ヽ(´.ー`)ノ
保守
保守する夜に騒ごう
バッティグいやーん
新スレは…どこだ?(■∈■)
わるいほしゅ
ほしゅ降る夜に騒ごう
俺とオマイラのなんという黒い保守のパーフェクト・テーマ・ソング
パーフェクトホシュ
携帯つながんないな(■∈■`)
312 :
おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ:2007/12/16(日) 23:08:45 ID:w06w3nej
HOSHUTOWN BOYS' MARCH
ところで、おまいらが今まで笑ったスレタイ、スレタイ案って何よ?
〜ギター〜
岡田…(昨年に引き続き)
>>312 〜黄色 ポテトの色 とってもsweet〜かな
gg
永遠の保守
mtmttkhr
inbks
320 :
おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ:2008/01/13(日) 11:34:23 ID:/HjXll2v
アミューズ(笑)
322 :
おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ:2008/01/18(金) 19:48:38 ID:ue2gtWkC
/'´ ̄  ̄`ヽソ⌒‐-、_
/. :.;:;;;;;;;;;;;;;イ__;;;;;;;;;;;;:;.: .〈
j. :.;:;;;;;;;;;// `ヽ;;;;;;:;.: .}
/. :.;:;;;;;;;;;|_ ヽ;;;;;:;.: .'、
/. :.;:;;;;;;;;/`_`' ,. ;=;;,.l;;;;;;;:;.: .ヽ
フメツノ {. :.;:;;;;;;;;;;{ ^´冫 k=ぃ.};;;;;;;;:;.: .イ
ヽ. :.;:;;;;;;〉 ,. j、`'´ };;;;;;;:;.: ./
ヽ_. :.;:;;;! `t '; ト; ,ノ;;;;;;;:;.: .j
く. :.;:', '´ーニマ'/;;;;;;;;:;.: ./
(`. :.;∧.  ̄´/;;;;;:;.: ._;;j
>::へ ヽー/;;:;.: .く 、
エドはるみ「チェンジングー」
岡 田
ミルキー氏も高3か…
フメツノホシュ
ホッシュ松本
てか誰もおらんな…(;■∋■)
昨日のロンドンハーツでエドはるみがチェンジングーと言った
みんなが納得する選考は難しいのう…
3CDのほうは中古で買うことにした
みんなありがとう
本スレ7周年
俺的意外な落選曲
1位 明日また陽が昇るなら
2位 ロンリースターズ
3位 UBU
俺的意外な当選曲
1位 スイマーよ!!
2位 LOVE IS DEAD
3位 ながい愛
341 :
おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ:2008/08/16(土) 21:31:10 ID:2BJkqxJT
あ、こんなとこまできてageやがったな…
見えないとこまで飛んでけよ。
緊急保守
元ネタは小久保(ソフトバンク)のwikiです
724 :はし野 ◆L9hqMuspWo :2008/10/12(日) 21:31:53
歌詞を間違えた場面について幾度も質問してきた記者に辟易した稲葉は
「私にはこれが精一杯ですから」と発言し、それがそのまま翌日の新聞に掲載された。
記事を見た松本はすぐに稲葉を呼び出し、
「我々の仕事はファンに夢を見せる事だ。このような発言をすると、
ファンは稲葉浩志という人間に対して夢を見る事ができなくなる。今後2度とこのような発言はするな」と叱責した。
後日、稲葉本人がこのエピソードに関して、松本孝弘という人間を師匠として尊敬する要因になった一番の出来事だと語っている。
松本孝弘は、私が指導した中でも稀に見る努力家であった。
しかも、他校に行けば十分にエースで通用するだけの素質も持っていた。
しかし、松本と同じ学年に稲葉浩志という天才的な投手がいたために、
彼は常に日の当たらない道を歩まざるを得なかったのである。
松本のB'z高校での3年間は屈辱的なものであったに違いない。
稲葉が1年生の夏からエースとして甲子園に出場し、
マスコミの脚光を浴びていたのに対し、松本はまったく目立たない存在であった。
実力にそれほどの開きがあったわけではないが、
同じ左腕ということも災いして、私も周囲も、
松本の存在を二の次に考えてしまっていたのだ。
稲葉を大事にしたい気持ちから、松本ばかりをバッティングピッチャーとして
消耗品のように使ったりもした。今思えば、私が未熟だったばかりに、
松本の気持ちを思いやってやることができなかったのだが、
それでも松本は腐らずに日々練習に励んでいた。
打撃練習で自分の役目を負えると、
私が何も言わなくてもブルペンに行って投げ込みをする。
そして、暇さえあればグラウンドを走っていた。
かつて、同じくらい練習していた選手に、昭和48年に春のセンバツに初出場初優勝
したときのエース・明石昌夫がいたが、彼は不動のエースであった。
背番号1の誇りを心の支えにすることができていたと思う。
それに対して松本は控え投手。
どこからそれだけの気力が湧き出てくるのか、私には不思議なくらいであった。
「いつかあいつの努力に報いてやろう。甲子園に出場したら……」
私がそう思い始めた矢先のことだ。皮肉な事件が起こった。
松本が3年生になった4月末、ついに私の非情な仕打ちに耐えかねて、
合宿所を飛び出してしまったのである。
その日、私はコーチに「松本には学校の裏の階段の上り下りを
させておいてくれ」と言い渡してあったのだが、
グラウンドでの練習に夢中になっているうちに、つい松本のことを忘れてしまっていた。
普通の選手なら、少しは手を抜いたりするものだが、生真面目な松本は
ひたすら階段の上り下りを続けていたのだろう。
その絶望的な気分は察するに余りある。
私が松本の失踪に気づいたのは、彼の置き手紙を見つけたときだった。
「少し考えたいことがありますので、家に帰らせてもらいます」
松本らしい、あっさりした文面の手紙が、私の机の上に置いてあった。
――松本、すまなかった。
私の心に自責の念が込み上げてきた。
私がこれまで松本にしてきた仕打ち、常に稲葉の影になりながら
黙々と練習してきた松本の辛い胸の内が、今さらながらに思いやられ、
私は指導者としての自分の愚を悟った。
私はすぐにコーチと相談の上、チームの副主将でムードメーカーでもあった
増田隆宣を呼んで、松本に電話でこう伝えてもらうように頼んだ。
「松本、エースは稲葉だけじゃない。お前はB'z高校のもう一人の
エースだ。必ず甲子園で投げることがあるから、監督を信じろ」
この言葉が彼の胸に響いたのであろうか。松本はすぐに合宿所に戻ってきてくれ、
それまで以上に練習に励むようになってくれた。
そして、まさに「もう一人のエース」に成長していったのである。
昭和55年の夏の高校野球選手権大会、B'z高校は大阪府内の強豪を
次々に撃破し、甲子園出場を決めた。3年生になった稲葉のクールでクレバーな
ピッチングは、甲子園という大舞台のプレッシャーの中でますます冴え渡り、
2年生捕手、徳永暁人の好リードもこれを助けた。
打撃面でも、増田、稲葉らが全体を引っ張り、全員野球で得点を重ねた。
甲子園の1、2回戦では、松本の好投も光った。あの事件以降、私は松本にも
大事な試合で投げさせていた。そして勝ち投手になる度に、マスコミのインタビューに答えて、
「ウチは稲葉だけじゃありません。松本もエースですよ」とPRしていたのだが、
それが彼に自信をつけさせる一つの要素になっていたようだ。
そうして、ついに夏の甲子園決勝。相手は、その年のマスコミの注目の的、
1年生エース・桜井和寿を擁するミスチル学園である。
桜井は決勝までに44回と3分の2イニング無失点というとてつもない記録を引っさげて、
B'z高校の前に立ちはだかった。
私は、桜井と並ぶ甲子園のスター、稲葉に先発を託した。
しかし、その稲葉は絶不調であった。連戦の疲れが溜まっていたのだろう。
ストレートにいつもの球威がなく、決め球のカーブにも切れがない。
コントロールも悪かった。初回にいきなりスクイズで1点を奪われるという
苦しい立ち上がりになった。
ところが、ミスチルの桜井も悪かった。相手チームの守りのミスもあって、
B'z高校は1、2回で5得点。
桜井をノックアウトし、控え投手の田原を引きずり出した。
2回裏が終わった時点で5-1。いつもの稲葉の調子であれば楽勝ペースである。
しかし、稲葉は一向に立ち直る気配がない。
4回に2点を奪われると、5回に早くも球数が70球を超えた。
球威もみるみるうちに衰え、見るからに限界だ。
さらに5回にも長短打で1点を追加されて5−4。ついに1点差まで詰め寄られた。
ここで私は、稲葉に「肩の調子はどうだ?」と声をかけた。
稲葉は試合前から「肩が重い」と訴えていたのである。
「やはり重くて……」稲葉は答えた。ここで私の心に迷いが生じた。
本来ならば、松本を投入すべきところだろう。
しかし、夏の甲子園決勝というプレッシャーの中で、果たして松本で大丈夫だろうか。
ブルペンで投球練習をする松本の球威は明らかに稲葉を上回っていたが、
プレッシャーに強いのは稲葉の方だ。このまま稲葉に投げさせるべきではないか……。
――いや、ここは松本だ!
最終的に私にそう決断させたのは、私が常々「松本はもう一人のエースです」
と言っていたことだ。ここで松本に投げさせなければ、
私は教え子にウソをついたことになる。
「松本、行くぞ」「ハイッ!」
私は6回から松本をリリーフに送った。三年間、スター選手の陰で黙々と努力してきた
男が、ついに夏の甲子園決勝という夢の檜舞台に立ったのである。
ベンチからマウンドに向かう前、気負い気味の松本に、自分のグローブを
差し出した者があった。稲葉であった。
今日風呂入る前にフルチンでグラディウスやってたらモアイが出た所で丁度ラッパみたいなでかい音の屁が出た
一瞬モアイが屁こいたのかとオモタが、後から下見たらゲリ便がびちょびちょ座布団に付いてた
なのでモアイのことはウンチと呼んでる
そのグローブを右手にはめた左腕は、大舞台のプレッシャーをはねのけ、
すばらしいピッチングを見せた。6回、7回、8回……。
ミスチルのスコアボードに0が並ぶ。ミスチルのナインも、「もう一人のエース」が、
これほどの実力の持ち主だとは思っていなかったに違いない。
B'z高校は6回裏に増田のヒットをきっかけに1点を追加。
6−4と点差を広げた。
そうして2点差のまま、9回表、ミスチル学園の攻撃。
相手チームも最後の粘りを見せ、2死、1塁3塁。
しかし、松本は動揺することなく、最後の打者を2−1と追い込んだ。
鋭いシュートが内角をえぐった。打者は手が出ない。
「ストライク、バッターアウト!ゲームセット!」
審判がコールすると同時に、松本は両手を高々と突き上げてガッツポーズした。
その松本に躍りかかるB'z高校の選手たちを見つめながら、
私は目から涙があふれた。
それ以来、B'z高校の控え投手は、よく「松本さんのようになりたい」と
口にするようになった。今でも、松本という固有名詞は消えているが、
「控え投手でも頑張っていれば檜舞台に立てる日が来る」という気持ちの伝統は
脈々と受け継がれ、活気を生んでいる。
もしも、決勝で松本を投げさせていなかったら、優勝を決めた一球を投げたのが
松本でなかったら、そうした伝統は生まれなかったに違いない。
すべての若者は可能性を持っているのである。
おわり
元ネタ 渡辺元智(横浜高野球部監督)氏の著書より
このスレってもう3年も続いてるんだねすごいね
本スレでageてるのは女だろうな…どのスレの住人かは言わないけど
よし イブ恒例の点呼だ
1!
新スレが立ってないな
はしのえみ結婚か
俺はこういうコテ名だが 特に彼女のファンというわけではない
昔自分で書いたネタ「自分をはしのえみだと思っている松本」からきている
いとしさとせつなさを兼ね備えてる
375 :
其々:2009/04/18(土) 01:49:20 ID:???
稲葉「おっ松本さん何かアイディア出そうなんですか?」
松本「うん、リフなんだけど…」
テレテンテンテンテン
松本「違うなぁ…」
テレテテテケテンテン
テレテケテンテンテン
テケトゥンテケテレテン
テケテントゥンテントゥン
松本「あ!」
テケテントゥンテントゥン!
稲葉「…お前ソレずくだんずんぶんぐ
松本「チッ」
376 :
其々:2009/04/20(月) 20:14:52 ID:???
うわ一回書き込んで反映されねえなと思ったらこんなとこに
(■∋■)
保守
アルバムまで10日
382 :
おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ:2009/11/13(金) 18:08:41 ID:tcPHRU0T
あと1週間切った!
こりずに点呼
1!
オリジナル・フルアルバム好きな順
1IN THE LIFE
2SURVIVE
3THE CIRCLE
4LOOSE
5ACTION
6ELEVEN
7OFF THE LOCK
8The 7th Blues
9Brotherhood
10RUN
11MAGIC
12RISKY
13BIG MACHINE
14GREEN
15MONSTER
16BREAK THROUGH
17B'z
387 :
おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ:2010/03/14(日) 22:43:19 ID:/WJ4BsXB
age
本スレもうアレなので去ります
創世期にこそいなかったものの
はし野氏やシネリー氏やらnikoniko(だっけ?)氏やらと一緒に
名乗るほどもないコテハンとして盛り上がれて楽しかった
もう完全に終わったようなので去ります
創世期にこそいなかったものの
はし野氏やシネリー氏やらnikoniko(だっけ?)氏やらと一緒に
名乗るほどもないコテハンとして盛り上がれて楽しかった
niconicoはねーよ
…と言いつつも懐かしいなあいつ
あったら嫌な松本孝弘130〜THE CHANGINGとシュシュ〜
何だかんだ言って2ch創設時からある歴史の長いスレだよね
いかに松本が愛されているかがわかるな
この」スレの息の長さもすごいな
最下層
久々に戻ってきたら、本スレの消費の遅さにワロタ。
nikonikoって今もたまに居ない?
保守
のんおの
ほしゅ