855 :
病弱名無しさん:04/09/27 14:30:43 ID:0seeBwYo
或る意味で、整体は「気は気なり」と素直に見れる人(素人)のものだと言ってもいいだろうね。
やれ電話だとかアルファー線だとかいちいち解釈しなければできない人(ド素人)のものでないことは確かだ。
また挑発してしまったかな。
でもまあ、漫画を見てもわかるように、これが整体に対する「世間の常識(見方)」だから、挑発にはならないな。
はぁ…
>>853〜855さん
そうですね。同感。
マスコミ、医療関係者、健康法のプロ
いろんな世界で知識に頼る腰抜け状態になってますね。
知識以前の内なる力。
現代は野口先生の目指していたものとは
違う方向に進んでいるようです。
現代を敵にまわすという考えは古くないか?
現代がやっと少し追いついてきたんじゃないの?
>>853 とんでも本という本は存じ上げないのよくわかりませんが、それは世間的な常識を
代表する雑誌なのですね?
そして、世間では愉気も活元もみな妙な超能力扱いをしているのに遠隔愉気だけ
特別扱いするのはおかしいと・・・そういう意見があるというならわかります。
はじめからそうおっしゃればいいではないですか?
私の周囲で、遠隔愉気は別として、操法や活元運動を変に思う人は少ないです。
ちゃんと合理的な説明を受けていますから。たしかに、いつまでも超能力的な説明
をすると世間は非常識と思うでしょうね。
ところで、仮に、その本の評価が一般だとして、遠隔愉気のみを特別扱いするとい
うこととズブのど素人という言い回しにはどうやったらつながるのでしょうか?
また、野口先生が愉気と遠隔愉気を区別されなかったかどうかは疑問ですが、
されなかったとしても、だからといって区別すべきでないということではありませんね。
(ところで、私がいう直弟子さんとはYA田YO田TU先生などを指します。)
それと、私に対する評価はどうでもいいです。ど素人でも、野口に関して理解してない、・・・堅物など・・・実質的な話しと野口はるちかのように見知らぬ相手に遠隔愉気できるのか
・・・それだけ教えてください。
>>854 指圧はよく知りません。しかし、整体には、
身体運動の観察があって操法がある。感覚の過敏と鈍り、それに応じた刺激に
よって弾力を回復する。気による説明しかない場面があることを否定するもので
はありません。
しかし、
誰もが受けれ入れやすいような説明があり、また、野口も世間に受け入れやす
いようにそのように努力したのになぜ、すべてを気によって説明しようとするのか?
そして、「説明」ということで言えば、気による説明はすべてを説明するがゆえに
何も説明しないのです。
気は気なり、の解釈で「庭前」によるのも悪くはありません。しかし、
気とは?と問われて庭前式に行くと、「原稿用紙」と答えたかもしれませんね。
私は、気は気なりとはそれ以上説明不可の概念であることを示したものと解釈します。
ところで、ひとのことを素人というあなたはプロなのですね。
気で操法をし、また、遠隔愉気もできるのですね。
では遠隔愉気であなたができることを教えていただけませんか?
>>856 たしかに知識に頼るだけだと腰抜けになります。
しかし、知識がないのは愚かなだけです。
従って、知識はその限界を知って最大限利用すべきものなのかもしれません。
>>860さん
>しかし、知識がないのは愚かなだけです。
従って、知識はその限界を知って最大限利用すべきものなのかもしれません
そのとうりですね。まったく知識ないと会話もできませんので。
ただ、私が言いたかったのは
例えば食事を例に取れば、カロリー計算やたんぱく質の量とか
そういう計算をして食事する人が増えました。
中学の家庭科ではカロリー計算ばかりしてます。
でもいま自分の体が必要な食べ物はなにか?
それは本能で感じるべきものだと思うのです。
食べ物の栄養学的知識を増やすことが
健康につながるみたいな風潮は
整体の考えとは逆だなって思ったんです。
「気は気なり」は操法読本でしたっけ?
気をそれ以外の様々な概念で説明することに対して、「気は気なり」と返したでしたっけ?
ある学知的体系において定義不能なものというのは不可避です。そして、そうした概念はそ
の体系のもっとも根源的・基本的な契機、あるいは要素、となるものです。私はそう解釈した
。
趙州の庭前はたしか仏とは?に対しての答え、かれは掃除をしていたところだったか
とにかく、不意に問われて、不意に眼前に映る「柏樹子」と答えた。これは禅宗の人々でも
さまざまに理解されます。す〜と答える無心の境地を表した、かつ、もしくは、あるいは、一
切即仏を示したものである・・・などなど。同様の構造で答えるならば、気とは?の問に持っ
ているペンを示しても良い。あるいは、仏とは?と問われて、即心即仏、あるいは、非心非
仏と答えた禅坊主がいたように、心なり、とか、非心なり、とか、さまざまに答えることもで
きる。しかし、野口はそうしていない。また、無心な気持を表現したとすれば、彼はある意味
ほとんといつでも無心だったと思います。とすれば、彼の著述すべてが無心を表現したもの
ということになってしまいます。「そのままみろ」ということなら、そういったでしょう。趙州の
場合と違って対面した相手に語った言葉ではない。そして、山は山なりというトートロジー
は論理的・内容的には何も語らない、にもかかわらず、そう語ったのは、ここでは、そうした
ことを意図しているのではなく、やはり、説明不可の概念であることを示したものである、と
解釈すべきだと考えます。ところで、私はこうした様々な解釈があり得ることを楽しみま
す。ある解釈をする者を勘違いとかど素人という感覚は理解しがたいです。
浪越徳次郎さんは野口先生の教えを受けたかたですね。浪越君と○○くんが何十年か後
の天気だかなんだかの話しをして喧嘩した、などという話しがある講義録がありますね。
彼が「命の泉湧く」と言っており、また、真面目にそういっていたとすれば、たんに物理的な
身体を押すとは違うなにかをつかんでいたのかもしれませんね。しかし、多くを説明できる
ものでない。同様に、気を通せば命の泉湧く、といっても、溌剌なり!!!といっても多くを
説明できるものではありません。
何度も繰り返すようですが、野口が不可思議な気の使い手であったことを否定するもの
ではありません。しかし、
操法は?気による身体調整です。
活元運動は?気による動きです。
愉気とは、気を通すことです。
遠隔愉気とは?遠くにいる人に気を通すことによってその心身に影響を与えることです。
こうした説明はあまり説明になっていません。なぜなら、
まず、
気という概念が説明不可のものでありますから、世間的に説明できないものでもって説明
することは説明ではないのです。
次ぎに、
気という概念は不可思議な力のイメージがあるゆえに、新興宗教的に悪用されやすい。
また、
野口自身が世間的に受け入れられるような説明を用意しているのに、なぜ、世間的に受け入れがたい説明を選択するのか合理的な理由はない。そして、その説明のもとでも、個人が
自分の裡なる力を通して健康を保持するという思想は伝わるものであること
さらに、
野口のような使い手でないものが使い手であると僭称することによって、不安な人々の心に
つけこんで、治らないものを治すといって金を取る、そうした力を身につける方法を伝授するといって金をとる、などという弊害があります。
勿論、遠隔愉気を愛の発露、祈りとして、その限界を認知、あるいは、承知させながら、
教示するということに異論はありません。
私には非常に危惧していることがあるのです。
こんな例があります。
ある人は整体を受けていた。妊娠した。異常だった。操法を受けていた。最終的には
医者にいき、手遅れといわれ、堕胎した。
ある人も整体を受けていた。乳房の異常があった。操法をうけていた。最終的には
医者に行き、乳ガン、手遅れだった。
ほかにも沢山あります。
勿論、彼女・彼らがすべて承知の上でしたら、それはそれでいいのかもしれません。
また、彼女・彼らが医者の診断を受けた上で、そうしたのならいいのかもしれません。
しかし、不可思議な力の信仰により、あるいは、信仰させたあげく、
医者の判断をあえて排除する、あるいは、不要かののような雰囲気にしていたのであれば
あまりにも惜しい命だとおもいますし、それは罪悪だと思うのです。
個人的意見なんですが
人生そのものを活元と考える、というのはどうでしょう
活元が動きたいように動くように
食べたいように食べ、寝たい時に寝て
人生の様々の選択も活元のように本能で決める
結婚も仕事も活元のように行い
出た結果はすべて善しとして受け止め
活元が止めたい時に止められるように
社会生活にも活元しながら順応していく
病気になるのも治るのも
活元であくびがでるようなもの
そして活元の後のさわやかな気分のように
人生という活元をさわやかな気分で
終え死んでいく
そんな人生でありたい
867 :
sage:04/09/28 00:13:30 ID:9crVaQWX
気配り、元気、病気、気配、殺気、活気
気が強い、陰気、陽気、気弱い、気にしない、気がつく
気力、気が合わない、気取り・・・・・
説明不可の概念であるなら、なんでこんな気がつく言葉が日本には
多いんだろう。みんな日常的にこれらの言葉を使っているわけで
気って一般の人も普通に理解してるはずの事だと思うなあ。
>>865さん
個々で事情が違うので、一般論では語れない重要な問題ですね。
医者に早く言っていれば助かったケースだとすれば、整体指導した側に
問題があるかもしれません。
整体を受けていて癌でおなく鳴りになった場合。
手術や抗がん剤治療を受けていれば助かったかもということも考えられます。
その逆に手術や抗がん剤治療がより、その人を苦しめる結果になることもあります。
ひとりひとりの状況によって違ってきます。
私の話で申し訳ありませんが、医師から余命3ヶ月といわれた食道癌の方を
整体させていただいたことがあります。
手術しても駄目だということで退院なさり、週一位で私のところに来られてました。
3ヶ月以内に食べれなくなるのでそのときまた入院という医師の指示でしたが
2年ほど元気よく生きておられました。
最後はやはり食べ物が通らなくなり入院
意識がなくなり一月ほど苦しんでいるというので
病院に伺い、もがき苦しんでいるその方のみぞおちや肝臓に愉気。
病院を後にした数時間後、お亡くなりになりました。
私のところに限れば、ほとんどの難病の方はすでに
病院で治療を受けており、その上で私のところに来るケースが多いです。
>>866 野口本人はそのように理解していたようです。
>>867 日常的に使われ、前提になっている言葉だからこそ、説明不可なものなのかもしれません。
知らない人にも、もしそのひとが「山」という言葉をしっていれば「山岳」という言葉説明しやす
いが、山というものを知らない人に「山」ということはかえって説明にしにくい。常識という体系
において「山」という言葉は基本的すぎるからです。
ウィトゲンシュタインではありませんが、それは使用において示されるものです。野口の気も
気の実体験において示されるものなのだ思います。
また、たしかに、日本人はある程度理解しています。しかし、気という言葉はそこに出ている
ように、中国から来た意味、日本独自の意味などなど、いろいろな意味で使われます。「気」
の由来や多種多様な意味を説明した本も沢山出版されています。ですから、せいぜい多義
的な言葉です。説明概念として、明確であるには、松本道別のようにそれは窒素である、
でしたっけ?ーーー何かの化学物質のように限定して使うならば説明になります。しかし、
限定しないならば、どの意味で使われているかわからず、結局説明にならなくなってしまうと
思うのです。
>>868 医者の方がすんなり楽に治るものもある。そうでない場合もある。私は個人的にいって、
医者にかかったからといって、整体よりも長生きするとか、よい生を全うできる、とは思って
いません。医者にかかっても死ぬ者は死ぬ。整体よりもひどい死に方をする場合だってた
くさんある。しかし、それは、相手が両者を資料をもち判断した上で、決断すべきことだと思
います。整体だからといって苦しまないわけではないです。だから、医者排除、不要なりの
雰囲気を作り、両方を判断させないで、もし不可思議な力でもって苦しまないとか、長生き
できるんだ、とかいう、幻想を不安な人々に心に与えるのはよくないと思うのです。
野口があるひとに「癌て医者にいわれたけど、医療を受けない」と言った人に、「痛いよ、が
まんできるかい?」と聞いたという話しがあります。彼女は「はい」と答えたそうですが、それ
なら問題ない。
また、医者の判断を仰ぐというのはその治療を受ける受けないは別として社会通念になって
いる。だから、そうするのは整体を知らない家族に整体を受容してもらうためにも必要なこと
ではないか?
また、医者にかからなくて医者が言ったより長生きしたからといって(医者は短めにいう慣習
があるらしい)それが、整体のこれこれの施術のおかげだ(原因だ)とはっきりさせるような
仕方の病人の関与の仕方はしてこなかったのが一般ではないでしょうか?
871 :
通りすがり:04/09/28 05:11:53 ID:QwkcF0fq
常識的に考えて信頼できる医者のいうことを第一に聞いたほうがいいよ。
説明は、息と感情と集注と気とイメージ、といえばだいたい感覚的に
わかるんじゃないかな。
870さんには実際に活元運動をしたり整体指導を受けてみて頂きたいと心底思う。いいものですよ。
>>871 同意です。そして、私は指導者は、相手が整体に対して妙な信仰をもつと思われるとき、医
者にも診てもらうことを薦める責任があると思います。その上で、相手の判断を尊重すべき
だと思います。
また、操法や活元の長所をいうのは勿論いいですが、過大な盲信を与えないような注意が
必要だと思います。整体は信じるものでなく、理解するものであり、それは自分の心身を理
解することだと思います。そうすれば、整体と医者との棲み分けも自分で判断できるでしょ
うし、また、世間でも整体を独自の思想に基づく、健全な健康法である、と受け入れられる
ようになると信じます。。
私が嫌なのは、野口のような達人でないものが、野口と同様な不可思議な力の使い手であ
るかのような印象を与え、不安なこころや、無知な人々を翻弄することです。一般人のなか
には、指導者がそう意図しない場合でも、不可思議なイメージにつられて、医者にうけなく
ていいんだ、受けると先生の指導を受けれらなくなるなどなど予想外の空想をするひとが
いるものです。そういう不可思議なイメージをつくる雰囲気はできるだけ抑制すべきだと思
います。
説明も、おっしゃるように、集注、感覚、イメージ、呼吸などと言った社会で通用することばで
大半は説明可能だと思います。
>>872 ありがとうございます。ちなにみ私は母胎のときから操法、愉気をうけ、活元運動しながら
いまはどちらかというとじさまな生活です。
現代において西洋医学は中世ヨーロッパのキリスト教的な
絶対的な地位あります。
それに逆らうことは神に逆らうようなものです。
野口先生のような達人域に達した人でも
分別が必要でしょう。
それだけ一人一人が自分でものを考えてないということでしょう
ところで井本先生のHPいったら
プロフィールに医学博士とあって驚いた。
鍼灸の免許持ってるのは知ってたけど
いつ医師になったんだろう?
医師の免許あれば強みだね。
私の通っていた東洋医学の学校は
○○療術という組織が運営してるんだけど
初代が免許なくて苦労したんで
2代目の息子さんは医者になった
医師で校長で2代目
その校長から解剖学と生理学習ったんだけど
ものの考え方は完全な医師の発想でした
>>873 ほら、変な話題に粘着するからスレ違いの、しかも医師について深々とした幻想を抱いている宣伝屋が出現したじゃないですか
宣伝屋さんは実際の医療と病院の現場には詳しくないようだからほっとけばいいのかもしれないが
この手の勘違いとルサンチマンが所謂医療従事者には一番恐ろしい
873さん、あなたの問題意識は私もよく解ります
その上で何故整体でなければならないのかあるいはI本その他でもいいのか
母胎におられたときから受けておられた、というのは素晴らしいことですね
でも大人になってもそれしか理由がないということはないでしょう
気、について近年日本、中国、アメリカで発表されている医学、哲学の論文を学習なさると
気についての社会一般の、になるにはまだ間があるがいずれそうなるだろう認識を得ることができようかと思われます
>しかも医師について深々とした幻想を抱いている宣伝屋
874,875のことかな?
私自身は西洋医学が大嫌いです
でも自分の好みを人には押し付けないよう気をつけてます
そんな風にとられる文の書き方だったかな?
>>877 なるほど、確かによく読むとお説の通りにも受け取れます
失礼
その上で整体の医療的側面についてのみ考えるなら
東洋と西洋が排斥しあうのでなく
無原則なすり寄りでも無い道を模索したいものですね
I本やH本を使う医師は増えていますが
それは当然有効だからでもありますが
むしろ「道具」としてのみ使用できる技術であり
かつ作用がよく言うと「緩和」だからです
博士号は研究論文さえ提出できれば誰にでも取れますし
大学等での専攻にそれは関わりません
お年を召してから研究を志し学位を取得された立派な方がおられるのですね
医師の中には変態や性格のおかしな人がいると思うけど、どこの世界にも
そういう人はいますし、何故、野口整体の人は西洋医学を目の仇にするの
でしょうか。西洋医学は固定されているものではなく研究によって考え方
や治療方法が変わるものですし。
>>879>目の仇
それは誤解だと思いますよ
会員には昔から現在に至る迄医師薬剤師を始めとする西洋医学の基礎研と臨床の関係者が多数おられます
会員に医者がいるのは知ってますよ。会員が西洋医学を目の仇にしてるって
言ってるんじゃなくて野口整体がって言ってるんですが。
とにかく、レスに出てくる人物評価はやめましょう。論拠に基づかない評価も
荒れるもとだとおもいます。
>>875 テレビに出ていたときに医学博士とあったので私もびっくりした覚えがあります。
でも、いわゆる医師免許をもっているというわけでなくても、そのような肩書きを得ること
もできると聞いたことがことあります。よく健康食品や器具の販売ではそうした例があるよう
です。
本家では、野口亡きあと、「医学との調和」ということが活動目標の一つになっていたころが
ありました。医学的な病名をだしながら、講座を開いている以上、自分たちの活動の限界と
医学へ援助を求める必要性も明示すべきだと思います。その点で、いまだに、それは達成
されていないのではないか?と思います。
>>876 >変な話題?よくわかりません。少なくとも「こうした話題」とかけないものでしょうか?
>粘着 レスに対するレスが粘着になるのでしょうか?
>医療の現場に詳しくないようだから・・・・どこからそれが読みとれるのでしょうか?
>医療従事者には一番恐ろしい・・・何で恐ろしいのでしょうか?多少なりとも医学的な観点
をもっており、かつ、医療に援助を求めることに躊躇しないならば、医療排除、不要との
信仰をもっているひとよりずっと助かると思うのですが?
>宣伝屋?
>>875さんは何か宣伝しているのでしょうか?通っていた東洋医学の名称も
出さすに、それがすごいとかえらいとかも言っておられないのに、宣伝になる理由が
よくわかりません。
>この手の勘違い・・・・どの手の勘違い?でしょうか、何に対するルサチンマンでしょうか?
>>875の内容からどうやって875さんがルサンチマンをもっているという推論がでてきたの
でしょうか?
>大人になっても・・・・大人になってもそれしか理由がないわけではないですね。
それしか理由がないとも何処にも書いてません。
>国、アメリカで発表されている医学、哲学の論文を学習なさると・・・アドバイスありがとう
ございます。しかし、こうした書き方をすると読者は「オレはこうした本は読んでるけど、お前
はよんでないだろう!!」と空想する場合があり、空想の活用としての潜在意識教育として
はあまり適切ではないかもしれませんね。あるいはそれが意図なのかしら?
>気について社会一般になるには間がある・・・というのはそうでしょう。
だからこそ、通用する概念で説明すべきである、という主張ですよ。
そして明確な概念で説明できればその過誤も訂正しやすいという利点があります。
>>878 東洋と西洋が排斥しあうのではなく・・・全く同意です。
そして、共同ないし、棲み分けが必要であると思います。
>>879 会員は別として、指導者に医学に対して目の敵にするひとがいれば、むしろ、原理主義的な
指導者なのかもしれません。整体こそは医学を凌駕する健康法なり!!という気概があれ
ば私は個人的には尊敬します。むしろ、私は、指導者のなかに、医学に援助を求める場合
があること、また、その選択肢があることをあいまいにする場合があるのではないかと懸念
しています。
>>883 御陰様で
2ちゃんにおける言い争い必勝法がよく解りました
ありがとうございます
自分ではこの方法使いませんけどねw
一度整体をそして可能なら西洋医学を真剣に学ばれることを
御薦めしたいとおもいます
>>881 野口 整体 というかたがおられるのですか?
それとも整体=反西洋医学 ということですか?
>>884 >言い争い?私は理解を深めるために利用しています。
>必勝法?理解が深まるかどうかで、勝ち負けという感覚はわかりません。
>この方法?論拠を示して結論を述べ、その応答だけで、科学にせよ、人文系の論文でも
基本的にはこの方法ではないでしょうか?、
>アドバイスありがとうございます・・・潜在意識教育かしら?(
>>883参照)
886 :
病弱名無しさん:04/09/28 19:21:21 ID:/1+PaXuu
西洋医学と野口整体かあ。
これもまた気ではないが、今のところ交わるのか交わらないのか。治療観、健康観がまったく違うからなあ。
例えば、野口整体は治療の要諦は「死ぬべきを死なしめ、生くべきを生かしむ」と言うが、西洋医学はその逆なような気もするし、
ただ、野口先生は西洋医学を目の仇にはしていなかったと思う。逆に「見下していた」と思うのだが。これは私の推測。
私は目の仇にするつもりはなく、逆にうまく利用させてもらうつもりだが、俺もどちらかというと見下しているからなあ。
887 :
病弱名無しさん:04/09/28 19:23:20 ID:/1+PaXuu
医学は元々、死を遠ざけることから出発しているように思える。
病気=悪とは死=悪という捉え方、医学の究極の目標は不老不死でしょう。
整体は人間は必ず死ぬ、ということを前提に出発している。
それならば死ぬまでの生という期間を全うしようという風に考える。
敵対するわけでなくて、医学と整体は出発点が違うし、
その根本にある健康観、死生観も異なるし、交わろうにも交われないんじゃない。
888 :
病弱名無しさん:04/09/28 19:29:37 ID:/1+PaXuu
ああ、それから書き忘れました。
「遠隔愉気をしてみせろ」とか言っておりますが、その前にまずあなた自身が愉気というものを体験し、実践してみてください。
愉気ということが分かれば、手を当てるだけが愉気ではないことが分かるでしょう。
何時間手を当てていてもまったく変化のないことも分かるでしょう。
そして手を当てなくても、言葉をかけるだけでも、「気付く」ということでも愉気だということが分かるでしょう。
相手に接触していないのですよ。もっと簡単なのは、相手に離れて立ってもらい、相手の背骨に愉気をすると、相手の人が引っ張られるとか、押される、ゆれるとか、愉気法の時によくやるでしょう。
離れた人に気を送っているのですよ。立派な遠隔愉気です。
愉気を実践していけば、「伝統的な」とか、距離が近いの遠いのとかいうことをわざわざくっつけて考えることもなくなると思います。
愉気を実践していけば、あなたの求める答は自ずと出てきます。
>>888 随分と前のレスへの応答ですね
遠隔愉気で何をしているのかとおたずねしているのです。
まず、気持のこもった動作や対応がそうでないものとくらべて全く異なることはそうですね。
また、おっしゃるような意味での気の交流というか、より正確にはあるジェスチャーや
あるタイミングで言葉をかけることで相手に影響を与える、ということは理解しています。
それは心理療法などの分野でもかなり研究されていますよね。
ところで、相手に離れてたってもらい、というのも、心理的には説明つくものです。しかし、
以前、整体ではないですが、韓国の気功師が早稲田の物理教授に気を通して倒すという
実験では暗示にかかりやすい女性タレントは別にして、教授やビートたけしには効かなかった。
因みに私は愉気法のとき、自分では上の空でいたときでも、相手の方は前へ後へと
動いてくださいました。同様に上の空で、ズズズッと後に倒れてしまった方もいました。
私はすごい気功師なのかな?
愉気を実践されて遠隔愉気できるようになったのですね。どんなことをされたのですか?
例えば、気を通されていることを全く知らないで立っている被験者をゆらゆら動かすことをが
できるのですか?祈り以上の何ができるのでしょうか?
>>888GJ!
それはそうと整体に関する知識さえ大分ボロが見えてきた
粘着荒らし君をかまうのはこのくらいにして
以後スルーで如何?
これだけ彼の発言が妙な感じになってくれば
粘着君が整体をしている人だと誤解する人もいないから
反論しなくても大丈夫だと思います
どうぞ、当たり前のことですが、スルーしたい方はスルーで構いません。
突然遠隔愉気に関して蒸し返されたのでお答えしただけです。
そもそも、「もっと実践すれば答えは自ずと出る」という答えはあまりよい答えとは言い難いで
すよね。
例えば、逆に「もっと人生経験つめば私の言ってることがあなたもわかりますよ」と私がいっ
てもあまり良い答えとはいえないでしょ?
>>890 何を恐れているのかな?
未知の相手に気をおくることによって心身に影響を与える、という遠隔愉気を実証しなさい、
と言われるのを恐れているのでしょうか?
ご自身が論拠がだせないで、相手が筋を通すと相手を「妙な感じ」というのかな?
仮に整体していない人として、整体していない人には反論できないと自分の世界に引きこもる
のでしょうか?
何が大丈夫なのかな?誰にも反論されない自分の世界に満足できて大丈夫なのかな?
そもそも、スルーと決めたならみんなに相談しないでスルーできないのかな?
2ちゃんでは荒しはスルー
はいはい、
相手してくださって感謝しております。(^_-)
「はい」は一回!
_, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´)
>>896 反論するなら論拠とともにする、スルーするなら私のレスに全く言及しないでスルーしていた
だけますか?主張の論拠を伴わない否定的評価はエネルギー消耗になるという意味で自己
満足はできるでしょうが、合理的・生産的ではないばかりか、否定的な感情の連鎖に終わる
だけたと思います。整体を学ぶってそんなことですか?
何らかの形で多少なりとも私のレスに言及があれば、その方を対等な人間だと思うからこそ、
私の意見を私なりに真面目に論拠とともに主張していくつもりです。私の主張は愚かな主張
かもしれません。だからこそ、私にとって吟味が必要なのです。そして、論拠のある反論な
ら自分の理解も深まり役立ちます。勿論その必要なしとお考えならば完全にスルーしてくだ
さい。
_, ,_ ヽ /
( ‘д‘) ∨
(#д´)
_, ,_ 遊びも余裕もないな…
( ‘д‘)
(#д´)
>>898 それはどちらのことでしょうか?なにかおそれているのですか?
遠隔愉気に関しては最後に述べるような危険があるので、私は今一度主張したい。
1)野口は未知の人の心身に影響を与えるという意味で遠隔愉気ができたであろう。
そして、野口においては愉気の場合と同様、気の応用として可能だったのかもしれない。
しかし、
2)仮に同じ気の活用でも愉気と遠隔愉気には格段の差がある。
野口は指導にうけにくるのが女ばかりだなあ!と言われて「じゃあ、今日見ていろ」、といっ
て気の応用とばかりに、男の会員ばかり呼び寄せたという話があります。愉気ができたから
といってそんなことできますか?野口にとって同じ気の活用だからといって、愉気ができれ
ばそんなことまでできるのですか?そして、そんなことができなければ愉気ができないとい
うのですか?
(また、愉気法において、遠隔愉気を一般に伝授した記録はない。そして、たぶん、講義録
において、遠隔愉気を伝授した記録もないーーあったら年月日を教えてください、もっとも直
弟子さんに直伝された可能性はある。その直弟子さんが頼まれてやったという遠隔愉気が
効かなかったという話しは知っています。)
3)現在上記意味で遠隔愉気はできるひとはいない。
4)もし、できるなら、何ができるか特定し、立証してください。
私が被験者として立候補します。上記の例の野口のように立証してください。、例えば、
日時を限定して私を揺らすなり、発言をやめさせるなりしてみてください。遠隔愉気肯定
論者が勝利することは簡単なことなのですーーー何ができるか特定しそれを立証するだ
けでいいのです。できれば私は詫びます。
5)そして、できないなら、
あ)できないものをできるとして教示するのは欺罔である。
い)できないものをできるとして、金をとれば詐欺である。
う)指導者がそのような不可思議な力の持ち主だと信じて、あの先生に診てもらっているのだ
から大丈夫などと空想し医療への援助を遠ざける一因となる。
え)そのような不可思議な力を信じさせることによって、悪い意味での新興宗教的な現実に直
面しない人々を増やす。
お)野口のような卓越した能力をもつかのように振る舞う指導者は信頼できない。
(無論謙虚な指導者もおられます)
そして、こうした弊害があるからこそ私はこのことを主張したいのであり、整体に興味をもって
これから学ぼうとこの掲示板を偶然見た人に対して今一度この点を喚起しておきたいのです。
>>896 >>898 整体を学んだあげくの果てが堂々と主張もせずに
人を蔑むことだけだっだのですか(>_<)・・・悲しいですね。
どうか、最近整体を勉強しようとされる方はをよく観察してください。
因みに、あらしだと思うなら堂々と削除以来だしてください。
私には、論拠無しに人をからかい、あおり、さげすむ人の方が荒らしにおもえますけど。
902 :
病弱名無しさん:04/09/29 14:48:14 ID:x6/wGf7j
この人は遠隔愉気というものをというか、そして気というものがまったく分かっていない。
遠隔愉気というのは、「未知」の人をゆらゆら動かしたり、発言を止めるようなことにしか思えないんだね。
先生は気の通わない人には(未知の人などその代表?)、横にいて手を当てて愉気をしたって何の感応もないけど、気の通う人なら離れていても感応すると言っていたのではないかね。
どうしてそんなに超能力にこだわるのかな。
どうして素直に気を解釈できないのだろう。
離れて愉気することがそんなに危険なの。私はしょっちゅうやっているけどなあ。
俺が調子わるいのもあいつに変な気を送られてるからなのか
>>888さん
>相手の人が引っ張られるとか、押される、ゆれるとか、
>愉気法の時によくやるでしょう。
盛り上がってる議論にちょっと横入りして流れにあまり関係ない
疑問を書かせてください。
あなたの意見にだいたい賛成なのですが、引っ張られる押されるゆれる
レベルじゃ気は通ってないというかまだ深く催眠状態に入ってない
と思うんですけど。
気を送られたほうが勝手に走り出して壁にぶつかるくらいじゃないと。
そのくらいじゃないと気を送ったとはいえないのでは。