44 :
軽賞4連敗中:
700馬力V8の怪物、モビリオスパイクの悪夢
本物のV型八気筒をモビリオに乗せ、公道を時速200
マイルで走ってみたい!漢として公道で死すチューニングカーの物語
モビリオはアスファルトにうずくまり、じっと何かを凝視していた。
ドッ、ドッ、ドッ、
700馬力の鼓動が冷たい夜気をなぶる。
雪のような白いボディーは、狂気な匂いがした。
「乗れよ」
トリプルプレートのレーシングクラッチが繋がると
エンジンがウッと息絶える。が、
驚いた事に7700ccは自分の力で呼吸を取り戻し
車を発進させた。アクセルペダルの一撃が入る。
僕は助手席の背もたれの上に叩きのめされ、そのまま
身動きできなくなった。
音を立てて血の気が引いていく。
息さえも止めていたと思う。
なんという加速!2秒・・3秒・・・。
ふっつりと加速がやむ。眼球をすばやくめぐらせて
薄緑色の証明の中に浮かび上がっているスピードメーター
を盗み見る。120だ。
ローギアの一瞬で120!ジャッ、ガッ。
セカンドギアの加速が始まると再び猛烈なGに襟首を
ひっつかまれてボクは昏倒する。・・・・そんなことはありえなかった。
それは1981年11月29日のことで、彼はその2車線の一般道で本物の
700馬力が放つ本物の暴力たっぷり教えてくれたのだった。公道上の
時速250キロ。頭上を行く首都高速3号線の高架が視界に突き刺さって
来るようなスピードだった。
45 :
軽賞4連敗中:2009/07/31(金) 15:28:35 ID:???
東名厚木ー用賀6分20秒!?
彼の名を、きむ・アラン・坂下という。
スピードに取り憑かれていた。
ペンシルヴェニアで生まれ大学を卒業して日本の地を
初めて踏むと、持ち前の語学力を生かして小さな
商事会社に就職した。走り出したのはその頃だ。
GI相手に基地の滑走路でゼロヨンを挑んだ。
負けると意地になって車をいじり馬力を上げる。
打ち負かす相手がいなくなると基地の外に出て行くようになった。
当然車もエスカレートしていき、収入の大半がそこに消える。
群れるのが嫌いな一匹狼だったが、30歳を越えると年下の
仲間達もできるようになった。青山3丁目にエンドレスと言う名の
喫茶店がある。8時を回ると何処からともなく低い車高のさまざまな
車達が集い、零時を過ぎると野太い排気音を響かせてどこかへ去っていく。
目的地は東名高速道路海老名サービスエリア、厚木インターチェンジで
下り線をいったん降り、すぐUターンして上り線側のパーキングにくつわを
並べる。時には40台にもなった。
そこから東京料金所に至る27キロをアクセル全開で競うのだ。
一番速いクルマが一番速くゴールにつく。「コースレコード」は
6分20秒。平均速度255キロである。だがきむのフェアレディZは
一度も先頭を走る事ができなかった。