【喜怒】最悪雑談【哀楽】王様Part32

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589王様 ◆IamKing/mg
さて、
先日母が亡くなった。日本人の平均寿命からみれば早めの死だった。物のない時代に生まれ、両親からの
十分な助力を得られないまま社会に出て懸命に働き、苦しい中で私を大きな愛情を持って育ててくれた
偉大な母だった。意識したことは無かったが、今思えば、いつでも無条件に自分の味方になってくれる、
絶対安全地帯、ともいえるような母だった。私はもう大人と言われる年になったが、今までずっと母の
ゆりかごの中にいたのだな、と思う。こういった安心感はもう生涯得られることはないだろう。

病院から急報が届き、急ぎ駆けつけた時にはすでに危篤で意識は無かった。最後に意識を持った母と会った
のは前日の病院での夕食の時だった。その時は咳き込みながらもそれなりに元気そうに見えた。長い入院
生活を続けていたせいで、その日が急に来るとは思わなかった。徐々に酸素飽和度が下がり、脈拍が落ちて
いく中で医師に、母は苦しくないのかと聞いた。意識がないので苦しくは無いだろうが、念のため鎮痛剤を
投与するかと聞いてきた。お願いした。

病院に着いて数十分後、母は旅立った。辛い時代を生き、苦労して私を育ててくれた母は逝ってしまった。

私は母にとっていい子供であっただろうか。母は私が生まれ育ったことで幸せだっただろうか。客観的に
見れば必ずしもいい子供では無かったと思う。でも、母に聞くことが出来れば必ず「当たり前じゃない。」
と答えてくれると確信できる。そんな母はもういない。

母は新聞に昭和という時代を語る1人の人物として記事になったことある。記事では古き良き時代を示す
証言の1つとして書かれた。その良き時代を私は今日まで過ごすことが出来た。

母が息を引き取る前、最期にかけた言葉は「元気でね」だった。ありがとう、幸せだった、死なないで。
色々と人によってかける言葉があるだろう。でも、私は苦労を重ねてきた母、そのせいで寿命を縮めたとも
思える母に最も願うことを言った。

偉大な母はもういない。