たとえば自分の子供が 近所の子供と「口喧嘩」をしたとする
親だから 近所の子供に“○○ちゃんごめんね。もう悪口言わせないから、○○ちゃんも悪口言わないでね”と仲裁する
そう言って仲裁しておきながら 家に帰って子供の言う悪口を聞いてあげていた たぶんこういう事なのだろう
私は「もう言うな」「構うな」と言った そして「 見るな 触れるな 思うな 」と言った それは君も読んだであろうから
君との“もう言わせないから”という約束を無条件で反故にした訳ではない事は理解できるだろう
ただ私とて人の子 『我が子』はかわいい 子の話を聞くのが『親』と思えば子の話は聞いてあげたいと思う
他人の子供との約束より我が子の思いを優先するのだ それが親というものだ
ただ 君の私の対する嫌疑は全くの見当違いだ 私は決してそんな卑怯者ではない
君の主張を聞いた者は言うだろう “人に犯人扱いされたと言うけど、君も人を犯人扱いしてるよ。”
まさにあれだけ私のレスを読んでいながら 私を『犯人』と疑うのは冷静さを失っているとしか言いようがない
ではなぜ冷静さを失っているか? 君も「猜疑心」と「怨念」に取り憑かれているのだ
だから『嫌な言葉』に反応し『嫌な人』の追跡をはじめ 次々と『嫌な言葉』と『嫌な人』を目にする
そして 君の周りは『嫌な言葉』と『嫌な人』の「猜疑心」と「怨念」で溢れる
「猜疑心」と「怨念」に取り憑かれた精神は冷静ではいられないのだ
もう分かっただろう
「もう言うな」「もう構うな」 そして嫌いなモノを「見るな 触れるな 思うな」は君に贈る言葉でもあるのだ
これは『我が子』の為ではなくて君のために言う 「君も嫌いな者の後を追うな」
余談だが 私は誰も嫌わないからどんなスレでも行く事が出来るのだ これは誰彼出来る芸当ではない
※上記の文章は君との約束を大事にしなかった詫びではない 君と絡んでいた頃に言えなかった感謝の代わりだ