴
は、エネルギーの集中ばかりでなく、人々に分かち与えることができる
双方向の働きを持っているところです。
一方、仏教のカギ十字に似ているナチスのハーケンクロイツは、エネ
ルギーを取り込むだけを主眼にデザインされたものです。そのため一時
的には、ドイツ民衆のパワーを爆発的に吸収することができたのです。
しかしこのシンボルには、パワーを分け与えるという働きがなかったた
め、ナチスは急速に衰えてしまったのです。
もともと気は右回りに出て左回りで入ってきます。ちょうどネジのよ
うな運動形態を取っているのですが、これが自然のリズムに適合し、相
生というプラスの効果をもたらすのです。ナチスのハーケンクロイツは、
全く逆の方向に向いているため、運動は一方向に限定され、エネルギー
の循環ができないのです。そのためいくらエネルギーを集中することが
できても、その効果は一時的で永続的な運動とはならなかったのです。
これは精神病質者であったヒトラーの直感が、エネルギー運動を鏡象的
にとらえてしまった結果ではないかとわたしは推測しています。やはり
人を暴力的にでも支配しようと考える国家や団体は、採用する図形ひと
つ取っても、自然と相容れない無理のあるものになってしまうのでしょ
う。
わたしは中国に滞在していた時、静功(座禅のように座って行う練功)
をかなり練習していました。小周天から大周天に移行して、しばらくたっ
た時、気の運動する様子が頭の中に浮かんできました。あまりにそのイ
メージが鮮烈だったので、後でそれをきちんと書いて一つの図形にして
みました。この図形は不思議なことに、エネルギーの補と瀉を自動的に
行うことができるのです。気の不足している部位には気を補充し、逆に
多すぎる時にはそれを抜き、気のバランスを回復できるのです。気の偏
り、つまり気の不足や過多は、心身にさまざまな影響を与えます。精神
的には不安、不快、不満をもたらし、身体的には筋肉の緊張(凝り)や
血行不良、内臓機能の低下、痛みなどをもたらします。こうしたマイナ
ス要因をいとも簡単に、ひとつの図形が解消してしまうのです。このよ
うな図形のパワーに、人間は古くから気づいていたのですから大したも
のです。
わたしたちの身の回りには、会社や商品のロゴなどさまざまな図形が
見られます。みなさんも一度ゆっくり観察してみるとおもしろいのでは
ないでしょうか。中にはパワーを発しているマークもあるかもしれませ
ん。
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■パワースポット■
山梨県と長野県の境にみずがき山という山があります。ここは、
パワースポットとして知る人ぞ知る霊山です。日本百名山のひと
つに選ばれたため、年々登山客が増え、山が荒れ始め、パワーが
低下してきました。今年全国植樹祭が開かれたため、ふもとに舗
装道路が造られ、さらにパワーがなくなってしまったようで残念
なことです。
このようなパワースポットは、全国に点在していますが、人が
押し寄せ、パワーが薄れてしまうようです。しかし人がたくさん
いるのに衰えない場所があります。それは日本の中心、霞ヶ関か
ら千代田(皇居)、永田町周辺です。皇居や官庁のあるこの地域
は一般の人には何か気後れしてしまうような場所で、特に用のな
い人はまず近づきそうもない場所です。
ところが、ここがとても気持ちの良いスポットなのです。もと
もと江戸城を中心に開発されたこの地域は、おそらく当時の風水
専門家によって選ばれた特別な場所だったのでしょう。その後、
百年以上、日本の政治権力の中心として栄え続けています。
ここを歩いていると、パワーが補充される気持ちがします。た
だ皇居や中央官庁があるため、気持ちがいいと思って座っていた
りすると、すぐ「何をしているのか」と警備の警官に声を掛けら
れることがあります。この界隈を歩くときは、怪しまれないよう
な格好でいる方が無難なのでしょうか。日曜日にでも友達を誘っ
てブラブラしてみることをおすすめします。
ただしくれぐれも危険人物と思われないように気をつけて下さ
い。
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■気功訓練の進め方(前編)■
気功の中で動功の訓練は、呼吸をしながらひたすら同じ動作を毎日毎日
くり返していきます。それは身体の歪みやくせを取り除き気を通りやすく
することによって、心を変えていく初期化のプロセスだからです。
心を意識によって変えていこう、すなわち脳で心をコントロールしよう
としてもとても無理です。呼吸を整え、正しい呼吸をくり返していくと、
心が自然に落ち着いてきます。同時に、身体の訓練を通じてストレスや
疲れを解消し、マイナスイメージが生じがちな心をプラス方向に変えていく
のです。動功によって身体の歪みを取り除いていくと心の歪みも消えて
いきます。この初期化のプロセスは、他人に頼らず自分一人で進めていかな
くてはなりません。身体の動かし方、形を覚えて続けていくと、気が自分の
内部で流動する感覚を自覚できるようになります。同じ動作をくり返してい
ても、始めた頃とは全く異なる快感が出てきます。日常的な意識とは違う、
ゆったりとした天地自然のリズムに触れることができるようになるからです。
気功を訓練しているときの何ともいえない気持ちの良さは、身体の中で気が
活発に働いているからです。そのためこの気持ちの良さは、何日も継続して
感じ取ることができます。気の活動が盛んになると、気力、体力がついてきて、
周囲の人から、「最近変わったね」という言葉を聞くことが多くなります。
こうして二、三ヶ月たつと、ひとつの転機が訪れます。身体が変わり、心が
変ろうとするとき、突然大脳がそれを認めようとしなくなります。何事も、
理詰めで考えようとする大脳が、自分のコントロールできない変化を拒否しよう
とするのです。
この段階では「こんなことをしていても仕方がない」「よくわからない」
「もう十分やったからあきた」と、わけのわからない考えが噴出してくることが
よくあります。そうした大脳のささやきに影響され気功訓練を中止してしまう人が
でてくるのが、この時期の特徴です。いわば気功訓練のひとつのハードルとでも
いったらいいのでしょうか、多くの人が経験する修行上の危機です。大脳が認知
していた心身の状態は、過去の写真のようなものです。気功訓練によって人は急速に
変身していきます。それは気が脳の生命中枢に力を与え活性化していくためです。
その刻々と変化していく状況は、考える高級脳である大脳の持っているデータとは
どんどん離れていきます。このギャップを大脳は埋めることができないのです。
そのため、大脳はさまざまな理屈をつけて邪魔を仕掛けてくるのです。
気功訓練を始めようとする人は、こうしたハードルが現れることを知っておき、
それを乗り越える気持ちを用意しておくべきでしょう。人は直線的に変わっていく
ことはありません。心も身体も上ったり下ったりしながら螺旋(らせん)的に上昇
していくものです。過度の期待をしないこと、あきらめず続けていく気持ちが大切
です。
継続は力なのです。
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■気功訓練の進め方(後編)■
気功訓練をして一、二年経つと、すべての面で自分が変わってきたこと
を自覚します。気功、体力が充実し、パワーが充ち満ちて向かうところ敵
なしといった心境になってきます。
物事に対する直感力が冴え、その裏にある隠れた意味が自然に読みとれ
るようになってきますので、未知への恐怖や不安が取り除かれ堂々として
生きていくことができます。人によっては六大神通力の一部が開放され、
さまざまな経験をするようになります。
わたしの場合、人と会っていると、当人だけでなく、その場にいない
その人の恋人や親のいろいろなことが、瞬間的に浮かんできました。初め
のうち、この透視したことをすぐ相手に伝えてしまい、かえって人間関係
を損なうことがありました。その後は注意して、口に出さなくなり、でき
るだけクローズして見ないように心掛けました。他にもいろいろ面白い経
験をしましたが、この時期が気功修行にとっての第二の大きなハードルで
あることに気がつき、生活のしかたを改めるように注意しました。この
レベルは気功修行者としては、まだまだ中途半端で真人への道を開くのか、
それともこの段階で止まってしまうのかの分岐点なのです。
気が充実し、心身のパワーが増してきて、まず陥る落とし穴は、エネル
ギーの浪費です。気のパワーの高まりは性的エネルギーを旺盛にしますので、
若い男性は身体の欲求に流され、性的行動に走りがちです。また女性は他人
の世話を焼いたり、人間関係を広げていこうとしてエネルギーを浪費して
しまいます。自分の気のレベルが上がったことを自覚すると、それを喜び、
自分よりレベルの低い人を馬鹿にする人が出てきます。
気は天地自然のエネルギーであり、慢心することは気の性質に反すること
ですから、そのままでいると、気のレベルを上げることができなくなります。
この時期に大切なのはせっかくグレードアップしてきたエネルギーの質的な
転換です。そのためには、自分の内的宇宙をじっくりと見つめる静功の訓練
が不可欠です。それまで動功を中心に行ってきた修行のスタイルを、静功中
心に切り替えていくのです。動功4に対し静功6くらいの比率に変えてみる
ことが必要です。
静功ではとくに奇経八脈のうち、任督二脈を重点的に開発していきます。
俗に言う小周天法です。動功の呼吸は全身に気を通す全身周天でしたから、
小周天法は、楽にクリアーできます。小周天で身体の一定の部位に気を
集めて、それの活動をながめる温養を行っているうちに、潜在意識の表層に
溜まっている汚れが解消していきます。この汚れは、日常生活を続けるに
あたって邪魔になる汚れた考え、よこしまな欲望が蓄積されたものです。
この汚れが心のくせや歪みのもとになり、さまざまな行動のパターンを
作りだしているのです。したがってこの汚れを放置したままパワーを高めて
いっても、いつかは限界に達してしまいます。より高い境地に達し、より
大きなパワーを得るのには、潜在意識の大掃除が不可欠なのです。
静功を続けていくうちに、汚れた意識はさまざまな幻覚の形を取って現れ、
放っておくといつの間にか消えていきます。間違っても現れた神や仏と会話
したり、興味を持たないことが重要です。神も仏も天女も、すべては自分の
潜在意識の汚れが作り出した幻なのですから相手にしないことです。こうして
潜在意識の表層がクリーンになると、さらに深い意識に至る光の道が開けて
きます。
ここから気功の高級課程が始まるのです。意識や気のコントロールが自在と
なり、それまで水漏れのように垂れ流していた気を、出したり止めたりする
ことが簡単にできるようになります。またエネルギーの質が変わり、より大きな
パワーを使いこなせるようになります。太極拳でいう凌空勁が使えるようになる
のもこの段階からです。外から侵入する細菌に対する抵抗力が増し、風邪は
ほとんどひかなくなりますし、もしひいたとしても30分か1時間くらいの
うちに治ってしまいます。さらに怪我をしても傷の治りが早く。周囲の人に
驚かれるようになります。
気の修行を志す人は、この第二のハードルされ越えられれば、人を越える人、
真人のレベルに至る道が開けていきます。自分の心身の状態、欲望など心の動きに
注目し、慢心したり落ち込んだりすることなく、継続していってもらいたいと思います。
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■心の疲れをとる方法■
胸を開いていきましょう。
心の疲れが溜まる場所は、胸の真ん中にあるだん中というツボの
あたりです。
1.自然に立ち、胸の真ん中で手を合わせて、合掌します。
2.息を口から吐き出しながら、両手を左右に開いていき、胸を
はるようにします。
3.息を吐ききったら、次に鼻から吸いながら、胸の真ん中まで
手を戻していきます。
呼吸とともに開閉を10回くらい繰り返したあとで、合掌した手を
胸に当てます。するとジンワリとした気持ちの良い温かさが胸にしみ
込んでいきます。
●効果
この温感が、だん中に溜まっている心の疲れを溶かして取り除いて
くれます。
夜寝る前や朝起きたときに、ベットやふとんの上であお向けに寝て
行っても構いません。大切なのは毎日続けることです。
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■五体投地功■
1.準備姿勢
床に正座し、両腕をまっすぐ上に伸ばしておきます。
2.吸息
この姿勢のままで、2,3回深く息を吸います。
(息を吐くときは、短めに)両手の手首に縄が巻きついて天から
引っ張られているような感じで腕を上に伸ばすのです。このとき、
背中、腰をまっすぐ伸ばします。
3.吐息
上半身を前方の床に倒していきながら息を吐き出します。腕は前方に
伸ばします。床に身体を投げ出し、2,3回ゆっくり息を吐き出します。
2,3を10回くらいくり返します。
●効果
気血の循環を改善し、疲れを取り心身をリフレッシュすることができます。
冷え症、腰痛、脚の疲れや精力の回復に効果があります。
●ポイント
息を吸うときは、天に伸ばした手の先から金色の天の気が身体に流れ込み、
疲れや汚れを溶かしていくようにイメージします。息を吐くときは、手の
先から溶けた汚れや疲れが流れ出していき、身体中が金色の天の気に満た
されていく様子をイメージします。
これは天の気を取り入れ汚れや疲れを取り除き、天の気のパワーを全身に
行き渡らせリフレッシュ、パワーアップするための功法です。
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■T字と逆T字■
心身の健康状態がストレートに現れるのは身体の動きです。それを
観察するとその人の健康状態がよくわかります。わたしたちにとって
生きていく上で必要なのは、身体の柔らかさです。と言っても柔軟体操や
開脚などができる柔らかさとは異なります。全身がしなやかに、しかも
バランス良く動かせるという意味での柔らかさが大切なのです。
気功の練習で簡単な動作をしてもらうと、初めての人のほとんどが
上半身、特に肩に力が入っていて、ごつごつとした動きをします。
身体全体をバランス良くリズミカルに動かすことができないのです。
これは現代の社会と生活が複雑になり、大脳が過度に働いているため、
その下にある生命中枢と呼ばれる脳幹などの働きがうまくいっていない
せいです。本来なら腰から下にあるべき重心が上がってしまい、肩で
バランスをとるという不安定な状態に置かれてしまいます。それが
首や肩のコリをもたらし、ひいては身体全体の動きに影響を与えてしまう
のです。
こうした不安定で固まった状態から抜け出すためには、まず足首や膝など
下半身の関節を十分に動かし、柔らかくしていかなくてはなりません。
足首、膝の屈伸と回転を呼吸とともに繰り返していると、だんだん柔らかく
なってきます。足首と膝がしなやかに動くようになるとそれがクッションに
なって腰にかかる負担が減り、腰痛や腰の疲れが取れてきます。こうして
腰から下が安定してくることによって重心が下がってきます。すると、肩で
バランスを取る必要がなくなりますので,肩や首の力が抜け肩コリや首の
コリが軽減されます。
身体のバランスをT字(逆三角形)から逆T字(三角形)に変えることは、
健康作りの第一歩です。とくにある程度の年齢に達したら意識して足首や
膝を柔らかく保つ努力をしなければなりません。わたしの教室にきている
中高年の人の中には高血圧の人や脳梗塞のリハビリのためという人がいます。
こうした脳の血管,神経系に問題のある人はみな足首や膝が硬く,十分に
動かせないのです。それを少しずつ柔らかくしていくと血圧が下がり体調が
目に見えて回復していきます。自律神経失調症やリュウマチなど難病の人も
同じようにしていくと明らかに症状が改善されるので、心身に悩みのある方は
ぜひ試して見てください。
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■疲れについて■
明けましておめでとうございます。
年が変わっても、暮れからの疲れが抜けないという人がいます。正月は
家でゴロゴロして終わりという人もいるでしょう。身体の疲れだったら
休むことも大切ですが、精神疲労はそれでは抜けません。わたしたちの
疲れは精神疲労が主で、身体疲労は精神疲労によってもたらされている
緊張などが原因であることが多いのです。
休みの日はゴロゴロしていないで外に出て身体を動かしてみましょう。
足の裏で地面の感触を確認しながらゆっくりと歩いたり、公園に行って
木のそばで深呼吸してみましょう。とくに沢山息を吐きながら手足を
伸ばして見たり、身体をねじったりすると身体の中に溜まっていた疲れが
押し出されて解消されます。
わたしの所に通っている人で、よく「疲れたから休みます」と言ってくる
のがいます。そんなときわたしは「疲れているからやるのが気功だ」と言って
やります。気功は呼吸をベースにしたエネルギー運動です。単なる筋肉運動と
異なり、疲労の早期解消には最適なものです。もうどうにもならないくらい
疲れていても、90分間のレッスンを終えるとスッキリとします。身体の奥に
溜まっていた疲れが表面に出てくるため、その日はぐっすりと眠ることが
できます。疲れているときには、ただがむしゃらに身体を動かすのでなく、
呼吸に気を配って軽く運動することが一番です。
今年一年を健康に過ごすため、皆さんも呼吸に気を配ってみて下さい。
本年もどうぞよろしくお願いします。
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■身体をうまく使う■
わたしたち人間は、四足歩行から二足歩行に移行することによって、
飛躍的な進化を遂げてきました。しかし、それは他の動物に比較して、
巨大な脳を身体の頂点におくというきわめて不安定な状態をもたらしたの
です。自分の足でしっかりと歩き、肉体的な活動をすることが多かった
昔の人は、骨格や筋肉がそれなりに発達していましたので、頭の重さを
さほど苦にしていなかったのだと思います。
ところが社会構造や産業構造が変化し、交通手段が発達した時代に生きる
わたしたち現代人は、昔の人に比べて骨格や筋肉がひ弱になっています。
まして身体を動かさず頭だけ使って生活することが多いため、自分の頭の
重さに耐えられずさまざまな影響を受けている人が増えているようです。
それは、わたしの教室に来る人を観察していてもよくわかります。
基本功や動功を行っている様子を見ると、ほとんどの人は自分の身体を
うまく使うことができません。左右の動きや手足の動きがバラバラだったり
簡単な運歩(身体全体を使った歩き方)をスムーズに行うことができない
のです。足首や膝が硬いため立ったり歩いたりする時の衝撃を分散できず、
腰に負担がかかります。そして腰を庇うため肩や首が凝るという悪循環が
起きるのです。本来ですと頭の重さを足腰に逃がしていかなくてはならない
のに、全く逆の状態になってしまっているのです。
こうしたことから肩や首の凝り、便秘、腰痛、不眠などさまざまな心身の
不調が生じてきます。
気功の数千年の歴史の中に蓄積されてきた多くの技法には、
全身の関節や筋肉を動かし、身体をうまく使えるようにしていくノウハウが
含まれています。従って、少し練習してみると自分の身体の状態や欠点が
よくわかるのです。そして続けて練習していると、生きていくために必要な
柔らかさや強さが自然に身についてきます。身体に歪みがあったり、
不安定な状態では、気の流れや血液の循環が阻害されてしまいます。
そんな状態で靜功など気の修行をしても効果はあがりません。
まず、調身すなわち身体を整えることが修行の第一歩なのです。
各種の動功や太極拳の套路がどれだけ格好良く流れるようにできるかは、
ある意味では調身の進度を現しているのです。ギクシャクした動きしか
できないようでしたらまだまだ修行が足りないということです。
皆さんも鏡の前で身体を動かして観察してみてはいかがですか?
空手や拳法の型、体操、ダンスなど何でもいいからやってみて自己採点
してみましょう。自分ではうまくできているように思っていても、
意外と駄目なことに気づくかもしれませんよ。
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■築基(ちっき)の大切さ■
築基とは気を具体的な目的に応用していくための基礎を作ること、
すなわち気功的心身や生活の土台を構築する段階のことを言います。
この段階は気功の入り口であると共に、最も重要な時です。
築基は心身というひとつの器の傷を修復し、汚れを落とし、形を整えていく
過程でもあります。従って築基が不十分なまま気を強化しても、
穴の空いたビンに水を満たしていくようなもので効果は期待できません。
それどころか穴が広がり破損してしまう可能性だってあるのです。
ですから築基はじっくりと丁寧に行っていく必要があるのです。
動功で呼吸と共に身体を動かしていくことによって、身体の歪みや癖が
よく分かります。動功の動作をスムーズに行えるように続けていると
この歪みや癖が矯正されていきます。と同時に、身体の中に溜まった汚れが
排出され、さまざまな内傷が癒されていきます。こうして身体の状態が
変わるとそれにつれて心も明るく変わっていきます。築基の目的である
気の通りの良い心と身体の構築が実現されるのです。
気功を始めようとする人の多くが、とにかく気を感じたいと思うようです。
しかし自分自身の気の感覚(気感)はともかく、他人の気を感じることは
それほど重要ではありません。だいたい人の気を感じ取れるという人や
霊感のあるという人の多くは、心身のどこかに弱点があり、
それをカバーするために過敏になっているようです。つまり自分が弱いために
より早く周囲の情報を察知し危険(?)に対処しなければならないからです。
しかし、そうした状態は決していいことではありません。
他人の気に敏感であるということは他の刺激にも敏感だということです。
現代社会には電磁波などさまざまな刺激が存在しています。
自然界にもより大きな、例えば風雨、雷、稲妻、地震など電磁波や
超低周波などを伴った刺激が存在します。あまりに敏感な人がそのままの
状態で気功を続けると、このような刺激に影響され非常に危険です。
従って敏感な人は一般の人と同じような状態に戻さなければならないので、
築基に時間がかかります。
まとめてみますと築基とは、
1.心身の調和のとれた状態を作ること
2.心身のリラックス
3.ある程度の気感をつかむこと
4.自分の内的世界への道の入り口を見つけること
5.丹田と身体の中心軸に目覚めること
といえるのではないでしょうか。高い山に登るためには、周到な準備や
トレーニングが必要ですが、気を極める道も同様なのです。
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■気功修行者の真夏の過ごし方■
ひぇー。暑くなりましたね! もうすぐ真夏のカンカン照りが
やってきますよ。用意はいいですか?
わたしは7日の日曜日、子供に連れられて(?)、プールに行って来ました。
子供達の歓声が絶えない夏の屋外プールは、良い気とマイナスイオンの宝庫で、
わたしは大好きです。幸い天気が上々でこんがりと日焼けいたしました。
日焼けというと思い出すのは、香港でのある経験です。
小周天を続けていた頃、友人達とレパルスベイに海水浴に行きました。
一日中遊んで帰ってきたのですが、その夜が大変でした。
エネルギーが充満しすぎたようで、身体が興奮状態になって眠れません。
軽い偏差状態に陥ったようで、静功で鎮めようとしても気が暴走して
駄目なのです。仕方なく水風呂に入っては身体を冷やしスワイショウを行い、
身体中を叩いたりさすったりするといったことをくり返しました。
それでようやく寝付くことができたのです。
気の訓練をしていると、気の入りが良くなります。普通の状態でいても
何もしていない人より、大量の気を取り入れることができるのです。
とくに夏の太陽のエネルギーは強力ですから、入ってくる量も想像以上に
多いのです。そのためうっかりすると取り入れすぎてしまいます。
ちょうどお腹がパンクするほど食べ過ぎて動くのも嫌になった状態と同じです。
この経験をしてから、わたしは夏の海やプールでは、水から上がったら
すぐ帽子をかぶりシャツを着て、できるだけ直射日光を避けるようにして
いました。日焼けを嫌う女性が頭からすっぽりタオルや衣類で身体全体を
覆っているのと同じ格好です。そうすることによって入ってくる気の量を
調節していたのです。やがて修行が進み、気が太い柱のようになって、
身体の中心を上下し始めるようになりました。
一呼吸で百会と丹田の間を気が行き来するのです。
すると、いつの間にか太陽のエネルギーにも強くなっていました。
真夏の直射日光を浴びていても平気なのです。仰向けになってギラギラする
日光を浴びていると、エネルギーが充填されていくのが感じられるのです。
注入される大量の太陽エネルギーが、自然に身体の中を満たしながら
溢れ出していくような状態で、以前のような飽和状態にはならないのです。
日焼けをしても何日もヒリヒリ、ズキズキして困るというようなことも
なくなりました。怪我をしてもすぐ治ってしまうようになっていたので、
おそらく自然治癒力が飛躍的にアップしたからではないかと思います。
日焼けのような軽いやけどをすると、夜風呂にはいるのは辛いものですが、
今ではかなり平気になりました。
わたしのこの体験からまとめてみると、気の修行中は自然や他人など
外的環境とのつき合い方、触れ合い方を慎重にしなければならないようです。
修行中は過渡的な段階ですから、心や身体が敏感になりがちです。
自分のその時、その時の状態を見つめながら生活していかなければならない
のです。そのレベルを越えさえすれば、万事ずっと楽になります。
その時が来るのを信じて続けて貰いたいものです。
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■身体、呼吸、気■
「胴体力」という新しい観点から、独自のトレーニング法を作り上げ、
TV、雑誌でたびたび紹介され活躍していた伊藤昇氏が肝臓癌のため
亡くなりました。氏は飛龍会という道場を主宰しており、
わたしも関係していた空手団体が開催した大会に、
氏が参加されていた関係で面識がありました。
まだこれからという年齢で逝かれたことはまことに残念なことです。
氏の教室には著名なダンサーやパフォーマー、武道家などさまざまな人が
通われていたようです。わたしの知人もやはりそこに通い指導を
受けていましたが、身体の動きがかなり良くなりました。
実際どんなことをやっているのか見せて貰いましたが、
なかなかユニークなものでした。
確かに身体を上手く使うことができるようになるので、
ダンサーなど自分の身体で表現することを生業とする人には、
ぴったりのトレーニングです。
身体を動かすことはストレスに対処する有効な手段であり、
筋肉を使うことによって、心肺機能が高められることはよく知られています。
呼吸が楽になり、血液循環が良くなってくるのです。
そのため身体はある程度好調になってくるとは思いますが、
身体を整えるだけを目標にしていていいものかと疑問に感じていました。
氏のトレーニング法は、気の修行で必要といわれる調身(姿勢)、
調息(呼吸)、調心(意念)の三要素の内、調身のみに偏っており、
調息はちょこっと、調心にいたってはほとんど考慮されていないように
思えたからです。
それはちょうどジムで行われている機械的な運動や有酸素運動といわれる
エアロビクスが、西洋の二元論的考え方から身体を動かすことのみを重視し、
心を切り離してしまっているのと同じです。
人間が自分の生命力を高め生存能力をアップしていくためには、
心身一如という立場から出発しなければなりません。また、心と連動して働く
気という原動力が大切です。気を利用し調身、調息、調心をバランス良く
行なっていくことによって、ガンの原因の一つといわれる活性酸素など
有害物質の発生を防ぎながらやっていくのです。
最近、わたしは呼吸の仕組みと意味を気の観点から再勉強中です。
生命力に満ちた呼吸という意味でバイタル呼吸法と名付けた気功式呼吸法に
まとめていこうと考えています。
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■衛気(えき)について■
わたしたち人間は誰でも身体と外界のクッションとなる衛気というバリアを
持っています。漢方医学の古書には、身体に取り入れた気のうち、澄んだものは
経絡の中を巡り生命活動に寄与し、濁った荒々しい気は皮膚の内外を運行し
外邪から身体を守ると言われています。
この濁った荒々しい気が衛気というものです。気というものは心と連動して動く
性質を持っていますが、この衛気も同じです。普通の時には身体の周囲に、
一定程度張り出し運行しています。しかし、何かに意識を向けると、
その方向に伸展していきます。その反対になにかショックを受けたり緊張すると
皮膚ぎりぎりまで引っ込んでしまいます。すなわち、衛気は心の動きにつれて
ふくらんだり、引っ込んだりしていくのです。
ほとんどの人は自分と外界、自分と他人の境界を皮膚だと考えています。
しかし、実際には身体から張り出している衛気こそがその境界なのです。
たとえば初対面の人と会うことを想像して見て下さい。
握手をしたり言葉を交わす前から、お互いの衛気同士が擦れ合って気の相性を
感じ取り、相手に対する何らかの第一印象が形成されているはずです。
だいたい、人に対する好き嫌いは、こうした衛気の触れ合いによって
感じ取った感覚の善し悪しに左右されているようです。
仲のよい人とは一緒にいると気持ちよく過ごせます。
しかし、気の合わない相手とでは、何となく気詰まりな感じがして
居心地が良くありません。わたしたちは衛気が接触し擦り合わされる
ことによってこのような異なる感覚を受け取っているのです。
すなわち恋愛や職場、学校などわたしたちの人間関係の根底には目に見えない
エネルギー的な側面が存在しているのです。「気が合う」「気持ちが良い」
「気詰まり」という表現にはいずれも「気」という字が使われています。
この「気」という字の意味は一般に「心」の意味だと考えられていますが、
そうではなく気というエネルギーを表しているのではないでしょうか。
衛気の性質を武術的に利用したものが遠当て(相手に触れずに気で飛ばす)
など内家拳の技です。それはいずれも攻撃しようと迫ってくる相手の衛気の
運動方向を変えてしまうことによって技を成立させているのです。
こうした技は自分の心を制御し、不動になることによってはじめて使えるように
なります。技を掛けよう、掛けようと、はやる心のあるうちは無理ですから
それなりの訓練の積み重ねが必要になります。
余談になりますが、わたしたち日本人は無意識に衛気を伸ばしたり
引っ込めたりすることが巧みなようです。狭い国土に大勢の人間がひしめき
合って暮らしてきたためでしょうか、満員電車や花火大会などの雑踏で人波に
揉まれていても平気なようです。それに比べるとアメリカ人など西欧の人は
雑踏が苦手で、とくに満員電車には乗れないという人が多いようです。
彼らは自分の衛気を伸ばしたり引っ込めたりする経験が乏しいので、
最低30cmは他人と距離を置いていないと安心できないのでは
ないでしょうか。確かに日本人にもこういう人がいます。
満員電車の中で必要以上につっぱたり、ちょっと押されるとムキになって
怒ったりする人を見かけることがあるでしょう。
そういった人は衛気の質が普通の人とは異なっていて「気が立っている」状態
なので、常に自分をコントロールするようにしていないと「気が狂う」ことに
なりかねません。いまでは差別用語として使いにくくなった言葉に
「気違い」という言い方があります。これも気がコントロールできなくなって、
その質が狂ってしまい、やがて他の人とは違った気の質を持つようにいたって
いる人を指した言葉だったのでしょう。いつも心を穏やかに保っていると、
衛気は柔軟になり本来の働き、つまり身体に良いものは通過させ、
悪いものはシャットアウトするという機能が正常に働き「気が狂う」ような
ことにはならないはずです。
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■足腰と肩、首■
最近、教室を訪れる若い女性のほとんどが肩こりを訴えます。
また疲れると腰が痛くなるという人も多いようです。
このような人の動きを観察すると、
下半身の使い方が悪いところが共通しています。
上半身と下半身がバラバラで、人体というひとつの組織として
統一した動きができていないのです。
それは腰から下の下半身が弱く、
しかも硬くなっているためだと思います。
腰は肉つきに要と書きます。
上半身と下半身をつなぐ身体の要に位置する大切な部位です。
わたしたち人間は二足歩行を始めて以来、頭という重しを
身体のてっぺんに乗せて生きています。
眠るとき以外は、この重しからは解放されないのです。
この状態で歩いたり走ったりするためには、
確かに腰が重要な役割を担っています。
しかし、腰だけで身体を安定した状態に保っていくことは
できません。全身の筋肉と共に膝や足首といった関節が
クッションとして機能してくれないとうまくいかないのです。
若い女性の場合、おしゃれという面を重視して靴やサンダル、
ミュールなどを選んでいます。
だいたいそうした流行の履き物の場合、
歩くという運動に適していないものが多いのです。
人間の歩行はかかとで着地し、前足底で地面を蹴るようにして
行われます。つまり足首を柔らかく使って歩くのです。
しかし、若い女性が履いている履き物は、この足首の動きを
妨げてしまっているものが多いのです。
足首が柔らかく動かせないと、膝も上手く動かさせません。
この2つの部位のクッションが機能しないと、
運動による衝撃や負荷を逃がすことができません。
そのためこれが頭の重しと共に腰に直接かかってくることに
なるのです。当然、こうした重荷を腰だけでは支えきれなく
なりますので、身体は腕という振り子を持つ肩で
バランスを採ろうとします。本来だったら重心は腰から下に
なくてはなりませんが、それを肩まで上げることによって
ようやく安定させようとするのです。
しかし、それは頭の重さを肩だけで支えようとするため、
かえって不自然で不安定な状態をもたらしてしまいます。
そのため肩にかかる力が凝りとなって出てくるのです。
こうしたアンバランスな状態から脱却するためには、
まず膝と足首を柔らかくすることから始めます。
片足を前に出し、息を吐き出しながら膝を前に押し出すように
曲げていきます。これによって足首も曲がっていきます。
はじめのうちは曲がる角度は小さいのですが、
くり返す内に深く曲げられるようになります。
左右交互に行います。またこれを行う時には必ず呼吸すること、
また、足の裏はしっかりと床に着けておくようにして下さい。
次にやはり息を吐きながら膝をグルグル回します。
一回一回膝を伸ばすのではなく、曲げたままにして
回すようにします。さらにヒンズースクワットの要領で、
肘膝を曲げながら上半身を上下していきます。
この時、身体を沈めるときには息を吐き出し、息を吸いながら
上げていくようにします。
これによって気の通る筋肉が作られていき、下半身が安定し腰が強化されます。
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■高層住宅と人■
ある週刊誌に、今人気の50階、60階という
超高層マンションでの生活が居住者に与える影響についての
特集が組まれていました。
この記事ではベランダに常に吹く強風や下界からの騒音、
エレベーターによる昇降の手間の問題など思わぬ不便さと共に、
健康面でも様々な問題点があると指摘しています。
そのひとつは妊婦や子供の身体に異常をもたらすおそれです。
調査によると高層階に住んでいる妊婦ほど流産する率が
高くなっているそうです。
とくに10階以上の高層階に住んでいる妊婦の流産経験率は
38.9%にも及ぶそうです。
また、高層階に行くほど新生児の頭が大きくなる傾向や
赤ちゃんの巨大化という傾向があり、帝王切開や吸引などの
異常分娩の発生率も高くなっているそうです。高層階ほど
外出するのがおっくうになり部屋に閉じこもりがちになって、
運動不足から胎児が育ちすぎたり、ストレスからこうした事態が
引き起こされているのだと、この特集では結論しています。
このほか幼稚園児や小学生では高層階ほどアレルギー疾患や
肺活量の減少、体温の低下などの症状が出ているそうです。
また、50代の女性では高血圧、頭痛、耳鳴りを訴える人が
多いのだそうです。
この特集では超高層での生活が人間の心身に
悪影響を与えている原因は、前述した妊婦のケースと同様、
閉じこもりによる運動不足とストレスであるようにまとめています。
しかし、わたしはどうもそれだけではないように思います。
初めて香港に住んだとき入居したのは20数階建ての
マンションの12階でした。
ベッド脇の窓は低く、ちょっと寝る姿勢を変えると
階下の道路が見え、その度にびっくりしました。
はじめのうち、朝目覚めるとめまいがすることがよくありました。
イライラしたり落ち着かない気分が続き、
酒を飲むとすぐ酔ってしまいました。
香港という慣れない土地に来たせいだと考えていたのですが、
少したって、知り合いの持っている4階の部屋に引っ越したら、
そのようなことはすっかりなくなりました。
そのとき、それまでの不調は高さのせいだったのではないか、
人間は土からあまり離れると、大地のエネルギーを
受けられなくなるのではないかと考えました。
今回、週刊誌の特集を読んだとき、
やっぱりそうなのだと確信しました。
超高層の建築物に登るとその眺望の良さにびっくりし、
見とれてしまいますがそれは一時的なものです。
しばらくするとなにか落ち着かない気分になって、
下に降りるとホッとするものです。一方、山の頂上に登って、
同じように眺望を楽しんでいるときは、
そんな不安感は感じないものです。
この違いはどこから来るのでしょうか?
それはやはり大地の存在が足元にしっかり感じられるかどうか
の違いだと思います。
人間はアンテナのように天からのエネルギーを受け取っています。
しかし、それを活かすためには、大地の持つエネルギー場という
基盤が必要なのではないでしょうか。大気ばかりでなく地表は
エネルギー場の薄い層が覆われているようです。
この層の影響は地表から離れるにつれてどんどん弱くなり、
30メートル、40メートルの高さになるとほとんど力を
失うのではないでしょうか。
そのため超高層に住み、そこで過ごす時間が長ければ長いほど
天地の気から切り離され、
心身を傷めることになるのではないでしょうか。
わたしは子供の時から今まで、
いろいろなところに住んできました。その経験から考えると、
だいたい7階くらいまでが人間の住む限度といえるのではないかと
思われます。だから50階だの60階に住むことなど
考えるだけでも恐ろしくなります。
人間は樹上から大地に降り立ち、二足歩行を始めました。
そして現代のような文明を築き上げてきたのです。
その結果として、かつて暮らした樹上の巣よりはるかに高いところに
現代の巣を作っているなんて皮肉な現象です。
しかもそれが自分たちの心身を傷付けることになるとは、
なんと悲しい話しなのでしょう。
わたしたちは自然の中に置かれてこそ本来の生命力を発揮できます。
皆さんの中にも高層階に住んで、大地から切り離された状態で
暮らしている人がいるかもしれません。
できるだけ地上に降りて自然と触れ合うように努力して下さい。
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■補気と瀉気の工夫■
足りない気を補うことを補気、余っている気や邪気を抜くことを
瀉気といいます。この補瀉については道教系やチベット密教には
様々な行法が伝えられています。
しかし、作法が煩雑であったり表現が難解であったりして
修行に入っていくのは大変です。
そこで、誰にでもでき効果はさほど変わらない補瀉のやり方を
ご紹介しようと思います。
この方法には上半身だけで行うものと、全身を使って行うものの
2つがあります。まず上半身だけのものからやってみましょう。
腰をまっすぐに伸ばし(後の部分は力を抜いておく)床や
椅子に座ります。上半身をひとつのビンのようにイメージします。
この時、百会をビンの口に見立て開いたままの状態であると
イメージしておくことが大切です。
目を軽く閉じゆっくりと鼻から息を吸います。
この時、ビンの口から清浄な気が流れ込んで身体の中に
満たされていくようにイメージします。
次に、やはりゆっくりと鼻から息を吐き出していきます。
この時は身体に流れ込んで溜まった気を確認するようにして
眺めるだけです。
吸ったり吐いたりしている内に身体に流れ込んだ気が
ビンの口まで満たされた感じになります。
そうなったら息を吸うときに気が身体に流れ込むのは
前と同じですが、息を吐くときにはビンのそこにあたる会陰
(尾てい骨、肛門と性器の中間にあるツボ)から余った気や
どす黒く濁った気が押し出されていくのをイメージします。
流入したきれいな気が濁った気を押し出していくように
イメージするわけです。
この時、人によっては自分の好きな色を
イメージしてみると効果的です。
例えば金色の輝く気が流れ込み、どす黒い汚れた色の気が
押し出されていくといった感じです。
汚れたものが全部押し出され全身がきれいな気に満たされた
という感じがするまでやってみましょう。
次に全身を使って行う方法をご紹介しましょう。
足を肩幅くらいに開いて立ちます。手は力を抜いて自然に
ダラリと垂らしておきます。全身を一本のビンとイメージします。
この時、やはり百会をビンの口に見立てておきます。
息を吸うときにビンの口から気が流れ込んで身体を
満たしていくのと、吐くときにその様子を確認するのは
座ってやる場合と同じです。ビンが気で満たされたら、
ビンの底の部分すなわち足の裏に穴を開けた状態を
イメージします。そしてその穴から沈殿していた
不要な濁った気が押し出されていくようにイメージするのです。
はじめのうちはよく分かりませんが、
慣れてくるとその感覚が鮮明になってくるはずです。
ビンの底を抜いたとき、気が頭頂から入り足裏から出ていくと
足裏全体が熱く感じられます。
こうして天地から頭頂ー身体ー足裏ー天地というひとつの循環が
出来上がり、全身がそのダイナミズムの中で活性化していきます。
一般に気功では採気(気を取り入れること)だけに
重点を置き、取り入れた気を体内に止めたまま行を行うやり方が
多いようです。身体が十分に開発されていない人の場合、
この方法では取り入れた気が劣化し思わぬ障害を
もたらすことがあります。気を体外ー体内に循環させながら
練っていく方法は常に新鮮、清浄な気を取り入れることが
可能であり、より安全な方法だと思います。
今回、ご紹介した方法は体内気を活発にし、
身体の全細胞を励起します。そのため人によっては
非常に興奮し夜眠れなくなることがあります。
ですから練習した後は必ずスワイショウや収功を念入りに
行って下さい。
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<雑談3>
静功で小周天を続けていると、光が見えてきます。
これは体内の生物電流が強くなり生物光子の量がふえたために起きる現象
といわれています。初めは目の奥にぼんやりした光の塊が見えたり、
フラッシュのように光ったりします。
光の塊が身体の中を動き回るのを見る人もいますし、
首から脳の中に光が入ってくるのを見ることもあります。
また任脈と督脈を光の塊がグルグル回るのを見ることもあります。
これらはいずれも気が活性化し強化されていく過程で生ずる過渡的な現象です。
気の修行が進んで行くとと頭頂や額、
胸のあたりに光が常に見えるようになります。
更にこの光は目を開けていても見えるようになります。
かといってこの光が日常の活動に差し支えるということはありません。
しばらくこの状態が続いた後、この光は見えなくなります。
消えてしまったわけではなく、感覚の中に組み込まれてしまうのだと思います。
それと共に肉眼では見えなかった自然界や人間界のものがいろいろと
見えるようになります。初めのうちは、その見えたことを不用意に口走って
失敗することもありますが、
慣れてくるとそれを制御することを覚えてきます。
見る必要のないことは見ないという癖がついてくるのです。
この段階に至って、様々なものを見ると、その本来の姿が見えてしまうから
不思議です。とくに骨董品のようなものの真偽は瞬間的に分かってしまうので
面白い経験ができます。とくにすごい効果をうたった健康食品や
新商品などの商品は、それに携わっている人の思惑のようなものも見えて、
感心したりガッカリしたりといろいろ経験できます。
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■身体で感じるということ■
最近は不景気のせいか、定時に会社を出られないという人が増えています。
稽古に参加する人が少ない日は静功を行なうことにしています。
そんなある日、ある功法を行って収功をしていると、突然一人の若い弟子が
「これはどんな効果があるんですか?」と質問してきました。
「えっ」とびっくりして「君はこの功をしてどんな感じがするんだ?」と
逆に尋ねるとなにも感じないという答えが返ってきました。
おまけに「どんな風に感じたらいいんですか?」と聞いてくるでは
ありませんか。いろいろ聞いてみると彼は功法の始めから終わりまで、
すべて自分の身体の感覚ではなく、頭で考えたイメージだけで
行っていたようです。これが何でもマニュアルに従ってしか行えない
世代の悲しい習性なのでしょうか。
気の修行は理性的な活動ではなく、感性的な活動です。
静功にしても動功にしても、自分の身体感覚、すなわち内なる感覚に注目し、
それを見つめながら行っていくものです。
自分の身体の奥のどこにどんな感覚があり、
それがどのように変化していくかを感じ取ることが必要なのです。
頭で身体を解剖図状にとらえ、
あれこれ考えながら行っていくものではありません。
人間にはそれぞれ個性があります。そのため受け取る感覚は
人によってかなり異なっています。それぞれの人が自分なりの感覚を
研ぎ澄ませていきながら進んでいくのですから、
そこにはこうすればこうなるというマニュアルは存在しません。
むしろマニュアルを作ってそこに誘導していく様なことは、
マインドコントロールにつながり、ほめられたことではありません。
以前にも書きましたが、気は精神性を持ったエネルギーです。
しかも目に見えるものではありません。そのため中国でも日本でも、
マインドコントロール的な手法で人を自分たちの思う方向に
誘導していこうとする流派が存在しています。
こういう輩に引っかからないためにも、自分自身の気感を練って、
その感覚をしっかりとつかんでおく必要があるのです。
気は全宇宙を飛び回っている自由で気楽、しかも明るいものです。
しかしそれがひとたび人間の身体の中に入ると、その人の心の状態、
意識の状態によって性質が左右されます。
そのため心が暗く狭い人が発する気は邪気と言ってもいいくらい
冷たく硬いものになります。そのような質の気はその人ばかりではなく、
周囲の人にも良くない影響を与えることがあります。
そうならないためには、いつもプラス思考で生活すること、
くよくよ考えすぎないようにすることです。
また周囲の人は自分の気の質を高め、少しくらいの邪気に負けない、
というより邪気ですら呑み込んで消化してしまえる、つまり
「清濁併せのむ」ことのできる心と身体を作っておくことが肝心です。
気を本来の自由で明るいものとして楽しんで行くためには、
まず身体感覚を高めなければなりません。理性や知識は自分の身体の経験を
追認するためのものでしかないのです。気功を習っている人の中には、
まずいろいろな知識を詰め込まされている人もおられるでしょう。
しかし、気を本当に知るためにはまず身体的訓練が必要です。
教えられた知識は脇に置いておき、動功や静功を行うときの感覚に
まず目を向けて下さい。
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■気の運行について■
気を身体の中で運行していくとき基本的な原則があります。
それは昇、降、開、合です。昇は気を上げていくこと、降は下ろしていくこと、
開は中心から末端へ広げていくこと、合は中心に集めていくことです。
ここでいう中心とは丹田のことだと考えて下さい。
気功を行おうという人は昇降のみに気を配っている傾向があります。
とくに小周天を超常能力や神秘的な気の世界の入り口だと考えている人は、
丹田⇔百会の昇降のみにこだわっているのではないでしょうか。
しかし、気は「上気」という言葉があるように上がりやすいものです。
従って昇降のうち、降すなわち下げることの方にウエイトを置いておく必要が
ある様に思います。下げることができて初めて上げることの意味があるのです。
ただ何でも上げればいいというのでなく「濁気下降、清気上昇」という
言葉のように、荒削りで良いものも悪いものも混ざった気(濁気)を
丹田で漉し、きれいな気(清気)を百会に上げていくのです。
そのため良い気だけにこだわらず「清濁併せ呑んで」いける力を
日頃から付けておくことが大切です。
次に開について述べておきましょう。
気を丹田から身体の末端まで広げていくことを開といいます。
息を吐きながら丹田気を広げていくと、手のひらや足の裏がピリピリしたり、
ムズムズしたり、または暖かくなってくるのを感じます。
これは気が全身に行き渡ると同時に、それまで閉じていた毛細神経や
毛細血管が開いてきたために感じる感覚です。
開を行うことに慣れてきたら、気を末端で止めずに皮膚の外側まで
広げていってみましょう。
初めのうちは1メートル、2メートル広げるくらいにしておきます。
その感覚がしっかり感じ取れるようになったら、もっと広げてみます。
自分が今いる建物の外まで広げられるようになると、
いろいろ変わったものを感じられるようになります。
この開は合と一体のものです。気は広げたままにしておかず、
必ず丹田に戻さなくてはなりません。気を常にコントロールできるように
なるためには、合ということが必要なのです。
合は(丹田を内視8心の眼で眺めること)息を吐きながら行います。
上手くできない人はお腹の臍下に直接手を当てて行って下さい。
内視しているだけでも丹田は機能していますから、
気を集めよう、集めようと頑張る必要はありません。
落ち着いてやってみて下さい。
気の修行を志す人は今日ご紹介した気の運行の原則「昇降開合」の四つを
常に心に留めておくようにして下さい。
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■気の質を変えるために■
気が過敏な人、散乱してしまう人、軽い人などは、それなりの訓練をして
気を下げ安定させていかなくてはなりません。
その訓練法としては、站椿功や虎歩、大雁功(大雁起飛・大雁帰来)などの
功法があります。その中から今回は大雁功をご紹介します。
【大雁起飛・大雁帰来】
1.準備姿勢 足を肩幅か、それよりやや広く開き、
腕は体側に垂らした状態で立ちます。まず湧泉(あるいは足の裏全体)に
意識を向けておきます。
2.吸気 鼻からゆっくり静かに息を吸います。
足はそのままで手を両側からゆっくり上げていきます。
この時、手のひらは上に向けておきます。
吸息時には足の裏から清気を吸い上げていくと同時に、
空中に漂う清気を手のひらですくい取っていくようにイメージします。
途中で息継ぎをしても構いません。
3.停気 頭の上に両手を下向きに重ねて息を止めます。
4.吐気 口からゆっくりと息を吐き出していきます。
まず頭の上の手は重ねたままで、身体の前面を下ろしていきます。
この時、手ですくい取った清気を百会から身体の中に入れ、
手で押し込んでいくようにイメージします。
頭から入った清気は手で押されることにより、
身体の中を下降しそこに溜まっていた邪気や疲れなど濁って汚れた気を
足の裏から押し出していきます。
※2〜4をくり返して行っていきます。
■今度は気功風呂だ!■
以前、気功水や気功食というものをご紹介しました。
今回は気功風呂についてご紹介しましょう。
気功風呂といっても難しいものではありません。
湯船に入って意識して呼吸するだけです。お湯の温度が熱すぎると
湯あたりしてのぼせますので、あまり熱くないようにしておきます。
湯船に入ったら全身の力を抜き、口からゆっくりと息を吐き出します。
この時、全身の経絡(毛穴だと考えてもいい)が開き
気が身体の外に広がっていくのをイメージします。
家庭用の湯船は大きさが限られているので、
以外と簡単に気を満たすことができます。
気が満たされるとお湯が肌に優しく柔らかになってきます。
どうしても身体から気を広げることがうまくいかないという人は、
手のひらだけを使って気を出してみて下さい。
まず手を30cmから40cm開いて、左右の手のひらを向け合います。
そして息を吐き出しながら手のひらから気が出ていくのをイメージするのです。
左右の手のひらを交互に身ながら息を吐いていると、
気が流れ出す感覚がつかみやすいものです。
なんとなく気が感じ取れたら両手の間隔を広げ、
手を湯船の縁につけた状態で手のひらから気を広げていきます。
このようにして作った気功風呂のお湯は、
それぞれの人に適した性質のものになっており、皮膚に優しく体が温まります。
またお子さんや親御さんなど気の性質が近い人にも
気持ちの良いものになっているはずです。
冬の夜の楽しみとして試してみて下さい。
■冬から春へ■
この時期は昔から三寒四温といわれているように、
少し暖かい日があるかと思えば、すぐに寒い日が戻ってきます。
体調を維持するのに苦労されている方も多いことと思われます。
ただ冬とは違って光が格段に明るくなっています。
春はもうすぐ、あと少しの我慢です。
でも花粉が飛び始める季節でもありますから、花粉症の方は
これから大変でしょうが元気を出して乗り切っていきましょう。
また、精神的に弱い人や心に問題のある人は、
この時期ジッとしていられなくなって
いろいろな行動を起こしがちです。
そんな傾向が自分にあるという自覚のある人は、
自身の内部に入っていくような静功や瞑想より
身体を活発に動かすことに専念された方がいいと思います。
さて前にも書いたことがありますが、
大気の澄み切った冬には富士山がよく見えます。
真っ白に雪化粧したその荘厳な姿には、いつも見とれてしまいます。
火山活動の結果とはいえ、よくもあのような絶好の位置に
屹立しているものだと感心してしまいます。
わたしは以前からこの富士山を思い浮かべながら
練功をしていました。あのどっしりと安定した姿こそ、
上虚下実の良い見本なのです。
焦ったり上がりそうになったりしたら、
富士山の姿を思い浮かべるだけで落ち着くことができます。
日本人なら誰でも知っているこの霊峰は、
わたしたちに生きていく基本的な姿勢を教えてくれているのです。
今日は富士山を手本にした簡単な呼吸法「富嶽(ふがく)」を
紹介してみたいと思います。
■準備姿勢 足を肩幅かあるいはそれよりやや広くして立つ。
この時、足首や膝の力を緩めておく。
両手を下腹部に当て、口から息を吐き出しながら
丹田に気を集めるようにイメージする。
■吐 口から息を吐きながら、丹田の気を足の裏、湧泉に
下ろしていく。この時、足を二本のパイプの
ようにイメージしておくといい。
■吸 足の裏から頭のてっぺん百会に向かって、
静かに鼻から息を吸っていく。両手は呼吸に合わせて
まっすぐ頭の上まで上げていく。
■停 息を止めて百会のあたりを心の眼で眺める
■吐 口から息を吐き出しながら、手のひらを下に向け、
両手を開きながら下ろしていく。息を吐ききった時に、
腕は約45度の角度で止めるようにする。
身体全体が富士山のような三角形を形作るのである。
この時、自分が富士山になったようにイメージしてみる。
※吸、停、吐を10回くらいくり返して行う。
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■気の性質について■
人の気は心と連動して働くエネルギーであり、物質だということは、
これまでもご説明してきました。先日、小学館の編集者と宮田さんという
エッセイストが取材をかねて練習に参加しました。
宮田さんは気をどうとらえてどう表現したらよいか、
原稿をどうまとめたらよいかということで頭がいっぱいの様子でした。
それを観察しながら気の性質について考えてみました。
気は人がリラックスした状態で最も活発に働きます。
基本功で呼吸をしながら全身を動かしていると、気が活発に働き、
血液循環が良くなって身体が暖かくなってきます。
また同時に心が安定しスッキリとした気分になります。
こうしたゆったりした状態では内気ばかりでなく、
身体の外側に張り出した衛気も活発になっています。
その状態で気の組み手を行うと、
活性化した気の作用で「人が飛ぶ」という反応現象が起きるのです。
しかし初心者や宮田さんのように取材という目的を持って参加している人は、
緊張が完全には解けていませんから気を前に出すことができず
反応が鈍くなります。つまり「怖れ」「驚き」といった心の動きばかりでなく、
「何でこうなるのだろう」「相手の気はどんな感じがするのだろう」と
頭で考えてしまうと、気は急に働かなくなってしまうのです。
前者の例は以前練習を体験しに来た19(ジューク)と326(ミツル)や
大晦日のテレビに登場した中川家のお兄ちゃんです。
また後者の例は取材に来たKマガジンの記者です。
どちらの場合も自分自身の気を十分に発揮できないところから、
「飛ぶ」楽しさを体験できないのです。
衛気は息を吐き出すと大きく張り出していきます。
その方向を決めるのは目と手です。
息を吐きながら前方をしっかり見て手を伸ばしていくと、
気はまっすぐ伸びていきます。ただしこの時に心が乱れたり、
思考したりすると急に気が作用しなくなります。
わたしは当初、それは気が引っ込んでしまうからだと考えていたのですが、
どうもそれは違うようです。
気は毎秒0.6メートルの速さで渦巻き状に動いていくという
研究結果が発表されています。それから考えますと気が引っ込んで
いくときも同じスピードで動くはずですが、
気の組み手をやってみるとどうも違います。気が活性を失うのは一瞬であり、
毎秒0.6メートルのスピードだという気の動きより早すぎるのです。
それから考えますと気という物質は前後左右に動いているばかりでなく、
心の動きによって方向性を失うと瞬間的にただの浮遊物質になってしまうか、
存在しなくなってしまうのではないでしょうか。
実際に目で見たり、計ったりすることができないものですから、
証明は難しいでしょうが、将来、何らかの方法で実験して
確かめることができるかもしれません。
気が心の動きでこのように変質したり、
無くなってしまうものであるからこそ、大槻教授など頑固に気を信じないと
言う人たちの立場も守られているのでしょう。
彼らは実際に気を出したり感じたりすることは今後もできないのですから、
彼らにとって当然気など存在するはずはないということになるのです。
■静功と雑念■
春ですねえ。道を歩いていると花の香りがどこからともなく漂ってきます。
こんな良い季節を楽しむことのできない花粉症の方には同情します。
脳幹を鍛え、内蔵をきれいにして早く直してしまいましょう。
さて、静功を練習しようとしても雑念が湧いてきて、
なかなか集中できないという人がいます。
静功を始めたばかりの時は、周囲の音や人声が気になって集中できません。
しかしそれには慣れてやがて気にならなくなってきます。
ところが自分の頭の中から湧いてくる雑念には
苦しめられることが多いものです。
とくにストレスの多い生活を送っている人は、
次から次へと雑念が生じてきやすいのです。
雑念が生じたら水道の水を流しっぱなしにするように、放っておけば
いつの間にか出し切ってしまうことができます。
それでも雑念が消えない場合は上下の歯をカチカチとかみ合わせてみます。
頬にある笑筋が動くことによって脳に信号が送られるせいでしょうか
自然に雑念が消えていきます。
それでもまだ駄目だという場合は、呼吸の数を数える数息法が効果的です。
ただ数を数えているよりいい念珠を使った方法がありますので、
それを紹介しておきましょう。
【念珠数息法】
まずゆったりと座ります。
両手で念珠(なければそれに似たネックレスやブレスレットでも構いません)
を持ちます。次に念珠の玉を利き腕の親指と人差し指ではさむようにします。
この時、反対の手は念珠を支えているだけです。
念珠の玉を1,2,3と五つまでひとつずつ数えながら送り
ゆっくり息を吐いていきます。息を吸うときにも同じように玉を送りながら
五つまで数えてみます。息を吐くときにはゆっくり数え、
吸うときにはそれより早くしたほうがベターです。
これを十分くらいくり返して行っていくと、
それまでより深い安らぎが味わえます。
脳はひとつの行為に集中する癖があります。念珠の玉をひとつずつ送る行為を
くり返すことは、その癖を利用した安静法です。
これによって脳は他のことをシャットアウトしてしまうので、
意識の深い層に入っていく道が開けてくるのです。一度試してみて下さい。
いつも言っているように静功の後には必ずスワイショウや収功を行って
心身の興奮を収めて下さい。
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■梅雨がきた!■
東京も梅雨入りしたらしいです。この季節は湿気が多いだけでなく、
地表がプラスに帯電します。そのため気分が重苦しくなることもしばしばです。
気はプラスの電気には反発し、マイナスの電気に集まりやすい性質があります。
健康な人の身体はマイナスに帯電し、病気になった場合、
患部はプラスに帯電します。地表付近がプラスに帯電すると、
わたしたちを取り巻くこの電気的な変化によって、
気が活発に働きにくくなるのです。そのため気分がすぐれない、
体調が何となく良くないといった状態が生まれるのです。
一方、晴れ上がった日は、地表はマイナスに帯電していますので、
気も活発に働き、気分もスッキリして朝から元気になれるのですが、
それは梅雨開けまでお預けのようです。
さて、こんな時期を元気に過ごす方法はといえば、
最近流行のマイナスイオン発生器を思い浮かべる方も多いことでしょう。
でもお金が掛かりますね。
お金を掛けずに済む方法は自分で身体をケアして、気を活性化することです。
気は血液循環と密接な関係を持っています。
末端の毛細血管まで含めた全身の血管に血液を送り込めば、
気の流れも良くなります。気の流れが良くなると、
外界の環境に関わりなく心身の状態が良くなっていきます。
それではそのための具体的な方法を考えてみましょう。
まず身体に緊張があるとだめですから、大きく伸びをしてみましょう。
この時、呼吸に注意することが肝心です。
鼻から息を吸いながら手を上に上げて伸びをします。
次に手を下ろし身体を少し前に倒しながら息を吐きます。
この時、気をつけることは口から思い切りたくさん息を吐き出すこと、
身体の力を抜くことです。5,6回くり返してみて下さい。
また全身を軽く叩いたりさすったりすると、
プラスに帯電していた部位に電気的変化を起し
マイナスに帯電することが可能です。
全身を揺すったり、手先を振ったりすることも効果があります。
憂鬱な気分を一掃するため、
梅雨明けの青空をイメージしながら試してみて下さい。
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■ふたたび気の修行を考える■
気功にはさまざまな修行法があります。
その中でも両輪とされているのが静功(じょうこう)と動功です。
この二つを上手く組み合わせて行うことによって、
無理なく修行を進めていくことができるのです。
静功は座禅のように座って行うことが普通です。
見た目には修得しやすいように思えるのか、
多くの人が気功や道教内丹法の入門書を買って独習しています。
わたしのところへも何人かそういう人が訪ねてきています。
彼ら(彼女ら)は丹田が熱くなったとか、
小周天がもうじきできそうだとか言います。
しかし動功の動作をさせてみると身体の歪みや
気の偏りがある人がほとんどです。
静功は外静内動型、すなわち外見的には穏やかですが、
身体の中では気が活発に動き脳波の活動も盛んです。
時には脳波が激動したり気が暴走することがあります。
そのため脳や神経にダメージを受けることすらあります。
とくに身体に歪みのある人や気のバランスが悪い人は注意が必要です。
このように静功はかなり難しいものなのです。
また修行の過程や進度にも個人差がでてきます。
一般論としての静功は言葉や文字で説明できます。
しかし実際には心身に起きてくる一つ一つの現象を、その都度、
綿密に検討しながら進めていかなくてはなりません。そのため独学ではなく、
経験豊かな師匠について指導を仰がなくてはならないのです。
また静功だけで何らかの力を付けるために必要なのは素質です。
素質のある人はより早く目的を達することができますが、
素質のない人の場合十年、二十年やってもなにも得られないこともあるのです。
それでも気の質を高めていくためには静功は欠かせません。
ではどのようにすれば安全により早く効果を上げることができるのでしょう。
その鍵は動功による肉体的な訓練です。
動功は呼吸と共に身体のすべての関節や筋肉を動かしていきます。
これによって身体の歪みを取り、手先足先まで気を通して行くことができます。
身体をエネルギー的に閉じた状態から開いた状態に
変えていくことができるのです。
そのため静功に移っても気が暴走するといったことがなくなります。
一人で行う単演形のものに他の人と気を交換し合う対人相対訓練を加える
ことによって、自分ばかりでなく他の人の気の質や強さが
分かるようになります。
気というものがどのように働くものなのかを練習の中で実感していけるのです。
こうした訓練を経ていくと気をコントロールすることが容易にでき
静功の修行もスムースに進められます。
気功というと静功というイメージを持っている人が多いようで、
体験受講に来た人はわたしどもの稽古に参加するとびっくりします。
それは稽古が動功の単演形と対人相対訓練だからです。
わたしどもではこうした基礎的な訓練を十分に行っていきます。
身体の状態、気の状態が整わなければ静功は行わないようにしているのです。
それはわたし自身の修行体験から学んだことなのです。
まだ未熟な状態で小周天に取り組むより、
全身周天の呼吸法で動功をくり返していた方が心身は早く変わっていきます。
どちらかといえば全身周天から小周天、大周天と進めた方が近道だと思います。
わたしは静功は非常にプライベートなものだと思います。
座禅道場のように並んで行うより、自分一人の空間でペースを守りながら
行った方がベターだと考えています。
ですから静功には基礎的な肉体訓練が十分に進んだ時点で、
じっくりと取り組んで貰いたいと考えています。
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■今年の秋は?冬の準備は万全ですか?■
人との触れ合いは会話や直接的な皮膚の接触だと考えがちです。
しかし、わたしたちはその前に、自分のバリアと他人のバリアをこすり合わせて
色々な感覚を感知しているのです。それは一般的な第一印象とは違い、
もっと深いもので、この時わたしたちはお互いの気の質が合うか合わないかを
判断しているのです。
普通、親子や兄弟、姉妹など身近な間柄では気の質が似ているので
緊張は生まれません。しかし、赤の他人の場合には、まずバリアを通して
相手の気を知るという無意識の行為が行われるのです。
人のバリアは層状になっているといわれています。
それをおおざっぱに分けると身体の表面近くを覆う肉体的なものと
その外に広がる精神的(魂)な層です。
精神的なバリアの層の厚さは人によって異なります。
釈迦などの場合、数百キロも伸びていたといわれます。
バリアの接触で気の質を確かめた後、
気の質が合えばわたしたちは相手に好感を持ちます。
しかし、気の質が合わないと緊張したり不快感を感じて、
なかなかうち解けることができません。
これが気が合う、合わないという言葉の本質です。
気の質の合わない相手とは
どうしてもつきあえないというタイプの人がいます。
そういう人はもともとエネルギー的に敏感な人ですから、
異質のものと触れ合うのは刺激が強すぎて我慢できないのです。
そのため居心地のいい、気の質が合う相手とだけつき合って行こうとします。
しかしそれはあまりいいことではありません。
この世に存在するあらゆるものはエネルギー的に循環しています。
そこには多種多様な質の気が存在しているのです。
自分に近い質の気だけに触れていたのでは、混沌としたエネルギーの奔流に
押し流され外部からの刺激に負けてしまいます。
わたしたちはありとあらゆる種類の気に触れ「清濁併せ呑む」ことを
知らなければなりません。
未知のもの、異質のものにびびっていてはいけないのです。
快不快という感覚を一時封じても外に出て、
色々な人と交流して自分に刺激を与えるのです。
少し我慢してこうした交流を続けていくうちに、
だんだん麻痺して刺激に強くなっていきます。
そうなってくればそれまでの弱さ敏感さを克服することが可能です。
しかも全く違う視点で自分や他人を見ることができるようになります。
きれいで気持ちの良い気だけ取り込もうとするのは無駄な努力です。
きれいな気、汚れた気、気持ちの良い気、不快な気、何でも取り込む勇気を
持ちましょう。「濁気下降、清気上昇」つまり、
混沌として混ざり合った濁った気を丹田に降ろし、
そこで消化してきれいな気だけを百会に上げて活用していくのです。
怖れることなく何でも採り入れてしまって、
後のことは自分の丹田を信じて任せてしまいましょう。
そうすれば心も身体も楽になりますよ!
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■気と治療■
気功師やヒーラーなど気を使って治療を行うという人が沢山います。
わたしも何人か知っていますがその内の一人に試しに気を送ってもらって
ひどい目に遭ったことがあります。
知り合いの人がそこに行くというので冷やかしでついていったのが
間違いでした。
その治療師は腎経を悪くしている人特有の青黒い顔色をしていたのです。
これはやばいと思ったのですが一緒に行った人の手前、断るわけにもいかず
触って貰うことになったのです。
するとその治療師が身体にため込んでいた邪気を
わたしがすべて吸い取ってやる結果になり、数日間体調が変になりました。
物質レベルの気は高いところから低いところに流れ、
精神レベルの気は薄いところから濃いところへ流れる性質を持っている
と言われます。精神的な気は物質的な気よりレベルの高いものです。
ですから精神的な気は濃い気が薄い気を吸い取ってしまうのです。
一般に心身に不調を抱えて治療に来るような人は、
気のレベルも低く弱いことが多いものです。
そうした人に触れている治療師は意識するしないにかかわらず、
どうしても患者の気を吸い取ってしまうことになります。
患者は悪い気(邪気)を吸い取って貰い、外から新鮮な気を補充できますから
症状が改善されていくのです。
逆に治療師はスポンジが水を吸うように邪気を吸い込むのですから大変です。
しかしある程度邪気を吸い取って上げなければ治療効果は上がらないものです。
腕のいい治療師ほどたくさんの邪気を吸い込むことになります。
したがって治療師は患者から貰った邪気を抜くことが必要です。
これが上手くできない人は腎経や肝経、肺経を傷めてしまいます。
前述の治療師のように青黒い顔色になったり、顔がむくんだり、
ぜん息になったりするのは邪気を抜くことができないせいです。
わたしが治療師から邪気を貰ったのは、
その人の気のレベルよりわたしの気のレベルが高かったためです。
相手の薄い気がわたしの濃い気によって吸い取られ、
邪気がわたしの身体に移ってきたのです。
治療師は繰り返し邪気を吸っていますから溜まっている量も多く、
それを抜くのには時間が掛ったのです。
それに比べると身体の悪い人の邪気は重病であっても
大したことはありません。癌でもホンの一、二時間で抜くことができます。
邪気の中でも精神病質の人が持つ邪気は抜くのが困難です。
そういうタイプの治療に当たる場合、
あらかじめ警戒心を持っておく必要があります。
気づかないで話を聞いたり身体に触れたりしていると、
立てなくなるほど消耗してしまうこともあるからです。
ともあれ気を用いて治療を行っているような人は、
日頃から自分の身体を気の通りやすいものに変えておく必要があります。
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■登山と滝行■
今回のみずがき山行きは台風の余波の影響で、
初日、二日目共に雨中登山となり皆濡れ鼠になりました。
滝行の着替えもなるべく雨にあたらない木の下で行いました。
雨中の滝行は初めてでしたが、こんな天気によく来たとでも言うように、
川は奇跡的に静かで水も落ち着いた感じでした。
山を登る度に感じることですが、
登山はまさに総合的な心と身体の試験ではないかと思います。
わたしたちの登った道には丸太橋のような難所がいくつかあります。
何度行っても恐怖心を克服できずに、四つん這いになってしまう人もいれば、
初めてでも他の人の渡り方を見てスイスイ立って歩ける人もいます。
丸木橋のようなところでは身体のバランス感覚が必要とされます。
しかしそれだけではないようで、上手く渡れない人はまず最初から
「駄目だ、恐い」と自己暗示をかけてしまうため、
身体がこわばり上手く使えなくなってしまうようです。
それなりの身体訓練をこなし、他の人よりずっと優れていても、
頭であれこれ考える人は、自分に自信が持てないようです。
人間は常に変化していきます。
その状態を正確に把握しより高いレベルを目指していかなければなりません。
そのためには自分だけでなく、他の人に目を向ける必要があります。
他人と自分の位置関係を把握し、それがどのように変化していくのかを
冷静に見ておかなければならないのです。
自分と他人の長所、短所を知り、長所がどのように伸ばされ
短所がどのように改善されていくのかを注視するのです。
更に自分の優れている部分は分かち与え共に向上していくつもりでいなくては
いけません。自分のことしか考えないようでは駄目なのです。
山で恐怖心を克服できない人は自分のことだけ考えで、
他の人がどんな状態にあるかということには目を向けません。
自分より未熟な人が怖がっていても手をさしのべる余裕がないのです。
これが自分のレベルを向上できない一因でもあります。
グループで行動する時は、全員が助け合っていかなくてはなりません。
それができるかどうかはその人の普段からの積み重ね次第です。
山を登るときには、足の運び方一つで疲労の度合いが全く違います。
大股で登るより小刻みに足を運んだ方が効率的なのです。
足運びを整え身体の向きをその都度調整して
無駄な動きを極力しないようにすることが山登りのコツなのです。
それは身体の使い方の良い訓練でもあります。
山を下るときにはどうしても早足になりがちです。
足を降ろす場所を間違えると転倒したり落下する危険があります。
それを避けるためには瞬間的な判断が要求されます。
どこに足を降ろしたらいいか、どこに足を降ろしたら危険か
瞬時に選択しながら下りていくのです。また下りは膝に負担が掛かります。
下りの時には平地を歩いているときより膝を緩めておかなくてはいけません。
膝を緩めることによって負担を軽減できるばかりか、
転倒してもお尻を着くだけで後頭部を打つようなことは避けられるのです。
このように山登りはさまざまな点で勉強になります。
日常生活の中では気がつかないようなことが分かったりします。
良いことも悪いことも忘れずに活かしていけば貴重な経験になります。
水温4度くらいの冷たい水に漬かるために悪路、難路を克服するという
特別な体験をしたのですから、皆、自分に誇りを持って
日常の些事に取り組んで貰いたいと思います。
人にできないようなことを成し遂げた自分を
たまには誉めてあげればいいのです。
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■習い事、教えることについて■
ある気功指導者は100回以上も中国に通ったと自慢しています。
行くたびに新しい功法を習って来ては生徒に指導しているのだそうです。
その人は、「わたしのところに習いに来ている人は幸せだ。
中国の最新のものを習えるのだから」と自慢しているそうです。
本当にそうでしょうか。少林寺拳法の開祖、宗道臣先生は武道武術や華道、
茶道など習い事に共通するのは「守、破、離」という原則だと言われました。
すなわち、初めは基本の教えを固く守って修行し、それが我がものになったら
別の側面から追究し(破)、やがて基本から離れた境地に行き着くのです。
しかしその「離」はまったく別のものになったわけではなく、
あくまでも基本の教えという大きな流れを異なる地平から捉えたものなのです。
一つの技、功法を自分のものにするためには時間が掛かります。
まず自分の身体で試し、その有効性を確認しなければならないのです。
これは本当に良いものだということが分かったら、
それを繰り返し練習することで身体に染み込ませていきます。
その上で功法全体の構成や進め方を工夫し、試していきながら
初めて自分のものにしていくことができるのです。
熟練し試行錯誤した上ではじめて技が技として成立し、
人を指導できる段階まで到達できるのです。
最近は冒頭の気功指導者ばかりでなく、
あらゆる分野でにわか指導者が活動しています。
わずか一年、二年の経験で人を集めて指導しようという人が多いのです。
気功やヨーガ、身体訓練など健康に関することは、
テレビや雑誌で取り上げられるとすぐブームになります。
するとそれを習って教えようとする人が出てきます。
しかし短期間で覚えられるのは形だけに過ぎません。
それを長く続けていくとどうなるのか、
心身にどのような影響が出るのかということは検証できていないのです。
気功、ヨーガを含めた身体訓練法では、ねじり、屈伸などの動作によって
気が動き、身体に溜まっている汚れや毒が一時的に排出されます。
これにきちんと対処しないと思わぬマイナス効果を生む危険があるのです。
気功では走火入魔という気功偏差に対する注意が昔から研究されていました。
そのため伝統のある功法はマイナス効果を生む危険が少ないのです。
したがって気功で偏差を引き起こすのは修行経験の乏しい指導者だけです。
ヨーガの場合、少々事情が異なります。
思想的に輪廻、生まれ変わりを信じているところから、
現世での災難にはほとんど目を向けていない傾向があります。
マイナス効果に対して警戒しているのは自分自身でひどい経験をし、
それを克服してきた一部の指導者だけです。
そのためヨーガに通いはじめたら冷えがひどくなった、
めまいが時々起こるというような症状が見逃されがちなのです。
また、その他の雑多な身体訓練法はもっとひどい状況にあります。
真向法など日本でこれまで行われてきた健康体操には
ねじりの動作は含まれていません。
先人が自らの体験の中からより安全な動作を選び抜いてきたものだからです。
しかし、いま盛んになっている身体訓練法の多くはヨーガの動作を真似たもので
身体をねじったり屈伸する動作が取り入れられています。
それらの訓練法には身体を動かすことによって表出してくる汚れや
毒に対する対処法は考えられていません。
一度かき回されて表出してきた汚れや毒は、
身体の中に溜まっていたときより活性化し毒性が強くなっています。
それがやがてだんだん身体をむしばんでいくのです。
一時ブームになって毎月のように雑誌に紹介されていた身体訓練法の指導者は
肝臓癌で死亡しました。
それは汚れや毒を排出できる開かれた身体をまず作っておくという
身体訓練の第一歩を怠っていたためです。
なにかを習おうという人、またそれを人に教えようとする人は、
物事にはプラスとマイナスの両面があることを知っておきましょう。
とりわけ指導者になろうという人はまず時間を掛けて
自分の身体を試験台にして十分試してみるべきです。
なにをどのように教えるか、それが心身にどのような変化をもたらすのか、
キャッチコピーのようなプラス面だけ信じるのでなく、
マイナス面も知ってそれに対する対処の仕方を考えてから
行動に移すべきだと思います。「生兵法は大怪我のもと」です。
気功、ヨーガ、身体訓練法ばかりでなく治療法や健康食品など
「健康」を目指しているものでは自分だけでなく、
他人にも影響を与えてしまうのですから慎重な姿勢で取り組む必要があります。
カテキンが身体に良いと言われていたのに、過剰摂取は癌の引き金になるという
研究結果が発表され関係者が青くなったのはつい最近のことです。
物事はすべてプラス、マイナス両面から成り立っていることを忘れずに。
そして自分のやっていることをとことん追究して自信をつけてから
次の段階に進むことを忘れずに。
ジプシーのように次から次に新しいものに飛びつくのは、
長い目で見ると何も残らない徒労の道です。
「この道しか我を生かす道なし」と思いこめるような
自分自身の王道をみつけて歩いて行きましょう。
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■吐け!吐け!吐け!■
東京はここ3日ほど急に寒くなりました。
12月初旬から中旬の気温だそうで、回りに風邪をひいているという人が
多くなっています。先日も書きましたとおり寒くなると身体が閉じていきます。
気の流れも細くなりがちで体調を崩すことが多いのです。
こんな時期こそ呼吸を変えてみましょう。
とにかく口からたくさん息を吐き出すのです。
これだけで気の流れ、血液循環が促進されていきます。
武術内功(気功)に弾という技があります。
これは敵の打撃を身体で受けて弾き返すというものです。
最近の分類で言えば硬気功に属するこの技の基本は拍打から始めます。
まず口から小刻みに「ハッ、ハッ」と息を吐き出しながら
手のひらで全身を叩いていきます。
初めはこれでさえ痛いのですがそのうち慣れてきます。
次に拳で同じように叩いていき、木の棒、針金を束ねたもの、
鉄の棒というように変えていきます。
鉄の棒を使えるようになると、胸や腹、背中など肉の厚い部分に打撃を受けても
平気になります。それだけでなく攻撃を仕掛けた人に、
その打撃の衝撃が倍増して戻っていくようになります。
すなわち打撃を受けることが、単なる防御でなく攻撃に転化してしまうのです。
弾の基本稽古にもう一つの方法があります。
それは推手(私共では気の組み手と言っています)で飛ばされる瞬間に、
横にいる人から腹や足を手で叩かれたり足で蹴られるという方法です。
これも初めは手のひら、次に拳、足、竹刀、木刀というように打撃の強さが
だんだんエスカレートしていきます。木刀をこなせるようになったら、
後は心の使い方一つで打撃を相手に返すことができるようになります。
この弾の基本稽古で大切なのは打撃を受ける瞬間に
口から息を吐き出すことです。
息を詰めて受けようとすると痛くて我慢ができませんが、
息を吐きさえすれば痛みをそれほど感じないものです。
私共では後者の稽古は「鉄人稽古」と名付けて女性に対して行っています。
女性の多くは呼吸が胸式呼吸です。そのためどうしても腹腔内に汚れた静脈血や
老廃物が環流されずに溜まっています。
腹部に刺激を与えることによって、新鮮な動脈血が流れ込み汚れた静脈血や
老廃物は心臓に戻されていきます。そのため様々な不調が解消されるのです。
弾の稽古は一般の人には難しいでしょうが、
息をたくさん吐くことは意識すればできます。
冷えて困るという方、何となく元気がないという方、
これからの寒さを怖れずにたくさん吐き出せるように練習してみて下さい。
吐くことができれば吸うことは簡単です。
喘息で苦しんでいる方も薬だけに頼らず、息を吐き出すことを試みて下さい。
必ず呼吸が楽になるはずです。
http://cafesta.oem.melma.com/mag/21/m00030321/a00000145.html
さて最近、教室ではわたしが中国拳術の型を単純にして構成した
「金剛」という型の練習をしています。これは煩雑な動きを省くことにより、
気と呼吸に集中できるものです。
熟練すると自分の演武が天地と響き合うような感覚がして
とても気持ち良いものです。
この「金剛」はゆっくりやればやるほど難しいものです。
足の上げ下げを行うときに軸足にしっかり体重が乗っていないと
グラグラしてしまいます。したがって空手や拳法の有段者で、
それぞれの習った型は見事に演じられても、
この「金剛」を行うと上手くできないことがよくあります。
早い型を演じる場合、ある程度ごまかしがききますが、
ゆっくりと行う「金剛」ではそうはいかないからです。
そこで私共では「腿上げ」を基礎訓練として行います。
この「腿上げ」を行うと軸足の膝の屈伸が上手くできるようになり、
身体のバランスが良くなり、集中力が増します。
これだけで体重が減ったという人もいます。
簡単なやり方を説明しますのでやってみて下さい。
■「あるある大事典」「ゆほびか」見ましたか?■
1月18日の「あるある大事典」で気功が紹介されました。
実は昨年の暮れに同番組のスタッフから電話で気についていろいろな質問を
受けました。主として普通の人に気を感じさせることはできるのか
というようなことでした。
話をしているうちに、どうも番組の趣旨は気のプラス面だけを
取り上げていきたいのだということが分かりました。
かつて第一次気功ブームの頃、気の肯定的な側面のみが注目されました。
テレビや雑誌がこぞって誇大宣伝に近い中国の気功治療や
気の達人を紹介しました。
その結果、詐欺に近い気功師に引っかかったり気功偏差(副作用)の
発生などさまざまな問題が生じ、やがてブームは鎮静化していきました。
わたしはそうした過去の事を話して気の難しさを説明したのですが、
番組スタッフは理解してくれませんでした。
そこで気の科学的研究をしている町教授に協力してももらうようにすすめ、
また番組の趣旨に添うようなパフォーマンスは
中国人の方が上手だと教えてあげました。
確かに番組そのものは気の良い側面を短い時間の中で
見事に見せてくれました。
しかしできれば収功など気功練習を行うことによって生じる
心身の興奮を収める方法とその大切さも盛り込んでもらいたかったと思います。
気功はわたしたち人間の身体に眠っている巨大なエネルギーを
目覚めさせていくノウハウです。しかしやり方を間違えると
自分自身を傷付けることもある両刃の剣でもあるのです。
したがって気功修行には正しい方法、経験豊かな導師が絶対に必要なのです。
さて「ゆほびか」にはスワイショウが紹介されています。
その効果などよく書かれています。
ただ難を言えば身体をねじるスワイショウが手を振ることに重点を置いて
書かれていることです。
スワイショウはもともと気の武術の基本功です。
身体をねじるスワイショウには心身を緩め活性化するといった
表面的な効果の他に重大な秘密の効果があります。
それは丹田の回転による気(エネルギー)の渦巻きを創り出すことなのです。
この渦巻きによって気の武術に伝えられた
さまざまな技ができるようになります。
例えば後方から抱きつかれたり、
腕を捕られたりしたとき丹田を回転することによって
簡単に相手をはじき飛ばすことができるのです。
したがってそうしたことを可能にするための基本訓練である
スワイショウはただ腕を振るだけでは駄目なのです。
腕の力を抜き、まず丹田(おへそ)を左右にねじっていくのです。
でんでん太鼓というおもちゃがありますよね。
太鼓を左右に回すと紐の先に付いた玉が太鼓にあたって音が出るものです。
スワイショウを行うときの腕はちょうどあのおもちゃの紐と玉のように、
身体が先に回転することによって引っぱられ身体に当たるようにするのです。
そのためには腕の力を抜きブラブラ状態にしておくことが必要です。
腕を先に振ると肩に力が入り気の流れが阻害されますし
意識が上に上がり重心が高くなってしまいます。また丹田力が養成されません。
スワイショウを行うときには、
まず膝、足首を楽にし腕の力を抜いて自然に立ちます。
そして丹田(おへそ)を左右にねじります。
このとき頭や肩も一緒にねじるようにして、
とくに目はねじっていく方向に向けるようにすると回転力が生まれ、
膝や足首を柔らかくすることもできます。
更に呼吸と動作を一致させることも大切です。
ねじるときに口から息を吐き出し、戻すときに素早く鼻から吸うようにします。
最初は難しくてもすぐに慣れだれでもできるようになります。
またねじりのスワイショウを行うと
目が回って気持ちが悪くなるという人がいます。
そういう人は後方の一点に抱け目の焦点を合わせるようにして行うと
だんだん目が回らなくなります。
スワイショウは回数をいくら多く行っても傷害はおきません。
中国の病院などでは千回くらい続けているところもあります。
慣れてくれば25分から30分で千回行うことができます。
スワイショウはきわめて単純な動作ですが、正しく行えばその効果は絶大です。
読者の皆さん、毎日やってみては如何ですか。
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■気の流れについて■
人間の身体は組織や器官の寄せ集めではありません。
組織や器官は単なる部品に過ぎないのです。
人間が人間として生存していくためには、
根源的なエネルギーである気と魂が必要なのです。
気がどのように人体を流れているかについては、中国最古(戦国時代の書)の
医学書である「黄帝内経」にすでに解説されています。
中国でははるか古代から気の研究が行なわれ、
それを集大成したのがこの「黄帝内経」なのです。
現在では中国で行なわれている科学的研究のみがもてはやされ、
古代からの知恵は軽視されがちです。
しかし経絡の命名などの点で絶対無視することはできないのも事実です。
これから何回かに分けて経絡と臓腑についての簡単な解説を
してみたいと考えています。
気を勉強するためには大切な知識だと思いますので、
サラッと読んで見てください。
1.手の太陰肺経
人体を流れる気の出発点はお臍とみぞおちの中間にある「中かん」という
ツボの付近です。ここからいったん下がって大腸を通り、反転して胃、横隔膜、
肺を貫いて上り前胸部の中府というツボに出てきます。
この中府までは身体の奥を通っており、
体表には出ていませんのでツボはありません。
気は中府までは霧のように上昇すると言われています。
一般の経絡図には中府から腕を下降していくルートしか書かれていませんので、
この流れがなぜ肺経と呼ばれるのかピンときませんが、
中府までの流れを知ってもらえば納得できると思います。
肺経は中府から腕の内側をくだり、肘の内側にある沢沢(しゃくたく)を通り、
親指の爪の付け根にある少商というツボで終わります。
肺経のツボは肺や呼吸器の疾患、不調が現れやすいところであり、
またその治療に用いられる部位でもあります。
肺の生理機能について漢方医学では、
呼吸運動のみならずさまざまな働きをするといっています。
そのひとつは「肺は諸気を司る」という点です。
諸気とは先天の気と後天の気のことで、具体的には元気、営気、衛気、宗気の
四つを指します。
肺はこれらの気の生成と運行にとって欠くことのできない存在なのです。
また「肺は宣発と粛降を司る」といわれます。
宣発とは発散するとか散布するという意味です。
肺の「宣発」作用とは、主に三つに分けられます。
まず全身の代謝の結果生じた濁気を
気道から鼻、口へと発散し体外に排出することです。さらに脾から送られた
津液と水穀の精微を全身に配り皮毛に行き渡らせることと、
人体の脈の外を流れる衛気を散布し発汗を調節することです。
この働きが不調になると息を吐くことがうまくできなくなったり、
咳きや痰、鼻つまり、くしゃみ、無汗といった症状がおきます。
「粛降」とは粛々と下降させるという意味です。
これも主に三つに分けられます。
まず自然界の清気を鼻や口から取り入れ下降させることです。
また脾から運ばれた水穀の精微や津液の一部を腎に輸送(下降)することです。
さらに肺や気道の遺物を取り除き、清潔にすることが含まれます。
粛降がうまくいかないと呼吸困難や咳き、痰、喀血などの症状がおきます。
(続く)
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■気の流れについて■
「逆転」参加者のうち、5月生の何人かは終了検定を受けています。
動功についてはまあまあですが、どうも静功の訓練が遅れているようです。
気の修行で大切なことは文(静功)武(動功)両道です。
動功で身体を整え、力がついても静功で心を整えていないと
アンバランスになります。
我が強くなったり、心が不安定になったりしがちなのです。
また静功のみをやっている人は、内気の通りが悪かったり、
身体の中の汚れが排出できないため体調を崩したり、心に病を生じたりします。
そうならないためにはまず文武両道のバランスの取れた
修行法を行なっていかなければならないのです。注意してください。
さて肺の続きです。肺は「水行を司る」といわれます。
肺は身体の水液の代謝に関係しているのです。肺は宣発や粛降の作用によって
この働きを達成しているのです。
それは宣発による汗の発汗、脾の運化作用や腎の気化作用と共同して
粛降作用を行ない体内の水液を膀胱へと運び、
小便として排出することなどです。
肺の竅(きょう)は鼻であるといわれます。
竅とは穴を指し体内と体外が相交わる場所をいいます。肺が呼吸を司り、
その呼吸の出入り口が鼻であるということを指しているのです。
肺は鼻や口を通じて外界に開かれた臓器です。
身体の上にあり下にある臓器を外邪から保護しているようなところから
「肺は五臓六腑の蓋」と形容されます。
肺は「皮毛を生じる」といわれます。
これは肺が宣発作用によって、体表の皮毛に栄養を運んで潤し汗腺、汗孔に
作用し発汗や皮膚呼吸を調節していることを指します。
そのため肺は「一身の表を司る」とも表現されます。
一肺の働きと形一
肺は左右一対で、左は二葉、右は三葉に仕切られています。
左肺がやや小さいのは心臓部分がえぐられているためです。
肺には三億から五億個もの肺胞があります。
1個の肺胞は0.1から0.2mmにすぎませんが、その表面積の合計は
普通に呼吸している状態で約50から60平方メートル、
深呼吸すると100平方メートルにもなります。
肺胞の表面には毛細血管が張り巡らされています。
肺胞内の空気は肺胞と毛細血管壁を1000分の1mmほどを隔てて
血液と接しており、血液が肺胞部分を通過する一秒の間に酸素と
二酸化炭素のガス交換が行なわれます。
肺の働きの第一は呼吸です。
しかし呼吸をコントロールする呼吸中枢は延髄にあります。
延髄は呼吸だけでなく血液循環や意識をも支配しているのです。
延髄の呼吸中枢にはその統制が無意識と意識の二段階になっているという特徴が
あります。
したがって寝ている時には無意識の統制下にあり呼吸が続いているし、
起きているときでも意識しないで呼吸をしていられるのです。
一方、激しい運動の後や息苦しく感じた時には、
瞬時に呼吸が意識の統制に切り替わり、
息をいっぱいに吸い込んだり吐き出したりできるのです。
■覚醒呼吸について■
たまに書いていますが、わたしは非常に自堕落な生活を送っています。
会員の方と一緒に週に二三回身体を動かす以外、特に健康に気を使う
ということはありません。煙草は吸うし酒は毎日飲んでいます。
身近にいる人には「自分で自分を治療するために癌を作っている最中だ」と
冗談を言っています。それでも血圧は正常、中性脂肪などの数値も普通です。
ここ何十年も風邪などで寝込むということもありませんでした。
たまに風邪をひいたかなと思っても鼻水が出るくらいのことで、
数時間で治ってしまいます。
先日、三十年ぶりに武道関係の仲間との飲み会に出席しました。
しかし仲間たちのあまりの衰えぶりに愕然としてしまいました。
中には私より一回りも年下の男もいたのですが
「昔のような動きはもうできない」と言うのです。
「逆転」で普段行っている基本訓練のひとつを披露してみたところ、
ほとんどの人間がその真似すらできないのです。
昔と同じ、あるいはそれ以上の動きができるのは
わたし一人という有様だったのです。
不規則な生活をしていても、また加齢してもわたしが衰えない原因は
「気」の修行のおかげだと思います。
昔の修行の蓄積がまだ尽きることなくわたしを守ってくれているようです。
わたしを導きさまざまなことを教えてくれた師傳に
感謝しなければなりませんね。
今年はわたしが行ってきたさまざまな修行法を掘り起こして
伝授することを始めました。「功夫に無駄なことはひとつもない」と
言われるままにいやいややっていたのですが、それを教えてみると、
その効果の確かさを確認でき、
師傳や先人の知恵に改めてびっくりさせられました。
さてわたしが伝授された功法の中に覚醒呼吸(これはわたしが勝手に
名付けたもの)があります。
おそらくヨーガにも同じような呼吸法があると思うのですが、
それをご紹介してみましょう。これは鼻から息を吸うときにコツがあります。
鼻腔の上部は脳に接しています。覚醒呼吸では鼻腔の天井部、
つまり脳と接している部分に意識的に吸気をぶつけるようにして行います。
またこれは同時に副鼻腔という鼻腔の周囲に広がる四つの空洞のうち、
蝶形骨洞、前頭洞、篩骨洞(しこつどう)に刺激を与えことができるのです。
副鼻腔とは共鳴効果を発揮して
声をきれいに響かせる働きをしているところです。
覚醒呼吸で息を吸うことによって
脳幹部(間脳、中脳、延髄)が刺激され活性化します。
また蝶形骨洞、篩骨洞を刺激し振動させると視床下部などが活性化されます。
覚醒呼吸を10分から15分続けていると自律神経が調整され、
新陳代謝、呼吸、循環、消化など生命活動が活発に行われるようになります。
また脳幹が活発に働いているときに大脳が沈静しますので、
終わった後は大脳の働きが良くなります。
すなわちこの呼吸は思考作用と生命活動の両方を覚醒させる効果があるのです。
覚醒呼吸を行う場合、吸気と吐気の割合を1:1にします。
すなわち1、2、3,4と息を吸ったら、
1、2、3、4と同じ長さで息を吐くのです。
心の目で鼻腔の天井部分を眺めるようにして、吸気がそこにぶつかり
細かい振動を引き起こしているのを感じ取ってください。
目が疲れている人は目の奥に鈍い痛みを感じることがあります。
続けているうちにその痛みは取れ、目の疲れが解消します。
また頭痛持ちの人の頭痛解消にも効果があります。
覚醒呼吸の終了時には念入りに顔や耳、頭をこすったり軽くたたいてください。
とくに気が上がりやすい人は念入りに収功を行った後、
スワイショウを行ってください。
市販されている気功書やネットに紹介された瞑想法を独習して、
気功偏差(副作用)を引き起こしている人が数多くいるようです。
わたしのところにもたまに相談があります。
身体訓練による身体の開発抜きで気だけを強化しようとするのには
無理があります。人間は多種多様ですから、
その人の個性に合わせて行うのが気功静功の鉄則です。
それも修行経験をつんだ指導者が導いてあげないとうまくいきません。
中国の古典で独習してもうすぐ羽化登仙だと言っている人に
あったことがありますが、見たところ半病人だったので修行を中断して
身体を治したらどうかと忠告したことがあります。
静功や瞑想というものはイメージだけで行ってはだめなのです。
実際の身体感覚に従って進めることが安全であり近道でもあるのです。
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